第二話 誰趣味?
二日目。
まるでデジャブのような朝を迎えていた。
テーブルの向かいにはまといが座りテレビを観ている。
今朝は昨日よりも少し早く起きて寛いでいた。
俺はキッチンで朝食の準備をしている。
メニューはタマゴサンドとハム、サラダだけの軽食。
朝はお腹いっぱい食べるより軽く入れるだけの方が調子がいい。
コトコトと音を立てているコーヒーメーカーから香ばしい匂いが溢れ出す。
すっかりと部屋中はコーヒーの香りでいっぱいだった。
「できたぞ」
「ふぁ~い」
まといはテレビに夢中で気の抜けたような返事をする。
そしてタマゴサンドを手に取ると口に放り込んだ。
「まったく」
そんな態度に小言を零しそうになるが堪えた。
また、”昭和~”と言われて馬鹿にされるのがオチだ。
俺はただ食事は静かにすませたいだけの話なのだがまといには通じない。
返ってテレビが珍しかった昭和の時代の方がテレビに夢中になっていたものだ。
俺は濃い目のブラックコーヒーを口に含んでひと飲みする。
ほろ苦い渋みに口の中をすぼまされると同時に鼻から香りが抜けて行く。
この朝の一口ですっきりとした朝がはじまりを告げるのだ。
そんな余韻に浸ていると”ちぃかま”のアニメがはじまる。
「うわぁ~癒される」
「どこがいいんだ。そんなの」
「わからないかな。このフォルムがいいのよ」
「かまぼこだろう」
「かまぼこじゃないわ。わかんないかなー。これなんてカワイイでしょう」
「それはなるとだ」
「かまぼこでしょう」
「なるとだ」
女子高生の趣味嗜好について行けない。
有名どころのキャラクターならわかるがメジャーでない”ちぃかま”のどこがいいのか。
とかく10代女子は目新しいものに夢中になる傾向がある。
それが流行っていようがいまいが自分が気に入ればいいのだ。
「今日の占いがはじまったわ。えーと、みずがめ座は……」
「占いなんて誰かが勝手に作ってるものだぞ。そんなのあてになるか」
「乙女心がわかってないわね。朝の占いでその日の気分が決まる大事なものなの」
「そんなもので気分を決められてたまるものか」
朝はやっぱりお馴染みのルーティンを繰り返す方がいい。
かの有名なメジャーリーガーだってルーティンを大事にしている。
その日のコンディションはルーティンをすることで整えるものだ。
けっして占いごときの力でどうとなるものでなはない。
「今日のみずがめ座は”副収入あり”。ラッキーカラーは黄色だって。やったー!」
「副収入なんて俺が欲しいところだ」
「今日は楽しい一日になりそう」
「単純なやつだ」
こんなちっぽけなもので元気になれる単純さが羨ましい。
俺なんて考えることがたくさんあり過ぎで元気が出ない。
仕事のこともまといのこともやることがいっぱいあるのだ。
これがサラリーマンと女子高生の違いなのかもしれない。
「和斗ってさそり座だったよね」
「それがどうした」
「今日のさそり座は”足元に注意”だって。ラッキーカラーは青よ」
「何だ、その占いの結果は」
「”ちぃかま”の占いはあたるから素直に聞き入れた方がいいよ」
「そんなの偶然だ。それよりもさっさと朝食をすませろ」
占いの結果なんてその人がどう捉えるかで変わるものだ。
書いてあることはありきたりな文言だから万人に当てはまる。
もし、仮に全国のさそり座の人が足元に注意しないといけないとなると大変だ。
下を向いて歩いている人が増えるだろう。
その方が返って危ないと言うものだ。
まといは残りのタマゴサンドを咥えながら洗面所へ向かう。
俺はテーブルの上の食器を運んで片付けをはじめる。
「毎度のことだけど当番制にした方がいいかもな」
まといがいつまで俺の家にいるのかはわからない。
ただで居候するならそれなりの仕事をこなしてもらう必要がある。
小さい子供じゃないんだからそれぐらいはして当然だ。
(いい判断だね。役割を決めれば自覚も生まれるしいいことだよ)
(なら、体で奉仕してもらった方がいいんじゃないか。お前のムラムラも晴らせるし、一石二鳥だ)
(人の弱みにつけ込むなんて悪人のすることだよ。キミはそんな非情な人間じゃないよね)
(このご時世、お金を払えないなら体で払うってのが筋だ。それにその方が満足できるだろう)
また、いつものように天使の俺と悪魔の俺が頭の中でプレゼンをはじめる。
「朝っぱらから出て来るな」
この二人は無意識から出て来ているからどうしようもない。
いつも決まって考えごとをした時に出て来てプレゼンをする。
その悪い癖が女子達の反感を買って毎度フラれてしまうのだ。
表向きはイケメンで―クールだから良いイメージを描いているからだろう。
だが、ここぞと言う時に迷っていたら女子達も意気消沈してしまうのだ。
俺は頭の中でプレゼンしてる二人をかき消してトイレに入る。
そして朝の一発をお見舞いした。
「ふーぅ。すっきりした」
いつものルーティンをあたり前のようにこなす。
俺の体の方もそれを理解しているようで快便だ。
これがもし快便じゃなかったらルーティンが崩れてしまう。
あくまで快便も含めてのルーティンなのだ。
すっきりしてトイレを出るとまといが待ち構えていた。
「ちょっとー!先にトイレに入らないでって言ったでしょ!」
「仕方ないだろう。便は待ってくれないんだから」
「待ってくれないんじゃなくて待たせなきゃいけないの。もう、最悪だわ」
「居候の分際で生意気を言うな」
さっきまでとは違ってまといのテンションはだだ下がりだ。
トイレの扉を全開にして籠っている匂いを追い出している。
”俺の便はそんなにも臭くないぞ”とツッコミを入れようと思ったが止めておいた。
こうなってしまったら何を言ってもまといの機嫌はなおらない。
返って余計なことを口にする方が危険だ。
俺はそのまま洗面台に向かい歯磨きをはじめる。
「全く、あいつは誰が主人なのかわかってないよな。ここは俺の家なんだ」
俺が気を使う必要はないのだ。
気を使うのはまといの方で少しは遠慮をしてもらいたい。
まるでここが自分の家でもあるかのような振る舞いだ。
人の家に来てそこまで浸れるなんてある意味すごい。
やはり女子は根っからおばさんの血が流れているようだ。
シェービングクリームを顔に塗って髭を剃る。
次いでヘアスタイルを決めて身支度を整える。
そしてスーツに着替えれば準備は万端だ。
「おい、行くぞ」
「少しぐらい待ってよ」
「何をそんなに怒っているんだ」
「今日のは特別臭かったからよ」
「なっ!」
改めて他人から言われると本当に臭かったのだと思ってしまう。
自分の匂いには鈍感だから気づかないことも多い。
ただ、毎朝快便しているのだからそんなに臭うはずはないのだ。
まといはトイレを先にされたからムカついて言っているだけだ。
「お前、いつも同じ格好をしているな」
「仕方ないじゃない。これしか服がないんだから」
制服だから仕方ないかもしれないがそれにしてもだ。
お洒落に気を使う年頃なんだからもっと変化をつけてもいい。
俺は財布から1万円を取り出してまといに渡す。
「これで服でも買って来い」
「1万じゃ足りない。新しい下着も買わないといけないから」
「わかった。3万やるからそれで買って来い」
「ラッキー。ありがとう」
女子の下着がそんなにも高いのかわからないがとりあえずは安心だ。
毎日同じ格好をされているとこっちが気を使ってしまう。
それに同じ下着をつけてるなんて不潔でしかないのだから。
一方でまといは臨時収入を得てご機嫌のようだ。
「行くぞ」
俺は玄関の扉を開けて外を確める。
また、昨日のようにおキヨさんに捕まりたくないからだ。
ただ、今朝は運がよかったようでおキヨさんはいなかった。
「おい、急げ」
「急かさないでよ」
「おキヨさんに捕まったらまた勘ぐられるからな」
俺達はアパートから逃げるように駆け出して行く。
そして近くのバス停まで行くとようやく気を抜いた。
「ハアハアハア。ここまで来れば大丈夫だ」
「毎日、こうしなくちゃいけないの?」
「そうだ。ずっとだ」
「えー。疲れるー」
まといは唇を尖らせて不満を零す。
そもそもこうなってしまったのはまといが原因なのだ。
だから、多少疲れても我慢してもらわなければならない。
それが嫌なら自分の家に帰ってもらうだけだ。
俺達はいつものようにバスに揺られながら駅へ向かう。
10分もすると駅に到着した。
相変らず駅は混雑していて人々が行き交っている。
その中で俺とまといは向き合って”行ってきます”を告げていた。
「ちゃんと下着を買って来るんだぞ」
「好きね~。どんなのが好み?」
「そうだな……って、違ーう!ノリツッコミをさるな」
「冗談よ。ちゃんと買って来るから安心して」
「じゃあな」
「行って来まーす」
そう言ってまといは軽い足取りで学校へ向かう。
その背中を見送ってから俺も駅の構内へ入って行った。
「ちょっと渡し過ぎたかな」
女子高生の3万はデカい。
働いて3万も稼ぐのにどれだけの時間を費やすものか。
それを考えると3万は渡し過ぎたとさえ思ってしまう。
まあ、あの場合は仕方なかったことは否めないが。
(何を言っているんだよ。下着はけっこう高いんだよ。3万でちょうどよかったよ)
(スケスケのエロい下着を買って来るといいな。そしたら誘っているのも同然だ)
(何を言っているんだよ。下着なんてその人の趣味だから、特別そんな意味はないよ)
(馬鹿言え。エロい女ほどエロい下着を身に着けているものだ。スケスケやTバックは常識だぞ)
(ううぅ。今回は反論できない)
いつもの展開とは違って天使の俺が折れた。
悪魔の俺が言ったことが正しいから言い返せないのだ。
ふいに俺はエロい下着を身に着けたまといを想像してしまう。
「裸も興味がそそられるが、こっちはこっちでいいな」
見えそうで見えないところが男心をくすぐる。
AVに出て来る女優もスケスケの下着をつけていた。
そのスタイルがまといと重なって何とも言えない気持ちになる。
そんなエロい妄想をしていると――。
「あっ!」
駅のホームを踏み外して線路に転げ落ちそうになった。
瞬間に慌ててバランスを立て直したのでホームに落ちはしなかった。
だけど、ヒヤッとした瞬間だった。
「ふーぅ。危なかったぜ」
朝からホームに落ちたのではシャレにならない。
もし、電車が来ていたことを考えると冷や汗ものだ。
新聞の一面を飾ることになったら目も当てられない。
その時、ふいに朝の”ちぃかま”占いのことを思い出した。
「まさかな……」
とっさに俺は辺りを見回して青いものを探す。
ちょうど自販機があったので青い缶コーヒーを買った。
おまじないじゃないが持っているだけで少し安心する。
「俺も焼きが回ったかな」
それでも悪運を振り払えるならば構わない。
こんなところをまといに見られたらツッコまれそうだけど。
それから会社へ行く途中で青いコンビニで弁当を買ったのだった。
ただ、運が悪かったのはそれだけではなかった。
家に着くなり部屋を見て固まってしまう。
ミニマリストの俺の質素な部屋がゲーセン化していたのだ。
部屋のいたるところに”ちぃかま”のグッズが置かれている。
その中で幸せそうな顔をしながらまといが寛いでいた。
「おい!これはどう言うことだ!」
「いいでしょ。部屋が質素だったから模様替えしてみたの」
「模様替えってな。これじゃあゴミ屋敷と変わらないだろう」
「失礼ね。”ちぃかま”をゴミ扱いしないで」
模様替えってレベルの話ではない。
床から壁、天井まで”ちぃかま”グッズが飾ってある。
ベッドの上には”ちぃかま”のぬいぐるみが並べて置いてあった。
「どこで寝るんだよ」
「もちろん”ちぃかま”といっしょに寝るのよ。運気が上がるわよ」
いい年をした男子が”ちぃかま”といっしょに寝られるものか。
それは女子や子供に許された行為で大人の男子には似合わない。
中にはそう言う趣味を持った男子もいるがあくまで例外なのだ。
とりわけクールなイケメンで押し通している俺のイメージには合わない。
「それよりどこにそんな金があったんだ」
「和斗からもらった3万をつぎ込んだの。おかげでこれだけ”ちぃかま”グッズを集められたわ」
「お前な。下着を買って来いと言っただろう」
「ちゃんと買ったわよ。”ちぃかま”ぱんつ」
そう言いながらまといは”ちぃかま”ぱんつを広げてニンマリと笑う。
確かにぱんつは買ったようだが、そんなぱんつは似合わないだろう。
そう言うキャラクターぱんつは小さな子供が履くためにあるようなものだ。
それをいい年をした女子高生が履いているなんて……。
(キミはそんなに変態じゃないよね。そう思ってしまったら終わりだよ)
(ある意味、萌えるな。女子高生とぱんつのギャップがいい)
(下心があったって理性で抑えるのが紳士だよ。キミはクールなんだからイメージを崩しちゃダメだ)
(男はみんな変態なんだ。どんなイケメンだって下心を持っているものなんだよ)
天使の俺が言うことも悪魔の俺が言うこともどちらも正しい。
ただ、目の前に出された”ちぃかま”ぱんつを見ても萌えない。
「俺はクールだからな」
「何をひとりで言っているのよ。約束は守ったんだから問題ないでしょ」
確かにまといは俺との約束を守った。
しかし、ほどんど”ちぃかま”グッズに消えた。
それは受け入れざるべきことだろう。
「これ、全部、捨てて来い」
「ちょっとせっかく買ったんだよ。何も捨てることないじゃない」
「俺はミニマリストなんだ。こんなゴミゴミした部屋に住めるものか」
「じゃあ、これは何?」
「そ、それはっ!」
まといが徐に取り出したのは俺が隠していたAVだった。
しかも癖のある作品がぞろぞろと並べられてある。
「”夫に内緒で緊縛プレイ。隣人が及んだ犯行”だって」
「タイトルを読むんじゃない」
「こっちは”狙われた女子高生。密室の中でサイレントプレイ”」
「お、おい!」
まといは恥ずかしげもなく癖のあるAVのタイトルを読む。
そして蔑むような目で俺を見つめながら口元を緩ませた。
「こう言うのが趣味なんだ」
「そ、それは……」
「和斗がしたいならしてあげてもいいわよ」
「なっ!」
まといが思いも掛けない言葉を発するので俺は固まってしまった。
(誘惑に負けちゃダメだよ。きっと彼女はからかっているだけなんだ)
(チャンスじゃないか。あいつが誘って来てるんだ、遠慮はすることないぞ)
(ここで彼女に手を出したらキミの負けだよ。正気に戻るんだ)
(好みの緊縛プレイでイカせるか。たまんねーな、おい)
天使の俺の言う通り普通に考えたらまといは俺をからかっているだけだ。
俺の秘密を握ったものだから強気になって遊んでいるのんだろう。
そうすることで自分を優位に立たせて立場を逆転したいのだ。
ただ、悪魔の俺の言う通りこれはチャンスなのかもしれない。
俺の趣味嗜好を知ってからのお誘いだからチャンスを逃す手はない。
あんなプレイやこんなプレイなどやりたい放題だ。
俺は荒ぶる呼吸を整えながら生唾を飲み込む。
すると、まといは笑いながら冗談だと告げた。
「本気にしないでよ。私はそんなに軽い女じゃないわ」
「俺は……」
「何よ、その目は」
俺の只ならぬ様子を見てまといは身構える。
俺はすっかり悪魔の俺の言うことを本気にしてしまっている。
一度沸き上がった興奮はすぐには冷めやらない。
「俺は」
「冗談はよしてよ」
瞬間、俺はまといを押し倒して上に乗っかっていた。
「離して!いやよ!いや!」
まといは力で抑えつける俺を押し返そうと抵抗する。
しかし、俺の力の方が勝ってまといは観念して顔を背けた。
「まとい」
「したら許さないからね」
まといの目にはいっぱい涙が溜まっている。
そして悲しそうな顔をしながら抵抗していた。
そんな顔を見ていたら俺の良心が戻って来た。
「わ、悪い……」
「グスン。許さないんだから」
まといは両手で顔を覆い隠してシクシクと泣いている。
そんな姿を見ていたら罪悪感が俺の中に溢れ出す。
年端もいかない女子高生を力任せで犯そうとするなんて悪人のすることだ。
まといはただ俺をからかうつもりでしたことなんだ。
それを本気にするだなんて俺も大人気がない。
静かな部屋にはまといの泣き声が響き渡っている。
その雰囲気に耐え切れず俺は部屋を飛び出した。
行あてなんてない。
ただ、その時はその場から逃げ出したかっただけだ。
俺がまといにしたことは消せることではない。
未遂だったとしてもまといを悲しませてしまったのだ。
「ちくしょう!ちくしょう!ちくしょう!」
俺は無我夢中で辺りを駆け回った。
全てをなかったことにするかのように。
ただ、罪悪感は消えることがなかった。