第三十八話 アテレコ①
3日と言う限られた時間の中、やれることはやった。
完璧とまではいかないまでもあらかた頭に入れた。
後は本番でどれだけの力を発揮できるかだ。
「ここがアテレコスタジオがあるビルね」
アテレコスタジオは都内某所にあるビルの地下だった。
音漏れを防ぐためにスタジオは地下に設置してある。
私は薄暗い階段を降りて控え室の扉を開いた。
「失礼します」
「おっ、主役の登場か」
「遠慮せずに早く中に入って」
控え室にはすでに出演する声優さんが集まっていた。
「なら、自己紹介でもするか。私は子高武人だ」
「僕は星総一郎です」
「私は仏頭明里」
「右倉綾音です」
「下坂すみれよ」
「私は結川まといです」
みんな顔を合わせるのははじめてだ。
おまけに顔ぶれが豪華過ぎて腰砕けしてしまう。
このメンバーの中に私がいていいものか考えてしまう。
「あともうひとりいるんだけど少し遅れているようだな」
「まあ、いつものことですし」
「とりあえず座って」
「はい」
いつになく緊張してしまい普段の自分が出て来ない。
あまりに場違い過ぎて私ひとりが浮いている感じだ。
すると、仏頭が気を利かせてペットボトルのお茶をくれた。
「そんなに緊張しなくてもいいよ。みんな友達だと思ってね」
「そんな滅相もないことできません。私からしてみたらみなさんレジェンドですから」
「レジェンドね。私、そんなに年はとっていないわよ」
「べ、別にそう言う意味で言ったんじゃないんです。すみません」
「すみぺ、冗談が過ぎるよわ。まといちゃんが本気にするじゃん」
「冗談よ。まといちゃんから見たら私達おばさんだしね」
下坂がそんな風に言うので私はどんな言葉を返していいのかわからなくなった。
”そうですね”と言うのも失礼だし、”そんなことありません”も皮肉に聞える。
とかく仏頭も右倉も下坂も微妙な年頃だから答えに迷ってしまうのだ。
「おばさんか……なんか沁みるな」
「あかりん、何かあったの?」
「いや、兄のところに子供ができてさ。私、叔母さんになっちゃったのよ」
「いや~わかる。その気持ち。家もそろそろだからね」
「まあ、この年になると周りのみんなは家庭を持っているからね」
仏頭と右倉と下坂は3人でアラサー談義で盛り上がっている。
その輪の中に入れない私は隣で相槌を入れながら話に耳を傾けていた。
「女子達が盛り上がっているな」
「僕たちは還暦が目の前に来てますからね。おじさんと言うよりおじいさんですね」
「おいおい、それを言うなよ、星。俺も気にしているんだから」
「すみません。ハハハハ」
こっちはこっちでアラフィフ談義で盛り上がっている。
どちらも私とかけ離れているから会話に入っていけない。
そこへ遅れ来た二木愼一郎が差入れを持って入って来た。
「悪い悪い、野暮用が入っちゃってな」
「遅いぞ、愼一郎。みんな待ちくたびれていたぞ」
「お詫びって訳じゃないけれどこれ。後でやってくれ」
面目なさそうに頭を下げながら二木が差入れをテーブルに置いた。
「うわぁ~これって”大阪チーズブリュレ”じゃないですか。大阪に行っていたんですか?」
「神戸で講演会があったのでその帰りに大阪駅で買ったんだよ」
「私、これ好きなんです。ありがとうございます」
「何個ある?」
「全部で9個あるわ」
「じゃあ、残りはジャンケンだね」
二木の気の利いた差入れにアラサー女子達はすっかりご機嫌になる。
とりあえず私も数に入っているので少し安心した。
すると、制作監督が音響監督といっしょに控え室に顔を出した。
「みなさん、お揃いのようですね。私は制作監督をやらせていだだいている伊藤です」
「私は音響監督の響だ。よろしく」
制作監督はそうでもないが音響監督は気難しい感じのタイプのおじさんだ。
長年、アフレコの演出を担当して来たから体に染みついているのだろう。
「お初の方もいるようなので役柄と自己紹介をはじめます」
伊藤監督は私の顔をチラッと見てから台本を広げた。
「まずは主役の真白美雪役の結川まといさんです」
「結川まといです。よろしくお願いします」
伊藤監督に名前を呼ばれてから一歩前に踏み出して頭を下げた。
「幼なじみの葵功太役の星総一郎さんです」
「星です。よろしくお願いします」
星も私と同じように一歩前に踏み出してから頭を下げた。
「彼氏の藤崎和哉役の二木槇一郎さんです」
「二木だ。よろしく」
こなれた様子で二木は顔の前で手を翳して挨拶をした。
「親友の櫻井智美役の仏頭明里さんです」
「仏頭です。よろしくお願いします」
仏頭も気取ることなく丁寧に頭を下げて挨拶をする。
「クラスメイトの沢村沙那役の右倉綾音さんです」
「右倉綾音です。よろしくお願いします」
右倉は下の名前もちゃんと述べていたので丁寧さを感じた。
「クラスメイトの渡辺真由佳役の下坂すみれさんです」
「下坂です。よろしくお願いします」
下坂は満々の笑みで挨拶をした。
「最後にマスターの鎌倉仁役の子高武人さんです」
「子高です。よろしく」
子高は余裕たっぷりにラフに挨拶をした。
「それではみなさん、スタジオに移動してください」
「「はい」」
そう伊藤監督が指示を出すと別の入口から音響室へ入って行く。
私達は控え室からアフレコスタジオの中へ移動した。
アフレコスタジオにはマイクスタンドが3つ設置されている。
台詞を言う人がマイクの前に立って台詞をしゃべると言う形式だ。
どこのアフレコ現場も同じなので戸惑うことはない。
「それでは”バタークッキーと紅茶はいかが”のアテレコをはじめます。まずは美雪と功太の通学のシーンからアテレコします」
私はマイクの前に移動して録音するページを開いた。
「それでははじめます」
制作監督がそう言うとモニターにアニメのシーンが映し出された。
映像は既に色が入っていて完成されたものだった。
美雪が2階から降りて来て玄関で靴を履いているシーンが映し出された。
そして玄関の扉を開くタイミングで元気よく台詞を吹き込んだ。
「いってきまーす」
「はい、カット」
すぐに音響監督の響がストップの指示を出してアフレコを止めた。
「いきなり”行ってきます”からはじまることがないだろう。主人公の慌てている様子を息づかいで表現しろ」
「すみません」
予想もしていなかったことを注意されて戸惑ってしまう。
これまでちょい役しかこなして来なかったから全然気づかなかった。
確かに言われてみれば他のアニメでも息づかいなどが聞えて来る。
それも声優の大切な仕事だから外すことはできないのだろう。
私は気持ちを切り替えてマイクの前に立った。
「それでははじめます」
制作監督の伊藤がそう言うとはじめから映像が流れる。
主人公の美雪が二階から降りて来て玄関で靴を履くシーンだ。
私は響監督から注意されたように息づかいを吹き込んだ。
その後で母親役を兼任している右倉が台詞をしゃべる。
「美雪、お弁当を持った」
「持った」
「遅刻しないようにね」
「いってきまーす」
私が元気よく”行ってきます”言った後に玄関の扉が開かれて外に出た。
ちょうどタイミングを合わせられることができたのでホッと胸を撫で下ろす。
ここでタイミングがズレてしまうとまた最初からやり直しだ。
外に出てから門をくぐり抜けると外で幼なじみ功太が待っていた。
そのタイミングで星がマイクの前に立って台詞をしゃべる。
「ユキちゃん、おはよ」
「コウくん、おはよ」
「行こっか」
「うん」
このシーンは特別難しいことはない。
美雪の朝の日常をそのまま演じればいいからだ。
美雪と功太が二人並んで通学して行くシーンが映し出される。
「昨日の”減滅の会社”を観た?」
「観た観た。先輩が会社のお金を使い込んじゃうのよね」
「あれって、絶対にアウトだよね」
「うんうん、首が飛ぶ」
「でも、そうならないのが”減滅”だよね」
「結局、部長がもみ消しちゃうんだから」
そこまで台詞を話したところで響監督の待ったが入る。
「はい、カット。結川、美雪のキャラクターを理解している?」
「はい」
「美雪は功太とは気心の知れた幼なじみなんだ。もう少し前に乗り出すような感じで演じろ」
「わかりました。すみません」
私は私なりに美雪を理解して演じていたがまだ足りなかったようだ。
美雪と功太が気心が知れているならばもっと心を近づけているものだ。
友達よりも家族のような近い距離で功太のことを感じているはずだ。
その微妙な変化に気づいていた響監督は中々のものだ。
私は気持ちを入れ替えてから再びアフレコに臨んだ。
今度は少し声を高くして楽しそうにお喋りしている演出を加えた。
そしてシーンンが切り替わって親友の智美が一哉を連れて合流する。
「お二人さん、朝から仲がいいね。もしかしてラブラブ?」
「ちょ、ちょっと智美。和哉くんの前で変なこと言わないで」
「はい、カット」
私が台詞を吹き込み終わったタイミングで響監督の待ったが入る。
「ちょっと驚き方が弱いな。美雪は彼氏の和哉に気まずい気持ちを抱いているんだ。その辺を強調して演じろ」
「わかりました」
「まといちゃん。ドンマイドンマイ」
「ありがとうございます、仏頭さん」
マイクが拾わないように小さな声で仏頭にお礼を言う。
ちょっとしたミスだけれど声をかけてもらえると嬉しい。
「智美と和哉が合流するシーンからはじめるぞ」
最初まで戻ると時間がかかるのでうまく行ったところは省かれた。
再び仏頭からの台詞からはじまる。
「お二人さん、朝から仲がいいね。もしかしてラブラブ?」
「ちょ、ちょっと智美。和哉くんの前で変なこと言わないで」
今度は響監督の待ったが入らずにスルーできた。
「冗談よ、冗談。えっ、あっ、和哉も本気にした?」
「別に関係ねーよ」
映像は一哉がそっぽを向いたところで切り替わり、智美が美雪を和哉に押しつけた。
「じゃあ、仲直りだね」
「ちょ、ちょっと智美」
「おっ、おい」
今度は美雪と和哉が恥ずかしがるシーンなので感情を込めて演じた。
「やっぱ、こっちの方がお似合いだ」
美雪と和哉はお互いに目を合わせてはにかむと視線を逸らす。
そしてカメラのアングルが功太に映って星の台詞が入る。
「じゃあ、僕、日直があるから先に行くね」
「うん」
さすがはベテランの星だけのことはある。
功太の微妙な感情の揺れを声だけで表現してみせた。
「あっ、そうだ。今日のバイト、何時から?」
「16時30分から」
「なら、同じだね」
「そうだね」
「また、後で」
美雪と功太のやり取りが終わると功太はひとり学校へ向かう。
そして和哉がアップになると和哉は功太を睨みつけていた。
「いつも、あんな感じなのか?」
「うん。でも、誤解しないで。コウくんとはただの幼馴染だから」
「そうか……」
「はい、カット」
そこまで進んだところでまた響監督の待ったが入った。
「ちょっと違うんだよな。美雪は和哉に訴え掛けるのではなくて残念そうにしているんだ。その美雪の気持ちがわかる?」
「和哉くんに誤解されて悲しいんですね」
「わかっているじゃないか。なら、それを声で演じろ」
「はい」
3日かけで台本を読み込んで覚えたつもりでいたがつもりだった。
全然、美雪の感情の揺れを把握できていない。
響監督に指摘されてはじめて気づかされる。
自分の力のなさを実感させられた。
「和哉の台詞からはじめるぞ」
響監督が指示を出すと和哉が功太を睨みつけている映像からはじまった。
「いつも、あんな感じなのか?」
「うん。でも、誤解しないで。コウくんとはただの幼馴染だから」
「そうか……」
二木の台詞が終わると少し間を置いてから響監督がOKを出した。
その後も学校、授業風景、お昼のシーンなど続けてアフレコした。
「はい、カット。ちょっと休憩にしようか」
「ふ~、緊張した」
「ベテランの仏頭さんでも緊張するんですね」
「あたり前じゃない。アテレコは一発勝負だからね」
「アテレコは新人さんも玄人さんも関係ないわ。だから、安心してね」
右倉から優しい励ましを受けて少しだけ気持ちが楽になった。
「それより、お茶にしよう。早く”大阪チーズブリュレ”が食べたい」
「もう、すみぺは食い地がはっているんだから」
「仕方ないじゃない。スイーツは女子の大好物なんだから」
と言うことで私達は控え室に戻ってから二木が持って来た”大阪チーズブリュレ”を分けた。
「うわぁ~、美味しそう」
「それじゃあ、いただきま~す。モグモグ、おいし~い」
「ふわとろの食感にカリカリのカラメルが合わさって口の中が楽しいわ」
「あやねるは食レポうまいね」
「そう?仕事が増えるかも」
右倉の言う通り舌触りがよくてカラメルのカリカリの食感が楽しい。
おまけにクリームの甘味と焦げたカラメルの苦みがマッチしている。
はじめて食べたけれどファンになりそうなぐらい美味しかった。
「これなら何個でも食べられるね」
「仏頭、俺のも食べるか?」
「頂いていいんですか、二木さん」
「俺はもう食べたからな」
「それじゃあ、遠慮なく頂きます」
二木から”大阪チーズブリュレ”をもらって仏頭は満面の笑みを浮かべる。
ひとつだけと思っていたから余計に嬉しいのだろう。
「なら、余っている2つは私とあやねるの分ね」
「ちょっと待って。まといちゃんの分がない」
「私はいいです。もう食べましたから」
「ダメよ。私達が2つなんだからまといちゃんも2つじゃないと」
そう言って右倉はまだ食べていない子高と星に視線を投げた。
「こりゃ、参ったな」
「僕はいいですから結川さんが食べてください」
「おいおい、星。それだと俺がワガママを言ったみたいじゃないか」
「子高さんは先輩ですから僕は遠慮させていただきます」
「なら、俺のもやるよ。みんなで分けてくれ」
子高は罰の悪そうな顔をしながらテーブルに”大阪チーズブリュレ”を置いた。
「女子達みんなに2つずつ渡ったけれど1つ余っちゃったね」
「ここは食いしん坊の私がいただくね」
「何でそうなるのよ、すみぺ」
「だってあかりんは太ったこと気にしていたでしょ。ダイエットのためにも2つまでにしておいた方がいいよ」
「ちょっと、みんながいる前で言わないでよ」
下坂が仏頭の秘密をしゃべったので仏頭の機嫌が悪くなる。
”太った”なんて女子には禁句だし、他の男性陣の前で言うのは反則だ。
何より恥ずかしいし、カワイくなくなったように見られるから悲しいのだ。
「なら、あかりんが食べる?3つも食べたらお腹がブヨブヨだよ」
「3つぐらい食べたって変わらないわよ」
「ちょっと2人とも。今日のゲストを忘れているんじゃない」
二人して言い合っている下坂と仏頭を遮って右倉が私を見た。
「えっ?私ですか?」
「まといちゃんは若いから3つぐらい食べても太らないしね。みんなエネルギーになっちゃうわ」
「そんな。お三方を差し置いて私なんかがいただけません」
さすがに先輩方を差し置いて3つも頂くなんて気が引ける。
私はこの中で一番下っ端なのだから遠慮しないといけない。
ただ、右倉達は違っていたようで私に食べるように迫って来た。
「ダメよ。まといちゃんが食べてくれないと終わらないのよ」
「でも……」
「お姉さん達の言うことは聞くものよ」
「私達の代わりに食べてちょうだい」
そこまでお三方に迫られると断る訳にもいかない。
仕方ないので1つ余っていた”大阪チーズブリュレ”を頂いた。
ただ、あまりに緊張していたので味は全く覚えていなかった。
それから30分ほど休憩を終えるとアフレコの時間になった。




