第三章 温もりは、借金として残る
重たいガラス扉を押し開けた瞬間、
温かく乾いた空気と、食べ物の匂いが一気に身体を包み込んだ。
レジの奥で居眠りしていた店員が、
ドアベルの音に驚いて顔を上げる。
ずぶ濡れで、どこか傷も負った若者が二人。
まるで川から引き上げられたばかりのような姿に、
店員はしばらく言葉を失っていた。
白夜はそんな視線をまるで気に留めず、
僕を窓際のハイチェアに座らせると、
そのまま迷いなくホットドリンクの棚へ向かった。
一番安いホットコーヒーを二本。
それから、湯気の立つ肉まんを二つ。
レジに並びながら、彼女は濡れた財布を覗き込む。
「……お金、しわくちゃだね。
ちゃんと使えるか分かんないけど……今回は私のおごりでいいよ。
ちゃんと返してもらうけど」
「おごりなのに、返すんだ?」
思わず笑ってしまうと、
白夜は当然だと言わんばかりに肩をすくめた。
「当然でしょ。これは、私の気持ちだから」
店員は少し迷った末、
濡れた紙幣を受け取り、何も言わずにレジを打った。
白夜はコーヒーと肉まんを持って戻ってくると、
そのうち一つを、僕の手に押し付ける。
「はい。破産者救済セット。
とりあえず、温まりなさい。原価五百円」
そう言って、自分も缶コーヒーを開け、
一気に口をつけた。
「熱っ——!」
舌を出して顔をしかめる彼女に、
わずかに血の気が戻る。
「ぼーっとしてないで、早く飲みなさい。
本気で凍えたいの?」
濡れた髪、乱れた息、脚の傷。
それでも、眉をひそめながら温かいものを差し出してくるこの人に、
胸の奥が一気に熱くなった。
湖の冷たさ。
死にかけた恐怖。
そして、言葉にできないほどの申し訳なさ。
それらが混ざり合って、
視界が滲む。
白夜は肉まんを小さくかじりながら、
こちらを見上げた。
コンビニの黄色い照明の下で、
彼女の表情から、薄い氷のようなものが少しだけ溶けた気がした。
赤くなった僕の目を見て、
数秒、何も言わずにいた彼女は、
ほんのわずか、気づくか気づかないかほどに口角を上げた。
疲れたようで、
それでいて、どこか安心したような笑み。
その瞬間、
彼女の目尻に、星屑のような冷たい光が一瞬だけ走った気がした。
あまりにも一瞬で、
ただの錯覚だったのかもしれない。
外は相変わらず、冷たく重たい夜だった。
それでも、この小さなコンビニの片隅で、
傷だらけの見知らぬ二人が、
安いコーヒーを手に並んでいる。
それだけで、
骨の奥に染みついた寒さが、少しずつ溶けていった。
ドアベルが、かすかに揺れた。
店を出ると、
ガラス扉が閉まり、影が幕のように落ちる。
白夜は空になった缶をゴミ箱に放り投げた。
乾いた音が、深夜の通りに響く。
「服のクリーニング代、買い物代、それに医療費。
まとめて……一万五千円でいいよ。
この値段、普通は出ないから感謝して」
街灯に照らされて、
彼女の影が、刃物のように細く伸びる。
僕はポケットに手を入れた。
中にあったのは、
水にふやけた定期券と、学生証だけ。
——もし、あのまま死んでいたら。
身元確認のために必要だと思って、
わざと入れていたものだ。
でも、そんな未来はもう来ない。
「……高いな」
そう呟きながらも、
胸の奥には、不思議な温かさがあった。
「まあ、ゆっくり返せばいいよ」
白夜は小さく息を吐き、
どこか複雑な目をして言った。
「でも、そのためには——ちゃんと生きなさい。
また会うかもしれないんだから」
一拍置いて、彼女は付け足す。
「……転校しなければ、だけど」




