#D - 01 - 03 教科書はラノベ
準備期間として半年を設け、神崎龍緋はダンジョンに挑むことになった。
彼は典型的な異世界転移者である。その冒険譚は割愛するが己の身一つで数々の偉業を成し遂げ、結果を地球に齎した。
彼の存在が大々的に公になるのはもう少し先の話しになるが、帰還した彼は色んな意味で有名になっていく。
日本の中では実のところ知名度的には無いに等しく、身近なところで能力について話題になる程度しか無かった。
地球規模から見れば神崎は一人の地球人であり、一般人であり、人間にすぎない。
日本国の首相でもなく、大国の大統領、国家元首、独裁者でもなく。どうあがいても地球を揺るがす大人物には決して見えない。
日本の文化の一つである創作物の視点から見れば『主人公』の一種に数えられるかもしれないが――
彼とて無から生まれたわけではない。
弟一人。妹三人の五人兄妹の長男である。下の子供達は兄のような超人的な能力を発揮しないが常人よりは強い部類らしい。ちなみに両親も世間的には常識人の枠組みに含まれる。
貧乏長屋と――自分達が呼んでいる――評される我が家にて政府から依頼された仕事を簡単に神崎は弟妹達に説明した。
地球に居なかった期間が長かった為か、ダンジョンや世間の流行についてかなり疎い彼は基礎知識を覚える事に結構な時間を割く事になってしまった。
「兄ちゃんにはダンジョンが何たるかを説明するより、小説を読んだ方が早いと思うよ」
そう言ったのは彼より一〇以上も歳の差がある次男『赤龍』だ。
兄が不在の間、厳しい長姉『鈴』に睨まれながら快活に育った青年だ。
次女の『龍美』と三女『鈴怜』も健康的に暮らしている。
長男だけが不治の病を持っている。既に余命宣告を受けていたが何故か、未だに生き永らえているのが不思議だと担当医が述べていた。
余命いくばくも無いから中東で人助けに行ってくるような人間だ。下手に自宅待機させるより伸び伸びと行動させた方が気が休まると妹達は簡単に考えて居たが――まさか国を跨いで行動するとは思っていなかった。
そして、日本政府から脅迫とも取れる召集を受け、ダンジョン探索の依頼を請け負ってきた。
妹達から見れば得体の知れない組織に無理難題を押し付けられ、兄が安請け合いした、ように見えなくもない。しかも彼は割と乗り気である事も驚きの一つだ。
(……お兄ちゃんもダンジョン探索に興味を持つお年頃だったか……。青年期を異世界で過ごした影響かな?)
(一般的な主人公なら利用されることを拒絶するはず……。聞いていると二つ返事で了承した様な……)
末っ子である鈴怜は兄がまたどこかに行ってしまう事を危惧し、悲しそうに顔で彼を見つめていた。
引き留めたい気持ちはあるものの邪魔したくない気持ちもある。だから――彼女はただ行ってらっしゃいとしか言えなかった。
∞ ← ★ → ∞
目的のダンジョンは日本の首都『東京都』のとある場所――既に自衛隊により一般人の侵入を禁止されている。
公開されているダンジョンの多くは浅層タイプが多く、安全性が保たれており探索に支障は無いが面白みが無い。
一攫千金を狙えるのは創作物の中だけ、というのが世の中の風潮だ。
危険なダンジョンに挑ませるほど日本政府は短絡的ではない。人死にが出た時の混乱は計り知れないからだ。
他国では暴動が起きる。それが常識であり当たり前のこととなっている。
「兄ちゃんが読むべき小説は自宅がダンジョンになっているものや自衛隊が管理しているバージョンだ。今はライトノベルって呼ばれているけれど……、どうせ知らないだろう」
龍緋が消失していた時代の少年少女向け小説の呼称の多くは『ジュブナイル』、『ヤングアダルト』だった。
昨今話題になってきている『ライトノベル』もいずれ古くなり、『なろう系』が主流になるのは一〇年ほど先の事になる。
新古書店で見繕ってきたダンジョンを主題とする小説を何冊か龍緋に提示し、熟読するように命令する。
人の親となっている彼が改めて若者向けの小説を読むことになるとは赤龍も思わなかった。
「あと、モンスターの資料はこっち。罠とかあるかは分からないけれど基礎的な事が書いている本も用意した。堅苦しい資料よりラノベの方が多彩だぜ」
「分かった」
素直に返事をしたものの龍緋が読書家ではない事を弟は知っている。
感じが読めないわけではないが説明しながら読んでもらう今の時間は赤龍にとって、妹たちにとっても幸せな一時であった。
数日後、知人を介してより詳細にダンジョン知識を与える。
基礎だけならすぐに覚えられた龍緋だが未知の宝については理解が遅かった。彼は割り合い現実的な人間でモンスターを倒す時に出てくる『ドロップアイテム』の段で躓いた。
「そういう文化として受け入れてくれ。実際にそうなるわけじゃなくても、だ」
「……分かった」
講師として呼びつけた赤龍の知人『朱神泰曄』は龍緋がダンジョンに挑むことに心が躍った。しかし、一緒に参加できない事を残念にも思う。
単身で挑むのかと尋ねるとお供が居てもいいと彼は答えた。
泰曄は現在、扶養家族が二人ほど居て、気軽に外出できない立場にいた。だからこそ一緒に行けない事を悔やんだ。
「それで? 持って行く武器は決められましたか?」
「いつもの黒い棒だ」
「……西洋剣や金属鎧の方が雰囲気あるのに」
「最低限の装備は自衛隊から借りられることになっている」
(現代科学の装備は異世界では通用しないのがお約束だけど……。火を吐くような物騒なモンスターの存在は今のところ確認されていないから大丈夫か……)
夢と希望が詰まっているダンジョンは実際には現代社会にとって相当の脅威となっている。
宇宙人の存在でも世界的に騒がれたのだからダンジョンから西洋竜が出てきたとなったら戦乱の一つや二つ、起きても不思議ではない。
――件の宇宙人の一人が神崎家に居るのだが、彼女は所謂押しかけ女房だ。
当初は見た目で騒がれたが今は現地に慣れ親しんでいる。その彼女は別室で子供の世話をしている。
講義を受けているところに末っ子の鈴怜が訪れた。
神崎兄弟の中で一番大人しめの女性だが例に漏れず力は強い。
「……お兄ちゃん」
「なんだい?」
「ダンジョンを虐めないで」
長男の力は群を抜いて強い。家族の中というより地球上全てにおいてと言っても過言ではないくらいに。
その証拠として単身で国を一つ地球に運んだ実績がある。もちろん、人間の身一つで、というわけではないけれど。
彼が狭いダンジョンで暴れればいとも簡単に崩落してしまっても不思議ではない。
鈴怜は学校で色々と噂話を聞いていた為にダンジョンを潰すような真似をしないように、と釘を刺した。もちろん、兄が安全に仕事をしてくれることが最優先ではあるが――
「天井をぶち抜くような攻撃はしないように。自動的に修復する機能があるならこの限りじゃないけれど……」
「可能な限り善処しよう」
会話だけなら冗談で終わる。だが、龍緋にかかればダンジョンという施設を簡単に潰すことなど容易い事を現場に居る者達は知っている。
せめて大型生物が現れないように、と誰ともなく祈った。
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妹の頼みを引き受けてから様々な準備が整った。
今回荷物運びや助手として赤龍の舎弟になっている『日奈森唄奏』という青年を連れて行くことにした。
赤紫色の派手な髪の毛で見た目が不良少年に見えるが素行は特段悪いわけではない。
苦学生でもあるから小遣い稼ぎをさせてやろうと思って龍緋は彼に声をかけた。
「正式に君と仕事をするのは初めてになるね」
「よ、よろしくお願いします」
日奈森は畏まりながら龍緋に深く頭を下げた。
暴漢から助けてくれた恩もあり、憧れの人物でもある龍緋の誘いを断る事が出来なかった。
アルバイト先への断りは長女の鈴が頭を下げてお願いしたのでダンジョンに向かう事に支障はない。必要な物資も神崎家が用意した。
「五階層までの探索が第一目的だ。まずはダンジョンに慣れるところから」
「はい」
「……日本のダンジョンはどこも安全と言われているけれど……、落石とか怖いから慎重に行くよ」
閉鎖的な洞窟で怖いのは落石と地盤崩壊だ。
罠やモンスターの襲撃など空想の産物でしかない。そのイメージが若者に強く残っている為に無謀な輩が現れる。政府は事前にそれらの対処をしたい為に今回の依頼を提示してきた。――表向きにはそうなっている。
崩落程度であれば龍緋の力量であれば問題なく処理できる。最悪ダンジョンごとの崩落であっても――
日奈森を連れて行くのは龍緋が現代機器の操作に不慣れな為だ。証拠映像や若者特有の感性による意見を得るには日奈森達の存在が欠かせない。
今のところダンジョンの中で銃弾が飛び交う事態は発生していないが何が起こるのかは未だに未知であった。
更に数日をかけて知識と荷物の準備を整え、龍緋は日奈森を連れて目的地のダンジョンに挑む。
この物語は地球最強の男と呼ばれる神崎龍緋と前人未到の深層領域ダンジョンとの細やかな戦いの幕開けで始まる。
――龍緋の挑戦を遥か上空から偶々偶然見ていた『破壊神』は何とも言えない苦渋の表情を表していた。
彼女は――表現として適切なのはおそらく――困惑した。まさか彼が関わるとは。またはどうすればいいのか、など。
(……あたしは無実だぜ。これは想定外。……そう先輩に言っても許してもらえなさそう……)
彼女の脳裏に真っ先に浮かんだのは紺色のセーラー服を着た幸薄そうな女性だ。
関わるとロクなことが無い。かといって無視も出来ない。ならば早めに既成事実を作るしかない。そうしないととても面倒くさいことになるに決まっている。
破壊神にとって龍緋の存在は決して小さくない。そういう存在になっているのだから。
これは神の気紛れか、と破壊神は大きくため息をつきながら地上に向かって行った。