嵐の前 第三話
「……えっ!?」
中野にどやされた後、デスクでへたばっていた美奈代を訪ねてきた人物の顔を見た途端、美奈代は文字通り、飛び上がって驚いた。
「に、二宮教官っ!?」
「久しぶりだな……和泉」
軽く敬礼した後、二宮はニコリと笑った。
「東北以来か」
「はいっ!」
尻尾があったら、ちぎれるほど振っているだろうな、と、そのやり取りを見ていた中野は思った。
「後で少し話しがある……中野大尉」
「はっ?」
「少し、いいか?」
「―――どうぞ」
中野は席を立った。
そわそわ。
そわそわ。
まるで主人にはぐれた犬のように、美奈代はデスクで落ち着かない動きを繰り返す。
書類はまるで進んでいない。
中野の存在まで忘れたように、美奈代は二宮と中野が出て行ったドアを眺めてはため息をつくばかり。
二人が戻ってくるまで、10分程度。
美奈代はその時間がとても長く感じられた。
「―――終わったぞ?」
二宮は意味深げな笑みを浮かべると、美奈代の肩を軽く叩いた。
パンパン。
それはまるで美奈代を激励するかのように、少なくとも美奈代には感じられた。
「お前も成長したな」
「はい?」
「いや?」
ニヤニヤと奇妙な笑みを見せた二宮は、面白そうに中野に言った。
「しばらく預かるぞ?」
「―――どうぞ」
何故か、中野は二宮と視線を合わせなかった。
「……あの?」
二人が会話を始めたのは、休憩室でのことだ。
仕事時間中なだけに、二人以外に利用者はいない。
「どうだ?仕事は」
「もう辞めたいです」
「事務仕事は嫌いか?」
「大嫌いです!」
美奈代は力説した。
「こんなの好きになるなんて、どこかおかしいです!」
「人間、得手不得手はあるが」
二宮は苦笑しながら言った。
「似たような人もいるものだ」
「はい?」
「こっちのことだ」
「それより教官?」
「近くに用事があってな?寄らせてもらった」
二宮は、ゴミ箱にあった空の紙コップを壁にあった火災検知器の上にかぶせたあと、ベンチに座った。
「……小清水に二千万で買われただと?」
「っ!」
美奈代は顔が真っ赤になったのがイヤでもわかった。
「お前と小清水の関係は知っているが……」
クスクス……。
二宮は笑いながら続けた。
「どういう地雷を踏んづけたら買い取りなんて話しになるんだ?」
「……あの」
美奈代は、千鶴の呪いについて話した。
「成る程……な」
二宮はタバコに火をつけると、深く吸い込んでから頷いた。
「それは後藤さんにとっては、重要な交渉材料だな……二千万程度、安いもの……か」
「支払ったのは小清水ですけどね」
「違う」
「はい?」
「中野大尉が、小清水の支払いを止めた」
「えっ?」
「代わりに、中野大尉自身が個人的に支払ったという」
「ど、どうして!?」
美奈代はワケがわからない。
何故、中野がそんなことをする?
あの中野が!?
「どうにもお前は……」
二宮は、混乱する美奈代を楽しげに眺めながら言った。
「ああいうタイプの男を虜にする何かがあるんだろうなぁ」
「はい?」
「……知りたいか?」
「は、はい」
美奈代は頷いた。
「あの人が、私を煮て食べるのか焼いて食べるのかは知りませんけど、意図を聞いてから考えます」
「拒絶したとして、二千万どうする?」
「……小清水と天秤にかけます」
「カネで愛する相手を選ぶってのが、お前の魔性だな」
少し、羨ましいぞ。と、二宮は笑った。
「松崎大尉のことは知っているな?」
「ええ」
美奈代は頷いた。
「一昨日、このスーツを買いに行く時、お世話になりました」
「……そうか」
二宮は、美奈代のスーツ姿を上から下まで眺めた後、言った。
「和泉、仕事中にジャケットを脱ぐのは構わないが……」
「はい?」
「白いブラウスを着ているなら、ブラは白かベージュにすべきだな」
「っ!?」
「何のサービスかと思ったぞ?てっきり、誘われているのかと思った」
二宮は、思わず胸を抱えてうずくまった美奈代を眺めながら、意地の悪い顔をする。
「す、透けてますか!?」
「ばっちり」
二宮は、親指を立てた。
「青いブラが透けて見えている。男共が喜んでいただろうなぁ」
「―――っ!じ、ジャケット、とってきます!」
「……まぁ、いい。今更、足掻いたところでどうにもなるまい」
「ううっ。せっかく買ったのに……そういう問題じゃ……」
「話を戻すぞ?松崎大尉と中野大尉の関係は知っているな?」
「同期……ですよね」
「それ以外は?」
「何かあるんですか?」
「……本気で言ってるか?」
「えっ?」
「お前ももう少し、人間関係というものに気を使っていいと思うぞ?」
「はぁ……」
「お子ちゃまのお前にもわかるように話してやろう。つまり、中野大尉は松崎大尉に惚れていた。ところが、松崎大尉が別な男とゴールインしてしまった」
「ああ……そうなんですか?」
「……」
「ざまぁみろというか、あんなに性格が悪い人ですから、結婚なんてしたら松崎大尉が可哀想です」
「……お前」
「はい?」
「松崎大尉が、自分に似ていると思ったこと無いか?」
「ああ……そう言われれば」
美奈代は頷いた。
「ちょっとだけ」
「松崎大尉も驚いていたそうだ。昔の自分そっくりだって」
「……じゃあ、私もあのくらいの歳になったら、ああなるんでしょうか?」
「多分な」
「……それで?」
「中野大尉がどう思ったかは知れないが」
「……はぁ」
「二千万を中野個人で支払ったのは、そういう意味だ」
「どういう意味ですか?」
「……」
「……」
ぽかん。とする二宮の口から、タバコが墜ちた。
「お前……本気でニブいな」
「え?」
「つまり」
ポンッ。
二宮は美奈代の両肩に手を置いて、言葉を句切りながら言った。
「お前は、中野大尉に、惚れられているんだ」
「はぁっ!?」
思わず、美奈代の口から素っ頓狂な声が出た。
「私、絶対にいじめられてますよ!?」
「仕事的にはそうするしかあるまい……だが、個人的感情は別だ」
「ウソだぁ……」
「母親代わりとして、確かめてきたことだ。ただし、条件を私がつけた」
「?」
「二千万払ったところで、お前が美奈代を惚れさせなければ、交際は認めないとな」
「そうなったら?」
「中野大尉は、二千万をフイにしたことになる」
「お気の毒に」
美奈代は手を合わせた。
「天地がひっくり返っても、そんなことないですから」
「と言っておきながら、どう転ぶかわからないのが男と女だ」
「ははっ。大丈夫ですよ♪」
「……なら、そう信じよう」
二宮は真顔になった。
「ところで和泉」
「はい?」
「……月城の件では迷惑をかけたな」
「……いえ。むしろ止められなかったことを申し訳なく」
「やむを得なかった……そう思いたいのは私も一緒だ。あいつに何か考えがあってとな」
「……はい」
「とにかく、ここの所、兵員の不足は深刻化している。そこでお前に相談がある」
「はい?」
「お前―――本気で内親王護衛隊へ来ないか?いや、来て欲しい。私にはお前達が必要なんだ―――どうだ?和泉」
「新型銃火器に関する部材についての報告書です」
美奈代は、作成した書類を中野に提出して添削を受けていた。
―――中野はお前に惚れている。
美奈代は、そのことは意識の外から外そう。そう思ったが、何故か視線が中野から離れようとしない。
富士学校や“鈴谷”にいる粗雑な男達とは違う、清楚な印象を受けるのは、背広姿の男に見慣れていないせいだと、美奈代はそう勝手に自分に言い聞かせようとするが、どうもうまくいかない。
年収は多分……公務員だからそこそこだろうし、能力からすれば、絶対に出世するだろうし、後方勤務だから別に戦死することもないだろうから、生命保険は安全だし、忙しくて帰ってくるのが遅いのも、それって逆に、家事の手を抜いても文句こないって意味では便利だろうし……あ、退職後も恩給が出るのはありがたいよなぁ。
そこまで思考が働いて、ハッとなった美奈代は、自分の考えていたことに狼狽するしかなかった。
わ、私、今、何を考えていたの!?
「……いろいろと忙しいヤツだな」
気付くと、あきれ顔の中野が自分を見ていた。
「赤くなったり青くなったり、どうした?腹でもこわしたか?」
「……いえ」
美奈代は顔をしかめ面にして、目を閉じた。
「何でもありません」
「そうか?」
「それで」
美奈代は訊ねた。
「マガジンポーチを手配した新型歩兵銃というのは、三八式の改良型と判断してよいのですか?通常の5.56ミリ用で」
「いや?」
中野は首を横に振った。
「三八式とは別。前線にはこれ以上、三八式は出さない」
「何故、ですか?」
「改良型がラインに乗るまでの暫定処置だ。妖魔相手に、5.56ミリでは破壊力が低すぎる」
三八式―――三八式突撃自動小銃のことだ。
陸軍での呼称は七八式。
5.56ミリ弾薬を使用する狩野重工製の銃。
1978年《皇紀2638年》に近衛によって制式採用された近衛の歩兵用自動小銃。
この程度のことは、美奈代も座学で習ってはいる。
その銃を前線に出さないという。
「相手が人類なら、こうはならなかったろう」
中野は答えた。
「だが、相手は妖魔だ。5.56ミリ弾では、至近距離からでも小型妖魔を倒すことが出来ないことは、前の戦争でとっくに証明されている」
「まぁ、そう聞いてはいます」
「2、3発の小銃弾を叩き込まれた妖魔が、そのまま自分の方へ突っ込んできたなんて話しはザラだ」
「それで、近衛でも」
「近衛だけじゃない。陸軍と海軍陸戦隊もだ」
「何、装備するんですか?」
「ベースは猟銃―――基本構造は三八式歩兵銃とリー・エンフィールドの合いの子みたいな構造を採用している」
「はぁっ!?」
美奈代は目を点にした。
「猟銃!?しかもなんですか、そのレトロな名前は!?」
「……意外と詳しいな」
「エンフィールドって1世紀近く前の設計ですよ!?今頃、どうして」
「肝心の所がわかっていないな」
中野は席を立った。
「話しが長くなる……三時の間に話をしてやるよ」
「はっきりさせておくべきは」
中野は休憩室でコーヒーを手渡すと言った。
「前線の兵士達が求めているのは、アサルトライフルじゃないってことだ」
「えっ?」
アサルトライフルの定義は二つ。
一つ。アサルトライフルは、短機関銃と小銃の間の威力の弾薬を発射し、かつ、短く小型で単射と連射の切り替え射撃が可能な銃器である。
二つ。アサルトライフルは、軽い反動を持つ特徴があり、このため効果的な連発射撃を300mまでの射程で行う能力がある。この二つだ。
美奈代は首を傾げた。
それで上等じゃ無いのか?
……いや?
「そういえば、猟銃がベースって言ってましたよね」
「覚えていたか?」
中野は目を細めた。
「普段の報告も、それくらい丁寧にやって欲しいものだな」
「余計なお世話です」
美奈代はぷうっ。と頬を膨らませた。
「これでも頑張ってるんですよ?」
「結果が全てだ―――対妖魔戦で求められているのは、そんなチャチな銃じゃない。もっと強力な大口径ライフルだ」
「……威力が小さい。射程が短い。そんな銃はいらない」
「そう。本来的には、お前は他人の意見から、状況を正しく見抜く特性がある。そこを活かすべきだな……参謀とかどうだ?」
「いやですよ」
美奈代は首を横に振った。
「メサイア10騎、20人の命を預かる、その責任だけで胃に穴が開きそうな位なんですよ?何十、何百の命を左右する参謀なんて、冗談じゃありません」
「向いていると思うがな……そのコミュニケーション能力と事務能力の致命的欠落さえ何とかすれば」
「……社会人として失格ってことじゃないですかぁ」
「泣くな。
とにかく、対人を目的とした弾薬では役に立たない。
妖魔に有効だとして大型の狩猟用ライフルを装備した部隊は世界中に存在する。一部では既に12.7ミリ対物ライフルの標準化を進めている所さえある。規格は9ミリだ」
「9ミリ?拳銃じゃあるまいし」
「そうだ。人間相手にはオーバーキル。普通なら対物ライフル指定だ。だが、そんなものでもなければ、やってられんというのが現場の本音だ。無論、そんなもの自動小銃化してフルオートでぶっ放すとしたら、重機関銃を小銃化するようなもので、とてもじゃないが、射手も銃も耐えられない。セミオートも危険過ぎる」
「で、ですよね」
美奈代は、銃が暴発する光景を想像してぞっとした。
「だから、機関部を含めて部品数わずか8点の、昔ながらのライフル銃となったわけだ。なお、部品数の少なさは、整備の上でも生産コストの上でも、そして耐久性を高める上でも全てにおいて強みになる。問題はその反動だが……」
「M14でも苦労する所です。反動は相当なはずですよ?」
「基本は塹壕に籠もっての防衛戦だ。乱射しながら突撃するバカは想定外だ」
「……ああ」
ポンッと、美奈代は手を叩いた。
「それで大口径の銃が採用出来るんですね?」
「四式対妖魔歩兵銃……略して四式歩兵銃だ。歩兵隊は、これと重機関銃が頼みの綱だ。メサイア隊にいれば、そんなことは関係ないか?」
「まさか」
美奈代は首を横に振った。
「阻止任務に失敗したら、私たち、そういうので蜂の巣にされるでしょうね。きっと」
「……なぁ、和泉」
「はい?」
「お前、本当に参謀課程に進む気はないか?教官には知り合いがいる。俺のコネがあるから、お前さえその気なら、後方に下がれるぞ」
「……ははっ」
美奈代は、突然噴き出すと笑い出した。
「―――何がおかしい」
「す、すみません……なんだか、今日はモテるなぁ。私って」
「?」
「二宮教官……大佐からは、内親王護衛隊の小隊長任せたいっていわれるし、中野大尉からは参謀ですか?」
「……お前はまだ若いし、可能性がある」
「誰だってそうです」
美奈代は真顔で言った。
「誰だって未来はあるし、可能性もある。誰一人だって、戦争で死ぬために生まれてきたはずがないんです」
「……」
「私はもう既に1個中隊を預かっています。その責任を投げて逃げるつもりはないです。内親王護衛隊にしろ、参謀養成課程にしろ、そんな私個人の軍人としての将来は、平和な時代でも私が軍人として必要とされるなら、その時ゆっくり考えます。
今、私は独立駆逐中隊前衛隊長としての自分以外の立場なんて、考えたくありません」
「その割に辞めてやるとか、いろいろと喚いているのは何故だ?」
「……意地悪」
「ふん……」
中野は席を立った。
「明日までだな。ここにいるのも」
「……早いものです」
美奈代もコーヒーカップをゴミ箱に捨てた。
「あっという間でしたね。騎体の改修もほぼ完了して、明後日にはロールアウトするそうです」
「……そうか」
中野は休憩室のドアを開きかけて、何かを躊躇ったように天井を見上げた。
「……和泉」
「はい?」
「記念にメシでもおごってやろう。なにがいい?」
「……フ」
「フランス料理のフルコースってなら、テーブルマナーの講習込みだぞ?」
「フ……」
「フ?」
「……ふぐ」
「食べられるのか?」
美奈代は無言で首を左右に振ると、無言で考え込んだ。
ふ
麩?
麩料理ってあるの?
っていうか、麩って何?
ふ?
フ?
どうしても料理が思いつかない美奈代は、そのまま眼をつむって考え続けた。
うーん。
イタリア料理にしておけばよかったかな?
和食だったら、箸の使い方から怒られそうだし……。
「……?」
その瞬間、美奈代は、奇妙な感覚を肌の一部に感じた。
唇だった。
何かが、軽く、だが、少し荒く触れた。
「?」
驚いた美奈代が目を開くと、中野がドアから出ようとしていた。
「……あの?」
今の、何ですか?
そう訊ねようとした美奈代に、中野が言った。
「文句は飯の時に聞いてやる」
小走りにドアをくぐった中野。
唖然とする美奈代の前で、ドアが静かに閉まろうとしていた。
「……」
そう。
唇に感じたあの感触は……。
涼とは違う。
あんなに優しく、そして甘くない。
重ねるだけでくすぐったくなるほどの安堵感はない。
宗像も、あんな感じじゃなかった。
あんなに甘美じゃない。
脳天から狂わせる情熱さはない。
強いて言えば……。
誠実。
美奈代の脳裏に浮かんだのは、そんな言葉だった。
ウソも裏もない。
ただ、自分を思ってくれる誠実な思いだけが伝わってきた。
それは―――ただの唇同士の接触に過ぎないはずなのに、いろいろと考えることがあるものだなぁ。
そんなことを思う自分がおかしくさえあって、苦笑が漏れた。
美奈代は、自分が初めて異性とキスしたことを、この時点では全く気付いていなかった。




