序
私はテンプレ大好き人間である。
テンプレの何が良いかというと、例のあれ、お約束である。具体的に言うと、「聖女召喚」といえば「王子」または「逆ハーレム」、「姉妹格差」といえば「欲しがり妹」や「愛される妹」からの婚約者交代。そういうまだ書かれていない物語が読者の頭の中に想起されて、その通りに進めることも、それを裏切ることも出来る。書いていないことまでもが書かれていると言い換えてもいい。そういうわけであるので、「悪役令嬢」が破滅を回避せずに死んでしまった話も良いし、「婚約破棄ざまぁ」のコメディも良い。主流だろうと亜流だろうと川である。
更に言うと、テンプレの愉しみというのは伝統的なものを享受することに似ている。和歌でいえば「花」だとか「月」だとか、決められた語彙で三十一文字しか使えず、それなのに『古今和歌集』と『新古今和歌集』とではまるで世界が違う。ああいうものは立場や権威が絡んでくるので現代の自由な創作と単純に比較できるものではないし、さすがに何百年もやっていると限界が来るわけであるが、それにしても、「花」がどういうものであるかというお約束を守りつつ(「花は盛りに、月は隈なきをのみ見るものかは」とは言うが、「見る(賞翫すべき)もの」であるという一番大事なお約束は外さない)、新しくし、表徴世界が拡がり、ある程度のところで落ち着く。そのさまはテンプレそのものである。
型を学び、型を破る。そこに独自性が光るところを私は愛しているし、そのテンプレがランキングにあるということは、書かれ、読まれ、今このときまで続いているという証左でもある。テンプレは生きる古典である。ろくに読まずに書くこともおそらく可能であろうが、私はパロディと同じように、原初のオリジナルは不明であるにしても、先人の創作の数々に敬意を表し、それを新しく解釈し、再定義するものとして、動態であるテンプレを好んでいるわけである。弾性のある総体、描き込まれ続ける地図、営為、そういうものとしてのテンプレである。
そういう愛を込めて、異世界恋愛ジャンルで見かけるテンプレ要素について、気が向くままに書き留める。前提として、私が『小説家になろう』を読み始めたのが2020年前後であるので、それ以前の肌感覚というのは分からない。また、あくまで一個人が執筆時点から見渡した様相についてを書くので、趣味嗜好による偏りが出る。不足の点については、ご教示いただければ幸いである。




