第六話 断罪配信
# 第六話 断罪配信
配信当日の朝、澪は目覚ましより早く目を開けた。
昨夜、配信に出ると返してから、ほとんど眠れていない。
眠った感覚がほとんどない。喉の奥に、金属片みたいな乾きが残っている。枕元の端末には、未読通知が三桁近く積み上がっていた。
《裏切り者》
《言い訳配信まだ?》
《逃げるなら認めたってこと》
通知を消しても、文面は頭に残る。
カーテンを開けると、空は高かった。こんな日に限って天気だけがきれいだ、と澪は思った。
出勤すると、受付の警備員がわずかに目を伏せた。悪意ではなく、気まずさの角度だった。フロアに上がると、会話は一度止まり、澪が席に着いたあとでゆっくり再開した。
朝礼の最後に、石堂部長が短く言った。
「本日二十時の外部配信について。会社名、取引先名、社内運用の詳細は発言禁止。個人判断での出演は止めないが、結果責任は本人に帰属する。以上」
それは許可ではなく、切り離しの宣言だった。
会議後、三輪が給湯室で紙コップを二つ持って待っていた。
「これ、砂糖多め。今日だけは甘いの許してください」
「今日だけじゃ足りないかも」
受け取った紙コップの縁が、指先でかすかに鳴った。自分でもわかるくらい手が震えていて、少し傾ければこぼしそうだった。
澪は一度目を閉じ、ゆっくり息を吸ってから、紅茶をひとくちすすった。甘さが先に来て、遅れて熱が喉を落ちる。その順番だけで、散っていた神経が少しずつ同じ場所に戻ってくる。
「……ありがとう」
澪が笑うと、三輪はほっとした顔をした。
「出るんですか、配信」
「出る」
「怖くないんですか」
「そりゃ怖いよ」
澪は紙コップを持ったまま言った。
「でも、もう黙ってるほうが高くつく」
「強いんですね」
「そんなことない……」
昼休み、笹原から着信が入った。第一声は挨拶ではなかった。
「討論じゃないわよ。儀式よ。前提を握られた場に立つときは、相手の質問に答えるんじゃなくて、自分の定義を何度でも置き直して」
「わかってる」
「わかってても削られる。二択を出されたら、第三項で返す。『どちらでもない』じゃ弱い。『問いが間違っている』まで言って」
「強いなあ」
「職業病よ」
笹原は少し間を置いた。
「それと、過去案件の件。否認はしないほうがいい。あなたが認めるべきは関与の事実であって、相手が貼ってくる人格ラベルじゃない」
「うん」
「終わったら連絡して。深夜でもいい」
通話が切れたあと、澪はメモ帳を開き、短い箇条書きを作った。
一、関与事実は認める。
二、道具利用と価値判断を分ける。
三、苦労は価値の必要条件ではない。
最初から勝つつもりはない。ただ、負け方を選びたかった。
配信スタジオは、湾岸のイベント施設を改装したものだった。入口にはPLの腕章をつけたスタッフが並び、来場者の手首に色付きバンドを巻いていく。赤は登壇支持、青は追及支持、白は中立。中立の箱だけ、目に見えて減りが遅かった。
控室で、澪は初めて火野遼と会った。
細身のパーカーに、寝不足を隠さない目。画面の中で見た印象より、ずっと若く見える。
「朝倉さん、ですよね。火野です」
「来てたんだ」
「設計思想の件で名前出した手前、逃げると格好つかないので」
彼は苦笑し、端末画面を見せた。ScribeForgeの利用規約更新案だった。太字で一行。
《本ツールは自動代筆を目的としない》
「こんな文言、前は要らなかったんですけどね」
「時代が要るって言ってる」
「時代って便利な変数ですよね。誰も責任を引き受けなくて済む」
その会話を、スタッフが遮った。
「本番五分前です。登壇者、Aステージへ」
会場に出ると、照明の熱が皮膚に貼りついた。客席は八割以上埋まり、後方には配信用の固定カメラが四台。中央の巨大スクリーンには、番組タイトルが赤く点滅している。
『人間の言葉を裏切る者たち』
司会はニュースキャスターではなく、PL広報の若い女性だった。声が通る。感情の抑揚が、扇動に最適化されている。
「本日は緊急討論です。匿名で社会を混乱させた発信者に、説明責任を果たしていただきます」
拍手と口笛が混ざる。
「登壇者をご紹介します。PL代表、久世連さん。開発者代表、火野遼さん。そして、匿名コラム『機械差別という言葉』の筆者、朝倉澪さんです」
澪の名が読まれた瞬間、客席の一角から「帰れ」の声が飛んだ。別の場所から「話は聞け」が返る。会場全体が、細かい断層で揺れていた。
久世は正面を向いたまま、澪にだけ聞こえる声量で言った。
「ここまで来させてしまって、すみません」
「謝る場所はそこじゃないでしょ」
「わかってます」
本番は、最初から討論の形をしていなかった。
司会は順番に論点を配る代わりに、観客投票を先に走らせる。
《質問1: 匿名告発は社会正義に資するか》
《質問2: AI関与歴を隠した発言は無効か》
投票結果が出るたび、スクリーンの数字が歓声を呼ぶ。正誤ではなく、多数派の快楽が場を支配する。澪はそれを見て、笹原の言葉を思い出した。討論じゃない。儀式だ。
中盤、司会がついに二択を突きつけた。
「朝倉さん、明確に答えてください。あなたは機械の代弁者ですか。それとも人間の裏切り者ですか」
客席が沸く。スクリーンにも同じ文言が大きく出る。
澪は、マイクを持ち直した。
「その質問には、前提の誤りがあります」
ブーイングが先に来る。
「私は機械の代弁者ではありません。人間の裏切り者でもない。私は、道具を使う人間を人間として扱うべきだと言っているだけです」
「つまりAI推進ですね?」
「違います。推進か禁止かの二択にしないでください。包丁を使う料理人を、包丁の代弁者とは呼ばないでしょう」
会場がざわついた。うまく刺さったのか、反発を増やしたのか、まだわからない。
司会は続けて、リーク資料をスクリーンに投影した。例のCSV断片。operator,m.asakura。
「では確認します。あなたは過去、文体模倣AI案件に関与していましたね」
澪は一度だけ、目を閉じた。
「はい。関与していました」
会場が爆ぜる。待っていた正解を引いた観客の歓声だった。
「時期は業界に入る前。検証作業の委託です。そこで学んだのは、AIが万能だということではなく、人間が簡単に出力へ寄りかかる危険のほうでした」
「なら、なおさら規制すべきでは?」
「規制は必要です。ただし、規制の対象は『道具を使った人間』そのものじゃない」
澪は、用意していた三つ目の箇条書きを思い出した。
「私は、苦労を否定していません。苦労には価値がある。だけど、苦労は価値の必要条件ではない。長時間かけて作ったことと、誰かの心に届くことは、同じ尺度じゃない」
その瞬間、客席の前方で男性が立ち上がった。
「努力を侮辱するな!」
続いて別の席から。
「届けば何でもいいのか!」
司会が制止を呼びかけるが、叫びは止まらない。配信コメント欄の流速がスクリーン下に表示され、罵倒語のフィルタが追いつかなくなる。
手首の赤いバンドが揺れるたび、会場は討論会より採点会に近い顔をしていた。
火野がマイクを取った。
「横から失礼します。設計者として言います。道具が人間の努力を奪うかどうかは、道具次第です。最短経路だけを強いる設計は危険です。でも、それは『使った人を追放する理由』にはならない」
拍手と罵声が同時に飛ぶ。
久世はしばらく沈黙していたが、やがて前を向いたまま言った。
「僕は、汗の価値を信じています」
それだけなら、いつもの演説だった。
けれど次の言葉は、わずかに震えていた。
「ただ、汗を提出させる社会が健全かどうかは、正直、僕にもわからなくなっている」
会場が一瞬だけ静かになり、すぐに大きなどよめきへ変わる。
司会は強引に締めへ入った。
「本日の結論は視聴者に委ねます。投票結果は番組終了後に公開します」
結論は最初からなかった。あるのは、切り抜き可能な断片だけだ。
配信終了。照明が落ちる。客席のざわめきが出口へ流れる。
澪は控室に戻る途中、廊下の端で一度だけ壁に手をついた。手のひらが汗で冷たい。
火野が追いついてきて、短く言った。
「あの返し、必要でした」
「刺さったかな」
「刺さった人と、余計に怒った人が半々です。だから、たぶん正しい」
久世は最後まで来なかった。スタッフに囲まれて、別ルートで退館したらしい。
帰り道、終電ひとつ前の車内は空いていた。スマホ画面には配信の切り抜きがもう上がっている。
《朝倉、AI関与を認める》
《苦労は必要条件ではない発言で炎上》
《久世、弱気発言か》
ヘッドラインだけが、今日の出来事を別の物語に作り替えていく。
自宅の最寄り駅で降りたとき、二十三時四十分だった。
改札を出る直前、会社メールの通知が入る。
差出人は管理本部。
件名は事務的で、短い。
【業務委託契約に関する重要なお知らせ】
澪は人通りの少ない壁際に寄り、本文を開いた。
《朝倉澪 様
本日付の対外的発信および関連する信用リスク評価を踏まえ、貴殿との業務委託契約を次回更新時点で停止する方針を決定しました。つきましては、明日十時に引継ぎ手続きについて面談を実施します。
なお、本通知の送達をもって新規案件のアサインを停止します。》
スクロールの先に、定型の連絡先と署名。
それだけだった。
澪はしばらく画面を閉じられなかった。
契約停止。
収入の見通しが、そこで途切れる。家賃、保険、生活費。頭の中で数字だけが先に並ぶ。感情は遅れてやってくる。
駅前のコンビニの灯りが、やけに明るい。夜道に、白い四角形が浮いているみたいだった。
端末がもう一度震えた。
笹原からのメッセージ。
《終わった?》
澪は少し迷ってから、短く返した。
《終わった。仕事も》
数秒後、返信が来る。
《明日、会おう。ここからは防御じゃなくて、身を守るための制度設計の話をする》
澪は駅前のベンチに座り、夜風を吸った。それから終電一本前の各停で帰った。
部屋に入って最初にしたのは、いつもなら夜のうちに済ませるはずの明日の服のアイロンがけだった。電源を入れ、温まるランプを見たまま、結局一度もシャツに当てなかった。代わりに、テーブルの上で家計アプリだけを開く。次の更新日、引き落とし日、残高。数字は静かで、妙に正確だった。
失ったものの輪郭は、まだはっきりしない。
ただひとつ確かなのは、もう元の生活には戻らないということだった。




