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1. 家計は計画的に

「明日の朝、一家心中しようと思うの」


 厳寒の二月。冬の真っ只中。おんぼろアパートの一角の古びた部屋での夕食時、母さんが意味不明なことを言い出した。


「「いや、それはちょっと……」」


 僕と姉がハモりながら不平を言う。


「それなら、臓器を売るって言うのはどう? 肝臓と腎臓を一個ずつ売ったとしても誰にも分かりはしないわ。容姿は変わらないし」


 母さんが意味不明なことを言う。もう、何処から何処まで突っ込めばいいのやら。とりあえず肝臓は一個しかないから売ったら死んじゃうって。


「それも無理だから」


 僕が即答したのに対し姉はすぐには答えない。腕を組んでしばし悩んでいる。


俊史としふみの体だけを売るのだったら、私としては構わないけど」

「何てことを言うの千夏ちなつ。売るときはみんな一緒に売るのよ」


 ありがとう母さん。嬉しいけど絶対に方向が間違っているよ。僕は目の前のカセットコンロに手を伸ばした。熱い、と思いつつコンロの火を弱めると、すき焼きの美味しそうな匂いが鼻孔を占有してくる。鍋の中がグツグツ煮立つ音に反応してお腹がダンスを始めた。静かにさせるために肉を一切れ箸で摘んで、溶き卵につけてから口に放り込む。信じられないほど柔らかく筋も無い肉は一噛みで甘みが口の中にとろけていく。


「この牛肉面妖な美味さだよね」

「ええ、百グラム三千円の高級牛肉だから美味しくて当然よ」


 僕と姉は顔を見合わせる。今、さらっと何て言った?


「いくら使ったの?」

「一人、一万くらい」

「「はぁ?」」


 再び姉弟の声がハモる。


「それって三万円ってこと? 余裕で一ヶ月過ごせるじゃん。てゆーか私なら半年暮らしてみせる!」


 姉は、叫びながらも神速の箸の動きで高級牛肉を確保していく。しかも、葱も糸コンニャクも一緒にだ。椎茸は一人一個のはずなのに二個確保している。


「だって、これが最後と思ったから、ぱあっと使いたくなっちゃたのよ」


 にっこりと笑う母さん。その笑顔は年齢を感じさせないほど綺麗だけど……。ぶっちゃけ、悪魔のようだ。涼しげな表情で人の命を弄んでいる。


「とりあえず、牛肉を喰い終えたら家出するから。ホームレスになったほうが六万五千五百三十六倍程幸せだろうし」

「私は明日、会社の女子寮に引っ越すからね、前に話したとおり。本当は四月からだけど、人事の方が特別にオッケー出してくれたから」

「酷い。二人とも私のことを嫌いになったの? 見捨てるつもり? いいわよ。いいわよ。子供には必ず巣立ちの日があるのよ。親は心を鬼にして見送る運命にあるのよ」

「いやいや、母さん違うから。母さんのことは大好きだけど一緒にいたら生活できないから。どうしようもないから」

「そうよ。私も母さんのことは大好きだけど歩く借金製造装置一号の母さんと暮らしていたらお金も命もいくらあっても足りないじゃん」


 再び姉と意見が合った。もっとも、単純に事実のみを照合するだけでこの結論に達しているだけのことでもある。


「分かったわよ。あなたたちは自分たちの人生を歩みなさい。母の屍を乗り越えて大きく羽ばたいていくのよ」

「待ってよ。屍を乗り越えてっていうか、母さんが私たちの臓器を売り飛ばして屍にしようとしたんじゃない」


 姉のナイス言い種に対して、母は体をくねっとしならせて、おろろろと泣き始める。


「千夏ちゃん酷すぎる。私がどれだけ二人のことを思っているのか」


 母さん泣いている振りをしても駄目だよ。左手を畳について体を傾かせながらも右手で僕が食べようとした肉を神速の箸の動きで横から掻っ攫っていくのでは説得力が全くない。僕は狙いを変更してジュー、っと自己主張した肉をついばむ。


「何にせよ。私は出て行くけど俊史がいるから大丈夫でしょ」

「千夏ちゃん。最後の晩餐にいいお肉食べられて良かったわね」


 母は泣きまねを止めて満足したように腹をなでている。


「何言ってるの。市内だから休日ならいつでも会えるし。まさか母さんまだ自殺するつもり」

「しょうがないでしょ。千夏がいなければ収入が0なんだから」

「四月から三万だけは入れるから。それで何とか暮らしてよ」

「酷い。それっぽっちのお金では、すき焼きの肉くらいしか買えないわ。それに、今月と来月は?」

「じゃっかましーい。新入社員の収入くらい想像できるだろうが。己が働かんかい。おのれが」


 さすがの姉もぶちきれて立ち上がる。


「ごめんね。千夏、おっかさんがこんな体で。ゴホゴホ」

「いい加減にしないと本気で怒るよ」


姉は目を閉じながら右拳を硬く握って震えさせている。


「間違っているわ千夏。この場合は『おっかさん。それは言わない約束でしょ』って言わないと」


 お約束だけどそれって昭和のネタだよ。僕は心の中で突っ込みながら母さんに殴りかかろうとする姉を背後から抱きしめて止める。


「はぁ。大丈夫。落ち着いてる。いつものことだから」


 姉は僕の頭をナデナデすると座布団に座りなおした。

 既にすき焼き鍋は空っぽ。汁もご飯にかけて食べてしまっている。


「母さん。俊史を働かせればいいでしょ」


 気乗りしないような疲れた声。

 姉には感謝している。高校に通いながらバイトで生活費を稼いでいたし、大学進学を断念して就職したのは家族のため。私はこの顔で玉の輿に乗れるけど、俊史は男だから勉強をしっかりやっとかないと。って。ちょっと自信過剰が玉に瑕だが。

 だから、働けと言われて逆にちょっぴり嬉しかった。今までは、家のことは気にしないで勉強していなさい。と言われていただけだったから。


「分かった。僕も働くよ。別に部活とか入っていないから、ご飯代くらいは稼げるでしょ」

「俊史。何処で働く気?」

「詩乃んちの中華料理店で働くくらいしか思い浮かばないけど。忙しいときは手伝っているし。それとも姉ちゃん、お薦めの仕事とかある? アルバイトのプロでしょ?」

「それちっとも誉め言葉になっていないけどね」

「俊史。そんなことは気にしなくてももう決まっているわよ。住み込みで働くことが」


 話に割り込んできた母さんの言葉に頭が混乱する。そして、次の瞬間に僕と姉は叫んでいた。


「「初めからそう言わんかぃ!!!!」」


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