vs姿を変えるモンスター
俺の名前はスレジマ・ソクチバ。
先週の金曜日、生活費を稼ぐために土木工事のバイトをしていたところ、うっかり勇者の剣を引き抜いてしまった。
というのも、ダンプの操縦をミスって遺跡に突っ込んだところ、たまたま剣がなにかに引っかかって外れたようで、そのまま運転者の俺がどさくさ紛れに勇者になった。
「あの、これって手当とかでるんですか?なんか特別勇者手当的な。」
仕事はクビになった。
もともと現場監督をぶん殴ってクビになる寸前ではあったから、これは実質的にプラマイゼロである。
勇者になったからには仕方なく、これから俺は冒険に向かう。
一応酒場で仲間の勧誘はしてみたものの、生来のマジレス癖のせいか、パーティには誰も加わらなかった。
よって冒険はひとりで行う。
「この辺か、姿を変える化け物が出るっていうのは……。」
最初に探索に出かけたのは、魔王の息がかかっていると噂される村の外れ。
ここでは何度も旅人や冒険者がいなくなっているらしく、初任務としてこの土地の調査を任されたというわけだ。
「にしてもなんっっっにもない村だなおい……いっそ土地ごと買収してサービスエリアでも作れよ。もしくはイオンだ、イオン。」
そう悪態をつきながら、重機で突っ込んだ際に曲がって破損した勇者の剣をぶんぶん振り回す。
ちなみにあとから知ったが、この村は既に高速道路の建設予定地になっていたらしい。
そんなことは露ほども知らず、民家から離れた、あぜ道のような湿っぽい道をずんずんと歩いていく。
「ここに出る化け物はなんでも、その者の大事な人間に姿を変えて襲ってくるらしいからな。」
そう鼻くそをほじりながら歩くスレジマは、実際生粋のマザコンだった。
しかしマザコンだという自覚が一切ないスレジマの前には、幸か不幸か、この村を根城にする一匹のモンスターが現れようとしていた。
突然立ち込め始める霧。
かすみがかって視界の悪い中、目の前の一本道の先には……子供部屋を追い出されて以来、仕送りの催促のためだけに毎月電話をかけている母親の姿があった。
エプロンを胸元からかけ、柔和そうな笑みを浮かべた見慣れた女性がそこに立っている。
「か、母さん……母さんなのか?」
「そうよスレジマ……会いたかったわ。いうも心配ばかりかけられて、母さんも寂しくなっちゃってね。」
スレジマの母親そのものの姿と声色は、棚ぼたで勇者になった男の心を完全に虜にしていた。
懐かしいそのシルエットに誘われて、一歩、一歩と怪しい気配のする霧の方へと足を進めてしまう。
距離がどんどん縮まり、やがて二人が手を伸ばせば届くような距離感にまで接近した時。
母親が懐かしい笑みを浮かべて言った。
「さあ、スレジマ。いつものように抱きついて来なさい。お母さんと一緒に帰ろう。」
その優しい言葉とセリフは、二十代後半になっても実家暮らしを貫いていたスレジマの心を、再び貫通することになった。
涙ぐんだスレジマが、二日酔いで赤くなった目をしきりに擦り、やがて子供のような笑みを浮かべた。
「母さんっ……。」
「スレジマ……!」
「マイナンバーカードは?」
「え?」
「いやだから、マイナンバーカード。」
スレジマは真顔になっていた。
紛れもなく昨日相当飲み明かした顔で、目の前の母親を冷静に見つめていた。
抱きつく寸前で、もう三十路に差し掛かろうという男が母親に抱きつくことの恥ずかしさを思い出し、同時に村に着く前に決めていたことを思い出したのである。
新たに導入された本人確認書類。
マイナンバーカードの提示を、求めることであった。
マイナンバーカードとは、十二桁の個人番号が割り振られ、二千二十四年現在人口の約七割が保持しているという、あのマイナンバーカードである。
無論、この国の国民ならば誰しもが持っているはず。
この期に及んでまだ保険証を使っているのは非国民だ、というのが、完全に政府の犬と化していた母親の実家での教えであった。
途端に目の前の女の顔色が変わる。
「ま、マイナンバーカード?ちょっとおうちに忘れてきちゃったかもしれないわねえ……。」
「いや、母さんがマイナンバーカードを忘れるなんてことはないはずだ。実家に置いておくと盗難に遭うかもしれないといって、肌身離さず持ち歩くタイプの中年だぞ。」
「で、でも今日は忘れてきちゃったのよ……。」
「……おまえ、本当に母さんか?東南アジアのスラム街で育ったとしか思えないような、若い頃に痴漢冤罪で一稼ぎしてそうな、パチンコに熱中して子供を車内に放置してそうな、法的にギリギリの年齢でデキ婚してそうな、会計のときポイントカードをあとから出しそうな、店員に横柄な態度をとってそうな、おれの母さんとは違うように見えるぞ、おまえ。」
「言い過ぎだろ!!!!!実の母だろうが!!!!!」
母親は血相を変えてそう叫んだ。
と同時に、スレジマがにやりと笑いを浮かべ、薄汚れてぐにゃんぐにゃんに変形した剣を構える。
「前々から思ってたんだ。人に化けるタイプのモンスターに、どうして本人確認書類を出させないんだってな……お前は見事に引っかかってくれたようだ。」
「なにに使うかもよく分からないのにマイナンバーカードなんて取得する訳ないだろ、くそ!」
「マイナンバーカードを愚弄したかっっっっ、貴様ァっっっ!!!!」
スレジマは絶叫と共に飛び上がり、自らの母親の顔面に剣を振り下ろした。
しかし、落下の勢いと成人男性の腕力を持ってしても、あまりに剣がねじ曲がりすぎてて一太刀に切り伏せられない。
研ぐとか研がないとかもうそういう次元ではない剣を、ほぼノコギリのようにギコギコと使い、結局モンスターが死んだのは四十分後のことだった。
「自分の母親を解体するのはさすがに骨が折れるぜ……遺産相続時に不利になりそうだから、これ以上は考えるのをやめよう。」
スレジマは右手で母親の生首を抱え込み、城へと戻った。
証拠が消えないうちに討伐の褒賞をもらい、もう一度飲んでから冒険に出るためである。
無論、モンスターを倒し、そのまま村に戻って人々を慰めるといった高潔な精神を彼は持ち合わせていない。
あるのは生粋のマジレス癖と、無職期間十五年の経歴、そしてねじ曲がった家庭環境。
スレジマ・ソクチバの旅がいま始まる。