第4話:姉と少年
しばらく日常パート続きます。
「おっじゃまっしまーっす!」
それは夏らしくよく晴れた日の事。
午前中にもかかわらず気温はぐんぐん上がって行き、少し動いただけでも汗が噴き出そうなほどだった。
そんな中、いつもの様に3人一緒の少年達は、「いつでもおいで」と言ってくれていたものの今まで足を向けた事がなかった「近所のおねーさん」の家に初めて遊びに来たのだが。
「……何で出てこねーんだよ」
暑さで急激に機嫌の悪くなって行く大地が低い声で漏らすと、
「留守なのではないのか?」
「まあ、では日を変えて出直した方がよろしいのかしら」
と仲間の2人が小首を傾げた。
だが、その言葉に大地は首を横に振ってこう宣言した。
「よし、このまま行くぞ!」
と。
「本当によろしいのでしょうか……?」
不安そうなクルルに同意する様に、ロストも微妙そうな顔でいう。
「不法侵入、というものではないのか」
「……ロストお前、いつの間にそんな言葉覚えたよ」
大地がジト目で見たのも仕方ない。
何せ彼は、ほんの少し前までこの“世界”についての細かい事象など知らなかったのだし、ましてや人とまともに心を交わすことさえなかったのだから。
「ここってさ、前にも言ったけど元は公園だったんだよ。今は家建っちゃったけど、氷魚ねーちゃん、庭はあんまり手ぇ入れてないって言ってたし、端っこの方で静かにしてればバレねーって。それにバレたって別にどってことねーよ(多分)。元々遊んでけって言われてたんだしさ」
「いいのか?」
あくまで気楽な態度の大地に対し、残りの2人は不安そうだ。
だが、
「まあまあ、ちょっとした探検だと思ってさ」
という大地の言葉に、やや常識に疎いところがあり好奇心を刺激された2人は、「大地がそう言うなら」と、前向きに行動を開始する事にした様だ。
「いきなり奥へ行くのか?」
「おう。北の方の庭行ってみようぜ、そっちのが表の庭より広い」
家の東を回り込み北へ抜けると、広い空間に出た。
家の北側と言っても、日陰は木立ちの間と家の影の部分位だ。
だが、その広い空間は何処かうすら寒く感じられた。ごく僅か、一瞬だけの事ではあったが。
高台にある為、庭の向こうは崖となっており、その向こうには市街が見える。その眺めにクルルがはしゃいだ。
「まあ、すばらしいですわ!」
「ずいぶん遠くまで見えるのだな」
クルルの隣まで歩いて行き、ロストも感心した様な言い方をする。
少し後ろからゆっくり歩いて来た大地が、彼にしては珍しく大人ぶった忠告をした。
「あんまり端の方まで行くなよ。塀があるからって安心してると落ちるぞ」
「まあ!」
同年の友人に子供っぽく扱われて、クルルが怒ったような声をあげるが、
「あ、この木覚えてる。昔、こっちとこの木の間にブランコがあってさ、一緒によく遊んでた」
気を回したのか、それとも単なる気まぐれか。
近くにあった大きな木にそっと触れた大地のその言葉に、ついさっき怒ったばかりの彼女の興味はあっさり移る。
「“一緒に”ですか?では、氷魚姉様とご一緒に?」
「えっ……あ……」
その言葉に、大地は表情を変えた。
まるで、開けてはいけない箱の蓋を開けてしまったかのように。
一方、ロストはロストで庭の隅に興味深いものを見つけた様である。
「大地、あれは?何か石が3つ並んで置いてある」
「あ、……そこは……」
いつになく顔色の悪い動揺した大地のその様子に、2人が疑問を抱いたその時だった。
「こらっ!」
家主である氷魚の声が、辺りに響いた。
「勝手に入って来た悪い子は、君達か~?」
相変わらずキャミソール1枚にジーンズ地のホットパンツと露出の高い氷魚は、ワザとらしく怒ったふりをしていても、その表情は笑っている。
だが、その手は問答無用で大地の頭をぐりぐりといじめていた。
逃げ出そうともがくも、ついには悲鳴が上がる。
「なんだよー、入って良いって言ってたじゃん!」
「言ったけど声くらいかけなさいよ。常識でしょ?」
溜息をつく氷魚に、大地が憤慨する。
「声かけたけど気付かなかったんじゃん。……そりゃ、勝手に入ったのは悪かったって分かってるけどさ……」
せっかく来たのによ、とぼそぼそと俯いて言う大地に、今度は氷魚の方が慌てた。
「え、あ、ごめん。うちのホームセキュリティ、メンテ中だったわ」
「おいおい」
乾いた空気が流れた。
「せっかくだから紹介しとくね。ナビィ」
『はーい!』
「えっ!?」
「うおっ!?」
「……まあ」
三者三様の反応が返って来た。
氷魚の呼びかけに応えて現れたのは、うっすら透けたデジタルフラットウィンドウ。
その中に写るのは、これまた平面的な質感の薄水色のツインテールの少女だった。
ウィンドウが大きさを変えると、顔だけ写っていた彼女の全身が現れた。
髪と同じ色のミニスカートにニーハイソックスという、ひと時代前の衣装を身に纏った彼女は、その場で華麗に1回転してからお辞儀をした。
『歌って踊れてお家を守る、凄腕ホームナビゲーションシステム兼、剛腕ホームセキュリティのナビィちゃんでーす!よろしくね☆』
キラキラしたエフェクトに、少年達が目を丸くする。
「……凄腕、って自分で言うのかよ」
「剛、腕……?」
少年2人は、彼女のフリーダムさ加減に呆れればいいのか驚いたほうがいいのか、とにかくどう反応していいのか迷っている様である。
一方、瞳を煌かせたのはクルルだった。
「ずいぶん可愛らしい方ですのね」
『ありがとう!クルルちゃんもかわいいよ!』
「わたくしの事をご存知なのですか?」
『もっちろん!大切なお客様だもの!さっきの今で色々アップデートしたから、君達の事も、この家の敷地内の事も、知らない事は無いよ!困った事があったら何でも言ってね!当然、君達の事もばっちり守るから!』
「まあ、頼もしいですわ!」
女子2人、きゃっきゃっとはしゃいでいる。
「……楽しそうだな」
「“意思持ち”?」
ロストが楽しそうなクルルを見ながらどこかぼんやりとそう言う。完全について行けていない。
一方大地は氷魚に向かい、ごく簡単に確認した。
意思持ち――――――つまりは、現在世界中で起きている突然変異によって意思を持ったプログラムの事である。
氷魚はこくりと頷いた。
ナビゲーションシステムとは、家人の生活をサポートするための様々な機能を持つ物の事で、敷地内で起こった出来事の報告、他所からの連絡の取次、ある程度の家庭内の相談事などにも対応している。
……たとえば簡単なところでは、今晩の料理の献立だとか。
ホームセキュリティシステムについては、言わずもがなである。
「ナビィは、前に住んでた家にいた頃からのナビゲーションシステムでね。意思を持った頃からセキュリティも担当して貰ってるの」
氷魚が軽く説明すると、ほえっ、という気の抜けた声が周囲から漏れた。
ネットワークシステムが限定され、電脳空間の閉鎖された今、ナビを持つ家庭はそう多くない。
ましてや、家庭用セキュリティ“プログラム”など。
「実体化しているわけではないのだな」
ロストが興味深げにナビィを見つめる。
彼等が普段敵対しているもの達と違い、ここにはその予兆の様に現れる濃度の高い霧の様なものは発生していない。
目の前にいる『彼女』もまた、あの不気味なもの達と違ってはっきりとした陰影を持たず、背後が透けて見えた。
『この家の敷地内には各所に投影機が設置されているから、私はいつでもどこでも表れる事が出来るんだよ!』
「普通は音声ガイダンスだけだろ?何でわざわざ……」
そう、普通のナビゲーションシステムに人格や個性、キャラクターとしての画像を付ける事は無い。……よほどの事がなければ。
しかし、意思を持ち個人という人格を得た“彼女”は、それには当てはまらなかったようである。
『その方が、皆“私”だって分かりやすいでしょ?ただのデータやプログラムとして扱われたくなかったの。それにせっかくなんだもん、可愛いカッコしてみたかったんだよね』
自身のキャラクターの元にしたのは、過去に電脳空間に残されていた大量の画像データの中から拾って来たものだとの事。
『可愛い格好がしたかった』と主観的な目線で話す彼女は、やはり完全な“意思持ち”プログラムなのだろう。
『そんなことより、もう皆この家の事よく見た?見てないなら案内するよ!いろんな場所があるんだ!あっちには池もあるんだよ?お魚もいるんだよ。ねえ見た?見た!?』
まるでおとぎ話に出て来る妖精の様に、子供達の周りをくるりと回り込み、一緒に遊ぼうと誘うナビィ。
生き生きとしたその様子に興味をひかれたのか、クルルとロストは彼女について行く事にした様だ。
ナビィは主に、庭の草木の解説をし、その都度2人とも珍しがる。
だだっぴろい庭に、池がある家。そんなどこか昔懐かしい印象の家は、この時代、中々お目にかかれるものではない。
過去を知らない子供達が、興味を持つのも無理はなかった。
そんな中、混ざらなかった少年が一人。―――大地だ。
「どした?」
かたわらに佇み、ぼんやり2人の友人を見つめる大地に話しかける。
「……ん」
対する大地の返答は、彼にしては非常見珍しく、はっきりしないものだった。
「……何。言ってみなよ」
こちらも、普段の大地に対する態度にしてはあり得ないほど珍しく、優しい。
大地は少しだけ口元を引き結んだあと、ぽつりと話し始めた。
「姉ちゃんはさ、今までの友達と最近出来たの友達、どっちか取れって言われたらどっち取る?」
少年の悩み、それは『訳あって、今まで仲良くしていた友人と疎遠になってしまったが仲直り出来ないまま夏休みに入ってしまった』というものだった。
もちろん大地には、新しく出来た友人達―――クルルとロストも大切な友人だという事は、十分に分かっていたし、彼等を置いて自分だけ今までの友人達と遊ぶ、などというのは良くない事だと分かってる。
どうにかして一緒に遊びたいが、今までの友人達に声かけても最近何故かよそよそしいし、渋られてしまうという。
氷魚は考えた。
一般的な子供なら、1度認めてしまえれば小さな事にはこだわらない筈。
親に何か言われたか?それとも大地の“特別扱い”が溝になったか?
氷魚は、とある事情から大地が勇者活動をしている事を知ってる。
しかしそれは本人には言わないし、言っていない。……現時点では、伝える気も無い。
氷魚は氷魚で、彼等の活動に関わる理由があった。
だがそれを表面化させ表だって手伝うには、あまりに氷魚の周囲は敵だらけであり、彼等の危険な勇者活動に、さらに余計な混乱や無用の危機までをも招きかねなかった為だ。
しかし、一般人はまた事情が違う。
大地達の勇者としての活動には、多くの制限が付くからだ。
主に情報管理の面から、やたらと無関係な者に事情を説明できない、といった風に。
いくら友人とはいえ子供同士ならば、この子達の抱える事情までは分からない筈だと考えた氷魚は、こっそりナビィに確認指示を出した。
学校にいる間に、あるいは授業中に、彼等が―――大地が呼び出される事も多々あっただろう。
それが、何も知らされていない友人達からすれば“サボタージュ”だと受け止められていたとしたら。
また彼らの知らぬ間に、異世界に関わるという形で心の距離が離れてしまった友人が、急に新しい友人を連れて来たとしたら。
友人達が面白くないと思うのも、あり得ない話では無いと思った。
さらに、親の干渉があれば子供というのはそれに従うものだ。基本的には。
最近様子のおかしい子供がいる、という噂の1つでも出てくれば、親としては距離を置きなさいと忠告の1つも出すだろう。
果たして、その懸念は当たっていたらしい。
「あと、この間友達に“この家”の事、お化け屋敷って言われた。母さんにも『ここん家には行かないほうがいい』みたいに言われた。遊んでばっかいて、氷魚ねーちゃんに迷惑かけるなって言われたけど……でも、多分だけど……それって言い訳だと思う」
少年はようやく一番言いたくて、でも一番言いたくない言葉を無理に言った。そして耐えきれずに顔を伏せた。
ここの家……つまりは“ここ”氷魚の家の事だ。
かつては家族ぐるみで付き合いのあった筈の、この家と大地の家。
だが年月が経てば、そしてそれ以上に“あんな事”があれば、小さな子には関わらせたくないと大人なら考えるだろう。
余計な事は知ってほしくないし、思い出して欲しくないと、親ならば誰しもそう思うのは当然だと氷魚は思う。
きっとそれは、大地の親も、大地の友達の親も同じなのだ。
「……それはしょうがないよ」
ちょっとだけ眉尻を下げる。当時から近所に住んでいた者なら誰でも知っているような……それだけの事があったのだから。
少しの間の沈黙。
見るともなしに、ナビィの後を追いかけるクルルやロストの様子を見ていた氷魚に、大地が視線を移し、別の話を振った。
「あの庭の石はお墓?」
「そうじゃないけど……そんなもんかな」
普段会えば騒がしくする2人には珍しく、静かでしんみりした口調。
大地はようやく、口にする。
本当はもっとずっと早くに言いたかった言葉を。
「姉ちゃんの弟の事、一緒に遊んだくせによく覚えて無くて、ごめん」
2人とも、視線を合わせ無かった。
墓石では無いというその3つ並んだ小石は、実際には庭石に見せかけたただの投影装置なのだが、やはり大地には墓標の様にしか見えなかった。
彼女の小さな弟と、両親の――――――
そう、かつてこの家で―――この庭で―――惨劇があった。
あの頃一緒にブランコに乗って遊んだのは、氷魚でなく彼女の幼い弟。
しかし、多くの友人に囲まれ日々忙しく過ごす大地にとっては、急に消えて居なくなったその子供について、わずかに数年であれ月日の過ぎ去ってしまった今、思い出す事はもはや容易では無く。
ごめん、と大地は悔しそうに下を向いた。だが、
「忘れても良いんだ」
姉は、今までの重苦しい雰囲気を払拭するかの様に強く、振り切る様に明るい口調も混ぜて言った。
「今みんなで楽しく遊んでくれれば、それがきっと何よりの供養になる」
「そういうもん、かな?」
「そうだよ。……だからさ、あまり深く考え込まないでいいんだ。辛いことも、悲しい事も、引きずったってどうにもならない」
先程よりは明るい表情をした姉につられるように、弟分の少年の気持ちも軽くなる。
「あの子はもうとっくにいなくなってる。大事なのは、“今の君”が、“今一緒にいる”友達の事をどうしたいか、だよ」
少し屈んで目線を合わせた氷魚に、大地は揺れる眼差しを送った。
「……でも、あいつらと、友達の事……どうにもならなかった場合は?」
「好きな方選べばいいんじゃない?」
あっさりと結論を出した氷魚に、苦い顔をする大地。
「それが出来ないから苦労してるんじゃん」
零す大地に氷魚が「あはは」と声を出して笑う。
ようやく、いつもの2人が戻って来つつあった。
「遊んでばっかが困るっていうなら、ここで勉強すればいいよ。クルルちゃんも、ロスト君も、ホームステイ中とはいえお勉強はしてるんでしょ?」
いいの?と大地が問えば、氷魚はにやりと悪い笑みを浮かべた。
「皆で宿題持っておいで。そうすれば小母さんも無理に文句言わないよ、きっと」
「ねーちゃん悪いなー」
くひひひ、と笑う大地。
それはまさに、数年来の悪だくみの相棒が復活した瞬間だった。
「さて、スイカでも食べる?」
「食べる!」
切り替えた氷魚の一言に、大地がいつもの明るい笑顔で応える。
「よしみんな、外は暑いからそろそろ家の中に入るよ!麦茶入れるから!」
庭の探検を満喫していたロストとクルルにもそう声をかけると、ナビィが『スイカもあるよ!』と後に続く。
わーい、という子供達の嬉しそうな声が庭に響いた。