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ヴォルトモード卿、処刑 第一話

●約2700年前 極東 弓状列島



 荒涼とした大地に、雪をはらんだ風が吹いていた。



 ―――せっかくの式典なのに。


 

 軍楽隊の演奏が風に乱れることなく続いている。左右に威儀を正して整列する無数の兵士達。

だが、耳から入るその音色が骨身に染みる寒さを和らげてくれることはない。

 兵士達列に混じって立つ少女は、冷たい風にそっと襟元を正し、目の前に視線を向けた。

 端正な顔立ちと、風に揺れる細く艶やかな黒髪の少女は兵士達の注目の的。

 居並ぶ数多の軍勢の中、幸運にも彼女が視界に入る兵士達の顔は、こぞって彼女に視線を向けるが、その表情は、淡い思いや戦場でため込んだ劣情を想起して緩みきっている。


 戦争がこれで終了する。


 休戦協定調印式典に参列した兵士達にあるのは、安堵の唯一言だけ。

 それだけにモラルが下がっていると言える。


 血なまぐさい戦場を忘れさせてくる可憐な存在である彼女は、彼等にとっては一時の清涼剤に等しい。

 むさ苦しい仲間の顔なんて見たくもない。

 この少女こそ鑑賞したいというのが偽りのない本音だ。

 とはいえ、肝心の彼女は、そんな周囲の視線に全く気づいていない。

 参謀見習いの身にとっては、すぐ目の前に立つ恐怖の上官殿が怖くて、他人の視線に気付くだけの余裕はどこにもないのだ。


 軍楽隊の演奏が聞き慣れない曲に変わった。

 勇壮で重厚感のある行進曲。

 それは、彼女が聞き慣れた、軽やかな、輪舞曲を思わせる曲ではない。


 ―――いい曲だな。


 少女はただ素直にそう思った。


 チッ。


 その時聞こえたのは舌打ちの音。

 その音に少女は飛び上がった。

 はっきり、この場に砲弾でも叩き込まれた方がまだ気楽だった。

 その音の出所が、

 その聞き慣れた音が、

 彼女を恐怖のどん底に突き落とした。

 恐る恐る、少女はその音の出所、斜め前に立つ上官の顔を盗み見た。

 少女より頭二つほど低い、女の子と呼ぶに相応しい背と顔立ち。

 それでも、軍服に付けられた参謀飾緒さんぼうしょくちょの色と襟章が示す階級は、ここに居並ぶ誰よりも偉い存在であることを教えてくれる。


 それが、彼女の恐怖の上官殿だ。

 

 名をイツミという。


 普段から気難しい上、気分屋の上官は何が気に入らなかったのか?


 少女は、上官の下で生き残るために身につけた習慣、つまり、上官が機嫌を損ねている原因の把握と対策を考えた。

 その視線に気づいたんだろう。

 不意に振り向いた上官と少女の目線があった。


「魔族軍の軍歌―――行進曲よ」

 上官は言った。

「人類が余計な気を遣っている。この弓状列島の島民気質かしらね」


「調べてみてはいかがです?」

 少女は言ってみた。

「戦いはもう終わるんです。閣下、戦後の事は何も決めていないって、いつもおっしゃっていたじゃないですか」


「ハンッ、しばらくは残務整理よ?あなたもだけど」


 うげ。


 少女は何か苦いものをかみ砕いたような顔で小さく舌を出した。


「ほら。あそこが人類側の席。この弓状列島の人間の王。現地語では何と言ったかしらね」


「はぁ」

 少女は、上官の指さす方向に目を凝らしてみた。

 列の反対側の端に並ぶ軍楽隊の横で風になびく軍旗に見覚えはない。

 その下に並ぶ兵達は、服装こそ自分達と同じだが、顔つきが少し違う。

 人類の黄色タイプの特徴をよく捉えた顔立ち。

 この弓状列島の現地人の兵士達。

 そして、兵士達の中にしつらえられた高い台の上に立って威儀を正している背の高い男。

 あれが、この弓状列島の王なんだろうと、少女は判断したが、それ以上の興味はわかなかった。


「何でしたかね」


「まぁいいわ。どうせ人間の寿命なんてたかが知れてる。思い出した頃には向こうが死んでるわ」


「それはまぁ……彼等の寿命なんて、私達からすれば短いですけどね」


 数千歳の寿命を誇る自分達神族と、わずか百年の寿命しかない人類を比較すること自体が無茶だと、少女はそう思う。


「あの王の願いとして、この曲が流れているんだそうよ」

 上官の顔は、複雑なままだ。

「処刑されるとはいえ、一軍を率いた身。その武人としての名誉は守ってはどうか」

 ふん。

 上官は肩をすくめた。

「ケンプァー卿にそうかけあったそうで、あの熱血バカのことだもん。感動しちゃってね。即決でOK出した挙げ句が―――これ」




 ザワッ!




 あたりから息を呑む音が、まるで押し寄せる波のようにわき上がった。




 ―――ヴォルトモード卿だ。



 ―――ヴォルトモード閣下だ。



 周りからそんな囁きが聞こえてくる。

 敵相手に「卿」とか「閣下」はどうかと思うが、でも、その名前を呼び捨てにすることは、少女にも出来なかった。


 命が尽き果てるまで忘れることが出来ないだろう、赤地に双頭の蛇を描いた巨大な軍旗が進んでくる。

「捧げ―――剣っ!」

 居並ぶ指揮官達が声を張り上げる。

 まるでその軍旗の偉容に負けまいと足掻くが如き声の号令。

 従う兵達がその軍旗に剣を捧げるその光景は、天帝の閲兵式に臨んだ時の方がまだ気楽だろう程、緊張に震えていた。


 彼女の前に現れたのは、風にたなびく赤地に双頭の蛇をあしらった軍旗。


 彼等にとって憎むべき、そして、今や敗軍の証として見下すことが許されたはずの旗―――魔族軍の軍旗。



 その旗を直に見た少女は驚くしかない。

 敗軍の軍旗だというのに、その威厳はどうだ。


 何て迫力だ。


 少女達、つまり神族の軍である天帝軍の濃紺を基調とした軍旗の群れの直中にあっても、決して劣ることはない。

 むしろそれらを威圧してさえいる。

 ちらと見ただけで背筋を得体の知れない興奮が走る。


 そんな軍旗の後に続くのは、軍の刑務執行官達と――― 処刑される者。


 軍装に威儀を正した敗軍の将。



 魔族軍総大将、ヴォルトモード卿だ。



 高い背に鍛えられた筋骨たくましい体の上に長く白い顎髭。

 飾り立てられた銀色の甲冑。

 腰の大剣。

 楯。

 金の戦斧。

 その姿は、処刑される罪人というより、戦いに赴く王侯の威厳あふれる偉容。




 ―――すごい。




 以前からヴォルトモード卿の噂だけは聞いていた少女は目を見張った。

 その姿は、彼女が見聞した神族軍のどの将校も足下にも及ばない気品に満ちあふれていた。

 歩くだけで周囲が威儀を正すほどの威圧感はどうだ?

 体からしみ出す「将」としての尊厳はどうだ?

 この威厳はどうだ?

 こんな人物を、少女は知らなかった。

 目の前を歩く姿を見るだけで勘当すら感じる、彼女にとって将の理想が目の前に立っている。




 ―――敵は、この御方を仰ぎ見て戦ったのか。




 破れた敵に嫉妬するのは変だと思うが、素直に、少女は敵が羨ましかった。


 この人間界を巡り、天界と魔界が対立。人間界を焦土にする程の戦いを繰り広げた敵、魔族軍を率いたのが、このヴォルトモード卿だ。


「人間共め―――とんだ茶番にしてくれたわ」

 上官の評価は、辛辣どころではなかった。


「どういうことです?」


「考えてご覧なさい。敗軍の将があんな格好で敵の中を歩くのよ?まだ下着姿で歩かされた方がマシよ」


「そうでしょうか?なかなかお洒落っていうか」


「過ぎた礼儀はイヤミにしかならないわ。取り方によってはあの行進曲だって、卿をコケにしているっていえば言えるのよ?」


「私には、罪人としてではなく」

 少女はまるで人間を弁護するように言った。

「武人としてのヴォルトモード卿に礼儀を払おうとしている。そうとしか見えませんが?」


「それはね」

 上官は冷たく言った。

「あなたがお子ちゃまなだけ」




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