最終話 人生と楔
「――っていうことがあってね。それが、パパとママの本当の出逢いになったんだ」
「えー! しんじられなーい!」
「ふふっ、私も最初驚いたんだ。まさか本当に殺されちゃうところだったなんて、思ってもみなかったから。ねー?」
首を傾げるユイに、「俺もだよ」と返す。しかしそれだけでは素っ気ない気がして、「ユイが来なければ、あのまま死ぬところだった。まさに命の恩人だ」と付け加えた。そこで会話の区切りがついたため、パンを齧りながら、目の前に広がる光景を眺める。
眩しいくらいの朝陽に照らされた、ありふれた日常。家族が笑顔で食卓を囲う、忙しなくも愛おしいひと時。
『それにしても、俺が大黒柱になるとはな』
あれから10年経ち、身内も増えたり減ったりしたが、天界の遣いはやって来ない。縁が規定以上残っているのか、はたまた一度きりの試練だったのか。いずれにせよ、平穏な日々が続いている。
結果として残ったのは、思い描いていた未来のみ。……彼女がいなければ、この命は既に無くなっていただろう。“縁”の無い人間を狩る者が“縁”を残していったのは、何とも皮肉なものだ。
「……ははっ。何だかんだ、選ばれて良かったのかもしれないな」
「パパ、なにかいった?」
「いや何も。それより、早く準備しないとバスに乗り遅れるぞ」
「はっ! いそがなきゃ!」
優花里は慌てて牛乳を飲み干し、息つく暇もなく椅子を降りる。マイペースなのは、どちらに似たのだろう。
『少なくとも、顔はユイだな』
義母から見せてもらったアルバムを思い出しながら、空の食器を下げる。一方でユイは慌ただしく、優花里の支度を手伝っていた。
◇
二人が玄関に立ったのは、エンジン音が聞こえる直前だった。ユイは優花里と手を繋ぎ、今日もこちらに振り返る。
「それじゃあ、行ってくるね」
「いってくるね!」
「ああ。二人とも、気をつけてな」
「「はーい!」」
妻と子を見届け、遠ざかるエンジン音にドアを閉める。静まり返った家は、明るくても薄ら寂しい。
「さて、俺も動くかな」
仕事部屋に向かい、気晴らしに窓を開ける。すると羽根が一枚、何食わぬ顔で侵入してきた。汚れ一つない、純白の羽根。それは机の上を滑り、かつて“通達書”を置いた位置に止まった。
「……もうここに、お前の出番はないからな」
――たとえそれが、人生好転のきっかけになるとしても。そんな意思表示とともに、羽根を外へ突っ返した。
◇
ユイは満員電車に揺られながら、朔に初めて会った時のことを思い起こしていた。
『あれからもう、10年経ったんだ』
彼との出逢いはSNS。好きなアーティストが同じという理由だけで、繋がってみた関係だった。それこそ趣味友としてやりとりをしていただけで、特別な感情は無かった。
けれどいつの間にかプライベートの話をするようになり、気がつけば恋人になっていた。もちろん、「付き合いたい」と言ったのは彼の方だ。
『それにしても……。私、何であの時公園に行ったんだろう』
曲がりなりにも、彼氏だったからだろうか。けど、あの告白に返信はできなかった。「話してくれてありがとう」なんて書いたけど、内心は「この人ヤバい人なのかな」って少し引いたし。どの程度かと聞かれたら、音信不通にして、自然消滅しようか迷ったほどだ。
でも当日、約束の場所に私は行った。それなりにオシャレをして、一抹の不安を抱えながら。
『……放っておけなかったからなのかな』
事実、行って後悔はしていない。彼との付き合いが楽しかったからこそ、流れるように結婚して、優花里も生まれた。
他の男友達とは違う、上手く言い表せない何かがあったのは確かだった。もしかしたらそれが、あの人のいう“縁”だったのだろうか。頭を悩ませていると、降車駅のアナウンスが聞こえる。
『あ、降りなきゃ』
まあ、よく分かんないけど結果オーライなんだろう。私は思考を仕事モードに切り替え、改札口を通り抜けた。




