クーデター 勃発
「……メシの約束はしたが」
中野は時計を見て、ため息をついた。
「まさか、こんな時間になるとはな」
「……っ」
美奈代は、情けないやら悔しいやらで、マトモに返事さえ出来ない。
午前中に提出した書類に入力した数値の単位が間違っていたため、関係部署から凄まじい抗議が飛んできた挙げ句、書類の総点検が命じられたのだ。
11時のチャイムが虚しく、二人きりの職場に流れた。
「終電も間に合わないな……これは」
「……」
カチャカチャカチャ
美奈代は必死にキーボードを叩き、書類と数字を確認する。
「……最後の最後でデカいドジ踏んでくれたもんだ」
「……」
「資材発注、トン単位で間違えたのがこの段階で見つかったからよかったようなものの、そのまま通っていたら、お前、始末書じゃ済まなかったぞ」
「……」
「あと、どれくらいかかりそうだ?」
「……1時間」
そう答えるのがやっとだ。
焦れば焦るほど、入力ミスを繰り返し、数値の見直しが出来なくなっていく。
焦るな。
そう念じれば念じるほど、深みにはまっていくジレンマ。
美奈代は悔しくて仕方ない。
「そうか」
中野は立ち上がった。
「官庁街の特例とはいえ、それでもコンビニの営業は日付変更までだ。今のうちに食料を仕入れに行ってくる。何がいい?」
「何でもいいです」
美奈代はやっと答えた。
「……すみません」
「……おごりだ」
中野が出て行って、ひとりぼっちになった職場で、美奈代はデスクに突っ伏した。
声にならない叫び声を上げて、美奈代は自分を呪うしかなかった。
どうして、私はいつもこうなんだろう!
どうして、ツメが甘いんだろう!
どうして、頑張っても最後にはマイナスの結果になるんだろう!
「……」
今度、お祓いにでも行ってやろうか。
それとも、占いでも見てもらおうか。
そんなことを美奈代が考え、それでも中野が帰ってくるまでに、書類を少しでも片付けよう。
こんな夜中までつきあわせたのは自分の責任だ。
迷惑は、これ以上かけたくない。
そう思った時だ。
バラバラバラバラ
「?」
美奈代は、官庁街では耳慣れない音に、思わず顔をしかめた。
時計は夜11時を回っている。
しかし、これは間違いない。
子供でもわかる。
―――ヘリのローター音?
すぐ近くをヘリが飛んでいる。
しかも、かなり低くだ。
野外演習の時、耳にしたヘリの音だ。
でも―――何で?
何で、こんな時間、こんな場所で?
美奈代が立ち上がって窓に近づいた時だ。
「和泉っ!」
ドアを開き、部屋に飛び込んできたのは中野だった。
中野は血相を変えて美奈代に怒鳴った。
「ブラインドを閉めろっ!」
「えっ?」
「いいからっ!」
中野は、窓に近づくなり、ブラインドの紐を引っ張った。
「急げっ!」
「はっ、はいっ!」
美奈代は、片っ端からブラインドの紐を引いた。
二人によって、フロアのブラインドが閉められていく。
美奈代は、下がってくブラインド越しに窓の外を見た。
その光景は、美奈代がこんな時間まで残っていたことはなかったが、それでもおかしいと思うには十分だった。
トラックの車列が列を連ねて走っていく。
「?」
電力管制によって数少ないとはいえ、街路灯に照らし出されたそのトラックの列は、間違いない。軍用車両だ。
「こんな時間に?」
最後のブラインドが美奈代によって閉められた途端だ。
「こっちへ来い」
中野は、美奈代の腕を掴んだ。
「和泉、軍服はどうした?」
「更衣室のロッカーです」
「……拳銃は」
「公務じゃないんですよ?」
「持ってるんだろう?後藤さんが、お前を丸腰で歩かせるとは思えない」
―――どういう意味ですか?
美奈代は言い返そうとして、中野の真剣な顔に言葉を詰まらせた。
無駄口を聞く意志がないことは、彼の横顔がはっきりと語っていた。
「中野大尉は」
美奈代は逆に訊ねた。
「持ってないんですか?」
「俺が撃って」
中野はドアに美奈代を引っ張りながら答えた。
「当たると思うか?」
「……」
美奈代は首を横に振ると、
「それでも男ですか」
「言ってろ」
突然、美奈代は、自分のデスクの前で止まった。
「待って下さい」
美奈代は急いでデータを上書きすると、モニターを切ってデスクの引き出しを開いた。
「とにかく、これがあれば、いいんですよね?」
引き出しの中に入っていたのは、ホルスターに入った無骨な拳銃。
M1911コルトガバメント。
そして、
「当たるんじゃなくて、当てるんです」
中野の手に握らせたのは拳銃。
ワルサーPPKだ。
「……成る程?」
中野はニヤリと笑った。
「面白い話だが―――返しておこう」
「えっ?」
「拳銃は隠しておけ。身体検査を受けた時にマズい」
「でも!」
「俺が拳銃の所在を聞いたのは、身につけていたらマズいからだ」
「まずいって?」
「とりあえず」
中野は、美奈代の手から拳銃を奪い取ると、ゴミ箱の中に放り込み、そして、その上に美奈代が書きかけていた書類をくしゃくしゃに丸めて放り込んだ。
「ああっ!?」
「うるさい!」
慌てて中野が美奈代の口を押さえた。
「騒ぐな!」
「だ、だって!だって!」
「いいから、こっちへ来いっ!」
中野は、強引に美奈代を抱きかかえると、ドアへ向かって走り出した。
「お前、重いぞっ!かなり痩せろっ!」
「降ろして下さいっ!」
美奈代が降ろされたのは、非常階段のドアの前。
「一気に降りる」
「その前に」
美奈代はキッと中野を睨み付けると、
パンッ!
抜く手も見せずにその頬を張った。
「お、女を重いだの痩せろだの!わ、私だって気にしてるんですよ!?」
「本当に重かったぞ!?」
「デスクワークで体がなまってるだけでしょう!?最低っ!」
「とにかく!」
中野は見事な手形の付いた頬をそのままに、美奈代を非常階段へと引っ張り込んだ。
「階段を下りて、町へ出るぞ!」
「ど、どうしてですか!?」
「そのうちわかる!IDカードをどこかに隠せ!」
美奈代達が非常階段経由で道路に出た直後のことだ。
バンッ!
鈍い音が通路に響き渡った。
「な、何!?」
「ちっ、正面からか……こっちへ」
中野は、美奈代を隣のビルの非常口へと連れ込んだ。
「こっちは、民間のビルだ。いくら何でも」
中野は息を切らせながら、恐ろしく回りを気にしている。
ビルの廊下の角から回りを見回すと、
「……よし」
その場で息を整えた。
「さすがに訓練されているな」
「だから」
美奈代は冷たく言い放った。
「あなたがなまっているんです」
「あの平手を避けられなかった辺り、そうかもしれないな」
「……手を放して下さい」
「もう少し待て」
中野は、力強く美奈代の手を握りしめると、
「いいか?俺達は、このビルの3階にある“富士クレジットファイナンス”の営業二課の社員だ。俺が中山課長で、お前は平泉。これから先、誰かに何か聞かれても、それ以外は適当に答えておけ。ただし、俺達がこんな遅くまで一緒にいた理由は、お前は喋らなくていい。俺が答える」
「……えっ?」
「もう一度言う。」
中野はじっ。と美奈代を見つめながら言った。
「俺達は、このビルの3階にある“富士クレジットファイナンス”の営業二課の社員。
俺は中山課長。お前は平泉。
これから先、誰かに何か聞かれても、それ以外は適当に答えておけ。
俺達がこんな遅くまで一緒にいた理由は、俺が答える」
「な、中山」
美奈代が指を指して中野をそう呼ぶと、
「ひ、平泉」
今度は自分を指さした。
「このビルの三階の、“富士クレジットファイナンス”の社員」
「そうだ」
中野は頷いた。
「それだけでいい。いくぞ?」
中野は、美奈代を腕を引いて、ドアへ向かって歩き出した。
ドアを開いて道路に出た途端、美奈代は絶句した。
庁舎の前には、軍用のトラックが止まっていて、ドアの破片らしいガラスが散乱していた。
何事か、意味不明なことを喚く警備員が、数名の男に引っ張られていこうとしていた。
「……」
美奈代は、思わず脚を止めてしまった。
無理も無い。
庁舎の前に止まっている軍用車両は、陸軍のトラック。
ナンバーからして市ヶ谷駐屯地の所属部隊。
そして、その周りには、小銃を持つ完全武装の兵士達が立っている。
「……なか」
言いかけて、美奈代は中野が何をしたかったのか察した。
自分達の存在に気付いたらしい兵士が二人、銃を腰に構えながら近づいてくる。
「止まれっ!」
その鋭い声に弾かれたように、美奈代は中野に抱きついた。
男に抱きつくなんて生まれて初めての経験に感慨を持つ暇もなかった。
自動小銃で蜂の巣にされるなんて、美奈代でも御免被る。
「何をしている!」
「いや……あの」
狼狽した様子の中野が言った。
「な、何の騒ぎですか?」
「お前ら、何だ!?」
「いや……僕達」
中野は狼狽しきった声で言った。
「このビルにある会社の社員です」
「……こんな時間まで何をしていた!民間企業の営業は9時までだぞ!」
「そ……それが」
中野は、チラッ。と美奈代を見ると、美奈代に見えないように、左手の親指と人差し指で作った穴に、右手の指を突っ込む仕草を見せた。
「……です」
「……っ!」
兵士は不快そうに舌打ちすると、ペッと道路にツバを吐いた。
「こんなご時世にお盛んなこった。とっとと失せろ!」
「ど……どうも」
中野はペコリと頭を下げると、美奈代を連れて慌てた様子で道路を横切った。
美奈代は、中野にひっぱられながら、庁舎を見た。
ドアが破られた―――恐らく、鍵を爆破された―――1階。
2階、3階と次々と照明がつけられ、窓際を動く数名の兵士達の姿が見えた。
「……拳銃」
美奈代はポツリと言った。
「見つからなければ良いんですけど」
「ゴミ箱の中まで探すとは思えんがな」
中野は庁舎の反対側の歩道まで来ると、美奈代の手を放した。
「あの……これは一体?」
「まだだ」
中野は言った。
「車を駐車場に止めてある。ナンバーは民間だから、検問に引っかかるとも思えない。車のラジオで何かわかるかもしれない」
「……はい」
中野は、最初の角を曲がった。
徒歩数分。ビルとビルの間に隠れるように存在する駐車場にたどり着くまで、美奈代達は何人もの兵士達に誰何を受けた。
その度に、中野はさっきのジェスチャーを繰り返し、そして兵士達の呆れや嘲りをうけながら誰何をくぐり抜けた。
意味がようやく分かったのは、最後に誰何をした若い兵士というより、少年兵だった。
ヘルメットの内側は丸坊主だと、顔が語っている。
子供の頃からそれ以外のヘアスタイルを知らなかったろう、多分野球部という、体育会系の典型例といった、ニキビ顔の少年兵だった。
彼が、中野のジェスチャーの意味がわからなかった。
「何だ?」
緊張する声が中野に飛んだ。
「それ、何だ?」
「いや……」
中野が一歩、歩こうとした時、
「動くなっ!」
少年兵の銃がカチャという音を立てた。
「っ!」
セフティが解除された音と本能的に聞き分けた美奈代は、慌てて中野の腕に縋り付いた。
「あ、あの、つまりね!?君っ!」
美奈代は、自分で言ってのけた。
「わ、私達、男と女の関係なの―――二人で夜にすることって―――わかるでしょう?」
作り笑みを浮かべた女に言われた言葉。
その意味を理解したらしい少年兵は、顔を真っ赤にして、困惑した表情を浮かべた。
「だ、だから……その……いかがわしいワケじゃないのよ!?」
「じ、十分、いかがわしいっ!」
少年兵は声を張り上げた。
「う、失せろっ!お前達みたいな不道徳なヤツなんて、顔も見たくないっ!」
「……助かった」
中野は、駐車場の一角に止めてあったプリウスの運転席に座ると、言った。
「お前、なかなかだったぞ」
「……教えて下さい」
「ん?」
「さっきから繰り返していたジェスチャーって、アレ、そういう意味ですか?」
「アレとは?」
「……セクハラですか?」
「まぁ」
中野はポケットからタバコを取り出すと言った。
「そういう意味だな」
「……」
助手席の、禁煙。と書かれたステッカーを剥がし、ライターに伸びた手を美奈代は掴んだ。
「つまり」
「ん?」
「私、中野大尉と不倫関係にあるとでも?」
「この時間にオフィスで歳の離れた男女となれば、そうなるだろうな」
「……大尉」
「どうした?」
「歯ぁ、食いしばって下さい」
数分後。
手形を二つ作った中野の運転するプリウスは検問の列にさしかかった。
ほとんどがタクシーだが、中に誰も乗っていないとわかると、さっさと通している。
トランクの中までは調べていない。
「……どう見る?」
中野は少し歪んだメガネのツルを直しながら訊ねた。
「新兵ですね」
美奈代はむすっとしながらも答えた。
さっきからラジオをFM、AMと切り替え、バンドを変更しているが、雑音ばかりで何も聞こえてこない。
「年の頃からしても志願兵か、或いは被災地の募集兵。どっちにしても、若い兵士達ばかりで、銃の扱いにも慣れているとは言いがたいです」
「よくわかるな」
「銃口が震えてました」
「……」
「それでなくても、カンでわかります。これ、おかしいですよ」
「……だな」
美奈代は検問のためドアを開いた中野から視線を外した。
対向車線を、戦車を乗せたトレーラーが列を作って走っていく。
90式戦車?
美奈代は方角を確かめた。
東京駅方面。
まさか?
美奈代が心配したのは宮城だ。
近衛の歩兵部隊とメサイア部隊を相手に一戦構えようとは考えないだろう。
美奈代は自分をそう言い聞かせたが、心臓は早鐘のように激しく波打っている。
検問を通過した車が静かに走り出す。
「どうするんです?」
「葉月へ向かう」
「葉月へ?」
「ああ。どうあってもお前を原隊へ送り届ける」
「ですけど!」
「携帯が通じない……後藤さんと連絡がとれれば手っ取り早いんだがな」
「一体、何が起きているんですか?」
「知りたいか?」
「当然」
「なら、教えてやろう」
中野は真顔で言った。
「こういうのをクーデターっていうんだ」
東京及び首都圏の皆様へ
これより、緊急放送をお送りします。
テレビ・ラジオの近くにいらっしゃる方は、出来るだけ多くの方に声をかけ、放送をお聞きになるよう、ご協力をお願いいたします。
本日未明、首都圏内において陸軍の一部部隊が武装決起を行いました。
部隊は首都圏の政府施設等、並びに報道各機関を制圧。
この際、かなりの数の政府要人を拘束したと発表。
赤坂プリンスホテルに本部を設置した決起部隊は、先程、同ホテルにて記者会見を開催。
武装決起の趣旨を宣言しました。
それによると、首謀者は赤心会を名乗り、その首謀者は石橋敬一、元民州党幹事長代行とその同士の政治家10名を中心とするメンバーで構成され、この赤心会の下、陸軍第教導一師団、及び習志野第一空挺師団、第三航空師団が武装決起に合流し、いずれも現在、東京近郊にて軍事行動を展開中です。
決起部隊による決起趣意説明によりますと、我々は、岡山内閣総理大臣等による相次ぐ失政により、この大日本帝国が亡国の危機を迎える状況を座視することは出来ず、不本意ながらも武装決起に及んだものであると説明。
各軍に対して決起への合流を呼びかけています。
これに対して、岡山内閣総理大臣他、政府首脳はすでに東京を脱出しており、茨城県庁に臨時の政府機関を設置しました。
大賀官房副長官は、茨城県庁で緊急の記者会見を行い、赤心会の武装決起をクーデターと断定。陸軍に対して、クーデターの鎮圧を命じると共に、首都圏全域に対して、明日の6時までの期限付きで戒厳令が発せられました。
繰り返します。
首都圏全域に、戒厳令が発せられました。
不要な外出は絶対に控えて下さい。
各所には警察官、及び軍による検問が実施されています。
検問に協力が無い場合、無警告で逮捕、または武力行使が行われる危険性があります。
無用の混乱を避けるため、皆様のご協力をお願いいたします。
「……こんな時に」
「こんな時だからさ」
中野はラジオを聞き流しながら言った。
「放送局は、占拠されたものとされていないものとに別れているな……NHKは決起部隊。日本放送は政府側だな。いつまで持つかは分からないが……」
「首都圏に戒厳令が出たとなれば」
「……ああ。かなりまずいことになるな」
「一体、近衛は」
「どっちにも与しない―――決起部隊にも、政府にも」
「どうして?」
「どっちに与しても損するし、何より、双方のケンカの勝者を決めるのは陛下だ」
「……」
「安心しろ。メサイアで武力鎮圧に出ろなんて命令は出ないだろうさ。陛下が統帥権を行使しない限り」
「……しないですかね」
「しない……と思いたい」
中野は頷いた。
「やったら岡山の首だって吹っ飛ぶ。ヤツにとっても、それは避けたいだろうさ。天皇に弓引いたっていう賊軍の汚名は、決起部隊に背負わせたいだろうし」
「……政治はわかりません」
「俺もだ―――誰か、仲間とコンタクトがとれないか?」
皇居外苑にまで展開するのは、内親王護衛隊の“鳳龍改”達。
全騎が広域火焔掃射装置のリキッドタンクとノズルをそれぞれの手に持ち、筒先を市街へと向けている。
その向こうには、戦車部隊が並び、土嚢を積み上げた即席の銃座に入り込んだ兵士達がこちらを見つめている。
戦車も兵士達も、銃や砲の筒先をこちらへと向けてはいない。
相手が誰か、それは彼等もわかっているのだ。
その躊躇が、筒先を向けるという決定的な行為を留まらせているのだ。
「動きはないか?」
自らの愛騎の足下で、麗菜が二宮に訊ねた。
「現時点まで動き無し」
「……問題は」
麗菜は、双眼鏡に映し出された戦車を睨み付けた。
「何故、展開している部隊が政府側であって、決起側ではないか―――だな」
「……面白い話をしてますよ?」
二宮は、左耳につけていたラジオのイヤホンを外した。
「決起部隊の中に、いつの間にか近衛全軍が指定されています」
「……何ですって?」




