ほんの些細な事故
騎体暴走―――。
本来、騎士やMCによって厳重にコントロールされているはずのメサイアが、その制御から逸脱したことを示す言葉。
本来、あってはならない事態を指し示す言葉で、類似するような例を強いて挙げるとしたら、自家用自動車がドライバーのコントロールを離れて暴走し続けるようなものだ。
このような事態に陥ること自体が極めて希で、世界的に《公表されている限り、だが》、この事態に陥ったメサイアの記録はない。
記録がない以上、発生したことがなく、それはつまり、こういう事態に陥った場合への対処方法を誰も知らない。ということにもなる。
今、この管制センターに居合わせたのが、メサイア開発専門家集団である近衛開発局や狩野重工のスタッフなら、まだどうにかなったかも知れない。
しかし、この場に居合わせているのは、メサイアという兵器の内部については素人同然の、付属武器開発に初めて携わったばかりという、光菱重工のスタッフであったのが、ある意味で幸いし、そしてある意味で、不幸を生み出す元凶となった。
「主任、ど、どうすれば!?」
「本社、問い合わせますか!?」
「近衛への通報は!?」
右往左往するスタッフの中、一人冷静なのは神宮司主任ただ一人。
じっ。と、“D-SEED”への攻撃を止めない“幻龍改”を睨むように見つめながら、思案していた神宮司は、真顔で小さく頷いた。
「―――佐藤副主任」
「はっ!?はいっ!」
神宮司の後ろでオロオロしていた小太りの中年男が、はげ上がったバーコードのような頭だか額だかわからない辺りをハンカチで拭う手を止めた。
「“ケース13”を適用します」
「ケース……」
佐藤は、しばらくバカのようにポカン。とした後、そのポケットからメモ帳を取りだした。
「えーと……ケース13……あ、これだ」
会議の際、極秘と指定された内容をメモで残していたのか!と、神宮司は一瞬、怒鳴りつけようとして深呼吸したが、それはやめておいた。
佐藤は、自分でメモしていた内容を見て、真っ青になった。
「ま、まさか!?しゅ―――」
「責任を取りたいというなら、止めないわよ?」
神宮司は佐藤の言葉を遮り、たたみかける様な早口で言った。
「家族のことを考えなさい。路頭に迷いたいの?」
「……しかし」
「何度も言わさないで」
「……私は」
佐藤は答えた。
「一光菱の社員に過ぎません」
「……上手く逃げたわね……通信を全てカットしなさい」
「了解―――太田、主任からの命令だ。通信カット」
「はいっ!?」
通信装置で千鶴を呼び続けていた若い技師がギョッ。とした顔で振り向いた。
「な、何言ってるんですか!?佐藤さん!?」
「状況を説明なさい。佐藤」
「は、はい……つまりだな。太田君。」
佐藤は答えた。
「訓練中にテスト騎との間で“何らかのトラブル”が発生。一切のデータリンクが停止。通信もつながらない中、現状の事態が発生した―――つまり、“そういうこと”だよ」
「そんな!」
「―――何か?」
椅子を蹴って立ち上がった太田を威嚇したのは佐藤ではない。
神宮司だ。
ジロリ。
その睨み付ける様な眼力は半端ではない。
男社会の中における苛烈な競争を生き延びてきたキャリアとしての自負が、強い力となって相手を射すくめるのに十分すぎる。
それは、大学院から研究畑だけを歩いてきた理系の純粋培養品に過ぎない太田という若い男に太刀打ち出来るシロモノではない。
ゴクッ。
下手なホラー映画よりずっと迫力のある場面に遭遇した太田は、自分の飲み込む唾の音が嫌に大きく聞こえた。
「この事態は、光菱として責任の負える範囲での出来事ではない―――そういうことよ」
「ぐ、具体的な指示を下さい」
「自分で考えなさい。指示待ち族は出世出来ないわよ?この光菱の技師として生き延びたければ、自分が今、何をすべきか、自発的に考えなさい」
「……田村、水樹、通信ログを削除しろ」
太田は通信装置のログを開きながら言った。
「データリンク、交戦開始から全て消去だ。データを上書きするんだ」
「主任、パスワードを教えて下さい。改編したプログラムを消去します……いや」
佐藤は、ハッとなって首を横に振った。
「HDを物理的に破壊します。志村、ハンマー持ってこい」
「はいっ!」
―――おかしなものだ。
神宮司は、内心で腹を抱えて笑いたかった。
誰一人、自分の研究成果に責任を持たない。
欲しいのは自分の保身だけ。
それが、企業社会における男だ。
なんて無責任で、有害な存在だろう。
ここで、身を挺してでも研究成果を守ろうという気骨のある漢はいないのか?
いるものか。
もし、そんな奴がいたら、私はこの場に、この立場では存在していないはずだ。
「……さて」
神宮司は、ポケットから一本のキーを取りだした。
「始末だけはしてあげるとしましょうか」
「天儀っ!離れろっ!」
「お姉様、狙撃の許可を!」
「狙えるのか!?」
「HMCだと、“D-SEED”を巻き込みます。でも、寧々ちゃんなら」
寧々騎の狙撃砲は実体弾。
大型ビーム砲であるHMCでは“D-SEED”を巻き添えにする恐れが高いが、狙撃砲なら“幻龍改”だけを狙うことも可能だ。
「鬼龍院中尉、頼む」
美奈代は斬艦刀を準備しつつ、寧々に言った。
「腕を狙えるか?」
「……左腕なら」
「やってくれ。命中と同時に私が飛び込む」
「はい」
「涼―――攪乱のため、煙幕弾と攪乱膜弾の支援をくれ」
「了解!芳?」
「わかった!」
「どうするんです?」
「“D-SEED”は擱座―――下手をすれば」
美奈代が“死乃天使”を一歩歩かせたのはその時だ。
ギインッ!
“幻龍改”が擱座した“D-SEED”を突き飛ばすと、その背後から抱きかかえ、“死乃天使”の前に立ちはだかった。
「ちょっとぉっ!?」
美奈代が素っ頓狂な声を上げたのは無理もない。
これではまるで刑事ドラマの人質と犯人だ。
背中からコクピットめがけて短剣を突き立てられれば、祷子は無事では済まない。
「あの子、何考えてるのよ!」
「ですから」牧野中尉が言った。
「あの子は気絶中。ちなみに騎体は暴走中」
「こりゃ……本当に厄介な話ですね……後藤隊長に説得してもらうように頼みますか?」
「いくらあの人でも、暴走する機械相手に説得が通じるとは思えません」
「……無理、か」
「無理、です」
「鬼龍院中尉。狙撃位置変更。膝を狙え」
「膝?しかし、下手すれば、“D-SEED”へ当たります」
「損傷が一カ所位、増えても問題ないだろう?」
「―――コクピット以外のダメージは不問に付す、そう判断します」
寧々は頷くと、射撃モードを精密射撃に切り替えた。
“幻龍改”の一部に不可視レーザーを照射したのは、寧々の判断だ。
目視だけの射撃だけでは不安。
それだけの理由だ。
他意はない。
しかし―――
「“幻龍改”より発砲っ!」
「なっ!?」
“幻龍改”の背中から白煙が立ち上った。
「―――ロケット攻撃?」
「弾数4、弾道、こちらへ向かってきますっ!」
「小清水少尉!」
「任せてっ!」
涼騎と芳騎が、それぞれ左手に構えたビームライフルを発砲。
ほとんど水平弾道で襲い来るロケット弾が空中で破壊された。
「―――またっ!?」
寧々達が驚愕したのは、そのロケット弾の爆発した空間での変化だ。
白煙が濛々と周囲を包み込む。
弾頭が通常弾頭ではなく、煙幕だったという証拠だ。
「まずっ!」
煙幕が邪魔で、視界が奪われるのと同時に、レーザー照射が出来ない。
「一体、どういう!?」
「中尉、教えて下さい!」
狙撃不能の報告を受けるより前に、美奈代は“幻龍改”へめがけて襲いかかった。
はっきり、バクチに近い。
本当に“D-SEED”を人質と判断しているなら、この突撃が、祷子を殺す。
しかし―――単なる脅しや楯のつもりなら?
美奈代は、後者だと、自分に言い聞かせた。
単なる脅しだと、そう決めつけることにした。
でなければ―――何も出来ない!
「あの騎は一体、誰が動かしているんですか!?」
「MCの発言が正しければ」
牧野中尉は狼狽しきった声で答えた。
「自立動作しているだけです」
「自立?」
「OSが、ケース・バイ・ケースで適切と判断した戦闘記録を再現することで動いているんです」
「何ですか?こんな戦闘経験があの騎に?」
「他の騎、例えば、あなたの戦闘記録もデータとしてフィードバックされているかも」
「私、あんな卑怯なマネはした覚えが!」
「……静岡でメースを楯にした覚えが2、3件」
「……何の話ですか」
「都合の悪いことは忘れるって、よくないですよ?」
「と、とにかく、あいつを潰します!」
「そうですね!」
“幻龍改”から内蔵MLが飛来。
美奈代は“死乃天使”のシールドで数発をまともに受けた。
強い衝撃が疑似感覚として腕に鈍い痛みを産む。
対MLコーティングが限界を迎えないことを祈るだけだ。
「天儀ぁっ!」
「……は……はっ!?」
突然のことに半ば気絶していた祷子は、その怒鳴り声でようやく目を覚ました。
目前には自分めがけて襲い来る“死乃天使”。
「脚上げろっ!」
「脚?」
祷子は、斬艦刀を八相に構える“死乃天使”の意図を即座に読んだ。
「はいっ!」
突撃した“死乃天使”は、“幻龍改”とまともに組み合うことはしなかった。
突撃速度を決して緩めることなく、ギリギリの位置を突き抜けた。
ザンッ!
すれ違い様、2騎の間でそんな音が生じた。
“幻龍改”に抱き上げられた格好の“D-SEED”。
その脚が地面から水平に伸ばされている。
“死乃天使”の斬艦刀は、その下をくぐって“幻龍改”の左膝を切断した。
ズズンッ!
片脚を失った“幻龍改”は立っていることが出来ず、その場に“D-SEED”と共に崩れ落ちた。
「仕留めたっ!」
“幻龍改”がひっくり返るようにして倒れたのを確認した美奈代は、空中でターンすると“幻龍改”に再び近づいた。
覆い被さるようにして倒れた“D-SEED”が邪魔で反撃できない“幻龍改”が必死にもがいている姿は、ある意味で滑稽でさえある。
「このまま、天儀と一緒に串刺しにでも」
「化けて出ますよ?あの人、絶対」
「……やめておきましょう。天儀、生きてるか?」
「今、殺そうとしたでしょ」
「気にするな。選択肢の一番目に来ただけだ」
「それって、いいことなんですか?」
「ああ。生理と陣痛と痔が一緒に来た位な」
「……後ろ二つがわかんないんですけど、悪意は感じました」
「脳みそが人並みに戻ったか?」
「……後で殴って良いですか?」
「ダメだ。そのまま動くな。というか、動けないか」
「……です」
「和泉騎より福沢中尉。脱出は可能ですか?」
「こちら穂村騎福沢。だめです。脱出不能」
「外部から強制脱出を試みます。天儀、最悪の事態に備えて、脱出準備。復唱」
「福沢了解」
「天儀了解」
「というわけで」
“死乃天使”に片膝をつかせた美奈代は、コクピットハッチを開きながら言った。
「牧野中尉、後、お願いします」
「動作中の騎です。危険ですよ?」
「誰かがやらなきゃいけないことですし」
美奈代は、通信モニターの向こうへむけて、小さく笑って見せた。
「……ご武運を」
火山灰を含む粘りけのある土に足をとられるながら、美奈代は“幻龍改”の腰に近づいた。
「ジタバタしないでよ」
2騎のメサイアが重なり合っている。
その高さだけで10メートル近い。
重量に至っては数十トン単位だ。
これが少しのバランスを崩しただけで、自分に崩れ落ちてくると考えるだけで、正直、足がすくむ。
しかし、美奈代は部隊長であり、ここで、“これ”が出来るたった一人の存在だ。
美奈代は自分に立場を言い聞かせ、勇気をふるって“幻龍改”の腰部装甲に近づくなり、その装甲をよじ登った。
「……これだ」
よかった。
美奈代は、ホッ。と胸をなで下ろした。
“幻龍改”と“D-SEED”。
それぞれの装甲の隙間は、実際には美奈代が入るギリギリの幅しかない。
しかも、両方の騎体は動いている。
動作中の工作機械の中に入り込むのとほとんど変わらない危険を冒しながら、美奈代は、その隙間に入り込み、“幻龍改”の手動脱出装置のカバーを開いた。
カバーが歪んでいたら、もうアウトだった。
しかし、カバーは生きている。
中の装置も無事だ。
―――内部からの脱出が困難な場合がある。
主に、ハッチが歪んで内部の脱出装置を作動してもハッチが飛ばないケースがほとんどだ。
その場合、ここの脱出装置を使用すると、ハッチ周辺の装甲を爆破ボルトで吹き飛ばすことが出来る。
美奈代は、富士学校時代のこと。そして、アフリカでこれを使用したことを思い出した。
脳裏に浮かぶのは、脱出装置の操作方法を教えてくれた二宮教官の顔であり、染谷の顔だった。
しかし、その染谷の顔を忘れかかっている自分に気付いた時、美奈代は少しだけ自分の心境の変化に驚いた。
染谷。
脳裏に浮かんだその名前そのものが、ひどく昔のことにさえ思えてしまう。
―――いけない。
そんな感傷に浸ってる場合じゃない。
美奈代は脳裏から染谷の顔を追い払った。
恋人。
そう呼ぶべき相手の顔を、そうもあっさりと忘れることが出来る自分の心境を顧みる余裕は、美奈代にはない。
暗証番号を入力―――本来、一部高級幹部しか知らない共通番号を何故二宮が知っていたかは知りたくない。
とにかく、パスワードが変更されていたらもう終わりだ。
美奈代は祈るように決定キーを押した。
ピーッ。
心臓に悪すぎる音が響き、パスワードが通った。
「やった!」
思わず歓声を上げた美奈代は、その場でガッツポーズを取ろうとして後頭部を見事に装甲にぶつけてのたうち回った。
「痛ぁぁぁぁぁっっっ!!」
目からボロボロ涙が出る。
「痛いけど……」
美奈代は、その場から這うようにして逃げ出した。
「とにかく、潰されるよりマシよね」
胸部ハッチが吹き飛んでも尚、“幻龍改”は動きを止めない。
しぶといにも程がある。と、美奈代は呆れつつも、その暴れる“幻龍改”に飛び乗った自分も、結構しぶといな。と苦笑するしかない。
ハッチのあった部分は、機材、特に操縦に関するSTRシステムがむき出しになっている。
「福沢中尉……聞こえますか?」
「はい。ハッチ、飛びました。すでに脱出しています」
「“死乃天使”へ移動して下さい。牧野中尉、回収を」
「了解。感謝します」
「了解―――福沢中尉」
牧野中尉と福沢中尉の通信を聞き流しながら、美奈代はSTRシステムの中でぐったりしたままの千鶴を起こそうと、頬に手を伸ばした。
「……」
いや。
このまま、眠らせたまま、運んだ方が楽だ。
そう思ったのは何故かわからない。
とにかく、美奈代は千鶴を抱きかかえると、“幻龍改”から離れた。
同じ頃。
「やめて下さいっ!」
管制センターでは一悶着起きていた。
「それだけは!」
佐藤と太田が押し問答になっていたのだ。
「何を恐れている」
異様に興奮した佐藤が血走った目で太田を睨み付ける。
「データは処分した!残るデータは、あの騎体の中だけだ!」
「二人、あそこにいるんですよ!?」
「知ったことか!」
佐藤はついに太田を突き飛ばした。
「私には娘が二人いるんだ!私にとって守るべきはあの二人だ!」
「佐藤さん、気が狂ったんですか!?」
縋り付く太田を止めたのは周囲だ。
「放せっ!佐藤、田村!?お前らっ!?」
「これは事故だよ―――太田君」
「水樹、お前!?」
「副主任、さっさと終わらせて下さい。僕、夕方には見たいアニメがあるんです」
「言われんでもさっさと終わらせてやるさ」
半透明の黄色いカバーのついたボタンを、佐藤は何の躊躇いもなく押した。
その背後で、神宮司がせせら笑っているのを咎める―――いや、気付いている者はいない。
保身のため。
家族のため。
皆のため。
そして―――会社のために。
佐藤は、そのボタンを押した。
スクリーンの中で、“幻龍改”が大爆発を引き起こしたのは、その直後だった。




