#D - 01 - 05 スライムの倒し方
世界中にあるダンジョンにおいて内部の造りは様々だ。
今のところ判明している内容によれば常識を覆すような造りは無く、異空間らしさも確認出来ていない。――公式見解ではそうなっているが国によって非公開情報がある可能性も否定できない。
日本の場合は諸外国に比べれば探索頻度は少ないものの少しずつ進められていた。
世紀末時代であればかなり無茶な探索が行われていた事もあったが、テレビ的な『ヤラセ』が社会問題化してからは安全第一に舵を切っている。
ケガ人が出ればすぐに責任問題へと発展し、想像以上に物事が進まなくなった。そしてそれは政府の中でも同様だ。
新しい法律や新薬の承認が決定するまで早くて三年、長くなると一〇年以上もかかると言われるようになっている。その代わり、政府にとって都合の良い法律は知らず知らずのうちに決まっていたりする。
その中でも民衆の大多数が反対していた『消費税』が導入され、近く『個人情報保護法』も広がる事になっている。
マスコミによる過度な報道合戦が社会問題化したことが原因とも言われているが、事の真偽は民衆にあまり伝わらないものだ。
世間が目まぐるしく変化している時に三〇代男性の神崎龍緋と高校生の日奈森唄奏は散歩気分でダンジョンの中を歩いていた。
広い通路に明るい電灯のお陰で。
「一気に五階層に降りるわけではなく、探索しながら二日目で五階層に到着する予定だ」
白髪の龍緋にそう言われて日奈森は素直に了承する。
今回の探索が数日掛かりである事は承知していた。苦学生である彼にとってアルバイトを休むのは金銭的にも不味いのだが――店への断りは龍緋の妹である鈴が行っていた。
長女の鈴は市役所勤めの公務員で神崎家に関わる事務手続きを担っていた。
兄が起こす問題が家庭内で解決できる範囲を超えている為に交渉を有利に進めるために公務員になった。今では近隣トラブルも警察への対応も独自にこなせる事から日奈森は彼女に頭が上がらないくらいお世話になっていた。
アルバイト先の店主も事前交渉のお陰か、今回の探索に快く許可を出してくれた。
「今回お声をかけてくれた事には感謝していますが……、急っすよね」
日奈森の言葉を聞いて龍緋は苦笑した。
彼にとっては確かに急な事だ。しかし、龍緋にとっては結構前から交渉が始まっており、性急さは感じなかった。
お供を弟ではなく日奈森にしたのは彼にお駄賃をあげたいと思ったから。ただ、それだけだった。
政府に依頼されたからとて公開できないような情報があるとは思えない。それは今回探索するダンジョンはいずれ民間に開放されるものの一つにする予定だからだ。
ダンジョン熱が世界で再燃し、探索者や冒険者として潜りたい民衆の声を反映しようと国会でも言われ始めていた。それを政府としても無視できなくなった為に新しい法律の制定に向けて水面下で激論が交わされている。
今までは自衛隊が率先していた。だが、テロリスト対策に人材の多くを割いているので国内ダンジョンの管理が難しくなってきていた。
そろそろ民間に委託すべきではないのか、と野党から催促が入り始めた。
郵政民営化の勢いにつられてダンジョン探索も民営化すべきだ、という暴論が通りそうな風潮になっている。
政府は世間の人気に相乗りする性質だ。そうした方が選挙でも有利になると彼らは知っている。
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政府の思惑など無視して広い洞窟内を神崎達は進む。
日奈森は歩きながらダンジョンの様子を分かる範囲でメモ帖に記入していく。民間人から見た印象を反映させるためだ。――龍緋はダンジョンの知識があまり無いので単なる洞窟と何が違うのか、今もってよく理解していない。
今居る階層には既に何度も調査の手が入っている。とはいえ第一階層とてダンジョンに変わりがない。
この階層に現れるモンスターは粘菌型の『粘体』が主である。出入り口付近からしばらく歩いているがまだ見当たらなかった。
粘体はテレビゲームで有名になったせいか、雑魚モンスターと言われている。しかし、諸外国では雑魚扱いされていない。寧ろ、危険なモンスターとして有名だ。
装備品、または金属を融かす性質を持つからだ。そんなものが皮膚に着けばどうなるか、戦々恐々とするのも無理からぬことである。
日本での呼称は『粘体』だが他に『ウーズ』、『ゼリー』などがある。
ファタンジー小説だと剣や杖で攻撃するが、現代社会だと銃弾や火炎放射が主流だ。しかし、雑魚モンスターに使うには勿体ない。
金属を溶かす性質を持つ粘体に対して銃弾は過剰戦力なので殺虫剤や消毒液などを用いて駆除できないか検討された。
ナメクジに塩をかける要領で。
「この階層に出てくる『粘体』は消毒液で充分に対処できることが判明している。もし、身体についても慌てないように。事前に服に吹きかけておくと多少なりとも予防になる」
「了解しました」
異世界やゲームでは魔法を使ったり、モンスターの核を狙って倒すのが正しい対処だ。それと斬撃より物理攻撃が有効だったする。
それがそのまま現代でも通用するとは限らないが、戦い方のヒントにはなる。
粘体の大きさは――確認されている中で――最大三〇センチメートルほど。巨大化した個体は下層に行くと見掛ける。
色は透明度の無い緑色が多く、正式名称として『緑粘体』になる予定だとか。
動きは遅く、天井からたまに落ちる以外、脅威度は高くない。
ちなみに死ぬと黒く変色しながら縮むように小さく溶けていく。生憎と『ドロップアイテム』が出た、という報告例は――世界的にも――無い。
最弱モンスターの定番として『小鬼』も有名だが発見例はまだ無い。
「『ステータス』!」
日奈森は徐に叫んだ。
突然の事に龍緋は小首を傾げたが、彼に倣ってステータスと言ってみた。
天井が高い為に声が吸い込まれるように消えていき、小さな反響が僅かに聞こえた。
(何も出ないな。ダンジョンといえば自身の能力値が表示されるものなのに)
(……よく分からないけれど、ステータスというのはゲームで表示される能力値だったか)
数分ほど待ってみたが何も起きなかったので探索を再開した。
この手の問題は日奈森だけではなくダンジョンを知る者は大抵挑戦する。何も起きない事を確認した後はとても気まずくなるのが定番となっている。
「……日奈森君。下ばかり見たりしないように天井も注意してくれ」
「は、はい」
「それと私からあまり離れないように」
龍緋は気にした様子を見せず、ゆっくりと歩く。日奈森は周りに注意を払いながら彼を追う。
今のところ迷うほどの通路ではないが注意深く壁面を見れば件の粘体がたくさん居るのが分かった。
ゲームでは倒すと経験値が得られるが、そういうシステムが現実でも起きた、という報告は無い。
諸外国でもゲームのような事が起きるのではないかと考えられていたが、今のところニュースには上がっておらず、民間レベルで憶測が飛び交っていた。
もし、ステータスなる能力値が出現していれば軍や自衛隊が試さないわけがないし、日本以外は直ちに民間への開放を思い留まる。
不用意な力を民間に与えると犯罪率が高まるからだ。特に海外はそういう危惧が強い傾向にある。
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歩きつつ何匹か近くに居た粘体を倒してみた。結果としては何も得られず。
ファンタジーに少なからず憧れを持っていた日奈森は残念に思いながら必要事項を書き留める。
経験値の獲得やレベルアップをせずに下層域に居ると思われる強力なモンスターと人間は果たして戦えるのか、と日奈森は危惧する。――そこまで行く予定ではないし、進んで危険地帯に行きたいとも思わないけれど。
(……実際のダンジョンってこんなものだよな)
子供らしい期待が無かったわけではない。ただ、あればあったで世間が混乱の坩堝と化すことも確かだ。
特に犯罪者の増加は望んでいない。
モンスターやドロップアイテムが国益になるからといって安易に民間に開放すべきではない。けれども、民間による探索で大いに賑わう事には賛成である。
何事も最初は混乱するものだ。そう日奈森は考えていた。
(龍緋さんの奥さんが宇宙人という事でも結構騒ぎになったような……。今は世間的にも静まっているけれど、当時はどうだったのか……)
龍緋の妻は確かにセフィランディアの住人だ。だが、実際には地球人とのハーフである。
世間にセフィランディアが認知される前から交流が始まっており、人知れず婚姻関係が結ばれていた人物が居た。
彼女が地球人とのハーフである、というのは身内にだけ公開されている。表向きはセフィランディア人として戸籍が登録されている。
地球人との差異は魔法の行使だが、精霊に認められなければ能力が使えない制約があるらしく、全員が異能力者というわけではない。
日本と交流が始まったわけだが大量の人材が押し寄せたわけではなく、把握されている数としては一〇〇人足らずだ。
そもそも地球を第二の故郷とする為に来たわけではなく、友人関係を結ぶために着た。
遥か彼方からその為だけに来たとは地球の代表者達は思わず、今も疑っている。ただし、民間では宇宙人が自在の存在である事が証明されてから交流を持ちたがっていた。
言語に関しては『自動翻訳』の魔法か何かが働いているのか、あらゆる国々に理解できる言葉として聞こえる。ただし、文字はさすがに解読が必要だった。
龍緋の妻であるベアトリーチェを日奈森も見たことがあるが素顔はとても美しく、声も澄んでいて耳に心地よい。巷では癒し系声優と遜色が無いとまで言われている。
腰にかかるほどの黒髪で顔つきは西洋人に近く、色白で整った顔だが普段は黒い包帯の様な布で隠されている。学生時代に虐めを受けてから顔を隠すようになった、と日奈森は聞いていた。
「リーチェさんはステータスとかゲーム的な知識を持ってないんですか?」
前を歩く龍緋に声をかける。
家族の話題を振られても彼は不機嫌になる事なく色々と話してくれる。寧ろ、どんな話題であれば機嫌を損ねるのか逆に聞きたいくらいだった。
「どうなんだろう。そもそもファタンジー世界の住民の様な人間だから」
「……ああ、それもそうっすよね」
(ゲームの住民に向かってここがゲームの中の世界だぞ、と言うようなものか)
聞き方を間違えた事だけは理解した。
改めてベアトリーチェの故郷にゲームの様なシステムがあるのか尋ねてみた。彼女は魔法に似た能力を扱える事は知っているが、モンスター退治などの経験があるのかは聞いた覚えが無かった。
見た目の印象からして大人しいから暴力的な事に関わっているとは思えなかったけれど。
「私が知る限り、ゲーム画面の様なものは表示されない。経験値の数値化とかも無かったと思う」
「分かりました」
そう言いながら声に出さず、念じる事でステータス画面が現れないか試してみた。――結果は何も起きなかった。
もし、ステータスや『鑑定』、何でも教えてくれる『大賢者』なる特殊能力があれば若者がダンジョン殺到する事態になるのは想像に難くない。
このまま時代が進めば能力の悪用も起き始める。そういう想定をしなければならないと思うと気が滅入る。可能であれば楽しいダンジョンライフを続けたいと思うのは甘い事だろうか、と日奈森は自問する。