砂糖菓子のような時間
「……わかった?」
狭いコクピットで二人きりだ。
しかも、相手は惚れた相手。
狭いところに二人きり。
それなのに、舞い上がるヒマさえ与えられずメモ片手に必死だ。
「ここのモード設定は機動にモロに影響するからね?試運転は戦闘前に必ず実施すること」
「わ、わかりました」
美奈代はメモにペンを走らせながら頷くしかない。
「な、何でこんな難しい設定、騎士がやるんです?」
「う~ん」
染谷は少し考えてから、意地悪く答えた。
「設定はMCばかりに任せてないで、騎士もやりなさいって所かな?」
「MCと整備の調整だけで十分ですよぉ」
メモと操作を確認しながら、美奈代は泣きそうな声で抗議した。
「どうせ私、脳みそ筋肉のメサイア使いなんですから」
「う~ん。メサイア使いが全部そうなら、僕もそうなるかな?」
「……あ」
「僕も脳みそ筋肉だったのかぁ……」
「そ!」
「それは心外だ」
「そんなに!」
美奈代は怒鳴るような声で抗議した。
「そんなに意地の悪い人だとは知りませんでした!」
「僕も」
チラリ。と美奈代を見る染谷の顔は、勝ち誇っているというより、むしろ、とても意地悪く美奈代には見えた。
「和泉候補生が、こんなに嫉妬深いとは思わなかったよ」
「―――っ!」
カッ!と、頬が赤くなるのが分かった。
「随分、ひどいこと言われたなぁ」
「……で、ですけど」
口元を尖らせながら美奈代は言った。
「た、例えば……私がどこかの候補生とあんな風に二人きりで出撃したり、仲良さそうに食事していたら、染谷候補生はどう思うんです?」
「……まいったな」
「ほらっ!」
美奈代はやっと勝ち誇った様子で言った。
「わ、私っ!私は悪くないんですっ!」
「―――わかった」
染谷は両手をあげた。
「僕の負け」
「勝った!」
その横でガッツポーズをとった美奈代は、自分が何をしたのか気付いて、赤面した顔で咳払いをした。
「コホン……それで?」
「ん?」
「―――何か、おっしゃりたいことって、私の態度に対する抗議ですか?」
「……いや」
染谷は首を横に振った。
「あの娘のことなんだけど」
「……なんです?」
「なんだか、妹が出来たみたいでね。それ以上の感情はないよ」
「……へぇ?」
「ず、随分と剣呑な顔しているけど」
「……それで?」
「信じてよ。僕だって、妹に甘えられれば悪い気はしないけど、妹を異性として意識するのは難しいよ」
「あの娘は本気ですよ?」
「へ?」
「あなたに近づくなとか言われました」
「……そのことは、宗像候補生に聞かされたよ」
「宗像から?」
「彼女、随分と面倒見がいいんだね。君のことは、彼女に聞けばいろいろ教えてもらえる―――高いけど」
「たか?」
「何でもない。とにかく!」
染谷は力説した。
「あの子がそう言うのは、宗像候補生に言わせると、大好きなお兄ちゃんに近づく女は全て敵だっていう、妹の心理で説明が付くんだって!」
「……宗像の女子校的発想」
「言い過ぎだよ。だけど、本当だと思うよ?心理学的に何というかは知らないけど」
「それを……私に信じろと?」
「だからっ!」
「僕が好きなのは君だけ!それだけは覚えておいて!」
「……」
染谷の真剣な顔に嘘はない。
それは、美奈代も認めるしかない。
否。
信じるしかない。
だから、
「……わかりました」
としか、言い様が美奈代にはなかった。
ほうっ。
染谷の口から安堵のため息がもれた。
「……よかった」
「……でも」
グイッ!
突然、美奈代は染谷の胸ぐらを掴みあげ、その顔を自分の顔のすぐ間近にひっぱった。
「浮気したら―――どうなるかは覚悟しておいてくださいね?」
驚く染谷に、美奈代は真顔で言った。
「私―――相当、ヤキモチ焼きみたいですから」
「……みたい、じゃなくて、そのものだよ」
「何か?」
「何でもありません」
「……もう」
美奈代はそっと胸ぐらから手を離した。
「ただでさえ、あなたはモテるタイプなんですから。私の心配も考えてください」
「……自覚がない」
「その自覚のなさが問題なんですけどね」
「ん?」
「……ホントに鈍いんだから」
「何か言った?」
「……明日、行くんですよね」
「うん」
染谷候補生は、寂しげに頷いた。
「中華帝国の空母部隊が近くまで進出してる。
おかげで民間機も危険なんだ。
本数の関係で乗れる便が限られてね」
「……そう、ですね」
「その……一時のお別れではあるんだけど……その」
「わかってます」
美奈代は言葉を遮るように言った。
「あの、フィアって子も連れて行く。だけど誤解しないでくれって―――そう言いに来たんでしょう?」
「……う、うん」
「それはそれで、何だか惨めです」
「へ?」
「私のことは心配しないでください。むしろ、心配なのは貴方の方ですから」
「僕が?」
「だってそうでしょう?」
美奈代は、染谷を下から睨み付けるような姿勢で言った。
「撃ち落とされるかもしれない航空機に乗る。しかも、疑わしい愛人付きで」
「あ、愛人って!」
「日本に帰って、あの子とどうこうなっていたら」
美奈代は人差し指で染谷の胸を突いた。
「私、バンッって、いっちゃいますからね?」
「……覚悟しておくよ。だけど」
「えっ?」
そっ。
美奈代は、自分の腰に染谷の手が回されたのを確かに感じた。
「……その」
一瞬の躊躇いの後、染谷は美奈代を抱きしめた。
「……御免。だけど、わかってほしい」
固い軍服越しに伝わる染谷の鍛えられた体の感触。
ほのかに芳る染谷の体臭を嗅いだ時、美奈代の体から力が抜けた。
「僕だって……男だから」
「……」
「好きな君と……こういう時があっても」
「……あの」
「……ん?」
「す、すみません。今、気付きました」
なぜか美奈代の声は、無機質に凍り付いていた。
「……何を?」
美奈代の感触にしか感心がないのか。
反対に染谷は気のない返事だ。
そんな染谷に、美奈代は言った。
「……ここ、ギャラリーが多すぎます」
美奈代の視線の先には、ニヤニヤとした意地の悪い笑みを浮かべる仲間達の顔があった。
●夜 “鈴谷”艦内
「ここにいたんだ」
フィアがいなくなった。
通報があって、染谷が艦内を探して回るハメになった。
フィアがいなくなった。
それはそれで美奈代は心配してくれるだろうが、単独で探しまわっていることを知ったら、どうなるんだろう?
なんだか、自分は美奈代の尻に敷かれそうだな。
そんな確実に近い予感が、染谷の中で沸き上がった。
結局、染谷はそんなに探さずに済んだ。
フィアは艦内居住区の通路にいた。
まだ“鈴谷”が輸送艦の指定を受けていた時分の休憩スペースだった頃の名残で、通路の一区画だけが広くなっており、採光のため大きくとられた窓からは夜の帳が降りるアフリカの雄大な景色が楽しめるところだ。
銀色の光がフィアの金髪を照らしだし、言い様のない美となって染谷の目を奪う。
染谷に声をかけられたフィアは、驚いた風もなく、ただ、ニコリと微笑んで見せた。
「綺麗でしょ?」
その細い指が指し示すのは、窓の外。
所々、雲の浮かぶ外の世界は、月の光に照らし出され、一枚の名画のようだった。
「お昼に、艦内をうろついている最中に見つけたお気に入りの場所なの」
「そうなんだ。でも、もう、部屋に戻らなくちゃ」
「―――狭い部屋は嫌いなの」
「何故?」
「だって」
「だって?」
「牢屋みたいじゃない」
「牢屋?だって、君、そんな所に」
「船は嫌いあんなちっちゃい窓しかないなんて、牢屋じゃない。私、ここがいい」
「船の窓は、みんなあんなものなんだよ」
「そ、そうなの?それでも、嫌いよ。あんな狭い窓から世界を見ていたら、本当の世界まで狭くなるわよ?」
「それは違うと思う」
染谷は言った。
「人が視野を、世界を、狭くするんじゃない」
「この広い世界で迷わないように、わざと狭くするんだ―――目標になる部分だけに絞って、わき目もふらず」
染谷は、自分の両手を顔の両側に添えて見せた。
「そうすれば、どんな広い世界でも迷わない―――目指す場所だけ見えているから」
「……」
フィアは、きょとん。とした後、そっぽを向いた。
「バカみたい」
「うっ」
「視野狭くして、どこが目標かわかるの?本当にそこが目標だって、どうしてわかるの?」
「そ、それは」
染谷は反論に窮した顔で息をのんだ。
「そう思うところが、目標じゃないの?」
「そこが目標だなんて、誰が決めたの?」
「だから……自分」
口べたってのは、こういう時に困る。
染谷は、内心でそう思った。
「なら聞くけど―――あなたの目標って、何?」
「―――なんだろうね」
染谷は、しばらく考えた後、笑って言った。
「親や周囲から、いろいろ言われてきたけど、自分からこれっていうのは」
「あの和泉美奈代とかいう女は?」
「人をそんな風に呼ぶのはよくないよ?」
「あの女でいいのよ。あれは、目標じゃないの?」
{うーん。僕の考える目標っていうのは、その……人生というか」
恋愛はちょっと違うと思ってるんだ。
そう照れる、その屈託のないまでの笑顔が、フィアに言わせた。
「―――私、なってあげようか?」
「えっ?」
フィアは、驚く染谷の目をじっと見つめながら言った。
「―――あなたの目標に」
「……あの?」
「あなたが気に入った」
フィアは、そっと染谷の頬に触れた。
「―――私だけを見なさい。私があなたの目標。この広い世界でどんなに迷っても、帰ってこれる母なる港、あなたのしとね。それが私よ?覚えていてね」
「……」
染谷は、目をパチクリした後、笑ってフィアの腕に触れた。
「……ありがとう」
「目標を見失えば、あなたが終わる。気をつけて」
「……わかった」
「―――じゃ」
不意に、フィアは数歩下がった。
「私、探しに来てくれたんでしょう?もう戻るから」
「そう?送っていくよ?」
「ううん?だいたい、女性専用区画にあるのよ?私の部屋」
「あっ。そうだった」
「それに―――」
「ん?」
「もう少しだけ、ここで一人にさせてほしいの」
染谷が遠ざかるのを見送って、フィアは顔に血が上るのがわかった。
今更ながら、何という大胆なことを言ったんだろう。
恥ずかしくてたまらない。
勢いといえは勢いだ。
だけど―――だけど!!
「―――っっ!!」
フィアは顔を押さえてその場にうずくまってしまった。
私はなんて言う大胆な女の子なんだろう!
いくらライバルのあのブスから瞬を引きはがすためだとはいえ、瞬にしてきたことだけ思い出せば、まるで恥知らずの娼婦じゃない!
違う!
恥知らずな痴女だ!
今のところ、瞬は私を受け入れてくれているけど、一体、駿は私をどんな女の子だと思っているんだろう!
心配だ!
心配すぎるっ!
「―――おい」
突然、背後からかけられた言葉に、フィアは飛び上がって驚いた。
自分がどんな悲鳴を上げたかさえ定かではなかった。
「……楽しいな」
美夜だった。
「あ……こ、こんばんわ」
窓に張り付いて挨拶するフィアに、美夜はちょっと微笑んで小さく会釈した。
「何だ。最初の頃にはずいぶん警戒されていると思ったが」
「だっ……だって」
フィアはぷぅっと頬をふくらませ、そっぽをむいた。
「こ、怖かったし……何もわかんなかったし……」
「そうか」
隣、いいか?
そう断って、美夜はフィアの横に立つと、無言で船窓から夜景を眺めていた。
艦内放送が始まったのは、その時だ。
飛行艦の単調な時間の推移の中ではストレスも貯まる。
だから、食後のこの時間に、艦内に音楽を流すことにしている。
美夜が艦長になる前からの伝統だ。
静かなピアノの調べと、艶めかしくさえある歌手の歌声を、フィアと美夜はただ黙って聞いていた。
「いい曲ですね」
フィアガ言った。
「……ああ」
美夜は小さくうなずく。
続きの歌詞を思い出し、フィアは小さく笑った。
「こういう素敵な曲は」
「うん?」
「瞬とベッドで聞きたいです」
「……は?」
美夜は目をぱちくりさせた。
一瞬、意味がわからなかったが、理解すれば苦笑いしか出てこない。
「……そうか」
艶っぽい話と縁が遠くなったか、それとも鈍くなったのか、どっちにしても女としては困ったものだ。
それにしても――。
「あの甲斐性なしのどこがいいのかわからないが」
「ムッ―――瞬は!」
フィアが言いかけた瞬間。
ドンッ!!
爆発音がして、艦が激しく揺れた。
艦内の照明が消え、赤い予備電源がともる。
「きゃっ!?」
宙に浮いたフィアを抱きかかえた美夜は、腰の艦内通信装置を手にした。
「平野だ!何の騒ぎだ!?」




