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イツミ

●数日後 東京 天原骨董品店


「ご協力に感謝……そういうべきかしらね」


 神音の前に座るのは、外見的には神音とほとんど変わらない年頃の女の子。

 しかし、その名と肩書きを知る者がこの場にいれば、それがどれほどの厄介者かは容易に知ることが出来るだろう。


 ヴォルトモード軍を屈服させた天界軍の参謀、あのイツミだ。


「とはいえ」


 ソファーの背もたれに体重を預けるようにもたれかかったイツミは、深く息を吐いて目をつむった。


「もう少し、詳細な情報が欲しいのが本音」


「悪く思わないでね。イツミ」

 神音は言った。

「これが私達の渡れる橋の限界よ」


「―――いいわ」

 体を起こし、横から出されたティーカップを受け取ったイツミは、苦笑混じりに言った。

「鬼ころしなんて呼び出し、久々に聞いたから驚いたけど」


「本当に忙しくなかったの?」


「忙しくないから、誘いを受けたのよ?」

 ティーカップに口を付けながら、イツミは答えた。

「悠理も大人になってきたから、手もかからなくなってきたし」


「お師匠様にそう言ってもらえると、祖母としては嬉しいものね」 


「悠理宛に私のコード、鬼ころしってことは、私に悠理にバケてこいって意味だと思ったけど……まさか、中世協会の動きがわかるなんてね」


「意外だった?」

 神音は書類の束をイツミに手渡した。

「今回の連中からの発注書。武器より食料と医薬品の方が多い」


「……」

 ペラペラと、まるで流すように書類をめくったイツミは言った。

「アフリカの部隊は本格的に撤退。魔界に戻った部隊は休養と再編成……このタイミングで食料と医薬品の大量発注は、ヴォルトモード軍解放に備えた準備ってところね。神音?覚悟は出来ている?」


「何の?」


「いよいよ、あなたの大切な男の領地が」


「……」


「灰燼に帰すわよ?」



●イギリス ロンドン ダウニング街10番地

 ヒース首相がその報告を受けたのは、彼が朝食の締めくくりである紅茶に取りかかろうとしていた時だった。


「どういうことかね?」


 ヒースは信念の男であり、英国紳士として、朝食を食べることは即ち一日の生を左右する重要な儀式であることを認識していた。


 特に、その締めくくりの紅茶は、その日の気分で茶葉を、室温や天気まで考慮して決定された抽出温度を厳格に守ることを給仕に求める程だ。


 である以上、普段なら、例え王が亡くなったと聞いても紅茶を手にするだろう彼の手が、その報告に手を止めた。


「魔族軍が地中海沿岸から消えた―――だと?」


「事実です」

 軍担当の政務官は、表情すら変えずに頷いた。


「少なくとも、ジブラルタルからの報告では、海岸線から姿が全く消えたと」


「他の地点は?」


「同様です。フランスも慌てています」


「ふむ?」

 ヒースは顎に手を回して考えた。

「地中海を越えないというのか……何故だ?連中はどこへ?」


「フランスの強行偵察によれば、魔族軍は現在、アフリカ内陸部へ移動中。おそらく、集結地点はアハガル高原ではないかと」


「アハガル高原?」

 ヒースは顔をしかめた。

「あんな岩石砂漠に何の用がある?軍は何と?」


「アハガル高原付近は防空体制が厳しく、この件に関して、軍からの報告は何も」


「……ふむ」

 ヒースは、すっかりぬるくなった紅茶を口にして顔をしかめた。



●アフリカ大陸 アガハル高原

 荒涼とした岩と砂だけの世界に、無数の妖魔達が列を作っていた。

 列の目指す先には、巨大な穴がある。

 妖魔達はサイズを問わず、その穴の中へと消えていく。

 穴の中には、魔界から届いた後、工兵隊が突貫工事で設置した妖魔用のネストがある。

 餌場の横には、妖魔の“巣”に加え、傷ついた妖魔の“再生工場”が組み上げ中だ。

 当然、それだけの施設がすべて揃っているだけに、地下数キロにわたって広がるその空間は、一度見れば絶対に忘れることが出来ないこと請け合いだ。

 これ以降、妖魔達はここから補充が出来るし、傷ついた妖魔を癒すことも出来る。

 それは、妖魔を運用する兵士達にとって最も心強い話だった。

 おかげで、飲む酒が美味い。

 小高い丘の上からその光景を眺める兵士達は、一様に安堵の表情を浮かべている。


「“巣”が間に合いましたな」


「ああ。部隊のサイロス達の体積が3割も減っていたから焦ったよ。いつ、自分がエサになるかってな」


 笑い合う兵士達の手には、魔界の酒が満たされたグラスがあった。

 軍服は魔界正規軍のものではない。

 彼らは“中世協会”に雇われた民間軍事会社のスタッフ達だ。


「さすが天下の天原商会。納品は確実だな」


「それは、ライバル会社に対する嫌みですか?」


「おいおい。経営規模に実績……全ての面で、俺達がライバルになれると思うか?流石は最大手だと、素直にほめているんだ―――おっ」


 彼らの視線の先。

 巣の入り口。そのさらに先に漆黒の闇が巨大な口を開き、魔界からの物資を乗せた大型輸送艦を吐き出そうとしていた。

 すぐ近くでは、補給部隊が配給用の食事を作っている。

 その前には、食事を待つオーク兵達の長蛇の列。

 酒の配給と、食事の配給を待つ列が、見たところ最も長い。

 民間軍事会社から派遣された彼は、グラスを持つ手を休めて改めて景色を見回した。


 まず目立つのは、直径1キロほどもある巨大な漆黒の闇。


 ゲートだ。


 かつて魔界との行き来のため、国家プロジェクトとして建設されたタイプよりも遙かに巨大な漆黒の口がイヤでも目立つ。

 これが魔界や天界双方にとって非合法に設置されたことを咎める者はここにはいない。

 これがなければ、今後、彼らは飢え死にする以外、未来がないのだ。


 そのゲートを越え、地上に現れようとしているのは、魔界の民間所属を示す黄色と黒のストライプが斜めに入った飛行船、魔界の最新鋭大型輸送艦達だ。


 その中でも格段に規模が違う一隻が、直径1キロを越すゲートぎりぎりに姿をあらわしつつあった。


 外見こそ流線型のおとなしいデザインだが、かなりの重装甲に重武装が施されている事は、艦艇に関して素人同然の彼の目にも明らかだ。


「うへぇ!魔界軍最新鋭の重戦艦を改装した強襲輸送艦“アマイモン”級ですよ」


 脇にいた男が驚いた様子で言った。


「正規軍でも配備が進んでいないっていうのに!そいつを強襲輸送艦に変えちまうんだからなぁ!」


「それって、どれくらいの戦力なんだ?」


「辺境軍の規模なら、数個艦隊に匹敵する戦力と聞きます。さすがに魔界の辺境で正規軍に代わってドンパチやる天原商会―――ウチとは何もかもが違う」


「おいっ!」


 横にいた別な仲間が、不意に彼の肩を叩いた。


「見ろっ!」


 最後に到着した輸送艦のハッチが開いた。

 中から出てきたのは―――


「あれかっ!」


 彼は思わずグラスから酒をこぼしかけ、せっかくの酒で袖を揺らしたことに顔をしかめたが、視線だけはハッチから出てきた“それ”から離そうとしなかった。

 仲間達もまた同様だ。

 皆が動きを止め、出現した“それ”を見守る。


 巨大人型兵器―――メースだ。


 全高約30メートル。巨大なメース達が輸送艦のハッチから姿を現し、アフリカの強い日差しにそのボディを輝かせる。

 ハッチから現れた中の一騎が、不意に右腕を高々と掲げた瞬間、将兵達は、絶叫ともとれる歓喜の声をあげた。



「……ううっ……暑いのじゃぁ……」


 その歓声どころではない騒ぎなのが、ゆったりとした白い服に大きな麦わら帽子を被り、日差しから逃れようと虚しい抵抗をする、カノンだ。

 元来、室内用の彼女にとって、この過酷な環境は負荷が強すぎる。

 帳簿を片手に、メースの数を数えているが、頭がクラクラして倒れそうだった。

 近くにおいた扇風機は熱風しか送ってこない。


「ご主人様……絶対、暑いから妾を行かせたんじゃぁ……」


 自らの主人に恨み言をいいつつ、カノンは思った。


 今回、カノンの率いた輸送艦隊が運んだ荷のメインは、メース120騎とパーツのストック。メースを運用する傭兵達。

 そして、莫大な量の食料他の軍需物資。


 肝心のメースは、すべて魔族軍の倉庫に眠っていた二、三線配備の旧式騎だが、別に人間相手なら十分やれるだけの実力はある。

 すでに間近の封鎖門クローズドゲートは解放され、新たなゲートとリンクする作業が山場を迎えているとも聞いている。


 補給線は断たれる心配はない。

 線が生きている以上、自分達は確実に荷を送り届けてみせる。


「後は」


 カノンはわかっている。

 ここで補給と増援を受けた中世協会が何をするか。

 その矛先がどこに向かうか。


「……由忠」

 カノンはそっと手に胸をやって祈った。

「上手くやれよ?」  



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