3.ひとりで生きたいわけじゃない
色々なことがありすぎて、頭がフリーズした状態でも体は動く。悠斗の家で決めた、シーツの洗濯。布団からシーツを乱暴にはがし、洗剤を入れてスタートボタンを押す。すると、大きな音を立てて洗濯機は動き出した。
「はぁ……」
このまま、お風呂に入ってしまおう。
そうすれば全部なかったことになる。
頭ではそう考えているのに、体が言うことをきかず、洗濯機を背もたれに有希は座りこんだ。片手に握りしめたスマホは、鳴らない。
「―――あたしって、バカ。……一体、何を待っているんだろ」
なかったことにしたくて、逃げ出したのに。明日から慌ただしい日常がはじまれば、非日常なんて忘れられると思うのに。あたしらしくなくって、溜息がこぼれる。自分に気合を入れる為に、頬を軽く叩く。よし、次よ次!そう決めて起き上がろうとした途端、握りしめていたスマホが震え、有希はびくりと肩をすくませた。
悠斗:『いい加減、こっち見てよ』
送られてきたラインの言葉をキーワードに、記憶が少しずつよみがえってくる。あたしは確かに昨日もこの言葉を聞いた。
(あぁ、もう駄目だ)
賽はあの時に投げられたのだから……。
***
「まぁ、あたしは車の運転が好きだから、助席に乗るよりも運転したい人だしィ。それにこんな仕事してるから、日曜大工も得意よ。テントだって立てれるし。何でも捕まえて見せにくる子どもを相手にしているんだもん。虫が怖くて、保育士が務まるかぁ!!」
自分でも車の件は、可愛くないかなとは思う。
でも、あたしは『待つ』ことが苦手なのだ。
待ち合わせもあたしにとっては苦行で、県外でもない限り、二度手間になろうとも迎えに行く方がずっと気が楽だった。
どんなに楽しく遊んでいても、自分の迎えがくると一緒に遊んでいたあたしのことなんて忘れて、笑顔で帰っていく。その中で最後まで自分だけが取り残される恐怖感。保育園の延長保育、小学校の放課後の児童クラブ。締めは、あたしがいることなんて忘れたように罵りあっていた両親の離婚。
そんなことが幼いころから繰り返されれば、立派なトラウマになるというものだろう。
幼いころのあたしは、進まない時計に何度も保育園の先生にごねたり、泣いたりした。他の子のお迎えが来る度に泣くあたし。対応に困った先生は両親にそのことを伝えたようだった。しかし、両親はあたしよりも自分や仕事を愛していたようで、迎えの時間が早くなることは一度もなかったように思う。あたしが熱を出そうと、迎えに来るのはファミリーサポートの人。そんな状況に泣いてもどうにもならないことがあると幼心に悟り、泣くことをやめた。少なくても自分から動けば、待たなくていい。
「あいつら大体、あたしの自立しているところがいいって言ってたくせに。
なにが、俺がいなくてもよ。
あ―、もう本当に見る目がなさすぎよね、あたし」
「自称肉食系の元彼たちね。有希先生の元彼って、狙いすましたかのようにろくでもないのばっかりだよね」
「うわぁ~容赦ない~!でも反論もできない!!」
時に絡んだりバカ話をして笑いながら、悠斗と二人で競うように杯を重ねた。閉店で追い出される頃には、有希は悠斗を杖にしないと歩けない状態になっていた。一人で歩けない自分がおかしくって笑えてくる。8人もの男に一人でも平気だと判を押されたのに。
「……ひとりでいきたいわけじゃないんだけどな」
―――隠していた素直な言葉が、口から零れた瞬間。
ぐいと引き寄せられ、隙間がないほどきつく抱きしめられる。彼氏といる時には履けなかったお気に入りの8cmのヒールの靴。抱きしめられると、すぐそこに悠斗の顔があることを感じる。
「いい加減、こっち見てよ」
「じ、じょ、うだん……」
「冗談は言わないよ。最初はこの距離でいいって諦めていたけど。そんな顔で笑われたら、押さえるなんて無理」
「だって、だっ、て―――」
有希の頬に触れる手が、熱くて震えた。悠斗はいつも目を細めて優しく笑う。子どもたちを叱る時も、声を荒げることなんてない。優しい顔しか知らなかったあたしを見る瞳は、そこにこもる熱は火傷しそうなほど熱くて、―――怖い。
「あ…あたし……かえ」
「有希」
帰るの言葉は、飲み込んでしまった。
瞳で、声で、縛られて、もう力なんか入らない。
「―――好きだ」
有希の目から涙が転がり落ちる。
口を開くのに、言葉が出てこない。言葉を見失ったあたしは、きつく目を閉じて悠斗の背中に震える両手を回した。