#D - 01 - 07 黒い棒
五階層で遭遇した『巨大緑粘体』に対し、高校生である日奈森唄奏は怖気づいた。
いざ立つ向かうと考えると明らかに接近戦を挑めるような簡単そうなモンスターには見えなかった。
いくら動きが鈍重だと説明を受けても実際の戦闘となると迫力が違う。
知識だけで戦い方を組み立てられても一青年にすぎない日奈森にとって怖い物は怖い。おそらく世間一般的にも無理からぬ反応だと言える。
大して歴戦の兵である神崎龍緋は平然としていた。それは未知の敵に対して軽く見ているわけではなく、潜ってきた戦闘経験によるものだ。
妹の鈴が公務員にならざるを得なかった理由があるのだが――今は割愛しておこう。
(……消毒液の散布といってもかなり近づかないといけない。その時、モンスターの急な動作が恐怖をより一層強める。……だが、いつまでも怖気づいていては先に進めないぞ、若人よ)
日奈森の様子を腕組しながら見つめる。
荷物持ちとして連れて来たものの彼にとっては自分の仕事を見てもらいたい気持ちと願わくば――自分の進む道をしっかりと歩んでもらいたい思惑があった。
後継者とまではいわないが、末っ子の鈴怜の彼氏でもある。将来的に家族の一員になる――かもしれない――男を無視することは出来ない。
日奈森からすれば天上人のような龍緋と共に仕事ができるだけで幸せだった。――鈴怜とのお付き合いに対して色々と身震いするほどの恐怖が無かったわけではない。
(……俺、龍緋さんを未だに義兄さんって呼べない内に死ぬのかな? ここで少しでも活躍しないと交際がパーになるかも……)
日奈森と鈴怜が付き合う事に対し、龍緋は快く了承している。
恋愛沙汰には全く興味を覚えないと思っていたほどの末の妹が満更でもないと言ってきたのだ。祝福しないわけにはいかない。――父親は痛く不満げだった。赤紫ヤンキーと付き合いだと、と青筋を立てて怒りを露にした。
「……鈴怜も連れて来るべきだったか」
「そ、そんなことはありません」
(そんなに力いっぱい否定しなくてもいいのに)
本来であれば一人で探索するはずだった。だが、鈴が共として日奈森を推薦してきた。
鈴怜との交際も少しずつ進められているし、ここらで彼の功績を上げる為にも、と長男に進言してきた。
安全階層までならば、という条件で頷いて今に至る。
「龍緋さん。槍を貸してもらえませんか?」
「……手持ちの武器だけで対処するのであれば多少の危険も覚悟しなければならない。だが、今は経験を積んでいる最中だ。その判断は決して間違っていない」
「すみません」
(普段の彼ならば私の『幻龍斬戟』の貸与を真っ先に進言するところなのに……。やはり、大型モンスターは怖いか……)
『幻龍斬戟』とは龍緋の主武装である黒い棒のこと。名付け親はベアトリーチェ。
祀軍国の秘宝にして数多の悪しき感情の結晶体――
現代科学では説明のつかない正体不明武器とも言われる。
太腿に備え付けてあった長さ十五センチメートル足らずの棒を取り出す。一見すると真っ直ぐな備長炭のようにも見えるそれを徐にへし折る。
折っては捻り、混ぜ込むように手を動かすと異変が生じる。
何度も破壊行為を繰り返す毎に一つの形を形成していく。そして、数秒後には元の長さよりも長い一本の長い槍状の武器へと変化していた。
完成した槍を無造作に日奈森に渡す。
「すみません」
「……あまり恐縮されると後で鈴怜に怒られる。手早く行動を示しなさい」
「はい」
鬼に金棒。そんな言葉が日奈森の脳裏に浮かぶ頃には恐怖心が幾分か薄らいでいた。
長さ二五〇センチメートルほどになった黒い槍をしっかりと両手で握り込み、巨大緑粘体の核に向かって突き出した。
距離感の調整も兼ねて何回か失敗する事を織り込み、目標に向かって焦らず突き続ける。
モンスターは身体を傷つけられた事に腹を立てて反撃に移る――ような機敏な動きを取る事無く核を砕かれることになった。
核の強度は手の感覚によれば軽石か石膏程度のもの。特別硬いとは思えなかった。寧ろ、突破した後の岩盤の方が何倍も硬かった。――つまり、見た目に寄らず強敵というほどの事は無かった。
この粘体が脅威なのは身体に触れた時だけ。落ち着いて動きを観察していれば油断なく倒せる相手である。
そして、大事な事だが核を砕いた後、壁から剥がれ落ちる事があるので最後まで気を緩めてはいけない。
∞ ← ★ → ∞
大型種の粘体を無事に討伐した後、武器が届く範囲に存在していた他の粘体も槍で処理していく。それらが終わる頃には僅かな死臭が鼻腔をくすぐる。
ダンジョン内に滞留する微風によって数分も経てば生物の死骸の匂いは霧散する。
溶解能力を持つ粘体を倒したために幻龍斬戟が溶けるかもしれない、と思われるが武器に損傷の痕は一切無い。
元々の材料が古木である黒い棒は木材を与えれば例え欠けたとしても修復が可能であった。
「特に問題なく処理できたね」
「倒した後、壁から剥がれ落ちるんすね」
(死ぬまでの時間が物凄く短い。どういう原理なんだ?)
武器を龍緋に返し、忘れないうちに粘体討伐についてメモを取る。
長かった槍は何度かへし折る事で小さな棒に戻った。
日奈森から見ても未だに変形のメカニズムが理解できない。一度、どうやっているのか聞いたが感覚で何となくできる、というものだった。ちなみにベアトリーチェも武器に変形させることが出来る。この時は完成形をイメージして破壊を繰り返せば自然とできる、と言われた。
見た目では分からない方法があるらしいというのは理解したが、壊している所を見るととても信じられない。
とにかく脅威が去った後、呼吸を整える。少しでも緊張をほぐしておかないと次の戦闘に身体が思うように動かない為だ。
「大物を討伐した感想は如何ですか?」
「見た目にビビッて恥ずかしかったです」
会話としてはそれだけで龍緋が日奈森の感想に返事を返さなかったが、微笑しているところを見ると戦い方に不満があるわけではなかったようで少し安心した。
戦闘に関して人任せにせず、モンスター討伐も本来は全て龍緋が担当するものと思っていた。――普段の言動からそう思い込んでいたが実際は自分の武器を平然と渡すような人だというのが意外に思えた。
日奈森の思い込みでしかないのかもしれないが、身近に憧れの人物が居るだけで調子が狂う。
(今更だけど、あの黒い棒……。滅茶苦茶軽かった。もっとズシリと重い物と思ってたのに)
重くないと龍緋の攻撃に耐えられず自壊してしまうと思っていた。
自由自在に扱うところから小さくでも相当重量があるものだと――
実際に見たことは無いが巨大ロボットに変形するとも言われている。だから、人間一人か持てるような物体ではない筈なのだ。
∞ ← ★ → ∞
一番の脅威と呼べる粘体を倒したので後は五階層を気の済むまで探索すれば今日の仕事は――一旦――終了だ。
五階層までと龍緋は言っていたが荷物の多さから分かる通り、五階層で野営し、次の日からもっと深い階層に挑む。それとモンスターを完全に殲滅する事が目的ではない。
一般の探索者が想像するような探索がメインだ。
壁と天井に新たな粘体が発生していないか確認しながらテントを設営する。
ズシンという音と共に龍緋の背中から降ろされた巨大なリュックから様々な物資が取り出された。さすがに冷蔵庫は出てこない。
(……俺の知ってるキャンプ用の荷物じゃないな)
下手をすればコテージクラスの建物が出来上がりそうだ。
驚いている内に一人でテントを作り上げる。相当手馴れているところもまた驚きである。
戦闘特化の人物は他の作業が下手な場合が多い。龍緋は近代知識こそ拙いが身体を動かす作業であれば何でも出来そうな勢いがある。実際、掃除洗濯料理は弟妹達より上手いと評判だ。
下の三人の弟妹を育てた経験があるから当たり前も知れないが、一人っ子の日奈森から見れば驚愕に値する。
「……手際がいいっすね」
「そうかい? 黙って見ていないで手伝ってくれ」
「はい」
龍緋の指示を受けながら数十分で巨大テントが完成した。
中は広く、テントの上部に吊るした電灯によって明るく照らされる。
普通は寝袋だが、二人分の毛布と枕が床に置かれた。もちろん、地面が凸凹している為に床には大きな緩衝材が敷かれていた。
(壁掛け時計まで。ここまで快適なテントになるとは……)
驚いている間、龍緋は外に出て行き組み立て式のトイレまで用意した。
後々ごみ処理などは自衛隊に任せる事も出来るが民間人による探索者を受け入れたら多くは自分達で処理しなければならなくなる。
予算の都合で自衛隊も五階層までなら様々な援助が出来るらしいが、それ以降は全くの未知だ。
「……さすがに風呂場の用意はできないが、一先ず寝泊まりだけでも……」
「いや~。これだけで充分ですよ」
いくら力があると言っても風呂用の水まで担ぐのは流石に無理な筈だ。もし、可能であるならばトン単位の重量になってしまう。
龍緋ならばやってしまう気もするけれど。
嘘か本当か中学時代、海岸に置いてあるテトラポットでキャッチボールした、というものがある。小さな頃からやんちゃで、と彼の母親が言っていたような――
一見どこにでも居る――ここまで真面目な人間は逆に珍しいと言われるが――男性にしか見えないが身内から聞かれるエピソードのレベルが段違いにぶっ飛んでいる。
『東京タワー怪光事件』という人間が何人も消失した事件があり、彼もそれに巻き込まれた。――と聞くと創作物にある異世界転移を今なら容易に思い浮かべられるが、先ほどのエピソードは転移前の話しだ。
彼は異世界で未知の力を身に着けたわけではない。振るわれる力は全て自前だ。