誉の居館
左馬助が統治する『大和居館』に馬で向かうそうだ。元々居た三成の私室から出て、佐和山城から下山すると、少しづつバタバタと紙や書物を抱え込んで走り回る男たちとすれ違った。山で書類を運んでいるなんて、もし転んだらどうするんだろ。 と不思議そうに見やる誉に前を歩いていた左馬助は補足をしながら説明した。
「治部様の下で働いてる者はああいうように、責務に追われているですね」
なるほど…確かにあの狐面の治部様なら、厳しそうだ。
「それでも嫌な顔をせずに、勤めているのはまことに治部様のお陰です」
とニコリと笑った。翁の面しか見えないんだよなぁと心の中で突っ込んだ。
やっと、佐和山の麓に着くとすぐに目に入った景色は畑や民家だった。
「本丸はさらに上ですが、また今度の機会に」
それを聞くと佐和山の頂上を見上げた。ここからでは佐和山城本丸は見えなかった。
「さて、では佐和山を降りて貴方の迎えを待つ大和居館へ帰りましょうぞ」
麓から少し離れて歩くと、一本の木に四頭の馬の縄が結ばれていてその付近に二人がいた。まだ話せるほど近付いてないのに誉達が向かうのを気づいて、中座をした。誉から見て右側の人は女子であり、髪をバッサリ切ったのか肩までしかなかった。顔付きは童顔であるが、眼差しには確かな意志を持っていた。
「こちらは夜鷹でございます。この女は忍びでもありますのでどうぞ、手足だと思いお使いください」
「父は織田樂信の娘でございます、夜鷹です。よろしゅう」
次に左の男はニコリと笑う好青年であり、人当たりが良く、カサカサと肌が乾いており、日に焼けた身体をしていた。
「こちらは赤島康介でございます。今日からあなたの表での護衛と側近であります。この者は大変槍働きが良く、左近様が師範として指導しております」
「祖父は赤鬼と呼ばれた赤井悪衛門直正、そこから2代渡って赤鬼の名を恥じぬよう努めます。赤島悪衛門康介でございます。以後、悪衛門と」
「よろしく…悪衛門はなんか嫌だから、槍衛門と名乗れば」
「ありがたき言葉」
女の子は冷静そうだが、こっちの男は暑苦しそうだなぁと複雑な顔をした誉は
「私は世間知らずだ。だから、何かあればその都度教えて欲しい」
タイムスリップしてきましたなんて言えないし、言ったら何か起こるかもしれない。治部様だってそれは避けたい。だから、世間知らずと表すことにした。
「この二人は素性を明かしていますがどうか安心を。この者らは口を割りませぬ」
「…あ、そう。じゃあ、よろしく」
「はっ!」
気持ちのいい掛け声に引っ張られて、あれよこれよと馬を乗せられた。
前に赤島悪衛門康介改め、赤島槍衛門直正康介こと康介が先頭に真ん中の右は誉、左には左馬助、後ろには夜鷹がいた。この陣形で進む琵琶湖の眺めに浸っていた。
「治部様はこの琵琶湖の水路に対して厳しく取り締まっておりまして、京都と大阪城に流れていけるように、いつでも水を綺麗に保て、と仰いまして…」
治部様はそこまで考えてくれるのかと、驚いた。そういえば、今は何年の何月なのか?ぽつりと呟いた。
「いつなんだろ…」
「今は1594年の八月でございます」
後ろに着いていた夜鷹がそう答えた。今、独り言のように誰にも聞こえてないと思ったのだが…なぜ今それを答えてくれた。つぶやきに気付いた左馬助は顔を振り向き、
「夜鷹。どうしたのかね」
「誉様が何年の何月なのか知りたかったようなので…」
「ど、どういう事ですかね」
誉は頭を傾げて、尋ねた。
「夜鷹は忍びゆえ、耳が優れているのです」
「優れてんの、それは凄いね」
感心して素直に褒めたら、三人はキョトンな目をしてこちらを見つめた。
「え、な、なんです…?」
「し、忍びというのは本来忌み嫌われる存在。正々堂々と戦わぬということから汚れ仕事とも…」
それを聞いて、嫌悪感と失望感が苛まれた。
「そんなことは無いだろう。忍びというのは戦で勝つために色々工作しているのではないのか。忍びがいなかったら戦で負けるかもしれないだろう」
話しているうちに忍びに対する尊敬で高揚感が高まり、話してしまった。
「私めも忍びに対する扱いを再認識しなければなりませぬな」
「…それまでは扱いは酷かったの」
「いえ。ですが、積極的に使おうとは…というのも、今月に石川五右衛門と名乗る盗人が太閤を襲撃するという事件がありまして…盗人は釜に焼かれて…」
「ちょっと待て……そうか、今は秀吉が統治していたのだっけな」
「太閤の名を軽々しく口に出さぬ様…!」
左馬助からの厳しい忠告から、誉は口を固く閉じて、自分の軽率な行動に気付いた。
「それ故、乱破や忍を抱える大名はすぐさま、豊臣政権に申請せよというお触れを出しまして…出さなかった大名は改易及び家柄取り潰しという…」
「石川五右衛門のような次に暗殺する者が現れるかもしれないからって、他所の家まで手を出すの」
その質問には答えてくれなかった。否、答えが分からなかったのだろう…そんな気まずい空気が醸し出されようとしたら前の康介が指差して、あそこですよ!と誉に言った。指差した先には金色の田園が広がっていた。時刻はもう夕方に指してたのか、夕陽が高室山に沈んでいく。農民達が稲刈を終え、それらを見守る子供たちがいた。そして、道路の端にこちら側を見つめながら待つ人影を見かけた。ざっと見て、数十人と言ったところか。
「殿!お帰りなさいませ!」
右側で誉に一番近い男が突然、声を上げると
農民たちはその声に気付いて、田んぼにもかかわらずその場で平伏された。すると、男たちも平伏をした。
「正信、正信よ。儂が言いつけたことは守ったか」
「えぇ。配下たちに言いつけておきました」
「ならばよし」
正信と呼ばれた老齢の方と馬から降りた左馬助は何やら、コソコソと確認しあってる間に、康介に呼ばれて、左馬助達を越すように先に向かった。
連れてこられたのは大和館と呼ばれる大和家の居館らしい。中々に立派な館であり、空堀が館を囲んでおり、土橋が琵琶湖方面と伊賀方面の左、下にしか掛けられておらず、居館がコの形になっていた。 コ の真ん中にはかつては、寺でよく見かける枯山水庭園だったが、椿と呼ばれる姫様が産まれてからは子供たちが遊べるように、木を植えて、男子が木登りがしたり武道を嗜めるようにしたらしい。今では四人姉妹というところで一夫多妻制というこの世において、珍しく正室のみだった忠頼だったが、最愛の妻を亡くしてしまった。それにより、男を産むことが無くなり、苦渋の策として、末妹の菊を忠成として男を育てることを決意した矢先に、石田三成から誉を託すとの命令が下された時は涙を零したらしい。
「僕の素性を知ってもなお?」
「はい」
この一連の話を夜鷹が誉の私室となる主殿の近くの部屋で話してくれた。場所としては コ の上側の先っぽだった。康介は無事に、主君となる誉を警護し終えたとわざわざ同僚に言ってくるそうだ。
「ここで、左馬助様が来るまで待てと言われたけど…」
私室は六畳分あり、そこに執務用の低い机があるだけで他はなかった。夜鷹は庭側の障子の傍に正座で座り込んでるだけだ。こちら側から話し掛けないと無言の状態だ。気まずい、その空気に耐え切ることが出来なかった誉は思い切って、障子を開けた。前方にはやはり、庭だった。辺りを見渡しても誰もいない。夕焼けも闇に染まり始めて、薄紫になっていた。
すると、バタバタと左側の主殿から複数の足音が聞こえ始めた。その足音は体重の軽い人間の足音でなく、大人の足音だった。少しづつ近づいてくるその足音に恐れ始め、私室に引きずり込まれるようにするりと障子を閉めながら、引きこもった。それでもなお、その足音は止まなかった。恐らく誉の護衛役であろう夜鷹は微動だにしないことにツッコミたかった誉は自分だけでも構えていようと障子に向き合っていた。
そして、その足音の主達は障子の前に立っているのがわかった。影が写りこんでいるのだ。障子の端から端まで全て影が写りこんでいる。それでもなお、夜鷹は守ろうとせずに、勝手に障子を開けようとした。
心の準備ができていないままその主と対面せざるを得なくなった。
私室には誉と夜鷹を除くと七人の男たちが誉に向かって弧を描くように胡座座りをしていた。それでも、夜鷹は七人の男たちの後ろに控えめに座っていた。無言の間が続くかと思われていたら、突然一番右端の男が声を荒らげた。よく見たら、赤島康介だった。
「赤井直正の孫となり、大和家一番槍を務める赤島 槍之助 康介。よろしゅうございます」
知ってるよ、昼にそれ聞いたと微笑した誉だが、その康介の隣に座っていた自身よりも年下の10代前半あたりの少年も自身の名を告げた。
「前田玄以の子となる彦太郎でございます、この度は誉様の小姓として仕官させていただく、ご挨拶を」
かしこまった挨拶を年下からされ、思わず誉も軽く会釈をした。その少年──彦太郎は、学生時代に新一年生によく起こる緊張と期待を胸に周り以上に強ばっていた。その彦太郎の気持ちを汲み取り、少し笑みを浮かべた。だが、次に我こそも!と躍起に名乗りあげた。
「かの京極家に仕えた上坂 犬助 正信の子となります上坂正純でございます。この度、大和家当主就任おめでとうございます…つきまして、財務担当になります勘定奉行を取り締まらせていただきます」
硬っ苦しい。それが誉からこの男に対する感想だ。財務担当と言われたが、それ以前に性格からも外見からも堅苦しい。礼儀に関しては、あれこれ言われそうだな、距離を置こうと心に留めた。
「上坂正信の次男であり、兄上坂正信の腹違いの弟になります、上坂 豹助 正人でございます。私めは、この地域の治安や周辺の諍いを介入する大和奉行でございますので、誉様の治める地に悪事がないよう見張ります!」
彼はそうやって、目開き、ニコニコと応えてくれた。年齢では自身とそう変わらないが、その瞳の先には黒より深き闇が垣間見える気がして、珍しく同年代に会えたのにも関わらず、飛ばしたかった。
「海北 又三郎 頼友。父は狩野派に師事し、画才を磨いた画家でございます。誉様の仰せの通りに応えますのでどうぞご贔屓目に」
画家という割には七人の中で太っていて、頬も垂れており、汗をかいていた。汗を畳に落ちないように必死に手拭いで吹いていた。そして、顔つきは悪く、何やら緊張しているようだった。
「大丈夫…?」
「え、ええ。大丈夫です大丈夫です」
大丈夫じゃなさそうだが、本人がそう言うのなら突っ込むのは野暮では無い。次に行こう。
「野村 平四郎 直孝。国友村出身でござる。石田三成様の下で鉄砲頭を務めた後、その才能を大和家で活かすようにと、ここに参った。」
この人もこの人で、関わりづらかった。というのも、人と関係持ちたくないと言わんばかりな風体であり、これでは職場で一緒に働きたくないと思われるだろう。それは改善しなければならないことだが…。我関せずという顔付きで、困る。
「樋口直景の子、樋口 理太郎 景盛。膳奉行でございます。主の味に合いますよう、努めます」
最後は何やら申し訳なさそうに応えた。よそよそしい。先程の海北頼友もそんな感じだが、彼は自身に対する自信のなさっぽさそうだったが、この人は誉に対して興味無さげだった。膳奉行なんて言葉知らないが…。
総じて七人を見渡すと、誉に対して好意的そうなのは康介、彦太郎、正人のみだった。その3人は自分より年下から同年代だったが、残りの年上である四人は四者四様に反応が違っていた。だが、主君に対する礼儀は変わらなかった。顔に出てしまってはいるが。
「この七人が中心に貴方様を支えていきますよう、お願い申し上げます」
康介が口上を述べると、七人揃って座礼をして、私室から去った。残ったのは夜鷹と自身のみだった。
明日は国人と古参家臣と七人の家臣を中心に誉を皆に知らせるそうだ。国人とは国衆とも言い、大和家の所領には国人と呼ばれる各地域を仕切る代官のような者がおり、大抵は大和家と親交のある国人ばかりだそうだ。
そして、古参家臣とは大和忠頼時代に仕えていた重臣のことらしい。つまり、完全に誉は部外者であり、いきなり誉が次期当主として紹介されるわけだ。それを機に諍いや対立が起こりかねない…
「それには心配無用かと」
夜鷹はそんな誉の憂を晴らしてくれた。夜鷹曰く、主君石田三成からの伝達を親交があり、かつ権力のある有数の国人と忠頼が信頼する重臣らに告げており、それを受け入れたのこと。つまり、明日の謁見はお飾りのようなもので、周辺の力の弱い国人や下の家臣には知らされてないと。
だが、それでも家臣らの間に知ってるか知らないかの差で対立が起こったり、国人に対する待遇の差で内紛に発展しかねないだろう。
それを告げると、夜鷹は少し黙り込んだ。言い過ぎたかもしれない。ああ言えばこう言う、と思われたかもしれない…。何を言おう、彼女には無言であった。それに誉は前言撤回をしようかとしたら
「驚きました」
「…え、なに。なにが」
「大和家を熱心に考慮していただいてくれてるとは…」
「…はぁ」
我ながら情けない返事を返してしまった。恥ずかしいなと思いつつも、その意味を問いた。
「いえ、貴方様は本来ならば神隠しによって数百年前に戻りなられた。私のような畜生はまだしも、普通の人ならば涙に暮れるでしょう…それでもなお、貴方はこの世に生きようと思いなされる」
「あ〜。でも、元にいた時代でも生きることは辛かった」
「そう、ですか…?治部様は未来では豊かになっていると…」
「あぁ、いや。確かに未来では栄えているよ。栄えているはいるけど、家族に関しては僕は満たされなかった」
「…本来ならば、主の心の拠り所を突くようなことをしてはなりませぬ。お許しください」
夜鷹は軽く座礼をしつつ、目を伏せた。
「夜鷹は感情を出そう。それが初めての命令だ」
「しかし…私は畜生です」
「あぁ、あの昼間の?僕が言ったように、その扱いはしない。女だからとか忍者だからという扱いはしない。それは絶対にしなければならない。というか、治部様もそうするはずだ。それでもなお、君が畜生と名乗るのならば、治部様も含め、僕に対する命令違反だよ」
「…分かりました。今度からは、感情を出します」
と言いつつ、感情を出さなかったが…