嵐の前 第二話
「問題はですね?」
秋山紀子陸軍大尉は、支給されたてのブーツの爪先に泥がつくことを気にしながら、後ろを歩く男に言った。
「一般論としては、密集して突撃してくる小型妖魔達を、どうやって食い止めるか―――だと言われていますが」
坂道を登り切った辺りで、紀子は足を止めた。
坂道の向こうは、広く開けた盆地が広がり、紀子にとっては教え子達に当たる戦車兵達が、竹刀や精神注入棒を振りかざす下士官達にどやされながら、必死に戦車を操縦している。
「……どう思います?」
寸分の隙もなく着こなされた軍服の胸には、磨き抜かれた戦車兵と教官の徽章が輝いている。
スーツを着せれば、どこかの事務員の女性で通りそうな程、温和な顔立ちなのに、その首から下の厳めしさは、違和感を通り越して、彼女という存在を違うものとして形作っている。
―――すっ裸を是非拝んでみたいもんだ。
くわえタバコの男は、紀子の形の良い尻を眺めながら、ぼんやりとそんなことを考えていたので、紀子の質問を見事に聞き逃した。
「えっ?」
「失礼―――聞こえませんでしたか?」
「いやぁ……すみませんねぇ」
ポリポリと頭を掻いたのは後藤だ。
「いえ……小型の妖魔を喰い留めるために、一番大切なのは何だと思うか。そうお訊ねしたのです」
「さて……」
後藤は首をかしげた。
「何でしょうね」
「簡単です」
紀子はニコリと笑って答えた。
「兵士を逃がさないことです」
「……妖魔じゃなくて?」
「ええ。訓練されたベテランでさえ、妖魔の集団突撃の前には戦意を喪失しそうになります。新兵は恐慌を来し、武器を捨てて塹壕から逃げたそうとする始末」
「そいつぁ、無理もないでしょう。俺も兵隊の立場だったら、ケツまくって逃げますよ―――秋山さんに後ろから撃ち殺されるでしょうけど」
「逃げることが出来ると思っているだけで、彼等は前線を知らないのです」
紀子は苦々しそうに言った。
「一人か二人、敵前逃亡の見せしめだって殺したところで、そう簡単に逃げ足が止まるものでもなし。塹壕を乗り越えた妖魔達の餌食になるのがオチです。塹壕に踏みとどまった戦友達―――彼等が見捨てた仲間が命と引き替えに、彼等に与えたものは、死ぬ時間がほんの少しだけ遅くなるだけ―――その場に踏みとどまれば、仲間と共に生還出来たかもしれないというのに」
「ご立派ですなぁ」
後藤はタバコをくわえたまま、ニヤリと笑った。
「俺も部下に死ねと命じることはあっても、そこまでやったことはない」
「理想論ですよ?」と、紀子は笑った。
「私は戦車兵ですもの。戦車兵の拳銃は、自衛じゃなくて自決用です」
「その若い頭を、自分で吹っ飛ばす?もったいないお話で」
「そうなりたくないから、そして、歩兵達を一人でも助けるために、戦車部隊も苦労はしているんです」
再び歩き始めた紀子は、整然と並ぶ戦車の前を、まるで閲兵する将軍のように誇らしげに胸を反らせながら歩き続ける。
「陸軍の防衛方法は簡単です。妖魔の攻勢が開始され次第、航空隊による阻止空爆を開始。その次に、砲兵隊による阻止砲撃が入ります。
そこまでの阻止攻撃で停止しない場合、地雷原が待ち構えています」
「そこで止まりそうな気がするんですけどね。普通は」
「平均して、ここまででの敵の脱落率は3割止まりです。敵も知っているもので、最近では、地雷原に対する事前砲撃が頻発しています。
―――さて、ここからが戦車部隊と歩兵の仕事なのですが」
メサイアを計算に入れていないことを、後藤は黙っていた。
「中型以上は105ミリ砲搭載型の八式戦車で、それ以下は、30ミリガトリング砲搭載の八式対空戦車により基本的に十字砲火をもって敵に当たります。
無論、それだけでは阻止攻撃としては不足ですので、十字砲火ポイントを突破した敵に対しては、歩兵部隊による12.7ミリ以下の重機関銃以下の攻撃が穴を埋めます」
「その時点での、敵さんの脱落率は?」
「約7割。この辺で撤退を決めてくれるケースも、以前は多かったんですが」
「敵さんも意地があるんでしょうかねぇ……残り3割は?」
「……神様にお祈りした方が早いでしょう。航空機によるナパーム、クラスター爆弾による、陣地ごとの“焼却処分”によって、第二防衛線、もしくは第三線への浸透を阻止します」
「味方の損耗率の方が高いでしょう?それ」
「……ええ」
紀子は頷いた。
「ですから、こちらも戦法を変更し、そして、武装も変えました」
「ほう?」
「……笑って下さって結構ですよ?」
紀子が指さしたのは、後藤が見たことのない戦車―――否、戦車らしき物体だった。
まず、105ミリ砲を搭載した八式戦車の横を走るそのサイズが問題だ。
びっくりする位小さい。
トラックの横を走る軽自動車を思い出したが、ほとんどそんなサイズだ。
そして、搭載している砲身も細い。
あれは―――砲と呼ぶには細すぎる。
「何ですか、あれ」
「TKSです」
「TKS?」
「かつてポーランドが開発した、同名の戦車を参考にしたことからついた名前です。よくも悪くも豆戦車―――まあ、戦車とは名ばかりの、移動式トーチカですけどね。
我々は、マメタンの愛称で呼んでいます」
「役に立つんですか?」
「軽自動車にキャタピラと機関砲を搭載したようなものです。操縦はその辺のフォークリフトを参考にしている分、操縦は数時間もあれば誰でも出来ますし、武装もメンテナンスが簡単な機関砲1門だけ。照準合わせて引き金引くだけです。
……その反面、我々の定義するマトモな装甲はないですけどね」
「え?」
「というか、妖魔の攻撃をマトモに装甲で止めたければ、メサイア並の手の込んだ魔法防御を取り入れることでもしないと……残念ですが、最新鋭の10式戦車の正面装甲でも下手すれば貫通されます」
「じゃ、ありゃ棺桶」
「口が悪いですねぇ」
紀子は睨むような目をしたが、すぐに苦笑を漏らした。
「戦場に棺桶持参で向かうのが戦車兵って皮肉は知ってますよ?そのために、本来のTKSにはないシュルツェン―――ドイツ語で“エプロン”が取り付けられています」
「単なる薄い装甲板でしょう?」
「そうです。相手が実体弾を用いてきたら、気休めにもなりません。ですが」
紀子はニヤリと笑った。
「魔族軍の弓矢攻撃は、実際の所、戦車砲で言ったら成形炸薬弾とほとんど同じ―――ですから、弾頭先端部―――ようするに鏃が装甲に命中すると、ほぼ直ちに成形炸薬弾の弾頭と同じように爆発現象が発生し、その際に投射されるメタルジェットに類似した魔法効果が襲いかかってきます。
この攻撃の焦点は20から40cm先で収束され、侵徹力が最大となるように調整されていることが、膨大な犠牲を調べた結果判明しました。
我が軍は、その原理を逆用して、シュルツェンを車体から50cm程度離して装着しています。素人目には不安かも知れませんが、実はあれはあれで、下手な装甲より信頼性が置けるんですよ?」
「……見えませんなぁ」
「ですよね」
紀子は苦笑した。
「正面装甲は、FRPと鋼板を接着剤で幾重にも貼り付けた防弾装甲で、一応、自動小銃弾の直撃にも耐えられるようには出来ています。もし、何かの間違いで、鏃がシュルツェンを貫通しても、物理的には中の乗員達の生命は守ることが出来ます」
「本当に気休めですなぁ」
「メサイアや飛行艦に乗られている方にはそう見えるでしょうが、生身で塹壕に潜っているよりは気楽ですよ?」
「……成る程?」
「時速35キロで移動可能な歩兵直協兵器です。25ミリは歩兵にとっては大口径ですからね」
TKS 二〇式軽戦車《別名:マメタン》
全長3m
全幅1.8m
全高1.4m
重量2.5t
速度 35km/h
装甲 10mm
武装 九九式九号 25mm 機関砲1門
乗員 2名《車長兼砲手・操縦手兼装填手》
「25ミリともなれば、歩兵が担いで移動するだけで一苦労です。遅いとはいえ、自走するに超したことはありません。
八式対空砲は、給弾トラックと連携しないととてもではないですけど、弾薬の消費に補給が追いつきませんからねぇ」
「歩兵の受けは?」
「いいですよ?25ミリの弾幕は、端から見ていれば決してバカにはなりませんよ?数と戦い方さえ間違えなければ、このマメタンでも十分やれます。部隊によっては、20ミリを降ろして、12.7ミリ重機関銃を2門据え付ける現地改造している部隊もある位で」
「……へぇ?」
「小型で塹壕も簡単なもので済む上に、修理も簡単ですからね。
被弾して擱座したり、25ミリ機関砲が使いモノにならなければ、12.7ミリでも載せて、後は土嚢でも載せてやれば、即席トーチカの出来上がりですし」
「歩兵の本領ってヤツですか……」
後藤は肩をすくめた。
「ヤダヤダ……俺にゃ出来そうもないねぇ。何しろ、俺は戦争大嫌いだから」
「私だってそうですよ?」
紀子は笑って言った。
「ですから、近衛のメサイアさん達には頑張っていただかないと」
「……ですな」
後藤は頷いた。
「で?問題はここから先だ」
その顔は真顔だった。
「休みボケした頭で、一番最初に、しかも、いままで以上に派手に殴り合うだろう場所が、この先だと聞いたもんでね」
「ええ……我々は“セダン・ライン”と呼んでいます」
「セダン?」
「フランスの地名です。昔、ドイツが侵攻した際、フランス軍機甲部隊が最大の阻止地点として指定した土地の名前をとりました」
「何でまた」
「簡単なことです」
紀子は軽く肩をすくめた。
「これまで、そこに陣取っていたのがフランス軍で、我々は彼等の勝手につけた呼び名を、そのまま引き継いだだけのことです」
「手抜きなんですかねぇ。何と言うべきなんですかねぇ」
「呼び名なんてどうでもいい。というのと、“カッコイイからいいんじゃね?”的なのと、私も判断が出来ません」
紀子は、戦車部隊の端に止まっていたウィルス・ジープの運転席に乗った。
「現地までご案内しますが?」
「―――よろしく」
後藤は助手席に乗り込んだ。
「地形的には」
よく揺れやがるな。
後藤は、クッションのないシートに尻を叩かれる感じがして、顔をしかめた。
爆撃でガタガタになった道もだが、そこを容赦ないスピードで走りまくる紀子の運転の荒さもひどいものだ。
「二つの丘陵を抜けた平地部を主戦場と想定しています。地形はご存じですね?」
「地図は見てきましたがね」
風の音と、エンジン音で、耳元で大声でもあげなければ聞こえたものではない。
不意に止まったのは、トラックの車列にぶつかったからだ。
どうやら、路肩が崩れた所にトラックが巻き込まれたらしい。
横転したトラックから物資を運び出す兵士達の姿がみてとれた。
「工兵達がすぐに直すでしょう」
紀子は平然と答えた。
「こういうのは慣れている?」
「ええ―――スポーツカーってのが、別世界の乗り物だと思えるくらい」
「……ですか」
「動き出す前に、おさらいしておきましょうか」
紀子は、図嚢から地図をとりだした。
「理屈は簡単です。敵は静岡側に布陣しています」
「問題は」
後藤は地図を火の付いていないタバコでなぞった。
「敵さんが、予想通りに丘と丘の間をくぐってくれる保証が無いことだ。ここを通ってくれなければ、大きく迂回された挙げ句、側面を叩かれる」
「そのための戦法も考えてあります」
「へぇ?」
「まず、丘と丘―――我々は、“肉まん”と“豚まん”と呼ぶ二つの丘の前に、少数の兵を出します。そこに布陣しているものと、魔族軍に思わせるためです」
「うん」
「魔族軍はセオリー通りの動きを基本としています。つまり、砲撃がやってくる。そこで我々は、砲撃により損害を被ったと擬装して、後退する。
魔族軍の先陣が陣地を攻めた時には、陣地はもぬけのカラ」
「……で?」
「魔族軍はそのまま追撃戦に入る。そこを双方の丘に潜めていた部隊によって待ち伏せによる挟撃をかける。
敵が混乱する間に、この部隊を後退させ、補給と整備を実施。
敵が混乱から復帰して、再び攻め込む前に、最初に戻って―――その繰り返しにより、敵を消耗させると同時に、敵の主力を、イヤでも丘と丘の間。そして、その先の主戦場へと引きずり出す」
「敵もバカじゃない」
後藤は真顔で答えた。
「偵察くらいはするはずだ。事前に、丘を抜けた先に陣地があって、敵が待ち伏せしていることはわかるはずだ」
「わかってなお、意地でも魔族軍がこちらを通らせる方法も用意しています」
「……」
後藤は地図を見て、そしてなぜかタバコで地図上の距離を測るような仕草をした。
「……海軍か」
「海軍の戦艦部隊、そしてロケット船団が洋上に展開。迂回しようとすれば、一方的に叩かれるだけです」
「いっそ、陸軍も敵を誘い出すだけで済ませて、叩くのは海軍に任せたら?」
「そうはいきません」
紀子は驚いた様子で答えた。
「陸軍にもメンツというものがあります!」
「メンツ……ねぇ」
「というか」
紀子は肩をすくめた。
「地形的に海岸方面、つまり、迂回路は地形的な障害物が多くて」
「障害物?」
「崖とか」
「……ああ」
「大型妖魔の侵攻には不向きなのです。ですから、せいぜい迂回路に投入できるのが中型以下の妖魔になる。なら、罠は承知の上で、魔族軍はこっちに来るというのが、我々の読みではあります」
「そう都合良く、行って欲しいねぇ」
「でなければ困ります」
紀子は答えた。
「それに、これはすべて、敵が純粋に妖魔だけだった場合の話です。メースが主力だった場合……」
「問答無用で地雷原吹っ飛ばしながら来るかな?陸軍の役目はない……か」
「そのために、あなた方に協力を求めたのです。後藤中佐」
「まぁ……損害を抑えるって意味でも、俺達の投入が一番利口っちゃぁ、利口だなぁ」
「ですよね?」
この女、こうやって笑うとガキみたいだな。と、後藤は思った。
なんて無邪気に笑いやがる。
「メースを引っ張り出す危険性も高いですけど、ジープ程度でどの程度が動いてくれるかは、自信がありません。反面、メサイアなら、敵も本気になるでしょう」
ニヤリ。
紀子は口元に嫌な笑みを浮かべた。
「敵を本気にさせるためにも、敵にとって、本気になるしかない存在が囮になっていただけると、大変ありがたいのですが」
「ダミーでつくっておこうか?ウチの整備兵共は、そういうの、得意だぜ?」
「その辺の裁量はお任せします。我々としては、ここで敵を喰い留め、反抗のきっかけを作れれば、それでいいのです」
「……」
後藤は、頭をポリポリと掻いた後、答えた。
「見返りは?」
「諜報4課からリークされた情報です」
紀子が図嚢から引っ張り出した封筒を後藤に手渡した。
「……へえ?」
封を切って、中の書類を読んだ後藤は下品な口笛を吹いた。
「こいつぁ……面白いけど……」
最後のページで指が止まった。
「途中まで……かい」
「協力いただければ、全ての書類を、そして後藤中佐は」
その笑みは、冷たく、血の気が通っているとは思えない何かがあった。
「陸軍諜報部にも強いネットワークを持つことになる」
「俺がどう動くかは」
トラックの車列が動き出した。
「後々連絡しよう」
「期待してますよ?」
紀子は、そっと後藤の手をとると、自分の太ももに乗せた。
「ご褒美は個人的にもさしあげてよろしくてよ?」
「これはこれは♪」




