面影のない恋
小さい頃の大原七海は、同じ年の幼馴染み、髙野翔太とは、いつか恋人になり結婚すると思っていた。
七海がそう思うのも、周りの大人の影響が大きかった。
二人が住む区域は新興住宅街で、赤ん坊の頃はまだ周りは空き地が多く、人が住み始めるのはこれからと言う場所だった。
そんな区域で二人は初めて生まれた赤ちゃんと言うこともあり、ご近所さんからはとても可愛がられた。
「七海ちゃんは可愛いし、翔太君は男らしいし、二人ともお似合いね。」
そんな周りの言葉を七海はまともに受け止めて、自分達は、お似合いなのだと思い込んでいた。
小学校の帰り道、家が近い二人はいつも一緒に帰る。
「二人は仲良しね。」
そんな、二人を微笑ましく見ていたご近所さんからは、いつも、そう声を掛けられていた。
そんな声に七海と翔太はピースサインで答える。
だから、「二人は仲良し」が当たり前の評価になっていた。
家に着くのは七海の方が早く、七海の家から坂を登ること5分程のところに翔太の家はある。
だから、翔太は七海を家に送り届けてから、自分の家に向かう。
それが七海には、なんだか騎士に見守られているお姫様みたいで、嬉しかった。
そして、自分を送り届けてくれる翔太とはきっと両想いなんだと自信を持っていた。
友達の中にも、二人を仲良しと見る子達は沢山いて、高学年にもなると、いつも一緒に帰る二人を見て、「あの二人は付き合っている」と噂する子もいた。
ある日の休み時間。
もうすぐ球技大会という時期になり、運動音痴の七海の大嫌いなドッチボールの練習が始まった。
それは強制ではない。
しかし、ドッチボールに燃える男子は多く、ほとんどの児童が、参加する羽目になっていた。
「やだなぁ。」
七海が憂鬱そうに呟くと、友達の橋本美加が「早いとこ、当たって外に出よう。」と肩を叩いてきた。
美加も七海同様、運動が苦手なのだ。
運動が苦手な子供にとって、ドッチボールは最悪の遊びだ。
ドッチボールのボールは人に当てるために投げるので、みんな強く速く投げようとする。
そんな球を、運動音痴な七海達はキャッチすることなんて出来ない。
せいぜい、豪速球から逃げるのが精一杯。
しかし、あまり長く残り続けると、相手から目を付けられ、さらに強い力でボールを投げつけられる。
それが嫌で、七海も美加もみんながまだ必死になっていないゲームの最初にわざとボールにあたり、外野に出ることにしていた。
もちろん今回もそのつもりだった。
ピー!
笛がなり、ボールが足元に当たった七海は外野に出た。
(足で良かった。)
ドッチボールは足元に当たる方が、背中や胸に当たるより痛くない。
それは沢山ボールを当てられてみて出た結論だった。
七海が安堵して外野に出ると、クラスのリーダー的存在の男子が七海に文句を付けてきた。
「大原さんさ!わざと当たったよね!」
「そ、そんな事ないよ。」
しかし七海は内心バレたと、ドキドキしていた。
「いつもいつも、早めに当たるし、あんまり逃げないし、大原さんがやる気がないから、うちのクラス負けるかもしれないじゃん!ちゃんとしてよ!」
そんなに責められると思っていなかった七海は動揺した。
でも、ドッチボールが怖いからとか本当の事を言うのは、さらに男子を怒らせる気がして言えなかった。
そうこうしているうちに、ドッチボールが大好きなショートカットの男勝りな女子達も男子に同意し始めた。
クラスの大半が、七海のやり方を批判し始め、七海はますます何も言えなくなってしまった。
そのうち、みんなに申し訳ない気持ちと、怖い気持ちとが融合して、涙が溢れてきた。
「泣くとかずるいよね。」
「大原さんが悪いのに。」
そんな声が聴こえ出したその時。
「お前らのボールが強すぎるんだよ。」
翔太が七海の横に来て、そう言った。
七海は顔を上げて、翔太を見た。
翔太の横顔は怒っている。
七海に対してではなく、クラスのメンバーにだ。
「ドッチボール苦手な子が、毎日お前らの遠慮のないボールに当てられてたら、怖くもなるだろ。」
「お前、勝ちたくないのかよ。」
「嫌な気持ちの人がいるのに、勝ったって嬉しくねぇよ。それよりも、ボールの受けとり方とか、うまい逃げ方とかを教えてやろうぜ。その方が怖さも減るだろ?」
翔太のその言葉に、文句を言っていた男子や女子達は、はっとさせられた。
七海達は弱いから、逃げることだけ頑張ってくれればよいと思っていたからだ。
しかし、そうではなく、恐怖心を取り除いてやる方が逃げるだけにしても、安心して逃げられるのではないか。
翔太はそう言いたかったのだ。
「分かったよ。」
翔太の意見はもっともで、七海を責めたいたクラスメイトも、納得せざるを得なかった。
その日から、ドッチボールの練習は二人一組でのキャッチボールから始まるようになった。
言い出した手前、翔太は七海を教えることになった。
翔太はボールを見て受けとることや、手ではなく胸でボールをキャッチすることを教えてくれた。
そして、ボールに触れる時間が増えるほど、七海の不安も薄らいでいた。
「翔太、ありがとう。」
翔太からのボールをキャッチしながら、七海が言う。
「七海がうまく逃げられたら、絶対勝てるから!」
翔太は七海に勇気と安心感を与えてくれた。
しかし二人がペアを組む事で、クラスの男子のからかいが始まった。
「お前らまじで付きあってんじゃねぇーの?」
男子の一人がニヤニヤしながら七海と翔太をからかう。
「もうキスとかしたのか?いやらしいな。」
そんな冷やかしに最初は対抗していた翔太も、球技大会が終わる頃には、何も言わなくなった。
ただ黙って、男子の言ってくる言葉を無視していた。
すると、面白くなくなったのか、からかっていた男子達も何も言わなくなった。
その頃から、翔太は七海と一緒に帰らなくなった。
そして、中学に入る頃には、二人は会話すらしなくなっていた。
高校生になると、お互いを見掛ける事はなくなった。
お互い違う高校に通っているのもあるが、いつも同じ駅を使っている筈なのに、全く会わない。
それがもう当たり前になっていた。
七海の中では、小学生の頃にからかわれた事が、その原因ではないかと思っていた。
「きっと私の事、好きじゃなかったんだろうな。」
そう考えるようになり、七海は翔太に甘えていたことを、申し訳ないと思うようになっていた。
そして、小学生の頃持っていた「両思い」と言う自信は音を立てて崩れていった。
それがきっかけになったのか、七海はどんどん内気になり、自分に自信を持てなくなっていた。
「あっ。」
高校生になってから、七海はよくこけるようになった。
部活もしていなかった七海は帰宅部で、運動なんてほとんどしない。
それが原因だと七海は思い、こけかけると「またか」と自分が情けなくなる。
いつものように駅の階段を登っていた七海は、また階段を踏み外し、前に倒れそうになった。
「あっ!」
その時、横から七海の腕をぐいっと引き上げる強い力を感じた。
そのお陰で七海は前に倒れることなく、その場に立ち止まる事が出来た。
「すいま…。」
安心した七海が、腕を引っ張り上げてくれた人にお礼を言おうとした時、思いがけない言葉が降ってきた。
「間抜けだな。普通に歩けないのかよ。」
腕を引っ張り上げてくれた人物はそう言って、心底めんどくさそうな顔を七海に向けた。
「す、すみません。」
七海が急いで謝ると、その人物はため息をついた。
「そっちが俺の前でこけかけるから、俺までこけるところだっただろう。まったく。」
その人物は七海の後ろを階段で登っていたらしく、目の前でこけそうになった七海のせいで、自分までこけそうになったようだ。
「すみません。」
再び謝りながら、七海はその人物を見た。
その人物は、髪は金髪で耳にはピアスをし、制服の代わりに青いパーカーを身につけた、学生だった。
(他の区域の人かな?)
七海が不思議そうに見ていると、その人物はぶつぶつ言いながら、七海を通り越し、先にホームへと向かった。
(ちょっと怖かったな。)
それが七海の印象だった。
次の日、七海はこけないように慎重に階段を登っていた。
昨日の様に、他の人に迷惑をかけないためだ。
すると、後ろから乱暴な声が聴こえてきた。
「今度はのろまかよ。」
その声に振り返ると、そこには昨日の金髪の学生が立っていた。
呆れたような口調に、眉間にシワを寄せているところを見ると、また怒らせてしまったようだ。
「す、すみません。」
七海は狭い階段で急いで角に寄った。
しかし周りを見ずに移動してしまった七海は、急いで駆け上がってくるサラリーマンの人とぶつかってしまった。
「あっ!」
その勢いで七海は、階段から落ちそうになった。
「おっと。」
すると、七海より一段下にいた金髪の学生が、後ろから七海を抱き止めてくれた。
「おい!おっさん!あぶねぇだろ!」
金髪の学生は七海を受け止めながら、前を走るサラリーマンに叫んだ。
すると、サラリーマンは片手だけ上げて、謝ってきた。
それを見て金髪の学生は「まったく。」と呆れたようにため息をついた。
「あ、あの、」
七海は、金髪の学生の胸に飛び込んだ状態になっていることに焦った。
その事に気付いた金髪の学生は、ぐいっと七海の体を押した。
「もう、立てるだろ?」
ぶっきらぼうに、そう言うとまた七海を通り越して、ホームへと階段を登っていった。
そんな彼のうしろ姿を七海は見つめていた。
(まだドキドキしてる。)
電車に乗った七海は、先程の金髪の学生に抱き止められた感触に戸惑っていた。
男の人の胸に飛び込むなんて、初めてだ。
(大きな体だったな。)
そんな事を思う自分は変態かも知れないと七海は急いで、その想いを消そうとした。
しかし、一度体験してしまった男の人の逞しい腕の感触は、七海を熱くした。
(どうしよう。恥ずかしい。)
七海はまたあの学生に会ったらどうしようと思う反面、また会えるかもと、少しの期待を持ってしまった。
(会ったからって、何も話せないけど。)
内気な七海は、金髪の学生に対する、小さな想いを抱え初めていた。
しかし七海の予想に反して、あれから1週間、金髪の学生には会わなかった。
七海は階段をゆっくり歩きながら、たまに後ろを振り返り、目立つ金髪を探した。
何度振り返っても、いつもの学生達、いつものサラリーマンの姿しかない。
「はぁ。」
小さくため息をつき、また階段を登り始めた時だった。
「おい!」とぶっきらぼうな声がした。
振り返るとそこには怒ったような顔の金髪の学生が立っていた。
諦めた頃の登場に七海は焦り、急いで階段を登ろうとしてしまった。
だからか、体制を崩し、階段を登る前に、足が縺れ、そのまま前向きに倒れ混んでしまった。
「おい!」
七海の予想外の動きに対応できず、金髪の学生は倒れていく七海をただ見ているしかなかった。
七海は頭を強く打ち、痛みに顔を歪めた。
「大丈夫か!」
焦った金髪の学生の声が聞こえる。
「おい!誰か!救急車呼んでくれ!」
そう叫ぶ金髪の学生の声がだんだんと遠くに聞こえた。
七海の意識は遠退いていった。
うっすらとした意識の中で、聞き覚えのある声がする。
(おかあさん?)
しかし聞き覚えのある声はもう一つ。
(誰?だっけ?)
七海は記憶の糸を辿る。
「おばさん、すみません。俺が急に声かけたから、ビックリしたみたいで。」
どこか優しい言い方。
「俺、七海が起きるまで、ここにいていいですか?」
(私の名前を呼んでる。)
優しい声と、自分の名前を慣れたように言う人物。
(なんか懐かしい。)
七海は小学生時代のドッチボールの練習を思い出していた。
<七海がうまく逃げられたら、絶対勝てるから!>
(私に安心感を与えてくれた翔太の声。)
そして、駅でサラリーマンに向かって怒鳴った金髪の学生の声がリフレインする。
<おい!おっさん!あぶねぇだろ!>
それと同時にもう一つの記憶の声が。
<お前らのボールが強すぎるんだよ!>
それは、ドッチボールが苦手な七海を庇ってくれた翔太の声。
(似てる…。)
七海の中で、小学生の頃の翔太の声と、金髪の学生の声が重なる。
(翔太?)
七海はゆっくりと目を開けた。
「気が付いたかよ。」
横を向くと、困った顔の翔太の顔があった。
「翔太?」
しかし何かが違う。
今見えているのは、金髪。
翔太はそんな、髪の色じゃなかった。
七海の知る翔太は、もう何年も前に見たのが最後。
「七海。」
金髪の学生が今まで聞いたことのない優しい音色で七海の名前を呼んだ。
「誰?」
七海がはっきりしない意識の中で、呟いた。
「俺だよ。翔太。髙野翔太。…お前、駅の階段でこけて…。」
「えっ?!」
七海は飛び起きた。
ど、同時に頭に痛みが走った。
七海は思わず頭を押さえた。
「ばか!急に起き上がんな!」
そう言った声は、金髪の学生のいつもの声。
「ご、ごめんなさい。」
心配を掛けた事と頭の痛みで、七海はもう一度体を寝かせた。
そんな七海の体に、金髪の学生がシーツを掛けてくれた。
「ここは?」
「病院だよ。」
「お母さんの声がしたけど。」
「今医者に話を聞いてる。」
「そう。」
こんなにすらすらと会話していることが不思議だった。
だって七海は金髪の学生を怖いと感じていた。
それに、抱き止められた事から、意識してしまって、まともに話しなんてできなかったのに。
今はこんなにも自然と会話してる。
(この感じ、懐かしい。)
そう七海が感じていると、金髪の学生が言った。
「お前、俺って分かってなかったのかよ。」
そう言われ、改めて金髪の学生を見た。
どこかで会ったような…。
「ほんとに、翔太?」
七海には信じられなかった。
目の前の金髪の学生は、七海の知っている翔太の面影が一つもない。
でも、どこかで懐かしさを感じる。
「そうだよ。お前、冷たいな。」
「だって、翔太は金髪じゃなかったし、ピアスだって…。」
翔太は頭を抱えた。
「お前、いつの話してんの?もうガキじゃねぇんだから、見た目ぐらい変わるだろ?」
「そう、…か。」
「まぁ、お前は全く変わってないけどな。すぐにお前って分かるし。」
そう言われると少し寂しい。
自分だけ、過去に置いてかれた気分だ。
七海の心が、暗く沈む。
「今まで一度も会ってなかったんだから、分からないよ。」
「はぁ?」
少し拗ねた七海に翔太が呆れたような返事をする。
「会ってないって…毎日同じ駅使ってんじゃん。」
「え?」
そう言われても、七海は会った記憶もない。
「まぁ、中学の時は同じクラスにもなってないし、高校に入って俺、すぐ髪染めたけどな。」
「そんなんじゃ分かんないよ。」
「俺はお前の事、いっつも見てたぞ。危なっかしいから。」
そう言った翔太は七海から目線を外した。
「いつもって…。」
「高校生になってから久しぶりにお前見掛けたら、いっつもこけそうになってるし、あぶねぇなと思って見てた。割りとすぐ後ろにいたんだけど。」
「え?」
そう言われ、七海は金髪の学生が現れた時の事を振り返った。
(そういえば、いつも私の後ろにいた。こけそうになったら、すぐ手を伸ばしてくれてた。)
七海は思わず、翔太を見た。
「やっと気付いたか。鈍感め。」
そう言って笑う翔太は、子供の頃の顔になっていた。
(翔太だ。)
七海は懐かしさに、嬉しくなった。
そして、七海の目に熱い涙がたまる。
「なんで、泣くんだよ。」
翔太が七海を見て焦っている。
「だって、嫌われてるかと思ってたから…。」
「はぁ?なんで?」
「だって、小学校の時、からかわれてから、一緒に帰らなくなったし、中学生の時はしゃべらなくなったし。…私と関わりたくないんじゃないかって…。」
正直に答えた七海の言葉に、翔太は黙ってしまった。
しかし、大きなため息と共に語りだした。
「お前、思春期の男子を舐めんなよ。女の子と一緒にいるなんて、恥ずかしいだろうが。それが気になる子なら、からかわれて、いいわけないし。そっとしといて欲しいっつうか…お前にも迷惑かと思って、距離置いたんだよ。」
顔を赤らめながら言う翔太の言葉に、七海の涙も止まった。
「気になる?私のことが?」
「改めて言うなよ。恥ずかしい。」
(翔太は私が気になってたの?それって…。)
「久しぶりに駅で見掛けて、やっぱりほっとけねぇって思ったわ。」
翔太は七海と目を合わさずに、恥ずかしそうに言う。
そんな翔太の姿に、七海の中である言葉が沸き上がってきた。
「私、今の翔太…好き…かも…。」
七海の言葉に翔太は驚いたように目を見開いた。
「なんだよ。遠慮して損した。」
そう言って翔太は七海の手を優しく握った。
「傷が治ったら、階段の登り方、教えてやるよ。」
それはとても翔太らしい告白だった。
そして、不器用な二人の恋が動き始めた…。
読んで頂き、ありがとうございました。
かわいらしい恋が描けたでしょうか?
また良かったら、読みに来てくださいね。
楽しんで頂けたら嬉しいです。