赤い龍
●ベトナム 第8防空ミサイル基地
ベトナムの空を守る基地が炎上していた。
対空ミサイルが爆風にへしゃげ、ロケット燃料がタンクごと燃えていた。
生き残った兵士達が必死に消火を試みているが、一度火のついたロケット燃料はそう簡単に消えてはくれない。
「だ……だめです!」
生き残った通信装置に、兵士が苦しげに報告する。
「ミサイルが―――ぐっ!?」
ズンッ!
破損し、炎上を始めていたミサイルがついに爆発。
兵士は跡形もなく吹き飛ばされた。
「くそっ!」
その光景を司令部のビル―――今となってはビルの残骸だが―――から見ていたのは、基地司令のグエン大佐だった。
自分の基地が、部下と共に焼かれていく。
表現のしようのない怒りが体を駆け回っていく。
「レーダーから報告!海からの攻撃と思われます」
副官の報告に、グエンは怒鳴った。
「そんなことはどうでもいい!」
ズズンッ!
また別なミサイルが爆発した。
「国境防衛隊は中華帝国軍と交戦を開始!」
「……くそっ!」
怒りのあまり、ガラスがすべて割れたサッシに、グエンは手近なものを投げつけた。
荒い息のまま、グエンは一人呟くように言った。
「ベトナムが灰になるぞ……チンクめ!!」
●中印国境線
「早期警戒機より警報!“赤兎”多数、国境線を突破した!」
「多数って、何騎だ!?」
「反応は100以上!」
「100!?」
「……情報入った!修正っ!200!200を越えている!」
「こっちは30騎だぞ!?何をどうしろというんだ!」
●北京 紫禁城
「奇襲は各地で成功しています」
「―――そうか」
鷹揚な態度で頷くのは、中華帝国の摂政だ。
「モンゴルは首都ウランバートルを制圧。政府首脳部を捕縛に成功。すぐに無条件降伏及び帝国への国家編入宣言を出せます」
「中東の油田地帯はどうか」
「我が軍の精鋭がペルシャ湾に展開、油田確保は時間の問題です」
「よろしい。東南アジアは」
「ラオスとタイは反応弾により沈黙。ベトナムは機甲部隊の先陣がサイゴンまで侵攻。特殊部隊によってフエの王族は捕縛に成功」
「インドは」
「インド軍のメサイアは、我が軍のメサイアの敵ではありません。すでに“赤兎”による掃討作戦が開始されつつあります」
「アメリカや日本、ロシアは?」
「アメリカは常々、ロビイストが押さえてあります。日本なんぞ、アメリカが動かなければなにも出来ません」
「よろしい」
摂政は満足そうに頷いた。
「これだけの戦果ならば、陛下にもきっとご満足いただけるだろう。総書記に言っておけ―――しくじりは死を意味するとな」
「はっ」
●帝国海軍小松航空隊基地
「可動全機は、スクランブル体勢のまま待機だっ!」
「総員非常呼集っ!寝ているヤツはたたき起こせっ!」
「警務隊はすべての小銃に弾込めろっ!基地への出入りは原則禁止だっ!」
整備兵とパイロット達があわただしく動き回り、ブンカーからSu-35IJが引き出される中、別な編隊が離陸しようとしていた。
「司令」
「うむ」
管制塔に入った柏少将は、その光景を厳しい表情で見つめていた。
在職30年近く。少なくとも娘が生まれてからの19年間、訓練以外でこの光景を見たことがなかった。
副官である黒田中佐が報告する。
「303が対ミサイル迎撃戦闘装備で出動待機中。306はすでに上がっています。防空隊、臨戦態勢」
「もう一度」
柏司令はため息混じりに言った。
「もう一度、状況を説明してくれないか?どうにもこう矢継ぎ早に事態が変わると、私の老いた頭では理解が追いつかない」
「はっ」
黒田は咳払いの後、上官に報告した。
「本日未明、中華帝国が近隣諸国へ向け侵攻を開始。侵攻の理由は、自国民及び自国に属する民族の保護。すでにアフガニスタン他、ほとんどの国は首都を制圧されました」
「早いな」
「メサイアとヘリ主体の空中機動部隊、それと、民間船舶を偽装した海軍揚陸部隊による完全な奇襲です。満足な装備のない近隣諸国では、あの人海戦術は止められません」
「帝国政府の対応は?」
「政治屋連中に満足なことが出来ると思いますか?口先では政治家主導なんてご大層なこといいますが、せいぜいが霞ヶ関にお伺いを立てるのがやっとでしょう?」
「……」
柏司令は口をへの字に曲げた。
「幸い、国防省の規定に基づいてデフコン2が発令されて現状があります。
それと、外相がロシア帝国大使を呼び、ロシアの今後の対応を確認」
「どうなった?」
「ロシア帝国は、中華帝国の膨張を望まない。その言質を得ています」
「中露のタッグ相手だけは回避出来たか」
「不幸中の幸いです。白馬級メサイアのコピー問題で国境戦争の一歩手前だったのも幸いしています」
「ロシアからの中華帝国への攻撃は?」
「ありません」
「……」
最初から期待していなかったらしい。
柏は当然、と言う顔で頷くだけだ。
「アメリカも、抗議するのが関の山だろう?」
「ヨーロッパ各国も、です」
黒田は不快そうに頷いた。
「世界経済の決定権は今やあの国にあります。債権者にケンカを売る債務者はいないでしょう」
「ましてやこの国では……」
深いため息と共に、柏は訊ねた。
「首相は?」
「後援会や支持団体と未だにゴルフ中とか」
「いいご身分だ」
「確かに―――おう」
黒田が部下から紙片を受け取った。
「大韓帝国は中華帝国支持を表明。それと、台北を出港した中華帝国海軍機動部隊が南シナ海に展開。現在、バシー海峡は完全に海峡封鎖されています」
「我が国への侵攻はないと思いたいが……」
「残念ですが」
黒田は首を横に振った。
「大韓帝国からのミサイル攻撃で、対馬レーダーサイトに大打撃が生じています。また、那覇レーダーサイトが攻撃を受けました。1時間前です。30分後、那覇航空隊所属の対潜哨戒部隊が潜水艦1を撃沈。音紋から大韓帝国帝国の攻撃型と断定されています」
「……他レーダーサイトからの通報は?」
「いまの所、帝国領内に侵攻する航空機及びミサイルは確認されていません」
「確認されたらもうアウトだよ」
柏司令は、その厳つい肩を揺らせて笑った。
「撃ち落とすのが、我らの義務だがね」
司令達の見上げた空。
それは、いつもと同じ、抜けるような蒼穹の空。
いつも見上げてきた空だ。
「この空を、血で汚すのは避けたいものだな……」
柏司令は、ポツリとそう呟いた。
その日以降、世界は激変した。
後にそう呼ばれる日。
国境問題を口実に国境に軍を集結させていた中華帝国軍が近隣諸国との国境線を突破。
メサイア“赤兎”と“帝刃”があらゆる敵を薙ぎ払った。
街を住民ごと焼き払い、抵抗する兵士を踏み殺した。
片鱗の躊躇もないその攻撃の後、戦車や装甲車、そして歩兵達が国境を越えた。
それは、まさに悪夢の光景。
中華帝国という赤い竜は、虐殺と略奪、そして暴行の嵐をもって世界を蹂躙し始めた。
特に、歩兵の所行は最悪だ。
占領地ですべてを略奪し、女を犯し、殺す。
その仕事ぶりは、中華帝国軍の侵攻を受けた街から命がけで逃げ出し、その中華帝国軍の暴虐の一部始終を撮影したテープを世界に配信した米国人ジャーナリストによって白日の下へと曝された。
抵抗する女を犯しながら酒を飲み、銃を乱射する兵士達。
赤ん坊を銃剣で串刺しにして放り投げる兵士。
燃えさかる街。
あちこちに転がる死体。
銃声と女の悲鳴がこだまする廃墟と化した街。
その光景は、あまりに残酷過ぎるとして、ほとんどモザイク処理してようやくテレビに流せた程であったが、それ故に、各国に計り知れない衝撃をもたらしたはずなのだが……。
世界の指導者達は、経済界を中心にまるで知らん顔を決め込んだ。
何故?
答えは簡単だ。
考えてみて欲しい。
中華帝国製の服を着て
中華帝国製の靴を履いて
中華帝国製の食い物を食べ
中華帝国製の玩具を子供に与え
中華帝国製の部品で動く車に乗り
中華帝国製の道具で仕事をして
中華帝国製の布団で眠る。
この世界を生きていく上で、これらを避けて通れると思うか?
不可能に近い。
はっきりいえば、この世界は中華帝国に依存しきっている。
かの国にケンカを売れば、国内の中華人達が暴動を起こし、国内の物流は止まる。
食料も、衣類も、何もかもが止まる。
そんな生活を誰が望むだろうか?
中華帝国相手に戦争となれば、一瞬で国内経済は崩壊する。
ここで下手を打つことは自滅を意味する。
世界がそれを思い知らされたのは、国境線突破の翌日。
それまで使用目的をはっきりとしないまま、中華帝国政府がドイツのメガバンク数行へ莫大な融資話を申し出ていたが、これが戦費調達目的であることが判明したとして、ドイツ側が融資を断った結果、ドイツが受けた仕打ちを巡ってだ。
戦争というリスキーな融資話を断ったのは銀行としては当然だ。
だが、中華帝国は国家のメンツが傷つけられたとして、国家総動員法を口実に国内のドイツ資産を国庫に強制的に組み込む荒技を見せた。
おかげで対中投資の面で世界トップをひた走っていたドイツは、中華帝国国内に保有していた国家予算10年分とも言われる全資産を喪失。
連鎖的な企業の倒産がドイツ国内を荒れ狂い、各都市では略奪と放火の嵐が吹き荒れた。
こんな目に遭いたくない。
そう思うのは当然だろう。
この騒ぎに特に酷い反応を示したのが米国だ。
世界最大の債権保有国でもある中華帝国が対米債権を一度に放出するような事態を受ければ、米国経済は確実に破綻する。
冗談じゃない。
そうなればもう、ロビイスト相手に米国政府は屈するしかなかった。
自由と民主主義を標榜する米国がこの事態を前にしたこと。
それは、中華帝国を刺激しない範囲で遺憾と懸念の意を示すだけ。
東南アジアで女子供が強姦され、奴隷として扱われても、米国は動かない。
その関心はむしろ、中華帝国の持つ対米債権の行方そのもの。
それを知る中華帝国は、言わば人の弱みにつけこんで世界中で暴れ回った。
侵攻作戦開始から、驚くほどの短期間でアラビア海、インド洋、アラフラ海、黄海、太平洋、東シナ海、南シナ海の7つの海を制圧してのけた。
「これほど短期間に。そして、これほど非道に7つの海を支配した国は他にはいない」と、かつて7つの海を支配したイギリスの新聞記者が嫉妬と軽蔑を込めて書き上げた通りだった。




