夜を越えて
「まずは勝利を」
参謀が朱少将にグラスを手渡した。
グラスを受け取った朱少将が軽くグラスを掲げて見せ、参謀が無言で頷くと互いにグラスを傾ける。
戦闘が終了し、すでに夜の帷が降りている中、兵士達の志気は最高潮に達していた。
世界最強と称えられるアメリカ軍相手に上陸を阻止。
メサイア35騎、戦闘車両56両、海兵隊員5千名。舟艇12隻。
それが、たった一日で米軍が支払った上陸作戦失敗の対価であり、中華帝国軍の戦果だ。
未曾有の勝利はすでに中央政府によって国内全土、いや、全世界に喧伝されている。
ラジオから流れてくる脚色まみれの戦果報道を聞く兵士達は、ニュースの時間の度に歓声を上げたとしても、誰にも文句は言われたくない。
「しかし」
グラスを置いた参謀は、ため息混じりにデスク上の書類と地図を見た。
「第一波を阻止したに過ぎません」
「……うむ」
「本土からの補給艦到達の見込みさえありません」
「……花火のようなものだったか」
朱少将は握った拳をパッと開く仕草の後、苦笑した。
「本土の軍司令部に要請は?」
「10分単位でやってます」
「それでメドが立たないか」
「軍司令部は」
参謀は固い声で言った。
「我々が全滅した後に新たな部隊を派遣することで穴埋めするつもりです」
「……」
「それで米軍が止められると、本気で信じているのでしょう」
「……島内に潜んでいる米軍の残党はどの程度だ?」
「確認されている限り、グレイファントムM16タイプが20騎、日本軍の形式不明騎が10騎程です。米軍の残存部隊と共にG地点、仮称“パパイヤ山”の山腹に潜んでいます」
「我が方のメサイアは?」
「第3502メサイア大隊の“赤兎”12騎、先程、到着した第3309メサイア大隊から“帝刃”14騎」
「大盤振る舞いだな」
「簡単なことです」
参謀は苦笑しつつ頷いた。
「壊滅した第3302メサイア大隊との交代として第3309メサイア大隊が予定通り到着しただけなんです。夜明けと同時に、両大隊は残存部隊掃討に出ます」
「連中にとっては悲劇―――か」
朱少将は、チラと参謀を見て、
「勝てるか?」
「これだけの戦力でも、五分を維持出来るかどうか」
参謀は断言した。
「最悪なことに、両大隊には実戦経験はありません」
「連中を突破された挙げ句、メサイアに暴れられては―――」
朱少将は、背筋にイヤな汗が流れるのを止められなかった。
「玄武を潰されたのは痛いですな」
参謀はグラスを片づけると、従兵にコーヒーを持ってくるように命じた。
「連中の仇討ちもしてやりたいが」
私は砂糖抜きでいい。今晩はそんな気分だ。と、朱少将が従兵に告げる。
「海岸で上陸部隊を阻止する戦法がとれなければ、我が軍に勝ち目はありません」
「また来るだろうか?」
「私なら―――」
参謀は窓の外、またたく星の世界に視線を向けた。
「飛行艦を派遣して空から叩きます」
「だろうな」
「山林地帯での」
参謀は視線を戻した。
「ゲリラ戦に向けた態勢の構築は進んでいます。山林地帯は、狩野粒子の影響が低いですから、対飛行艦用ミサイルランチャーも撃てるはずです」
「とはいえ―――補給がな」
「国が我々を見捨てなければ、我々は最悪でも生きてこの島から逃れることは出来ます」
「私の権限で、いかなる犠牲を払っても補給線をつなぐよう、軍司令部に要請してくれ。さもなければ」
「さもなければ?」
その問いかけに、朱少将は楽しげに肩をすくめた。
「次に攻撃を受けた時点で、部下をまとめて降伏してやるとな」
「歯ぁ食いしばれっ!」
ガツンッ!!
美奈代がコクピットを降りた時、すぐに耳に入ったのはそんな音。
都築が長野大尉に殴られた音だ。
「都築ぃっ!」
吹き飛ばされた都築の胸ぐらを掴んだ長野が怒鳴る。
「誰がこんな馬鹿げたマネしろと教えたっ!」
メサイア3騎撃破の殊勲を挙げたとはいえ、都築の教官も兼ねていた長野はカンカンだ。
独断で部隊を離れ、敵の包囲網に落ちたこと。
部隊がその救援のために脱出のタイミングを逸した挙げ句、こうして孤立していることを考えれば、殊勲なんてないに等しくなる。
弁解の余地さえない大失態だけが残るのだ。
「教え子にこんなことされた俺は、情けなくて涙が出てくるわ!」
「で、ですけど!」
「男が言い訳するなっ!」
ガンッ!
どうしようかとオロオロする美奈代の背後。
ポンッ。
美奈代の肩を叩いたのはMCLから降りた牧野中尉だ。
「お疲れさまでした」
「―――あの」
美奈代が必死に都築と長野に視線を送る。
―――何とかしてほしい。
視線でそう訴えるが、
「ああ」
牧野中尉は平然と言った。
「親子の会話です」
「親子?」
「親鳥とヒナ鳥の―――ほら」
「こんの―――大バカ野郎っ!」
ガンッ!
また都築が殴られた。
「バカな子ほど可愛いっていうじゃないですか。特に、長野教官みたいなタイプは」
長野の説教にかける熱意というか執念というか、不思議なオーラさえ感じた美奈代は、その言葉を、何だか否定出来なかった。
「そ、そういうものなんですか?」
「二宮中佐にとってのあなた同様」
牧野中尉は穏やかな顔で言った。
「長野大尉が一番眼をかけていたのが、都築准尉ですからねぇ」
「あの―――二宮教官は?」
「米軍のところです」
山腹の地形を活かし、周囲から見えづらい場所に片膝をついた状態で待機するグレイファントム達。
損傷はほとんどないのが唯一の幸いだ。
その足下で、米軍側メサイア部隊指揮官と打ち合わせが終わった二宮は、その場を辞した。
隊長はアメリカ大統領警護騎士団第202メサイア大隊所属ミッキー・マーカス少佐。
背の高い白人男性。
白人の歳はよくわからないが、二宮とさほどは違っていないはずだ。
尖った顎に高い鼻。総じて整った顔立ち。
長い足。
―――とりあえず、さすがに男性としては合格点だな。
歩きながら、二宮はミッキーを品定めした結果を頭の中ではじき出したが、打ち合わせの結果と言えば……。
「したかない」
そう、自分に言い聞かせるしかない代物だった。
二宮はチラリとメサイアの脇に停車しているTACに視線をむけた。
ほとんどの車体が、砲撃を受けたのだろう、無惨な破孔に彩られているが、もっと無惨なのは、その周囲に寝かされている負傷兵達だ。
赤十字が書かれたTAC周辺が臨時の野戦病院らしい。
野戦テントに薄く赤十字の書かれた下は灯火管制のせいではっくりと見ることは出来ないが、苦しみに耐えるうめき声が、まるで二宮を包み込むように聞こえてくる。
野戦病院に入りきらず、道ばたに寝かされている兵士達の多くは、血まみれの包帯を巻かれ、力無くぐったりと横たわっている。
その何名かは、四肢のどれかが欠けている。
肌の色から、すでに死んでいることがはっきりしている兵士も少なくない。
戦場特有の腐ったチーズのような臭い―――死臭が立ちこめ、死肉を求めて蠅が集まり始めていた。
死体袋に入れられた兵士が一人、二宮の前を運ばれていった。
負傷兵と死体にあふれた野戦病院。
入ったことのある者でなければわからない―――この世の地獄。
二宮は、死体袋に敬礼すると、その場を立ち去った。
二宮はすぐに教え子達の所に戻った。
片膝をつくメサイアはエンジンがアイドリング状態のまま。
静かなジャングルの闇夜に魔晶石エンジン特有の低い重低音が響く。
「しみるんだ!もう少し優しく!」
「我慢しろ!」
ケミカルライトの灯りの下、ようやく長野の怒りが静まったらしい、両頬が真っ赤に腫れ上がった都築に美奈代が薬を塗っていた。
「大金星だな。和泉」
その声に弾かれたように美奈代は立ち上がって敬礼した。
「わ、私、代わりにやる」
横にいたさつきが美奈代から薬を受け取った。
「あ、あの……」
都築は命令違反でここまで殴られた。次は自分だという自覚がある美奈代は、どんな罰が下るか内心恐々として二宮の言葉を待った。
「陸戦艇1にメサイア13―――勲章の申請が必要だな」
「はっ?」
「1対10の戦闘に勝利したというのは―――本当に驚くしかない」
「……」
二宮は手にしていた端末の画面を見ながら唸るように言った。
「他の連中も十分すぎる戦果……か」
「あ……あの」
「ん?」
「じ、自分は命令に」
「ああ」
二宮は何でもないという顔で言った。
「和泉の分まで都築を殴って良いと長野大尉に言ってある」
「―――へ?」
背中越しの都築の視線が恐ろしく痛く感じられる。
「それとも、私に殴られたいのか?」
「い……いえ」
「弾薬は?」
「35ミリ速射砲、残弾ゼロ―――自分の騎で使用可能な火砲はありません」
「都築」
「同様です」
「……使えないな」
理不尽だ!
美奈代は内心、そう怒鳴りたい気分だったが、どうしようもない。
「救援は?」
「“鈴谷”が来てくれると?」
「来てさえくれれば」
美奈代は、米兵達の集合地点に視線を送った。
風に乗って、時折、苦痛に呻く負傷兵達の声が聞こえてくる。
嗅いだだけで吐き出しそうな臭いに、吐き気を抑えるのがやっとだ。
「彼らは助かります」
「中華帝国軍が見逃してくれると思うか?」
「……いえ」
「とりあえず、明日の日没までの救援はないと思え。ミーティングを行う。総員集合」
「はいっ!」
「現在、我々は完全な中華帝国側の包囲網の中にいる」
時刻は20時を少し回っていた。ケミカルライトの灯火で地面に広げた地図を照らしながら、二宮が状況を説明する。
「我々の現在位置は、米軍呼称“ミシシッピ川”沿いの谷間に近い扇状地。見ての通りのジャングルだ。
ここの谷は急傾斜のため山越えの強襲を受ける心配はないし、艦砲も恐らくはない。上空からの空爆を心配するのは、明日の夜明け以降。
谷間に入るルートは3つだ。
米軍呼称ルート66―――つまり、ミシシッピ川沿いに走る国道両面。
米軍は、このルートしか見ていない」
二宮の持つ指示棒が谷間にそって走る道をなぞった。
「どうするんです?」
さつきが訊ねた。
「国道沿いで敵を迎え撃つんですか?」
「それだけでは単なる消耗戦になる。それに」
二宮は地図を再び指示棒で突いた。
「我々は米軍と行動を共にしない」
「えっ?」
「米軍側から“丁重に”お断りするとのことだ」
「……私達」
その言葉の意味がわかったのは、美晴だ。
「つまる所、信じられていない?」
「その通りだ」
二宮は頷いた。
「我々はこれを幸いにして、勝手にやることにする」
「撤退ですか?」
「都築、もう一回、長野大尉に殴られてこい」
「か、勘弁してください」
「我々は米軍支援のため、後方攪乱につく。敵戦力を可能な限り引き裂き、米軍側の負担を軽くする」
美奈代は二宮の言葉に思い当たる節があった。
「メサイアでゲリラ戦を?」
「その通りだ」
少し嬉しいという顔で、二宮が美奈代を見た。
「我々は部隊を分散させ、各地に出没するだけでいい」
「戦闘は?」
「その辺に潜んでいるというだけの未確認情報は、お前達が考えているよりずっと戦力を長時間に渡って引き裂くことが出来る」
「……はぁ」
ピンとこない美奈代は首を傾げるだけだ。
「米軍が無視した細い谷間を通っていく。メサイアなら一騎がようやく通れるサイズだ。おそらく、地雷かセンサー類が仕掛けられているだろうが、中華帝国製センサーなぞ怖れる必要もない。よしんばひっかかっても、それで敵を攪乱させることも出来る」
「作戦決行は?」
「夜明けの1時間前―――各員、コクピットに戻って仮眠をとっておけ」
二宮は言った。
「目覚められる眠りのありがたさを、身をもって味わっておくんだ」




