グリュックシュヴァイン 第二話
●東京 天原骨董品店
「随分と」
神音は苦笑混じりに言った。
「混乱しているみたいですね。全てが」
「はい」
ユギオは頷いた。
「もうグッダグダです。どうしていいのか助けてほしい位ですよ」
「休戦協定が成立して、補給しやすくなっているのは事実ですけど?」
「魔族軍は再編成が急ピッチで進んでいます。義勇軍の正規軍編成も順調」
「本当に、順調なんですか?」
「兵士達の“選抜”がかなり効果を示しています」
「ものは言い様ですね。普通なら“無能は粛正する”程度の表現は使います」
「ははっ……私は、あなたのそのはっきりした所が気に入ってます」
「それで?北米におけるヴォルトモード卿封印の件、どうなっているのです?米軍は封印の洞窟を反応弾の貯蔵庫として使用しているとか?」
「はっきり、難攻不落と言いたいところですが」
ユギオは、紅茶に手を伸ばした。
「オレンジペコですね?これはいい」
「……どうも」
「中華帝国軍特殊部隊が担当します。封印は解けますよ」
「解けるのですか?」
「といっても現状、すぐには無理です。洞窟内部に設置された門の暗証番号を調査中。明日日中には入手可能と見込んでいます。それさえはっきりすれば、あとはどうとでもなります」
「……それならいいですけど?」
神音は訊ねた。
「折り入って、訊ねたいことがあると聞きましたが?」
「ええ」
ユギオは頷くと、膝をずいと進めた。
「イツミとコンタクトがとれませんか?」
「無理」
「そんなあっさりと」
「あなたに言われなくても、私もコンタクトがとりたいのに、連絡しても梨の礫なんですから……で?何があったのです?」
「実は、イツミとの交渉のデータをテープから起こした時、その時はすっかり聞き逃していた言葉が気になりましてね?真意を尋ねたいのです」
「?」
「北米大陸の封印についてです」
「イツミ殿は何と?」
「北米の封印は、簡単に解ける。でも、無事では済まない―――と」
「何か、トラップが?」
「あのイツミのことです。無事では済まないが、単なる封印を解いた者にだけ襲いかかるようなトラップを意味するとはとても思えないのですが……」
「……」
「どう、思います?」
●シカゴ ドイツ軍宿舎
その日の朝。
ヘルガが目を覚ましたのは、どこからか聞こえてくる奇妙な音のせいだった。
「?」
ヘルガがまず目にしたのはホテルの天井。
軍隊の宿舎では考えられない、高級な壁紙が目に優しい。
カーテンから零れる朝日は光の柱となって、まるで宗教画のようだ。
ベッドの上で起きあがっても、奇妙な音はまだ続いていた。
まさか物取りでもあるまいに。
ヘルガは、ベッドの下に隠していた拳銃を手にとると、ベッドから降りて、洗面所に向かった。
音は、確実にそこからしていた。
「?」
洗面所のドアを開けると、そこにいたのは―――
「……」
あきれ顔をしたヘルガの視線の先にいるのは、鏡の前に陣取るエレナだった。
鏡に映る自分相手に、口紅を塗っている。
そして、エレナの口から漏れてくる異音を耳にすることで、貴重な安眠を破壊してくれた敵の正体を知った。
エレナの鼻歌だった。
「あ。おはよう」
エレナは、ニコリと微笑むと言った。
「どう?おニューのルージュ、下ろしてみたの」
自慢げに唇を見せるエレナに、
あ。いい色だな。
ヘルガは一瞬、そう思ったが、
「……何、しているの?」
「シカゴにフォイルナー少佐が入ったのよ?」
何よそれ。
エレナはそんな抗議を顔に浮かべていた。
「きちんと、念入りにメイクするのは当然でしょ!?」
……はぁ。
ため息をつくヘルガの前で、エレナから再び鼻歌が聞こえてきた。
どうやら、本国で話題のヒットナンバーらしいと、無理矢理推測させることは出来る。
だが、あれは歌い手の美声こそが称えられる歌であり、こんな田舎の教会の割れ鐘の方がまだマシな音がするだろう程、狂った音程では決してない。
味覚といい、音程といい、この子は本当に残念な子だ。
つくづくそう思ったヘルガは言った。
「少佐にお尻振ったところで、あの人がすり寄るお尻はあなたのじゃないわよ?」
朝食を終え、むくれ顔のエレナを連れて、軍の用意したタクシーに乗り込んだヘルガは、ここ数日を経ても慣れることのない街の景色を前に、暗うつな気持ちになるしかない。
アメリカは荒廃の一途をたどっていた。
「黄色は出ていけ!」
「悪魔と中国人立ち入り禁止」
そんな紙があちこちに貼られている街の中。
あちこちで、力無く座り込んでいる人々がいた。
仕事をくれ。
そんなプラカードを首から提げた、薄汚れた格好をした人々がいた。
足下に空き缶を置いて、呆然と座り込み、物乞いに明け暮れる人々がいた。
そんな人々の横を歩く人々の顔も一様に暗い。
アメリカらしい楽天的な、未来を信じる強さを、誰からも感じることが出来ない。
タクシーが角を曲がった時。
街角の騒ぎが見えた。
盗みを働いたのだろうか。
まだ10歳にも満たないだろう黒人の子供が、大人達に袋だたきにされていた。
ボロボロの服が破れ、血にまみれた顔をくしゃくしゃに泣きはらしている。それでも、手にした何かを口に詰め込もうとするのをやめようとしない。
そんな子供めがけて、大人達は容赦なく暴力を振るい続ける。
「……生き残っても地獄……」
ヘルガは、タクシーの中からその光景を見ただけで済んだことを感謝した。
ここに居合わせたのは自分の責任じゃない。
助けもせずに遠ざかっていくのは、自分の罪じゃない。
自分は単に、タクシーに詰め込まれているだけなんだ。
そう、自分を騙せるから。
「生者が死者を羨む時代……か」
エレナは横でだらしない寝顔をしている。
ドイツ語で小さく呟いた言葉が、タクシーの運転手に聞こえたはずはないだろうし、黒人の疲れ切った顔をした彼にドイツ語がわかるとも思えない。
その言葉は、彼女だけのはずだった。
「ドイツの軍人さんにゃ」
中年の黒人の男は、ステアリングを握りながら、英語で話しかけてきた。
車の横を、一目で難民とわかる人々が、警察官に追い立てられるように列を作って歩いていく。
「こんな光景は、見慣れないだろう?」
「最近まではこんなものよ」
ヘルガは英語で答えた。
「町中はアフリカからの難民だらけ。開拓地に送り返してやっと安定したのはほんの数年前のこと」
「そうなのかい?この地獄みたいな世界が、ヨーロッパでも?」
「私はベルリンのダウンタウンの出。首都だというのに、母親からは、危ないから昼でも外を出歩くなと言われていたわ」
「ドイツ人にしちゃ、迷惑だったろう?俺達黒人の難民なんて」
「元からのドイツ人じゃないわ」
ヘルガは言った。
「両親の生まれはベネズエラ。あの頃、両親がドイツを目指したのは、ドイツには戦争難民に対する国籍特別取得枠があったから。まぁ、当時まだ生まれていない私には知った事じゃないけど……両親は、南米からの脱出船団の最終便に何とか乗せてもらえて助かったと聞いている。でもね?」
ヘルガは、窓の景色を眺めながら言った。
「……物心ついてからの生活は、あの人達よりひどかった気がする。
何度もアパートを追い出されて……橋の下が一番好きだった。雨交じりの雪の中で、寒さに震えた経験は今でも忘れられない。
そのうち、やっとのことで父親がトラック運転手の仕事を見つけて、母親が裁縫の仕事を不法移民の中国人と一緒にやるようになって、三人がやっと寝られるようなアパートに入ることが出来た」
「……」
「……私がクリスマスにシュトーレンってケーキを食べることが出来たのは、16で軍隊に入ってからよ」
「……俺はブラジルからの出稼ぎに来ていたオヤジに会いに来た所で、あの騒ぎさ」
運転手は言った。
その声には互いの苦労を労るような、悲しみを覆い隠した優しさがあった。
お互い、難民の血を引いていると知った事が、彼の心を解きほぐしたのだろう。
「オヤジがケンカ沙汰が原因でくたばった後、国に戻れずに、ストリートチルドレンになった。それからは、死に物狂いで生きてきた。口じゃ言えないようなことだってやってきたさ」
「難民上がりってのは、そういうものよ」
ヘルガは決して運転手を見ない。
「その辺は、お互い様ね」
「そういうことさ」
「そういうことよ」
チラリと横で眠るエレナを見たヘルガの視線は、ちょっと表現が出来ないほど険悪だった。
「毎日、おいしいものばかり食べていた貴族様や市民様と、私達は違うのよ」
ヘルガ達がタクシーから降り立ったのは、郊外に展開した独海軍に所属する飛行艦隊が集結した場所。
飛行艦達に近づくための道は検問で封鎖されており、ヘルガは、そこでタクシーを帰した。
検問に立つ州兵に敬礼し、徒歩で飛行艦に向かうこと数分。
大型輸送艦を中心に、積み上げられた物資と、整備を待つメサイアが並んでいた。
中華帝国軍との戦闘で傷ついたメサイア達の無惨な姿は、見ているだけで戦意が萎える。
整備が終わった騎が飛行艦からベルゲメサイアによって引き出され、代わりの騎が飛行艦に送り込まれていく。
メサイア相手に格闘する整備兵達も死に物狂いだと、ヘルガ達も思う。
飛行艦の大きく開いたハッチに、片足のないノイシアが収容されていく。
メサイアは精密機械にして、高さと重量のある兵器だ。
重力環境下において整備するには、クレーン他の大型重機が大量に必要になるなどの制約が大きく、しかも効率が悪い。
そこで、慣性制御魔法が普及した現在においては、飛行艦に収容して、その無重力環境での整備をする方が一般的。
メサイアと飛行艦は、ワンセットで運用することは、先進国では常識であり、ヘルガ達が最前線から数百キロも離れたシカゴにいるのも、そのせいだ。
「もう少し近くに展開すればいいのに」
エレナは不満げにいうが、
「しかたないでしょう?」
ヘルガはたしなめるようにいった。
「補給物資の輸送。兵員の休養、何より、水資源の確保まで考えれば、大都市の方が楽なんだから。ドイツ軍といえど、万能ではないわ」
「わかるけど」
エレナは口元を尖らせた。
「飛行不能を理由に4騎が放棄されたのよ?前線間近の、少なくともベルゲの回収可能距離に展開していたら」
「気持ちはわかるけどね」
二人は歩みを止めると、同時に空を見上げた。
大隊司令部の入っているプレハブの簡易宿舎の前。
鉄十字と鷲をあしらったドイツ帝国軍旗と大隊旗が風に翻っている。
目の覚めるような赤地の中央を、白い物体で染め抜かれている大隊旗を初めて見た者は、大抵、その白い物体が何だかわからない。
ヘルガもエレナも、最初はそんな一人だった。
白い物体の正体。
豚
そう知った時、ヘルガは思考がフリーズしたのを覚えている。
金貨をくわえた豚。
「グリュックシュヴァイン」《Glückschwein、「幸福の豚」》だ。
ドイツの一部では大晦日に祝いの品として贈答する習慣があることを、祝いの席とは無関係の難民層で生きていたヘルガは知る術さえなかった。
どういう縁起があるかは知らないが、フォイルナー少佐が部隊を預かった時には、この大隊は、その戦果とその奇抜な大隊旗で世界的に知れ渡っていた。
ドイツ帝国軍第44メサイア機甲大隊―――部隊通称“グリュックシュヴァイン”。
その名の由来は、その軍旗による。
「遅いっ!」
その声にびっくりしてまわりを見回すと、大隊司令部の入っているプレハブの建物の前。
緑色の髪をショートカットにした女性士官が腰に手を回して怒った顔をしていた。
ルナテレジア少尉。
ルナの愛称で呼ばれる、エレナとは同期の同じ養成校上がりだ。
「フォイルナー少佐達はもう到着しているわよ!?」
「文句言わないでよ!」
戦友の気安さから、エレナは小走りに走りながら言った。
「タクシーをあの時間に回したのは司令部よ?それに、渋滞まで責任はとれないわ!?」
「そういうことね」ヘルガも横を急ぎながら頷いて見せた。
「ところで、フォイルナー少佐達がスゴい戦果あげたって?」




