初めての着艦
●太平洋上空
ついさっきまで針のように見えた艦がぐんぐん近づいてくる。
高度3500メートルを航行する飛行艦達。
艦のサイズはまちまちだが、マッチ箱の大きさになって初めてその輪郭が分かってきた。
数は3隻。
近衛軍がアフリカに派遣するために用意した飛行艦達―――教導艦隊だ。
巡航艦“沖波”
メサイア輸送艦“伊吹”
強襲揚陸艦“鈴谷”
艦隊旗艦が置かれるメサイア輸送艦“伊吹”には44期生から選抜された候補生達と護衛の実戦部隊が乗り込んでいる。
美奈代達は、何故か“伊吹”ではなく、斜め後ろを航行する一回り小型の艦への着艦を命じられていた。
というか、美奈代達は“鈴谷”という艦に降りろという命令以外、何も知らされていない。
軍艦なんて、どれでも住みづらい。
肝心なのは、慣れだ。
父はそう言っていた。
自分の家にいるより、軍艦とメサイアのコクピットにいる方が長かった父の助言を、美奈代は素直に心の中で繰り返していた。
慣れるしかないんだと。
美奈代の駆るメサイアは、“征龍”と呼ばれるタイプ。
訓練騎である“雛鎧”の元のモデル。
演習時の破損の修復にかこつけて本来の姿に戻された。
コクピットユニットは新品。
素材のにおいが美奈代の鼻を心地よくくすぐってくれていた。
「鈴谷ガイドビーコン受信。高度、進入角良好」
「了解、第七分隊、和泉。鈴谷FD。着艦許可申請」
“鈴谷”の発着艦を管制するFDからの指示が入る。
すでに目の前には、“鈴谷”の甲板が見えている。
誘導灯の明かりの連なりが、自分を誘っているように感じられる。
青みがかった軍艦色に塗られた“鈴谷”の艦体は、巨大な正角柱を横倒しにして二つくっつけた上に飛行甲板や艦橋を取り付けたような、奇妙なデザインをしていた。
海に浮かぶ船然としている“伊吹”や“沖波”とは全く違う。
あちらが船なら、こっちは浮かぶ柱だ。
「元々がカーゴ船ですから」
牧野中尉が言った。
「あくまで物資を極限まで大量に輸送するためにコンテナにエンジンをくっつけたようなデザインが採用されています。“鈴谷”は、それを2隻つなぎ合わせた艦です」
「ちょっと、不格好ですね」
「……まぁ、しょうがないですね」
クスクス笑う牧野中尉の笑い声を聞きながら、美奈代はふと、精霊体“さくら”を見た。
その顔はなぜか意気消沈していた。
「―――“さくら”?」
「……マスタぁ」
声の暗さに驚きながら、美奈代は“さくら”の言葉を待つ。
「どうしても……行くの?」
「“鈴谷”へか?」
「……うん」
頷くその顔は、心底“鈴谷”へ行くのを嫌がっているように見えた。
「何か問題が」
「問題って訳じゃないんだけど……」
さくらは一瞬、言葉を詰まらせた後、こっそりと美奈代の耳元で言った。
「“鈴谷”の精霊体、美鈴姐さんは―――怖いんだよぉ?」
「……ああ」
自分たち人間にも人間関係があるように、精霊体にも精霊体関係がある。
“さくら”にとってはどうやら“鈴谷”の精霊体は苦手らしい。
「イジメられたら言ってきなさい」美奈代は言った。
「一言言ってあげるから」
「うんっ!」
やっと安堵したのか、“さくら”は満面の笑みを浮かべて力強く頷いた。
「―――じゃ、着艦はじめよう!」
飛行艦への着艦。
それは戦闘機のそれとは事情が異なる。
メサイアは自重100トンを越える人型兵器だ。
それが戦闘機同然の着艦をしたらどうなるかなんて、一々口にする必要もないだろう。
古典的な手動着艦と、誘導電波を用いたフルオート着艦。
いずれにせよ、飛行艦と自騎の相対速度をゼロにして、静かに甲板上に降りなければならない。
速度に気をとられて、高度を下手に落とすと、飛行艦に激突するか、飛行艦の慣性重力場の反作用によって、いかに大質量のメサイアとは言え、塵になる。
その上、メサイアは自重だけで100トンを超える重量物だ。
甲板に叩き付ける感覚。
空母乗りがよく口にするそんな調子で甲板に着艦させることは、甲板にメサイアで蹴りを食らわせるのと同じだ。
だから、メサイアの着艦は戦闘機とは異なり、誘導電波によって艦側でメサイアを操作、速度ゼロで甲板上に降ろすのが一般的で、着艦拘束装置に誘導電波なしで降ろす事態は、緊急用を通り越して異常事態だ。
目玉が飛び出る程高価にして貴重なメサイアを、着艦事故などという「つまらない理由」で失いたくなければ、最も安全な手段をとる。
美奈代も、ガイドビーコン受信とフルオート着艦開始の表示を確認すると同時にコントロールユニットから手を離した。
ガクンッ!
途端に高度が落ち、騎体のバランスが崩れた。ガイドビーコンロストを告げる警報がコクピットに響く。
「なっ!?」
とっさにコントロールユニットを掴み直し、騎体を復旧させる。
「ふ、フルオートでしょう!?」
驚いて見たモニター上のフルオート着艦の表示が消えていた。
「小隊全騎、マニュアルモードにて着艦せよ。いいか?着艦拘束装置上にだ」
二宮の声に、美奈代は口元を歪めた。
―――そういうことは、まず着艦に慣れた後にするべきだ。第一、先に言え!
口にこそ出さないが、美奈代は二宮にそう文句を言いたかった。
―――何でもかんでも実戦実戦で、手順を無視するにも限度というものが!
「候補生っ!」
牧野中尉が鋭い声をあげ、美奈代は現実に引き戻された。
すでに鈴谷の甲板が目の前だ。
「ちっ!」
甲板の上に出された巨大なサッカーゴール。
それが着艦拘束装置だ。
すでに騎体は甲板の上に入った。今から機動のやりなおしは効かない。
下手な回避はそのまま自滅を意味する。
「―――くっ!」
美奈代は目を見開くと、メサイアの脚を叩き付ける要領で着艦拘束装置にメサイアを突っ込ませた。
●飛行艦“鈴谷”ハンガーデッキ
ギィィィンッ!
ドンッ!
火花を散らした着艦拘束装置がメサイアを無理矢理止める。
制動ダンパーの凄まじい衝撃に、危うく舌をかみそうになった美奈代は、騎体を装置から降ろした。
「こちら鈴谷FD、着艦を確認。これより指揮をHDへハンドオーバー」
「こちらHD。和泉騎、4番ベッドへ」
「和泉、了解」
ほう?
美奈代は少しだけ驚いた様子でハンガーを見た。
さすがに訓練校のハンガーに比べれば狭いが、何か雰囲気が違う。
―――もう二度と着艦拘束装置なんて使わないぞ。
そう心に誓いながら、美奈代は指定された4番ベッドへメサイアを寄りかからせ、規定の停止措置を開始する。
チラと見たモニターの向こう側では、仲間達の騎が次々と着艦、ハンガーへと入ってくる様子が映し出されていた。
「和泉候補生」
「システム停止……はい?」
モニターを切り、ハッチを開こうとした美奈代は、牧野中尉の声に動きを止めた。
「飛行艦、初めてでしたっけ?」
「はい。あっ、でも、TACは搭乗経験が」
「そうですか」
牧野中尉の声は、どこか楽しそう。
それが美奈代の不安をあおる。
何しろ、彼女が楽しげな声色になった時、美奈代はロクな目にあったためしがないのだ。
「では、お疲れさまでした。無事でしたら、着任式でお会いしましょう」
「は?」
牧野中尉からの返事はない。
「中尉?……“さくら”?」
さくらはニマニマした不思議な笑顔を浮かべて姿を消した。
気になった美奈代が異変に気づいたのは、コントロールユニットを上げ、ハッチの開閉スイッチを入れた時だ。
「……え?」
妙に体が軽い。
奇妙なまでにふわふわした感覚が美奈代を包み込む。
「……何?これ」
体調不良。
美奈代はそう判断し、ハッチから身を乗り出した。
そして―――
「……え?」
メサイアのコクピットは、メサイアの胸の中にあり、当然、そのハッチは胸の上となる。
コクピットから外に出たければ、ハッチから勢いをつけなれば出ることは出来ない。
いつもの感覚でハッチから身を乗り出しただけのはずなのに―――
美奈代は、自分の身に何が起きているのかわからなかった。
体がくるくると回転しながら宙を舞っている。
数十メートル下の床や天井が回転している。
―――何か、ヤバい薬でも投与されたか?
一瞬、そう思った後で、美奈代はようやく思い出した。
重力慣性制御。
メサイアや飛行艦はジェット推進で飛んでいるわけじゃない。
空を浮いているのだ。
どうやって?
魔法の力。
重力を遮断する慣性重力場を展開し、力場の海を作り上げる。
その上に浮くのだ。
その影響としてよく指摘されるのが、力場の海より下に入った艦体内部の重力まで奪われること。
飛行艦の喫水線より下は、確実に無重力下におかれる。
そして、今、美奈代達のいるハンガーは喫水線より下。
つまり、美奈代は無重力下にいることになる。
「じ、冗談っ!」
周りを見回すと、早瀬や宗像はまだコクピットハッチにしがみついて浮くのだけは回避している。でも、二人とも、どうしたらいいのか、迷っているのは明らかだ。
「ど、どうしろというんだ?」
ガンッ!
焦って誰かに助けを求めようとして、周囲を見回すと、あちこちで自分達にニヤニヤ意地の悪い視線を送ってくる整備兵達に気づいた。
「い、痛ててっ」
「え?」
何とか体をよじって、顔から壁にぶつかるのを回避しようと藻掻く美奈代は、突然、何かに抱きつかれた。
「つ、都築!?」
「和泉か。一体こりゃ」
天井に頭でもぶつけたのか、しきりに頭をさする都築がいた。
「っていうか!」
美奈代は赤面しつつ怒鳴った。
「離れろ!どさくさに紛れてドコ触っているか!」
「しかたねぇだろ!」
「お、女の胸をなんだと思っている!」
「不可抗力だ!」
「だったら力を込めるな!―――きゃんっ!」
「……こういう声はカワイイんだよな。お前」
「殴るぞ!」
抱き合ったままの二人はそのまま―――
ガンッ!
ハンガー全体に響くほどいい音を立てて壁に激突した。




