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「御霊転生奇譚」  作者: 高領 つかさ(TSUKASA・T)


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3/5


 二


 高杉に利助が、曳かれるようにして無理に刑場近くへと足を運ぶこととなる数ヶ月前のこと。


青々とした樹々の葉擦れの音がまるで雨のように降る風の中に、利助は、塾の外、軒先に隠れるようにして、その講義の声を聞いていた。村塾というも、村にある塾と名乗るだけで、当然ながら、村の者が身分を越えて学ぶことなどゆるされる場所ではない。

長州藩公式の学問所は、荻城下に由緒正しくある明倫館。

 公式の藩校として聳え立つ学問所では、兵学を始め、何時かは城の城主の下に仕える子息達を育てる為の学問が習われ、勿論、そこに学ぶことのできるのは士分でも身分の高い者達の子息であることが、まず条件となる。

 そのような学問所に比べれば、幾らか受け入れる身分をゆるくしているのが、このような私塾――――松下村塾のような、公式の立場にはない塾である。

 尤も、塾に学ぶにも、身分は侍でも士分であれば良いというものではない。

 小柄な利助が、物陰に隠れて、まるで黒い影にぴたりとついた石のように、音も立てず、ひそりと塾の外、――村塾の中ではなく、壁の外に蹲るようにして、講義の声を漏れ聞いているのにも、そうした身分故の理由というものがあった。

 もとより、利助は百姓の身であったもの。喩え、株を買うようにして、父が足軽の家に養子となって侍の端の端にある身分を得たとはいえ、――――もとが侍ではないことは隠れもない。

 まして、侍としても身分の軽い、唯の足軽。

 塾の壁を乗り越えて中に入り、座敷で他のもとより士分である大組やら何やらと区分けのある侍達の子息に混ざって、講義を聞こうなどとは。

 もとより、そのようなことが有り得るとも思いもしないからこそ、利助も文句もいわず、こうして塾の声が聞こえる壁の外に、従者として控えるように、うずくまり、ぼんやりと暗くなりかけた空をみあげてなどいる。

 ―――おや、雨か。

小寒いと思うたらな、と身を竦める利助の肩に、ぽつり、と雨が小粒の染みを作る。

 ――かなわんなあ、…。

軒の端にさらに寄るようにして、何とか雨を避けながら、江戸での仕事も、そう変わるもんじゃないが、とおもいながらも情けない顔になる。

 足軽として、江戸屋敷に赴くことになり、使い走りやら、小間使いとして、文の遣り取りに使いに立ち、或いはこれと同じように小雨のそぼ降る中に主の用が済むのを待ち、ひたすら屋敷の控え所で待ち続けたりと。

 江戸屋敷での仕事は、しかしまだそれなりに楽しみというものもありはしたのだが。

 とおく、江戸に見た、白い女のすね。

 こうした小雨の降り始めた際に、急いで雨を避けて走り出す、きれいな女たちの着物がひるがえる裾にのぞく、その小すね。

 ひらり、とひるがえる白いこすねが。

 きれいな、ものだったなあ、…。

ぼんやり、とおもいながら雨空を仰ぐ利助の耳に、塾から声が届いてくる。

「――これがどのような意をあらわすのかを、――――、どうおもうね、…吉田殿」

「は、…―――わ、わたくしは、」

利助がぼんやりと聞いている中に響いてくる特徴のある声は。

 甲高い、こえ。

聞くともなく雨音の中にきこえてくるのは、この塾を主宰する、吉田松陰―――――長州藩藩主毛利公の憶えめでたき天才児として知られ、僅か五才かそこらで、当の藩主に講義をしたという伝説の残るその声だ。

 ――あ、十だったかな、…まあ、なんにしても、まだこどものうちで、明倫館だかどこかで兵学を修めて、藩主様に講義しちまうとかいうんだものなあ、…。

 あきれながら利助がおもうのは、その露骨な藩主による松陰贔屓だ。これがまあ、何ともいうか。

 実をいえば、この吉田松陰は、この塾から出ることを赦されてはいない。

 ――たしか、なんか、えらい罪をおかしたとか、いう話だよなあ、…。

異国の船に密航しようとしたとか、何か建白書がどうとか、何にしても、詳細はともかく、本来ならもっと厳しい罰を受けておかしくない幕府―――つまり、長州藩内でなく、幕府に対しての大きな罪を犯した為、以前は牢に籠められていた。

 それが、―――まあ、その牢内でもかなり身分故にわがままもきき、学問を好きにしていたという話だが、―――牢からは解かれ、こうして生家に戻され、好きに学問をするだけでなく、塾をいつのまにか主催して、学問を教える身にまでなっている。

 身分ていうのは、えらいもんだ。

それに、藩主にひいきされるというものも、と多少皮肉におもう利助であるが。

 身分が低いものであれば、初めの罪ひとつでも、既に命を落としていたことだろう、―――確かに、松陰に供をして密航に関わった小物の命は、既にないといううわさは利助のようなものの耳にまで届いてきた。

 それをおもえば、こうして塾を主宰する松陰の身分というものは。

一応、建前として、この屋を出ぬこと、―――この塾内から出ぬことが、押し込めに近い罪として、外へ出ることをゆるされぬことが、一応は罰ということになっているらしいが。

 えらいもんだ、うん。

 ぼんやり、思いながら利助が耳に講義を聞き流しながら、暗い雨粒を降らせる空をみる。

 そうして、この村塾は、外に出ることを許されぬ松陰から学ぶことのできる塾として、妙な地位をこの長州藩内外にも得ることとなっている。

 何かな、ちらっ、としかみえんおなごのあしのすねが、妙にきれいにみえるようなもんかのう、…。

 いまだに白く細く降る雨に、急いで走るおなごの白いすねが、少しばかり赤いすそをひるがえらせた、その鮮明さとともに、焼きつくように脳裏にきれいに蘇ってくる。

 …あれは、いい、―――のう、…。

おなごのあしを脳裏に思い浮かべて、利助がぼんやりと空を眺める。

 おなごは、やはり、江戸の方がもう、なんというかのう、…。

うわさにきく、京女というのは、もっと白くて良いにおいがするもんかの。

 ぼう、と足軽として小間使いよろしく走り奉公をしていたころに、僅かにみたおなごたちと、うわさにきく京女という、いかにも好いおなごではなかろうか、とおもわせるおなごたちを脳裏にぼんやりと描く。

 襟足が、こう、白くこう、…匂い立つようなのが最高じゃのう、…。こう梳いた黒髪が、――――。

ぼんやりと夢うつつに利助が、夢のおなごを想像していると。

「論語に於いては、――――…」

 あ、いかん。

聞えてきた甲高い声に、利助がはっ、と我に返る。

 いかんいかん、おなごのゆめばかりみとらんと、少しは聞かねば。

何かぼそぼそと聞えてくるのは、松陰に問われて緊張しながら、何事か答えている友の声だろうか。

 吉田稔麿。

吉田と師匠と同じ姓であることには、まったく何も関係はない。以前、利助と同じ塾に通い、またこの塾に利助を立ち聞きという立場ではあるが――――塾に通うことのできるよう、来原の命により、世話をしてくれている友である。

 稔麿にも、迷惑をかけるのお、…。

多少、講義をきくのに、飽きとあきれを憶えながらおもうのは、江戸屋敷での上役のこと。

 来原良蔵。

これは、江戸相模での警備を幕府から命じられた長州藩が、差配として使わしたものであり、利助が足軽として仕えた上役である。

 面倒見の良い漢である来原は、江戸に慣れぬ利助の面倒をなにくれとなくみてくれ、さらに藩にしばらく戻ることとなった利助が、より生きやすいようにと、この塾で学ぶことができるようにと手配もしてくれた恩人だ。

 …よい、お方ではあるのだけどもなあ、…。

確かに、村塾で学ぶことは、何しろ藩主の憶え目出たき松陰の下で学ぶということであり、また、その成立の特殊さが、ある意味藩外でも有名となりつつあった故、ここで学ぶことはその後の出世にもいくばくかの影響をあたえることができるであろうと思われていた。

 だがのう、…。

利助を村塾に紹介したのは、完全に来原の好意である。その上役のわざわざ労をとっての好意を無にすることは、無論、利助にはできようはずもない。

 けれど、…のう、…。

 わしに、学問を学べ、というのは、のう、…。

がくり、と空を眺めていた肩を落とし、利助がためいきを吐く。

 使い走りをして回る方が、余程、わしにはむいておる。

 まあ、こうしておるだけで、はく、とかいうものが、つくものではあるらしいがの。

そうしたよくわからない仕組みが、世の中にあることは承知している。そのつまり、身分の低い利助に、村塾に学んだという箔―――そうきらきらしいものでもないが、―――をつけてやろうというのは完全なる来原の厚意であることは確かであるのだ。

 …じゃがのう、…江戸のおなごはよかった、…。

相模は江戸というには田舎であろう、という声は、利助は聞かなかったことにして、あちらで会ったおなごはすべて江戸のおなごということにして括っている。

 大体、相模は江戸じゃあない、という輩もいるが、この萩の田舎からくらべれば、大方江戸よ。

 江戸は、とおい。

 江戸のおなごは、もっととおい。

思いながら、ぼんやりと利助は、漏れ聞く講義の声を、ほとんど頭に素通りさせて、軒先に雨をしのいで空を仰いでいる。――――




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