防衛線 崩壊
●長野県佐久防衛線
柏崎原発消滅。
後に柏崎防衛戦と呼ばれる戦いは、こうして幕を閉じた。
人類側の敗退とも呼べず、魔族軍を全滅させた壮挙とも呼べない、奇妙な終わりだった。
人類対魔族軍の勢力図の中に生じた一時的な空白を埋めたのは、魔族軍の方だった。
満足な抵抗が出来ない人類相手に勢いづく魔族軍は、そのまま石川県及び福井県方面へと侵攻を開始。
柏崎の爆発で生じた大津波に襲われた沿岸部を抱える同地に抵抗する術はなかった。
主君の奪還に失敗したものの、魔族軍は決して、その侵攻の手を緩めなかった。
魔族軍は機動性に優れた中型・小型妖魔を大量に投入。
各地で飽和攻撃主体で人類相手に優位な戦いを進めている。
人類は、山間部の地形を活かした地形防御で、何とか防衛線を維持したいと躍起だ。
そんな戦場の一つが、東京方面への重要なルートとなる佐久・軽井沢防衛線だ。
―――ったく、なんてザマだ!
陸軍から米軍の観戦武官を命じられた佐伯少佐は、泥まみれになりながら、そう毒づいた。
ついさっきまで、
相手は戦車も持たないせいぜいが槍と弓だ。
世界に誇る米軍の圧倒的な弾幕の前に、あんな装備では為す術もなく潰されるぞ?
……本気でそう思っていた。
ところが今はどうだ?
他国から派遣され、自分と同じく観戦の任務についていた軍人達は、表現のしようのない肉塊に姿を変えている。
頭を半分割られたどこかの陸軍将校の死体が一番原型をとどめていた。
それをまともに見たせいでこみ上げてきた吐き気をなんとかおさえ、震える手で鉄兜を被ると、佐伯は塹壕から頭を出そうとした。
状況を知りたい。
ただ、それだけの理由だ。
だが、不意に首根っこをつかまれ、塹壕の中に引き倒された。
引き倒したのは、自分より年上の厳つい顔の部下だった。
階級は軍曹。
その彼が、佐伯に怒鳴った。
「少佐!あんた、死にたいんですかっ!?」
実戦経験は圧倒的に、この軍曹の方が上だ。
軍も、むしろ彼の観戦報告にこそ期待しているといって良い。
その軍曹に怒鳴られ、佐伯はバカのように何度も首を横に振った。
「こんな砲撃にさらされてる中で、バカみたいに突っ立たないで下さいよっ!」
軍曹はアゴで周囲をしゃくってみせた。
「―――こうなりますよ?」
先程まで人間だった肉塊を前に、佐伯は、ただ、頷くしかなかった。
地雷原を突破した魔族軍は、驚くほどのスピードで米軍陣地へ肉薄。
砲台として機能していた戦車兵達に襲いかかっていた。
まず、先陣を切ったのは、サソリを連想させる中型妖魔、トゥース。
全長10メートル程度。節足動物さながらの六本脚で移動するこの妖魔を視認したM1の戦車長は、即座に戦車砲による攻撃を命じた。
「撃てっ!」
ドンッ!
至近距離からの戦車砲の直撃を受け、一体が四散した。
「撃ち続けろっ!」
戦車長は、悲鳴に近い叫び声で部下に命じた。
「撃ってくれっ!」
数が違いすぎる。
一匹倒しても、即座に別な一匹がその穴を埋めてしまう。
戦車砲の発射速度では、そのスピードに対処出来ない!
「同軸機銃撃てっ!エンジンかかるかっ!?」
遠隔操作で動く12.7ミリ機銃を操作しつつ、戦車長が怒鳴った。
「ダメですっ!」操縦手が答える。
「かけろっ!」
「かかりませんっ!」
「全員、戦車を放棄!逃げろ!」
「む、無茶だ!」
装填手が怒鳴った。
「ここで撃ち続けなきゃ、俺達は―――!」
ドンッ!
金属が潰されるような音。
その中に、
カシャッ
卵の殻を割ったような音が混じったのを、戦車長は聞いた。
それが、装填手の頭が潰された音だと、彼は知らない。
「何だ!?」
ドンッ!
ドンッ!
音が響くたびに、戦車が揺れた。
「そ、装甲が!」
砲手が悲鳴を上げた。
「装甲が破られてるっ!」
馬鹿な!
戦車長はそれを否定しようとして、
ドシャッ!
自分の目の前に、突如、現れた物体に言葉を止められた。
銀色の尖った金属物体。
違う。
戦車長は即座に理解した。
目の前のそれは、ペリスコープからのぞいた時に見た、敵の脚だ。
―――敵は、戦車の装甲を、こんなに簡単に?
だめだ!
戦車長が、再度、部下に脱出を命じようとした次の瞬間、トゥースの爪が、装甲を貫き、信管の装着された砲弾を砕いた。
ズゥゥンッ!
その爆発は、佐伯の目にも入った。
すでに最前線であるM1部隊は壊滅状態だ。
理由ははっきりしている。
戦車の機動性を無視し、砲台扱いしたのは問題ではない。
数だ。
毎分10発程度の戦車砲では、対処しきれない飽和攻撃が原因だ。
すでにあちこちで白兵戦が始まっている。
機銃の音。
兵士達の叫び。
悲鳴。
この世におけるあらゆる“負の音”が、佐伯の耳を支配する。
それでも、米軍は情勢を盛り返そうと躍起になっている。
―――こんなんじゃ。
佐伯は痛切に思った。
―――勝てない!
上層部は“決戦兵器”とか呼んで新型戦車に血眼になっているが、世界最強のM1戦車で止められない敵を相手に、新型戦車なんて配備して何の意味がある?
―――もっと
―――もっと効果的な兵器がいる!
それが何か、佐伯もすぐには思いつかなかった。
ただ、“それ”が必要だという焦りにも似た感情だけは、抑えられないほど強く生じている。
「砲兵隊は!」
「全滅した!」
状況視察に、塹壕を駆け回った佐伯に、ある兵が答えた。
「最初の攻撃で根こそぎ殺られた!他ももうズタズタだ!」
「どうするんだ!」
「もう少し持ちこたえろ!そう、命じられた!」
「誰に!」
「上に決まってるだろうが!」
「撤退命令は!?」
駆け出そうとする兵士の肩を掴んだ佐伯。
その手を払いのけた米兵が、小銃を佐伯に向けた。
「メサイアが来るんだ!それまでの辛抱だってよ!」
兵は、そう怒鳴ると、持ち場に戻るのだろう、弾帯を首に幾重にも巻いて駆け出していった。
メサイアが来る?
それで戦局を挽回させるつもりか?
ええいっ!
ここにいても何もわからん!
「軍曹っ!司令部へ行くぞ!」
「少佐っ!」
軍曹が駆け出した佐伯を塹壕の底へと押し倒した。
ぬかるんだ塹壕の土が顔面を汚す不快感にたまら顔を上げた佐伯の頭上を、何かが抜けていった。
銀色の兵器。
佐伯の目にそう映ったのは、陣地にまで侵入したトゥースだった。
陣地の中に敵が侵入した証拠。
その意味はイヤでもわかる。
全滅だ。
ギャアッ!
鈍い音と共に、短い悲鳴が佐伯の元に届いた。
先程の兵士が、塹壕の角で肉片に変わっていた。
「ここは―――死んだフリしましょうよ。少佐」
その光景を目の当たりにした佐伯は、股間になま暖かいものを感じた。
「命あってのモノダネだからな」
佐伯は、濡れた股間を恥ずかしく思いつつ、すぐ近くに壊れたドアを見つけた。
丁度、肉片に変わった兵士のすぐ近くだ。
「軍曹」
「はっ」
「あの部屋に籠もろう。ドアは―――」
ドアの近くには、他にも何人もの米兵の死体が転がっていた。
「“アレ”でいい」
軍曹は短く頷くと、佐伯と共にドアめがけて一気に駆け出した。
「撃ち続けろっ!」
シェリダン戦車隊を率いていたジョン・エリック大尉の怒鳴り声が、機関銃の射撃音をかき消した。
全く。なんてラッキーなんだ。
戦車から降ろした機関銃2丁を両手で撃ちまくるエリックは、自分が神に祝福されていることを肌身で感じた。
エリックのシェリダン部隊は、弓兵の第二射攻撃により、正面装甲を破壊されて即座に擱座したが、全車が射撃だけは可能の状態で、砲弾が尽きるまで撃ち続けることが出来たのだ。
抵抗し続けるだけでも、エリック達の生存の可能性は格段に違う。
さらにエリック達にとって幸運は続いた。
M1部隊支援のための移動中に攻撃を受けた場所が、弾薬集積所の真横だったのだ。
弓による攻撃は、集積所に一発も命中していないのも、エリック達の幸運の証といえる。
集積所の弾薬は、ほとんど小銃弾か機関銃弾に限られたが、エリック達は、集積所の備蓄弾薬を湯水のように撃ちまくることが出来る。
「近づけさせなければ何とかなる!」
部下を激励しつつ、機銃のトリガーを引き続け、指揮官としての規範を示すエリックの部下達は、既に“銀色のサソリ”、トゥースを10匹以上、槍兵を20体以上、仕留めていた。
だが―――
他の部隊は惨憺たるものだった。
槍兵の持つ槍の長さは約5メートル。
一突きでトーチカを中の兵ごと貫き殺す。
もっと厄介なのは、クロスボウを装備する弩兵だ。
最初こそ、敵が手にするクロスボウを、一発一発、弦を引かねばならない長弓と混同していた米兵達だったが、今ではそんなことを考える愚か者はいない。
クロスボウの形状こそしているが、発射速度そのものは、自動小銃と変わらないのだ。
エリック達の判断では、このクロスボウについては、以下の通りとなる。
・口径は9ミリ~12.7ミリ相当。
・魔法の矢を撃ち出し、連射速度は同口径の機関銃と大差ない。
・唯一の救いは、弾丸の速度が弓矢と変わらず遅い。
・上手くすれば避けることが出来る。
そんな弩兵のクロスボウの支援射撃を受け、槍兵が突撃、敵を殲滅。
それが、魔族軍の攻撃パターンだ。
クロスボウ攻撃で土嚢を吹き飛ばされたトーチカ部隊は、槍兵に突き刺し殺されていく。
ある兵士が、槍で貫かれたまま、宙を舞い、エリック達の近くに投げ捨てられた。
自分達への完全な威嚇だ。
「くそっ!」
その様子を目の当たりにしたエリックは、自らを叱咤した。
考えろ!
どうすれば、生き延びられる?
それを、考えろ!
クソッ!
考えろ!
俺っ!
エリックはガンガンと頭を叩いた。
自分は指揮官だ。
部下を無駄死にさせるワケにはいかないんだ!
―――そうか。
考えてみればそうだ。
敵の有効射程は最も近くて5メートル。
つまり、5メートル以内に近づけさせなければいい。
敵の攻撃は《航空兵器か、長弓が襲ってこない限り》シェリダンの残骸が凌いでくれる。
5メートル以内に近づいた敵を皆殺しに出来る兵器があればいい。
機関銃だけでは頼りない。
何か、敵の足りない脳ミソでも恐れさせることが出来る兵器は―――
エリックは素早く、弾薬集積所を見回した。
弾薬ケースが散乱するその中。
エリックは見つけた。
ケースに書かれたその名。
flamethrower《火炎放射器》。
「―――ジャクソンっ!」
―――もうダメか。
佐伯は死を覚悟した。
上で聞こえてくる銃声は、圧倒的に数が減っている。
米兵の残存数が少ないことの証拠だ。
一方、佐伯がいる塹壕は、敵に制圧されたと見ていい。
塹壕に掘られた部屋の入り口。
山積みになった米兵の死体を、槍兵達が剣や槍でメッタ刺しにして、その死を確かめる光景を、佐伯と軍曹は、部屋の中に転がっていたベッドの残骸の下からのぞいていた。
ギャウォ
槍兵の一匹が、その犬面で吠えると、
ギャ
他の槍兵が頷き、どこかへと走り去っていった。
佐伯達は、あたりが静かになるまで、じっ。としていた。
「た、助かった……」
佐伯は安堵のため息をこぼした。
「ヤンキーに悪いですが……なんとかなりましたな」
軍曹もため息を漏らす。
「少佐の機転に感謝するだけです」
「止せ」
佐伯は一瞬、吹き出しそうになって慌てて口を押さえた。
「腰抜けで、戦功より人事で出世しただけだ―――それより軍曹」
「はっ」
「―――どうしたものか。意見を聞きたいんだが?」
「そうですねぇ……」
軍曹にもどうしようもない。それは、その口調でわかる。
「私が、もっと勇敢なら、ここでバシッと妙案が出るのかもしれないが」
「勇敢と無謀は違いますよ。少佐」
軍曹は言った。
「あなたは、自分では腰抜けといいますが、そこそこの奇策で危機をくぐり抜けてきたのです―――ここで生きているのが、その証拠ですよ」
「最後の最後で、部下に評価されていたと知れたか……軍曹」
「はっ」
「ありがとう……今のうちに言っておく」
「生き残ったら、言ってください」
次の瞬間―――
二人は耳を押さえて蹲ってしまった。
塹壕の中にいても耐えられないほどのすさまじい音が、空間を支配した。
全く、耳が聞こえない。
音響爆弾か?
その佐伯の判断は、大凡、間違っていなかった。
それは確かに、大音響で敵の判断を狂わせる兵器が使用されたからだ。
M221音響爆弾。
ロケット発射によって撃ち出され、敵陣上空で爆発。大音響で敵陣を混乱させるための兵器。
佐伯は、そしてエリックは、それがどういう時に使われるか知っていた。
「軍曹!」
耳鳴りする耳を無視して、佐伯は怒鳴った。
「メサイアが来るっ!
同じ頃、
「塹壕に逃げ込めっ!」
火炎放射器のトリガーを引きつつ、エリックも部下に命じた。
「メサイアが来るっ!」
弾薬集積所近くの塹壕に、兵士達は一斉に駆け出した。
エリックが塹壕に飛び降りたのと、爆風がエリックを襲ったのは、ほとんど同時だった。
「うおっ!?」
爆風に吹き飛ばされたエリックには、何が起きたかすぐにわかった。
「司令部め、陣地全体に対する攻撃を許可しやがったな!?」
ドドドドドドドドドド―――
ミシンのように切れ目のない爆発音が世界のあらゆるモノを揺らす中、エリックとその部下は、鼓膜が破れないことだけを祈りつつ、歯を食いしばり続けた。
ドンッ!
それが、最後の音だった。
塹壕の中からでもわかる。
見上げた空を遮るように立つ小豆色の神の像。
グレイファントムだ。
「―――やった!」
「騎兵隊だっ!」
突然の救援―――騎兵隊の登場に、唖然としたエリック達は、歓声をあげた。
「やっちまえっ!」
「仇を討ってくれっ!」
米兵達の歓声に答えるように、グレイファントム達は動いた。
巨大なタンクを背負った一騎が、トリガーを引き、逃げまどうトゥースや槍兵達を焼き尽くす。
自動小銃を構える騎が、その速射攻撃にでトゥース達を粉砕し、槍兵や弩兵を踏みつぶす。
人間が蟻を踏みつぶすように、グレイファントムは、魔族軍を文字通り抹殺していった。
その圧倒的な攻撃の前に、魔族軍は為す術もなく潰走していくしかない。
ドーン!ドンドンドンッ!
銅鑼の音が響き渡り、魔族軍が後退していく。
「た……助かった」
佐伯はその場にへたりこんだ。
地面の感触が、今はとても素晴らしく感じる。
「騎兵隊……ですな」
軍曹が感嘆のため息と共に、そう呟く。
その視線の先には、小豆色のグレイファントムが立っている。
「今回ばかりは、感謝どころじゃないな」
うわーっ!
やったぁぁっ!
かろうじて生き残っていた兵士達があちこちで歓声を上げている。
佐伯もその中に入ろうと、立ち上がった。
その直後―――
ガギィィィィンッ!
ズギィィンッ!
連続する鈍い音が全てを支配した。
「……」
何が起きた?
得体の知れない水色のメサイアが、グレイファントムの胴体とつながっている。
水色のメサイアの腕らしい部位とグレイファントムの胴が―――
違う。
水色のメサイアの腕、正しくは拳がグレイファントムの胴を貫通しているのだ。
「……」
ポカン。
佐伯はその光景を前に、再びバカのように突っ立ってしまった。
グレイファントムの胴から拳が引き抜かれ、グレイファントムが倒れ伏す。
もう一騎のグレイファントムは?
騎兵隊がこうもあっさり潰れていいはずがない。
佐伯は助けを求めるように、グレイファントムを探した。
いた。
頭部を異様に長い腕にわしづかみにされ、もう一方の腕に仕込まれていたらしい火砲で蜂の巣にされた残骸。
それが佐伯の求めた騎兵隊の姿。
―――救いの騎兵隊が全滅したら?
―――ありえない。
―――理由は?
―――作品にならないから。
―――それが現実なら?
―――関わらないことだ。
水色のメサイアと視線があった。
自分の出した結論に、佐伯は肩をすくめた。
どうやら、関わらずにはいられないらしい。
光が―――迫ってきた。