十度目のメビウス
――それはただ、君が居る未来の為に……
時計はもう十時近くを指していた。年が明けるまであとニ時間しかない。
今日は彼女と朝から買い物、映画、ディナーと精力的に出歩いていたため、友輝の全身にはずっしりと疲労が蓄積していた。
もっともこの後も除夜の鐘を聞くまでは眠れないし、初詣にも行くことになっている。
大晦日は丸一日付き合うと前々から告げてはいたものの、二十四時間をフルに使おうとするのは毎度のことながらどうかと彼は思う。だが、約束は約束だから仕方がない。
炬燵に入って蜜柑を剥いていると、彼女の美弥がおもむろに友輝の傍らに立って言った。
「あのね友輝、誤魔化したりしないでちゃんと答えて欲しいの」
仁王立ちになって彼を見下ろす彼女の目は怖いほどに真剣だ。
さっき帰ってからすぐに着替えたらしく、毛玉の付いた白いセーターの上に赤い半纏を羽織っている。
美弥が何を言おうとしているかすでに知っていたものの、友輝はとりあえず手にした蜜柑を差し出した。
「そんなに食べたいなら遠慮せずともやるぞ」
「だからそういう冗談を言わないでって意味よっ」
ぷくっと頬を膨らますのは彼女が怒ったときの癖で、これまで告げたことは一度も無いが友輝は美弥のこの表情をかなり気に入っていたりした。
「分かった分かった。何でも答えてやるからとりあえずそこ座れ」
「うん……」
美弥はもそもそと炬燵に足を入れ、おもむろに蜜柑を剥き始める。そしてはたと気付いて、友輝のほうを見た。
「友輝のイジワル」
「いや、それは俺のせいじゃないだろう」
炬燵に入れば反射的に蜜柑を剥き始めるであろうことは分かっていたが、それで意地悪呼ばわりされるのは心外だ。彼は思わず苦笑をもらした。
「それで、いったい何の用だよ」
「あのね――、」
美弥は戸惑ったようにもそもそと口を動かし、そしておそるおそる視線を上げた。
「友輝って、もしかすると未来が分かったりするの?」
軽く眉根を寄せ、彼は不思議そうに美弥を見た。
「いきなりだな。どうしてそんな事を思ったんだ」
「いきなりじゃないわ、前々からずっと思っていたの。あたしたち、そろそろ付き合って一年になるでしょ」
その言葉は間違っていないので素直にうなずく。
「だけど友輝って、まるで未来が見えているかのように正しい行動ばかり取ってるって気付いてる? 友輝が乗りたくないって言う時には電車は必ず遅れるし、入りたくないって言ってたお店は数日後には食中毒を起こしたわ」
そうやって美弥は次から次へと一年のうちに起こった様々な出来事をあげてゆく。
「今日だってそう」
彼女は買ってきたばっかりの洋服を指差した。
「友輝が中身を確かめたほうがいいって言うから包装紙を開けたら、お店の人すっかりスカートを入れ忘れてた。おかげで助かったけど、でもどうしてそんなこと分かったの?」
まるで入っていないことをあらかじめ知っていたみたいに。そう言って窺うような上目遣いで、
「友輝は、――未来が分かるんじゃないの?」
美弥は友輝にたずねた。
普通に考えれば、それはかなり突拍子もない、冗談にしか思えないような問い掛けだろう。
する方もされる方も、けして本気とは思えない。美弥自身、馬鹿にされることを覚悟しての質問だった。
しかし意外にも、友輝はその質問を笑い飛ばそうとはしなかった。
呆れる様子さえ見せず、それどころか何かを思案しているようないたく難しげな顔で黙って彼女を見返している。
美弥はその視線の圧力に耐え切れず、思わずごくりと息を呑んだ。
「……なぁ、俺が大晦日に美弥と出かけるのが十度目だって言ったらどうする?」
「へっ?」
唐突に問い掛けられた言葉に美弥は思わず目を丸くした。
「だ、だけど、今日って二人で過す初めての年越しじゃなかったっけ」
「実際にはまだ越してないから、年越し予定だな。美弥にとっては初めてだけど、俺はもう十度こうやってお前と大晦日を過しているんだ」
美弥はぱちくりと目を瞬かせたまま固まってしまった。
もしや自分の言葉に冗談として付き合ってくれているのかと思ったが、そうではない。
友輝は思った以上に真剣な表情を浮かべている。
「それは、前世で一緒だったとかそういうお話……?」
美弥はおずおずと遠慮がちに問い返した。
唖然とした顔をしてはいるけれども、頭ごなしに否定しようとしない。
それだけ彼女は頭が柔らかいと言えるだろう。
もっとも普段の言動を思えば、単に夢見がちなだけだと判断できなくもない。
しかし今そんな美弥の思考回路は、友輝にとっては至極都合の良いものだった。
「そうじゃない。俺はもう何回も、お前と出会ってからの一年間を繰り返し続けているんだ」
「良く、分からないわ……」
美弥は困った顔をして首を傾げた。
「あたしには、一回分の記憶しかないし」
「そりゃそうさ。繰り返しているのは、俺だけなんだから」
美弥は先を促すように、友輝の目を見つめる。
友輝はいつも通り淡々とした態度で説明を始めた。
「さきの正月に俺は美弥と知り合い、付き合い始めた。ここまではいい。だけど、一年が経過し――年が終わると同時にすべてがリセットされる。俺は年のあたまに戻されるんだ」
「あたまに、戻る?」
「そう。美弥に出会う前に、時間が戻るんだ」
それはまるでメビウスの輪のように、繰り返される一年間。
周囲は当たり前のように同じ日々を辿り、彼ひとりだけが記憶の中にその事実を蓄積していく。
「俺にしてみれば、あの店の店員はもう十度服を入れ忘れている。そして美弥にこの質問をされるのは、最初の回を抜かして九度目のことだ」
「九度目」
「そう。俺はもう十回この一年を繰り返している」
友輝はあっさりと答えた。
「――もっとも、美弥の今日の質問に正直に答えたのは今回が初めてだけどな」
そうぽつりと付け加える。
これまではただ笑い飛ばすだけだった。
そんなの美弥の考えすぎだと、そんな漫画みたいなことあるはずないと、そう答えれば美弥は納得してこの話はおしまいになった。
だけど今回に限り、ふと気まぐれを起こす気になったのは――、
「さすがに、ウンザリしていたのかもしれないな。同じ日々の繰り返しに」
わずかに口元を歪めて笑う。
今日何があって、明日何があって、明後日何があって。
自分はそのすべてを知っている。
まるで予定調和のように、見知った結果に収斂していく様々な事象。
当たり前のように、当然のように。
彼ひとりだけを、置き去りにして。
「だけど、何が起こるか知っているんだったら、あえて違うことも逆にできるんじゃないの?」
そう思いついた美弥はちょこんと首を傾げた。
自分の知らないところで起きる事実は変えられなくても、自分が関わる範囲でなら違う未来を選ぶことも不可能じゃないのではないか。
美弥にしては珍しい鋭い指摘に、友輝は小さく微笑んだ。
「ああ、俺もそう思ったよ。だけど、多少の差異はあっても結局は同じようなことが起こる。俺がどう足掻こうと基本的な流れは変えられないんだ」
最初のうちは酷く足掻いた。
いや、足掻くなんてものじゃない。
自分が繰り返しの中に居るとは信じられず、周囲が皆自分を騙しているのだと思い込み、無茶苦茶な行動を取り続けた。
しかし不思議なことに、どんな行動も最後には必ず彼が知っている結末に結びつく。
「最初に繰り返した時、俺は真っ先にお前のところに行ったんだ。だけど美弥は俺のことなんかまったく知らなくってな、ストーカー扱いされて、警察を呼ばれて、挙句の果てには狂人呼ばわりだ。だけどそんなはちゃめちゃな時でも、結局は付き合うようになり大晦日は共に過した」
遠くを懐かしむように友輝は目を細める。
その様子はまるで昔の恋人の話をされているようで、美弥は思わずむっと眉をひそめた。
「あたしは、そんなこと知らないわ」
たしかに初めて出会った時から妙に馴れ馴れしい人だなとは思ったけれど、出会い自体はごく普通のものだった。
美弥は二人の馴れ初めを思い出す。
『――なぁ、手伝ってやろうか?』
それは今からちょうど三六四日前。
引いたおみくじを枝に結び付けようと四苦八苦している自分を見かねて助けてくれたのが、他でもない友輝だった。
彼はふっと苦笑する。
「それはそうさ。これは今回の美弥の話じゃなくて、八回前のお前の話なんだから」
彼はゆっくりと目を閉じて呟いた。
「初めのうちはどうにか元の時間の流れに戻ろうとしたものだけど、今はもう諦めた」
どれだけ逆らっても自由になれないのなら、素直に流れに身を任せたほうがずっと楽だ。
「どうせなるようにしかならないんだからな」
そうしてまた最初から繰り返すのだ。
これまでと、寸分変わらぬ一年間を――、
「でも年が替わると同時に友輝の時間が戻るなら、今ここにいる友輝はどうなるの?」
美弥はふいに不安そうな顔で友輝ににじり寄った。
「あたしの前から居なくなったりはしないよね」
「さぁ、それはどうだろう」
しかし友輝はあっさりと首を傾げた。
「正直なところ、俺にもどうなるかなんてさっぱり想像がつかないからな……」
自分はビデオテープを巻き戻すように時間の繰り返しを認識しているが、はたして他の人間はどうなのか。
周りが気付かないだけで他の人々も一緒に戻っている可能性もある。しかし自分だけが時間を移動しているなら、残された世界での『友輝』はどうなってしまうのだろうか。
「もしかすると俺は跡形もなくこの次元から消えてしまうのかもしれないし、逆に来年の俺が何の問題もなくそこに存在しているのかもしれない。なにしろ俺が知っているのは年が替わる直前までだからな」
そう呟いて、ふいに友輝は意地悪げな表情を浮かべた。
「それにもしかすると、未来は無いのかも知れない」
「え?」
訳知り顔でうなずいた友輝は、噛みしめるようにゆっくりゆっくり言葉を紡いでいく。
「俺が同じ一年を繰り返すのは、この先に未来が存在しないからかも知れない。何らかの理由で世界そのものが消滅して、次の年なんて訪れない。だから俺はレコードの針が飛ぶように最後の一年をなんども繰り返しているのかもしれないな」
「えぇっ!?」
美弥が顔色を変えた。
人一倍怖がりの彼女は今にも泣き出しそうな表情でぶるぶると震え出す。友輝は憂いを帯びた表情でそんな美弥の手をそっと握った。
「もちろんそうなれば、当然美弥もこの世界から消滅してしまうな。何しろ世界が終わってしまうのだから、来年なんて年は永遠にやってこない」
友輝は哀しげに美弥を見つめて言った。
「永遠にさよならだね、美弥」
「あ、あたし、そんなの嫌だよぉ……っ!!」
「――なぁんてな」
「へっ?」
彼女の大きな目がぱちくりと瞬いた。
くるりと表に返すように、友輝の声の調子が変わる。
「そんなことが本当にあったらどうする?」
にやにやと笑う彼の前で美弥はひくりと頬を引きつらせた。
「も、もしかすると今のは全部――、」
「冗談に決まってるだろ」
「友輝の馬鹿ぁぁっ!」
眉を吊り上げて殴りかかる美弥を、友輝は笑いながらなだめた。
「ホント信じられない。冗談は言わないでってあれだけ言ったのに」
「悪かったって。でもまさかこんな話を本気にとるとは思わなくってさ。だけどほら、いい時間潰しになっただろ。ぼちぼち出かける時間だぜ」
「まったく覚えてなさいよっ」
美弥はぷりぷりと怒りながら、それでも素直に出かける仕度を始める。
近所の神社で年明けを迎えるならば、そろそろ家を出ないと間に合わない。
友輝も素早くコートを羽織った。
外に出ると冷ややかに澄んだ空気の中で星が光っていた。
真夜中だといっても、所詮街中だ。等間隔に並べられた街灯は凍える息を白く照らす。
日付が変わるまで、あと三十分程しかない。
「ねぇ、さっきの話だけど。もし友輝が本当に同じ一年を繰り返すとしたら、他にどういう理由があるかしらね」
「おや、怒ってるんじゃなかったのか」
「そりゃあ、怒ってはいますけどっ」
思い出したように美弥はぷっくりと頬を膨らませる。やはり騙されたことはそう簡単には許せないらしい。
それでも美弥は楽しそうに笑みを浮かべると、友輝の体を突っついた。
「冗談好きな友輝に付き合ってあげてるの。ほら、さっさと答えなさいよ」
脅しているような美弥の言葉に、友輝は苦笑しながら首を傾げた。
「さぁて、俺には見当が付かないな。もしかすると美弥には予想が付いたのか?」
「あたしだって知らないわよ。だけど、やっぱり何か理由があるんでしょうね。この一年を繰り返すんだもの。他の年じゃいけない理由が」
たぶんあたしに出会ったこととか――。
小さな声でそう言って美弥はくすくすと笑った。
のんびりと夜道を歩いているうちに、美弥ははっと慌てたように顔を上げた。
「ヤダ、大変。あたしストーブの火を消し忘れてきたかもしれない。ちょっと見てくるわね」
「ああ、分かった」
すぐ戻ってくる、そう言って走り去る美弥の後姿を友輝はじっと見送っている。
「……じゃあな、美弥」
静かに、彼は別れの言葉を口にした。
このまま美弥に会うことはない。そのことを友輝は知っていた。
戻ってくる前に、日付が変わる。
そして、美弥は自分を知らない美弥になる。
それは彼にとって、もはや九度繰り返した(・・・・・・・)事実だった。
本当は出かける間際に確認していたから、ストーブに火が入っていないことも知っている。だけどそれを美弥に告げ、ここに彼女を留めておく勇気は彼にはなかった。
繰り返しのその瞬間を、これまで一度だって美弥と共にいたことはない。
さすがにそれは精神的にも耐えがたいことだった。
「もう少ししたら、始めからまたやり直しか……」
彼は小さくため息をつく。
あと十分で、すべてが白紙に返る。
これまでの経験上、再び付き合いだすことになるとは分かっている。
しかしそれでも、これまで二人で築き上げてきたものが跡形もなく消え去るというのは、何度繰り返してもけして慣れない痛みを伴った。
――それはまるで哀れな回転木馬。
どれだけ必死で前に進んでも、結局は同じ場所をくるくると回っているだけ。
友輝は唇を引き結ぶと、くっと天を見上げた。
「だけど美弥……俺は、それ程このメビウスを不幸だとは思っていないんだ。何せ、お前に会えることだけは変わらない……」
責め苦とも思える繰り返しの中で、それだけは唯一認められる幸運。なぜ同じ年を繰り返さなければならないのかさえ分からないのだから、不幸中の幸いとさえ言えるだろう。
「何か理由があるから、か……」
友輝はふと先刻の美弥の言葉を繰り返した。
この台詞だけは、今回初めて聞いたもの。十度目にして初めておこした気まぐれの産物。
「他の年ではならない理由――、」
だけどそんなものがあったとしても、すでにこの一年は過ぎ去ろうとしている。
解明しようとしても、次の一年に持ち越すことになるだろう。
――しかし、
(違う、な……)
友輝はふいに深く考えを廻らせた。
一年を繰り返すにしても、何かしらのきっかけがあって然るべきだ。
これまでは単に年の移り変わりを境に繰り返しているのだとばかり思っていたけれど、その瞬間にこそ繰り返しの理由があるとしたら?
そして彼は、ここで始めて思い至った。
(なぜ、美弥は戻ってこない?)
ここからアパートまで歩いてほんの数分の距離。
ストーブの火を確かめて来るにしても、年の変わり目までには充分戻って来られるはずなのに。
彼は反射的に駆け出した。
走りながら腕に巻いた時計を確かめる。
日付が変わるまで後数分。
この数分の間に、果たして何が――、
(まさかっ!)
そして彼は目撃した。
時計を気にしながら懸命に走る彼女。
彼女が踏み出した十字路の影から、白い乗用車が勢いよく飛び出そうとしているのを。
「美弥ぁぁっ!」
彼は無我夢中で地面を蹴り、美弥を突き飛ばす。
その瞬間、息が止まるほどの衝撃が彼の体を襲った。
――ごぉーん、ぐぉーん、ごぉーん……
荘厳な響きで、除夜の鐘が鳴り始める。
彼は白く明滅する意識の中ですべてを思い出していた。
(そうか、俺はこれを変えたかったんだ)
すべての始まりとなる最初の一年。
なかなか戻らない彼女を迎えに引き返した彼の目の前で、美弥は車にはねられた。
宙を舞い、力なく地に倒れ伏す彼女の姿。
その瞬間彼は強く、ただただ強く願った。
(こんなことは認めない……っ)
(美弥の存在しない来年を、俺は全力で否定するっ!!)
それはさながら、時の変わり目に突き刺さった楔。
煮えたぎるような激しい感情。
繰り返しの原理など、きっと誰にも分からない。
しかしそれでも、その願いは確かに叶えられた。
来年は、訪れなかった。
彼女のいない未来を防ぐために何度も、何度も、同じ年を繰り返すことで――、
「――友輝、友輝ぃぃ!!」
懸命に自分を呼ぶ声が聞こえる。
美弥が自分にすがり付いて泣いているのが分かった。
「美、弥……」
彼はゆっくりと手を伸ばし、美弥の頬に指を添わせる。
涙で濡れた、しかし確かに温かな身体。
「やっ……と」
友輝はとても嬉しそうに、微笑んだ。
「やっと、美弥のいる……未来を、手に入れた……」
「友輝、友輝駄目っ、目を開けてっ、友輝!!」
闇に沈みゆく意識の傍ら、彼はふいに思い出した。
(そういえば、まだ美弥に告げてないな……)
年明けの、新しい年への祝福を――、
※ ※ ※
冬の寒さが和らぎ、新春と言うよりはすっかり世間が春の陽気に包まれた頃、美弥は再びあの十字路に立っていた。
「友輝――。あの事故から、何だかもう十年以上経ったような気がするね」
返事はない。
美弥は電信柱の陰にそっと花束を置き、神妙に手を合わせた。
「実際は、まだ数ヶ月もたってないのに、あたしにはあの日のことがもう夢のように思えるわ」
だけど記憶の中には深く刻み付けられている。
血に塗れ、力なく地面に横たわる友輝。
電信柱に衝突した乗用車は大きくひしゃげて、その勢いの凄まじさをありありと物語っていた。
あの事故で、白い乗用車を運転していた一人が死亡。助手席に座っていた女性も、病院に運ばれてしばらくして亡くなったそうだ。
どうやら二人とも酷く酒に酔っていたらしく、飲酒運転の末の前方不注意だったらしい。
そして友輝は――、
「ねぇ友輝、ちょっと聞いてるの?」
美弥は眉をひそめて振り返った。
「んぁ?」
車椅子におさまった友輝が寝ぼけ眼で顔をあげる。
「もう、返事がないなと思ったら。良くそんなところで寝てられるわね」
「だってこの陽気じゃ眠くもなるって」
あくびを噛み殺しつつ頭を振る。
両足はギプスで固められ、実は肋骨も何本が折れてはいるが彼は奇跡的に一命を取り留めていた。リハビリをすればまた歩けるようになるらしく、経過の程も良好だ。
「美弥は本当に人が好いよな。彼氏をはねた相手のお参りなんて」
からかうような友輝の嫌味に美弥はつんと唇を尖らせた。
「そりゃあたしだって腹が立たない訳じゃないけど、死んじゃったら皆ホトケさんでしょ。いいじゃない、友輝にまでは強制してないんだから」
「……まぁ、俺は一度は美弥を轢いた相手なんか、いくら頼まれたって頭は下げないけどな」
「何か言った?」
「いんや、何でもない」
友輝は小さく首を振って身をひるがえした。
「ほら、それより。公園行って鳩に餌やるんだろう」
「ああ、はいはい。今行くわよ」
小走りに自分に駆け寄り、笑いかける美弥の手を友輝はつかむ。
「美弥。――ハッピー・ニューイヤー」
「……ちょっと友輝、今何月だと思ってるのよ」
それに今年で何度目?
呆れたような顔をする美弥に友輝は笑って答えた。
「いいんだよ、めでたいことは何度祝ったって」
彼は眩しげに天を仰ぐ。
そう。
いくらでも、何度でも祝おう。
これは十年をかけてようやく手に入れた、自分にとっての最高の未来なのだから――。
【終】