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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

幸せな夢を見ませんか

作者: Yolno

IDM。Ideal Dream Maker、理想の夢を作る機械。

何よりも幸福で理想的な夢を見せる装置。

現実と見紛うほどの実感を持った夢を見せる装置。

周りの人はみなIDMを着けている。


「幸せな夢を見ませんか?」


目の前のスーツの男にこう言われるのも何回目だろうか。

息苦しかった。


そんなものは着けたくない。

幸せな夢なんか見たくない。


気づけば俺は目の前の男にそう怒鳴りつけて、外の世界へと飛び出していた。




風を受けて荒野を愛車で走っていた。

黒色のサイドカー付きの大型バイクは、岩ばった道も楽々と走ってゆける。

たまに凹凸を乗り越えて起こる揺れが子気味よい。

かつて存在した電車もこのような乗り心地だったらしい。


光を受けて鈍く輝くこのバイクに乗って街から街へと旅をする。

俺はそんな旅人のような存在だ。


どこか目的地があるわけではない。

ただ嫌な現実から逃げ出して、外の空気や自然や空を味わっていたいだけ。


「今日は雲が出てやがるな」


この荒廃した世界において雲とは主に黒い雲を指す。

その雲には、戦争で使われた核兵器の放射能が蓄えられている。

この辺の地域はまだマシだが、まともにその雨を浴びればお陀仏だ。

もちろん防護用の装備はあるが、早々に近くの都市に寄るのが最善だろう。


そう思ってエンジンを吹かす。


「ん?」


前方右方向、100メートル位先に人影が見えた。

それは、少女のようだった。


少女は、こちらの姿を見るや大きな声を張って手を振っている。


「お〜〜い!!止まって〜〜!!」


群衆の中にいても直ぐに気がつきそうなほど澄んだ声だった。手を振りながらジャンプして何やら叫んでいる。


街から追い出された浮浪者?罪人?

いや違うか。俺のように旅人かもしれない。


そんな考えをしながら、バイクを止める。


「ひゃあ〜、おっきいバイクだね!」


止めたバイクを少女は物珍しそうに見ている。

天真爛漫な笑顔。

妙にテンションが高い。


「戦争前のやつだよ。相当値が貼る代物だ。

……それで、ヒッチハイクでもしてるのか」

「うんそうなんだよ。でも誰も通らなくて困ってたんだよ」


俺は21歳で少女はどう見たって高校生くらいの年齢だ。今更タメ口など気にしないが、変なやつだと思った。


「出来ればでいいんだけど、中央都市まで乗っけてってくれないかな?」


少女の言葉に少し眉を動かす。

中央都市と聞いて少し思うところがあった。


「まあ別にいいけど」


目的地はない。ならばこの少女の望むところまで行くくらいはどうということない。

見た感じだけだが悪い輩ではなさそうだ。


「やったぁ!!えーと……」

「俺はハルマだ。君は?」

「名前?苗字は?」

「……石上だ。苗字で呼ばれるのは好きじゃない。出来れば名前で呼んでくれ」


「分かった、ハルマさんね〜、覚えた!私は宮星ナツホ。よろしくね!」

「あぁ、よろしく」


宮星さん。いや宮星でいいか。呼びにくい。

自己紹介を終えた後、俺は天候を確認する。さっきよりも黒い雨が近づいているようだった。


「ま、とにかく乗れ。黒い雲が近づいてきてる、もう時期雨が降るぞ」


そういうと、宮星は雲に始めて気づいたのか、慌ててサイドカーに乗った。

サイドカーは荷物が乗っていても窮屈程度で、人が一人乗るくらいは問題ない。


「飛ばすぞ、捕まれっ」


雲の流れが案外早い。近くの村への道を猛スピードで走る。

バイクがあまりに速かったのか発進時、宮星がひゃー!だか、ぴゃー!だかの素っ頓狂な声を出していた。



走行中声をはりあげて宮星に質問する。


「宮星はなんで中央都市まで行きたいんだ?」

「お母さんが入院してて探しに行くんだーー」


わざわざ中央都市まで出向くとなると、相当に重い病気だろう。

この国で医療設備が最も充実しているのはあそこだからな。

それより宮星の言葉に引っかかるところがあった。


「探しに?会いに、じゃなくて?」

「うん、お母さんだけ一人で行ったんだーー。許可証が取れなくて……。そんで場所分からないんだーー。

でもね!やっと許可証買えるようになったから会いに行くんだー」


なるほど、そういうことか。

戦争の影響でこの国は、―――世界中どこも同じだが―――主要都市のほとんどが破壊され尽くした。

かつて首都だった場所を復興させた中央都市は、行くあてのない浮浪者などを入れさせないために関所を設け、通行許可証なしでは入れないようにした。


許可証は正規ルートでの入手以外に裏市場で高値で取引されているらしい。

それを入手するには少女の身には厳しいものがあっただろう。


そこまでして会いたい母親という存在。

さぞ幸せな家庭だったのだろう。


「母親……親か」


俺の無意識の呟きは風に流されて消えた。





村の見張りに事情を話すとすんなり入らせて貰えた。

国の治安組織が機能していない以上、地方単位で警備するしかないのである。


雲が接近していることはこのイナバ村にも当然伝わっていた。

俺たちが村に着く頃には地下シェルター内への避難が9割住んでいた。


そもそもこの国は核の使用が少なく、黒い雨もあまり降らない。

それでもこの村での対策は、シェルターを始めかなり行き届いているらしい。

住民たちも日々訓練しているようで、混乱もなく避難は完了した。


約1日をシェルターで過ごした。

シェルターの中ははっきり言って快適ではない。じめじめした空気と窮屈な空間。

もはや慣れてしまった環境だったが、宮星は不安げな表情を浮かべていた。


「大丈夫だよ、すぐ止むさ」


安心させるように声をかけるが、宮星は無理したように笑うだけだった。


ぶっきらぼうなこの顔が悪いのか?と自分の頬をつねり笑顔を作ってみる。

その謎の仕草がウケたのか、今度は少しマシに笑顔になった。


「宮星は黒い雨が怖いのか?」

「……昔難民キャンプにいたとき、雨に打たれて友達が血を吐いて死んじゃって。それでちょっと怖くなっちゃって。あ、でもでも、もう大丈夫。落ち着いた」

「そうか」


非常食の固形の食べ物を食べ、時間が過ぎるのを待つ。



雨が降り止み、清掃も終わるとようやく地上に出ることが出来た。



地上へ出ると直ぐ、案内役の人が旅人向けの宿を紹介してくれた。

安価で泊まれるようで助かった。


荷物を置いた後に宮星に、


「ちょっとバイク見てくる。夕飯時には帰ってくる」


と言い残し、ガレージに停められた愛車のバイクを見に行く。


バイクのメーターを見ると五千キロ以上走っていたようだ。これは点検が必要だ。

今の時代機械類は希少なので、こうして点検しないと替えがない。

オイルなどを注していると、エンジン部分に故障が見られた。

異音などはなかったが、点検しておいて正解だったな。


しかしエンジンともなると専門知識が必要である。俺はあまりそっち方面には強くない。

人を探さなくてはならない。

この村にいるだろうか。

そう思っていた時、後ろから声をかけられた。


「よお、久しぶりじゃんハルマ。何してんの?」


派手な茶髪と耳に空いたピアス。

革ジャンサングラスを着込み、ポケットに手を突っ込みながらタバコを吹かしている。

不良の特徴の数え役満のようなその男は、数少ない俺の友人だった。


放浪の身ということもあり、俺には友人や親しい人は少ない。

彼、羽柴トオルとは、どちらも「一人が好き」という性格なので馬が会い、何度か行動を共にしたことがある。

その性格から直ぐに別れる訳だが。


そして今の状況において、彼ほど有用な人物はいなかった。


「トオル……?何でここに……。いやいや、そんなことはどうでもいい。突然で悪いんだが、このバイク見てくれないか」

「ホントに突然だな……。感動の再会とかないのかー?」

「それは後でたっぷりすればいいから」


宮星を宿で待たせている。まあ勝手に行動するだろうが、気持ちの問題だ。


「んー?……エンジン故障してんじゃん、修理すればいい?」

「あぁ、頼む。いや正直困ってたんだよ。こんな辺鄙な村にエンジニアがいるか分からんしな」

「りょーかい」


言うやいなやトオルは工具を持ってきて

、器用にエンジンをいじっていく。


トオルは機械類に関する知識と経験が非常に豊富だ。

父親が機械屋をやっていて子供の頃から機械に触れ合っていたそうだ。

そのお陰か、複雑な機械を自分で開発をしていたこともある。

旅をするかたわら機械の修理などをしていて、彼の大事な収入源となっている。


しかし10分ほどが経ちその腕が止まった。


「どうだ、いけそうか」


聞くと彼は首を振った。


「無理ではないが部品がない。補充せにゃいかん」

「そうか。村長さんにでも聞いてみようか。ま、とりあえず宿戻って休憩しようぜ」

「だな」


旅人用の宿は一つしかなく、トオルも同じ宿に泊まっていた。


トオルは俺たちが来る数日前に来ていたらしい。出発しようとしていたところを黒い雨が直撃し滞在期間が伸びたんだとか。


まずは一日シェルターに篭っていたため汗臭い体をシャワーで洗った。

宮星は先に浴びたらしい。


今は宿の広間で食事を取っている。

村を上げて歓迎されているのは何かの間違いだろうか。

人様を歓迎するような余裕はどこ地域にもないはず。少なくとも俺が寄ってきたところはそうだった。


「旅人さんなんて珍しいですからね。それも一気に3人も」


これも何かの縁です、と白ひげの村長に酒を勧められる。

酒なんていまや高級品だ。

並々と注がれる酒を見てトオル何かは目をキラキラさせている。


宮星はまだ未成年ということでジュースを飲んでいる。

法律なんてあってないような世の中で律儀なことだ。


「この村は他の村と比べてかなり違いますね」

「そうでしょうねぇ。この村にはかなり余裕があります。食材は政府に税として取られても村人たちが食べるだけの量は十分にあります。

天候もごく稀にしか黒い雨は降りません。警備も行き届いていて治安も良いです。

それに、あのおかしな装置もありません。

ここ以上に良い村は他にないでしょう」


村長は少し冗談めかして言う。

だが村長の言葉には、この村への確かな誇りを感じる。


「ええ、そうですね」


それは俺も感じていたことなので肯定すると、村長は微笑んでいた。


「それで村長。こいつのバイクの部品が足りなくてですね、この村に機械屋があれば紹介して貰いたいんですけど」


食事が少し落ち着くと、トオルがそう切り出した。


「それなら、四島さんとこの店がいいでしょう。ここから山奥に入ったところにあります。案内状を書きます。おそらく安くしてくれるでしょう」

「そんな!何から何までありがとうございます」


村長がにこりと微笑む。

温和な目は裏表など一切なく、善意でのみ言っているのだと確信できる。

こんな時代にも聖人のような人はいるのだなと、人を疑ってばかりの自分が少し恥ずかしくなった。




「じゃあ到着は3日後くらいになりそうなの?」


バイクの修理の話は先にしていたが、ここから中央都市への日数を話すと、宮星は焦ったような顔をした。


「すまないな。楽観的に見てもそれくらいはかかる」

「……いえ、私は乗せてもらっているだけだし、ハルマさんのせいじゃ全然ない」


露骨に気落ちする宮星。

たかが一日二日。だが、その数日を過ぎれば永遠に大切な人と会えないかもしれない。

気の利いた事は言えないが、せめて早く着くよう最善を尽くそうと思った。





夢を見ている。

戦火が飛び交う街の情景。


今から10年前に戦争は始まった。

今現在も全面的な締結はなされておらず、テロリズムや民族紛争が絡み小規模な戦闘が絶えない。


始まりはなんだったか。もはや正確なことは分からないが、きっかけは資源のためであるとか、イデオロギーの対立だとか様々なことが噂されている。


地上は核の炎に蹂躙され、文明は陰り、人類はかつての栄光を失った。

そう、世界は大きく変わってしまった。


場面は移る。

人が目前にいる。

その人は頭におかしな装置を付けて、身体中に電極を貼り付けて、棺桶のようなベッドに眠っている。


その人はとても、とても、幸せそうな顔をしている。

その幸せがIDMのおかげだということは知っていた。


IDMという装置が開発されたのは戦争が始まり、資源が尽き、娯楽が淘汰されていったときだった。

Ideal Dream Maker、理想の夢を作る機械。


資源が枯渇している中で、当然初期投資費用は莫大だ。

しかし多額の金を払ってもあまりあるほどに、幸福な夢は皆が欲しがった。


外は危険で遊びに行くことは出来ない。ならばアルプスの広大な山脈を駆けずり回る夢を見れば良い。

食料不足で腹一杯にご飯を食べられない。

ならば高級料理店のフルコースをたらふく食べる夢を見れば良い。


現実と同じ質感で、現実以上の幸福を得られる。


ならば世界の意味はなんだ。

胡蝶の夢は誰もが否定できない。


……さらに深い眠りに落ちていく。







最悪な目覚めだ。IDMのことを思い出すと必然、アレを思い出すからだ。

水を流し込む。

村の井戸で採れた新鮮な水は、嫌な気分を流してくれるようだった。



「ここか」

「随分歩いたな」

「まだまだ歩けるよー」


結構クタクタな前者二人人、有り余るエネルギーを発散するようにブンブンと腕を回す後者一人。

四歳しか変わらないはずだが体力の差を如実に感じる……。


昨日泊まっていた旅館から3時間ほど歩いたら、青々とした木々がこれでもかと生い茂ってくる。人の手が入っていないようで歩きにくかった。


目的地、四島家はそんな場所にぽつんと建っている。


「ごめんください」


そう言って出てきたのは、初老の男性。

訝しげな視線をこちらへ向ける。

青いつなぎをラフに着ただけの老人は今まで何かの作業をしていたのか薄汚れていた。


「村長に紹介されまして。あ、私は―――」


俺たちの名前とここに来た経緯を話す。


「それで、その年代物を直せば良いのか」


老いぼれ嗄れ、しかし確かな重み―――経験から来るものだろうか―――を含ませた声。

意図して威圧している訳では無いだろうが、対面するとそこはかとなく緊張する。


「え、ええ。四島さんなら希少な部品も持ってらっしゃると聞きましたので」


俺はここまで手で押してきた大型バイクを四島さんに見せる。

四島さんはそのバイクをしゃがんで見る。


「ふむ。やってみよう、中に入って少し待て」

「それ、どれ位で出来る、んですか?」


すかさず宮星はそう質問する。

敬語に慣れていないのかぎこちない。


「30分ほどか。長くはかからん」

「えっ、そんな短いんだ……」


トオルの呟き。

宮星がトオルの方を見る。


「俺ならもっとかかるね」


機械オタクの彼よりも手練とは。感心しつつ俺たちは、質素な玄関へと歩を進める。


案内された部屋は、庭園が一望できる和室だった。


「うわぁ、綺麗〜」

「立派な日本庭園ですね」


素直に驚いた。山の奥にこんな庭があるなんて。


「妻の趣味でな。五年前に逝ったから手入れが大変で困る」


そういう割には庭園は非常に綺麗に手入れされている。


四島さんは慣れた手つきでお茶を人数分と茶菓子を机に並べる。


「では、わしは工房に行く。しばし待て」


部屋から立ち去ろうとする四島さんをトオルが呼び止めた。


「あの、修理しているところ見せてもらっていいですか?」

「……いいが、特に面白いものでもないぞ」

「いえいえそんなことないですよ。僕も機械好きなんで参考にしたいんです」

「まあ、好きにしろ」

「やった!」


喜ぶトオル。

俺たち2人は特に興味があるわけではないが、暇なのでお茶を飲んだ後、修理を見ることにした。


家の反対側に工房があるらしい。そこにバイクは運び込まれていた。


工房はそこそこの広さがあったが道具類や機械が所狭しと並んでいたので、四人が入ると少々窮屈な気がする。

ペンチや油など見慣れた工具から、リフトのような大型機械まである。


油臭いその空間は、四島さんが長い間ここで機械と共に過ごしてきたことを示している。


「お、きたきた」


先に工房に行っていた四島さんとトオルは、既に修理に取りかかっていた。

俺たちは用意されていた椅子に座り、それを眺める。


「バイクを修理するなぞ、久しぶりだな」

「あの、四島さんはいつからここに?」

「……7年前だ。ここは元々妻の実家でな。中央都市に住んでおったが疎開してそのままこっちに住んでおる。

妻が自然が好きでな。庭園に木や花など植えては楽しい毎日を過ごしておった」


四島さんは懐かしむように、少しだけ嬉しさを綻ばせて語った。


「奥さんは……もう亡くなられたのでしたよね」


言ってから後悔する。別に湿っぽい話がしたい訳では無い。


「……あぁ。妻は賊に殺された。丈夫な女だった。まだ先も長いだろうに」

「それは災難で……」

「お主らは村を見てきたのだろう?」

「ええ」

「村の学校は見たか?」


学校?見ていないな。

俺と宮星は首を振る。


「あ、僕見ましたよ」


トオルは2日前に村に来ていたらしいからその時に村を回ったのだろう。


「あそこには希望に満ちた若い子らが大勢いただろう。今の社会に必要なのはあのような子らだ。

あのような善いものたちがもっと増えれば、きっと元の世の中に戻っていくだろう。そうなれば、妻のような不幸者も減る」


そう語る横顔はどこか遠くを見ている。


今の人類社会は荒れ果て、衰退しつつある。

だが世の中は少しずつ変えられる。

それが亀のような鈍足だとしてもだ。

それは理想。

所詮机上の空論に過ぎない。

実際の未来は、今と変わらない荒廃した世の中かもしれないし、悪化しているかもしれない。

しかし理想を語る老人の横顔を俺は好ましく見ていた。


トオルが四島さんに手ほどきされている。


「皆が幸せになる世界になればいいですね」


楽しそうに機械を弄る彼を見て漠然と思う。

一瞬、四島さんの手が止まる。


「のう、そちらの者の苗字は何という」


唐突な質問だった。

下を向いて作業をしたままなので誰の苗字を聞いているのか分からない。


「俺……ですか」

「あぁ」


そう言うと手先はバイクに触れたまま、視線だけが俺の方へ向く。鋭い視線。


「……石上です」


少し表情が変わる。硬い表情からほんの僅かな変化。


「昔、お主と全く同じことを言ってきた男がいた」

「……」

「お主は……、石上ハルオミの子、だろう」

「はい」


潔く頷く。

目の前の老人は父のことをよく知っているのだろう。誤魔化しても仕方がない。


俺が肯定すると、四島さんは軽く瞑目した。


「……やはりそうか。嫌なことを聞いたやもしれんな」

「いえ、構いません」


正直、父のことに触れられるのは好きじゃない。

修理してもらっている立場上、何ともないような返事をしておく。


「父とはどういう関係で?」


四島さんの反応は雑誌や見聞で知ったということではなく、父と知り合いであった故の反応な気がした。


「ハルオミとは同僚だ。年齢的には部下だが、あやつはとあるプロジェクトリーダーを担っておったのでな。私はそれを主に技術者として手伝っておった」


「……待って、石上ハルオミってあの天才科学者か……!?となればそのプロジェクトって……」


ハルオミのことを今思い出したのか、トオルは遅れて愕然とした表情でこちらを見る。

俺は平坦な声で答える。


「あぁ、『プロジェクト Butterfly Dream』。理想の夢を見せる機械。つまりIDMの開発だ」


あっ、と宮星が声を出すのが分かった。


「私は今でも後悔している。あの時ハルオミを殺せばよかった。あるいは研究所に爆弾でも仕掛ければよかった。それでも止まらないかもしれないが、少なくとも私の生きている間は完成しなかったろう。あんな馬鹿げた装置、見たくもなかった……」

「あの、なんでIDMの開発に携わったん、ですか……?」


おずおずと今まで黙っていた宮星が質問する。

意図したわけではないだろうが、四島さんはギロっと視線を彼女へ流す。


「最初は素晴らしい発明だと思った。これで重病患者や精神病患者がより幸せになれると、絶賛した」


だが、と語勢を強めて、


「ハルオミは狂った。あんなものは麻薬と変わらん、人を壊す機械だ……!悪魔の装置の開発の一端を担ったことは私の責任でもある。一生かけて償おう」


「いえ、悪いのは父です。そしてそんな装置を易々と受け入れる民衆に全て非があります」


しばしの間。四島さんは先程と打って変わって落ち着いた声音で言う。


「……君は父を恨んでいるのかね」

「ええ勿論。父だけではありません。父に協力した母も。装置を付けて今も眠る兄弟。全員を俺は恨んでいる」

「科学者として、人間としてハルオミは最低の男だ。だが、父としてのハルオミは違うかもしれない。

こんなことを私が言う資格はないが、自分の親をそう卑下するものではない」

「それは、俺には無理です」


沈黙。会話はそれで途切れる。

結局、バイクの修理が終わるまで誰も口を開くことはなかった。







四島さんに礼を言い山を下る。

会話はない。


「じゃあトオル、またな」

「……あぁ、たぶんいつか会うだろ」

「そうだな」


苦笑いする。


「ハルマさんはここでお別れ?」

「うん、基本一人旅なんだ俺たち。ハルマが誰かと行動することなんて稀なんだぞ?」

「そうなんだ」

「あ、宮星ちゃん可愛いからなのかな」


口元をわざとらしく抑えてこちらを見て笑うトオル。


「ちげぇよ。そもそも送るだけだし、悪いやつではなさそうだと思ったからだ」

「ま、確かに裏表なさそうだもんな」


「さ、こんな奴放っておいてさっさと行こう、宮星」

「はいっ!」


背中を向けて歩き出す俺たちに、トオルは声をかける。


「なあハルト、お前がおやっさんのこと気にする必要はないぜ」


俺は足を止める。

前を向いたまま、あぁと返事した。







バイクの調子はすこぶる快調だ。

四島さんとトオルには感謝しかない。


ここから中央都市までの道はだいたい荒野や手放された森林だが、たまに人工物が見えることがある。

今目の前にある巨大な施設は食料生産所だろう。何を作っているのかはコンクリートで覆われているため分からないが、ここで採れた食材は中央都市向けに輸出される。


「あの人たちって奴隷か何かなの?」


宮星の疑問はおそらく施設周辺にいる人達の顔色の悪さを見てのことだろう。

ちょうど今は正午過ぎ、昼休みくらいの時間なので出歩く従業員が多い。


「奴隷か、あながち間違ってないな。中央都市に住む条件は莫大な金額がいる。それを払えない貧民はホームレス生活をしたり、こうしてプランテーションで仕事をしたりする。

労働基準法など関係なしに毎日重労働している」


貧しい者に全てしわ寄せがいくのは、富める者が裕福な暮らしをしているからだ。


「ハルマさんは昔中央都市に住んでたの」


四島さんとの会話と今の会話を聞けば、分かるのは当然か。


「そう、だな。家族が嫌になってあそこから逃げてきた。ま、止める家族もいなかったわけだが」


食材生産所があるということはもうすぐだ。

高層ビルが立ち並ぶ、見たくもない故郷が見えてくる。







中央都市の入場手続きは全て機械で行われる。

宮星のパスポートを通すと難なく入場許可が降りた。

俺も手続きをするべく、あるカードを取り出す。


「何、それ」


宮星が覗いてくる。


「これは父親から渡されたマスターカードだ。父は政府との繋がりもあったからな」


俺も手続きを終えた。

後は都市に入るだけだ。中央都市に、生まれ故郷に。


足が進まない。胸の奥の奥で嘔吐感だけが残るような感覚。

ここに来て入るのが嫌になっていた。

宮星が中々入ろうとしない俺を不思議そうに見ている。


「……なあ、宮星。ここからなら一人でいけるよな」

「うん、たぶん行けると思うけど。……あ、でもやっぱ一緒に来て。ここの空気嫌い」


その言葉に少し笑がこぼれる。


「ふっ、それは俺も同感だ」


この子一人で行かせるには不安が残る。

俺は意を決して、その息苦しい空気が蔓延する都市へと歩を進めた。


中央都市の風景は、戦前見たかつての大都市と変わらぬ姿を見せる。

巨大ビルディングが狭苦しく林立し、その周囲を移民対策のコンクリートの壁がぐるりと囲む。

まるで古代の都市国家のような様相を呈していた。


「ここが中央都市……お母さんにやっと会える!」

「急ぐぞ、ここからならバスで直通だ」

「はい、あの、色々ありがとう、ございました」


宮星はぎこちない言葉遣いで礼を言った。


「何言ってんだ、まだ重要なことが終わってないだろ」

「……うん、でも、一応感謝と思って」

「ほんとに変に律儀なやつだな……」


バスに揺られている十分程の時間で、出歩く人はほとんど見なかった。

富裕層の過半数はIDMの装着者だ。

労働者は都市の外で働いている場合が多いので、日中街を出歩く人は少ない。


俺は父の書斎でIDMの詳しいメカニズムを見たことがある。

IDMは夢を見せる機械、と言っているものの、実際のところはそうではない。


まず脳に電気信号などを使い、人の認識を操作する。

視覚・聴覚・嗅覚・味覚・触覚。五感全てを操作し、仮想の世界を見せる。

だがその操作は正直完璧なものでは無い。


故に第二の操作、感情の操作だ。

前頭前野などにドーパミン、セロトニンなどのいわゆる幸福物質を用いて、装着者の感情を強制的に「幸福な」状態にさせる。

良いことがあると脳が幸福物質を分泌し、我々主体は「幸福だ」と感じるわけだが、それを操作するということだ。


これによって装着者は、どこまでも幸福な世界を体験することが出来る。

勿論それは偽の世界だ。だが、装着者はそれを偽物とは思わない。

意識を理性を塗りつぶす幸福に、何人もささいな疑問は押し流されてしまう。


だからこそ、安易な幸せに身を任せた家族を俺は恨んでいた。

例えその原因が、姉が死んだ事に始まり父が自殺し母が鬱になったことだとしても、だ。


白い巨大な建物が目に入る。

中央国立総合病院。この国で一番大きな病院と言ってもいい。

中に入ると病院独特な匂いが鼻につく。


ここに立つと思い出すことがある。

IDMの開発会社と病院が連携し、IDM装着者の管理をこの病院で行っている。

母と兄弟に最後に会ったのもここだ。

何とも言えない気持ちになる。


受付に宮星の母の名前を言って、どこにいるか聞く。

病室がどことか、様態はどうとか、宮星母が入院してから一度も連絡がないそうだ。

本人から音信不通なら意識不明で説明がつくのだが、病院からもないとないのはどういうことだろう。

スラム街の住人には対応も適当になるということか。



少し待ってください、と受付に言われ、椅子に座って待つことにする。

宮星はそわそわした様子で落ち着きがなかった。


「あなたが宮星 ルリコの娘さんですか」


その男が話しかけてきたのは数分後のことだった。

随分と早い。

白髪の老人の医者だ。皺だらけの顔や手。

若干の猫背のまま杖をつき、歩いてくる。


「は、はい、そうです」


緊張の色を覗かせながらも宮星が返事すると、医者は柔らかく微笑んだ。


「それは良かった。お母さんも喜ばれます。

申し遅れました、私は時任 史緒といいます。宮星 ルリコさんの担当医をしています。どうぞ、よろしく」

「あ、どうも」


時任医師が差し出した手を宮星は握り返す。


「そちらの方は……」

「俺はこっちの付き添いです、お気になさらず」

「そうでしたか。それで、今日は面会に来られたのですか?」

「はい、お母さんが心配で会いに来ました」

「なるほど。連絡がないまま2年も経てばさぞ心配でしょう。こちらも立て込んでいたもので。

ご心配なく、ルリコさんのご様態は安定しています。病の完治には……もう少しかかるかもしれませんが、必ずや治してみせましょう」

「そうなんですか、よかった……!」


宮星の声には嬉しさが滲み出ていた。

医師の言葉は母の無事を保証するものだ。これまで長い間張り詰めていたものが緩んで、宮星も少し安堵したようだった。


「ただ少し……いえ、これは見てもらえれば分かりますでしょう。……面会でしたよね。では早速病室に向かいましょうか」

「は、はい」


時任医師が何かを言いかける。

誤魔化すような雰囲気ではなかった。

何か医療上の事故があったりしたわけではなさそうだ。

少し不安になる。

宮星が喜ぶ結果になればいいが。




時任医師に案内されるまま、渡り廊下を歩く。


「あの、こっちのフロアって」


その道のりは見覚えがある。なぜなら何度か行ったことがあるから。


「主にIDM関連のフロアですよ」


俺は疑問が湧き、宮星の方を振り返り質問する。


「なぁ、宮星。お前の母親、ルリコさんだっけか。どうしてこの病院に入ってるんだ」


勝手に母親分だけお金が溜まり入院したんだと思っていた。

それならば何も問題がない。

が、思い出しつつ話す宮星の言葉は驚愕に値するものだった。


「えっと、お母さんが急に倒れた時、街の病院に行っても治し方が分からないって言われて。そのとき知らないスーツの人に声をかけられてお母さん、この病院に入院させて貰えることになったんだ」

「知らないスーツの人……?」


俺の思考を破ったのは、時任医師の声だった。


「着きましたよ」


目の前には大きな白い扉があった。無機質なフォントで第三IDM管理室と書かれている。

厳重なセキュリティが施されていることが素人目にも分かった。


時任医師がカードキーを何枚か通し、最後に指紋認証をクリアすると、扉がゆっくりと開く。


狭い部屋。モニター室のようで非常灯とタブレットの光だけが薄く光る。

中に人はいない。

入って右手がガラス張りになっている。

そちらに目を向けると、何人もの人が頭にヘルメットなような装置をつけ横たわっている。

知っている。それは間違いなくIDM装着者。

数百人を超える装着者が一つの広大な部屋に眠っている。

俺はその中に見知っている人物を見つける。


「母さん、兄さん……」


例外なく幸福そうな表情を浮かべ眠る家族の姿。

思わず目を逸らす。

その部屋は、人間性の墓場に思えて仕方なかった。


「なに、ここ……」


横を見ると宮星が絶句していた。

初めてIDM装着者を見るのだろう。

一様な幸せ色に染められた人間を前にして、衝撃を受けるのは無理らしからぬことだ。


「さ、こちらに」


時任医師が手招くように、部屋の更に奥を示す。

そこにまた扉がある。

ロックを解除して時任医師が扉を開くと強い光が目をすぼめさせた。


時任医師の次に俺が入る。

入って、それが何かを察した途端、後に続く宮星の目を塞ぎたい衝動に駆られた。

だが、それは遅かったようだ。


コード類が床に葉脈のように張り巡らされている。


先程の部屋と違って、人が4人いた。

3人は医師か研究員だろう。

計測器のような機械を使い、それを観察して熱心に記録をつけている。


そして、もう1人。

1人、と言っていいのか迷う。

なぜならそれは、既に人の形をしていなかったから。


「……ぁ、あぁ、ぁぁ……」


人形、いやマネキンと言った方が正しいか。

立ったまま縛り付けられたマネキン。

体は無機質だが、顔だけは人間のそれと見分けがつかないほど精巧に作られていた。

どこかで見た事のあるような顔だった。

たぶん既視感は横に立つ少女の顔だろう。


人間の体の無駄を極限まで削ぎ落としたような姿をして、それは呻く。

マネキンといっても声帯はあるんだな。

そう思った。


「え、え、え、……おか、あ、さん……?」


明らかに動転した声。

あまりに非現実的な光景に判断が出来ていないようだ。


「ええ、そうです。あれが君のお母さんです」

「なん、で」

「何でこの部屋に隔離されているのか、ですか?」


すっとぼけるように時任医師は言う。

いや、たぶん素で言っているんだろう。


「何であんな体をして苦しそうな声を出しているんだ、と聞いている」


俺は冷静だった。たぶん冷静に怒っている。


「あぁ、そんな話ですか。まず人工ボディですけど、簡単です。宮星 ルリコさんは病で一度死んでいるんです」

「は……?」

「人は体が死ねば意識も死にます。ですから、新しく人と同じ材質の体を作り、そこに意識を移しました。いやはや苦労しましたよ。意識の移動先は人の姿をしていないと拒否反応が出やすいんですよ。当初は球形ボディに……」

「もういい!!」


俺は叫ぶようにして時任医師の言葉を遮る。

時任医師は気持ちよく解説していたところを邪魔されて不機嫌そうだった。


「2つ目の意識のことですけれど、実験の影響です。やはり意識の移動時に負荷がかかり、廃人のようになってしまいました。今後の研究課題ですね」


「……おかあ、さん、は、病気を治すためこの病院に来たんじゃないの……?」

「当初の目的は違います。私ども研究チームはIDMの研究、改良を行っておりまして、被検体を探していました。君が住んでいたスラムにもよく被検体を補給しに行っていましたよ。その時見つけたのがルリコさんでね、彼女は『夢が浅い』という特殊体質を持っていることが分かりまして、この病院まで連れてきたんですよ」


今にも泣き出しそうな、絶望の顔をした宮星がそこにいた。


「いや、勿論病気も治そうとはしたんですがね、何分既に手遅れでして。このような処置を取らせていただきました。

しかしルリコさんのご協力で夢が浅いメカニズムが分かってきてIDMの改善に役立っています。それは喜ばしいことでは?」

「……おかあさんがそんな研究、承諾するわけない!!」

「承諾?なぜ国籍のないものに承諾が必要なのですか」


スラムの人間には国籍が無いものも多い。

戦争で再建された現在の国家の国籍を新たに取得することはスラムの人間には難しい場合があった。


「だからと言って人間をここまで弄んで良い理由にはならないだろ……!」

「弄んでいるつもりはないのですけれど。まあそうだとしてもこれは必要な犠牲です。この研究で人類は新たなステージに進むのです。それが石上 ハルオミさんが望んだ理想郷……!!分かりますか」


時任医師は、理解が悪い生徒を指導するように、あるいは理解が悪いことを哀れみ見下すような声音をしていた。

だがそれは違う。

父は、ハルオミはそんなことを望んだはずはない。


「もういい……これ以上話しても無駄だ」

「残念です。必ずや理解してもらえると思ったのですけれど」


俺は宮星を連れて帰ろうとする。

が、俺が掴んだ手を振りほどき、ルリコさんの方へと歩いていく。


「宮星……」


親の変わり果てた姿など見たくないだろう。

今すぐにでも目を逸らして逃げ出したくなるだろう。

それなのに、彼女は真っ直ぐ歩く。

泣き出しそうな横顔。しかし泣くことはない。

目には、確かな意思が宿っていた。


「おかあさん」


母と対面しようとする少女のため、時任医師は研究員を下がらせる。


「ねえ、お母さん。私だよ、ナツホだよ」


今まで呻いていたマネキンの声が、ピタッと止まった。


「ぁ、ぅ……な、つ……ほ……」


一音一音確かめるように。



「そうだよ、ナツホだよ。……ごめんね、お母さん」


宮星の目には、じわりじわりと涙が浮かんでいる。


「な、つ……ほ」

「何、お母さん」


ルリコさんが何かを言いかける。

宮星はその言葉を聞き逃すまいと、顔耳を近づける。


「……あ、ぃ……し、て……る……」


宮星の感情のダムが崩壊するのが分かった。

声を殺して、涙を流す。

この部屋にいる全員が、それを静かに注視する。



宮星が振り返りこちらに歩いてくる。

帰る気になったのかと思った。


が、宮星はテーブルの前で止まると、そこにあったナイフを手に取る。

研究員が静止するよりも早く、宮星はそれをルリコさんの喉笛へと突き立てた。


吹き出る血。

二度、三度と痙攣したあと、肉で形作られた偽りの肉体は本当に口聞かぬマネキンと化した。


誰も声が出せない。

いち早く俺が宮星の手を引いて駆け出したことで、他の者も動きだした。


「……なっ、何をしている!!捕まえろ、いや、警報を鳴らせ!!」


返り血を顔面に浴びた宮星を見て、廊下を歩く医師や患者が悲鳴をあげる。

遅れて警報が鳴る。

警備員の姿が遠目に見える。


俺たちは二階の窓から飛び降りて、病院から脱出。

そのまま、人のいなさそうな道を疾走する。


「あの……!どこへ……」

「俺が昔住んでいた家、石上家だ!」


俺は走りながら答える。

ここからなら正門よりも家の方が近い。


家に着くと、宮星が血をタオルで拭いている間、ガレージに向かう。

父親がバイクが好きで何台か持っていた。

俺が乗っていた大型バイクも父親譲りのものだ。


俺は置いてある内の一台を選び、宮星を乗せて走り出した。

向かうは正門。

検問はあるだろうが、中央突破する。


病院での事件が伝わっているのか、待ち構えていた警備員を無視して、全速力で走り抜ける。


中央都市を出ると晴天が広がっている。

空気を読まない天気だ。


「あ、危なかったぜ、まじで」


もう少し対応が早かったら捕まっていた。

バイクの後ろに乗る宮星が、涙ぐんだ声で話しかけてくる。


「あの、私、これで良かったのかな……」

「どうだろうな……。でも、悪くなかったんじゃないかな」


ルリコさんの最後の言葉。

愛してる。

それは本心であり、「苦しい」という言葉を飲み込んで言った言葉だったのだろう。


母と娘の最後の対面。

それがあんなことになるとは思いもしなかった。

もう宮星は泣き止んでいる。

強いな。

羨ましいという気持ちを自分で否定的なかった。





中央都市で人を殺す(おそらくそう扱われている)重罪を犯した宮星は、都市部で暮らすことは困難になった。

イナバ村に戻ることも考えたが、迷惑がかかると思い止めた。


だが事はそれほど重くはない。

混乱している情勢ということもあり、権力の及ばない地域などいくらでもある。


俺たちはそんな地域を転々と旅行しつつ、テントを張ってキャンプしたり、小屋を貸して貰ったりして生活してきた。

俺は宮星の付き添いだ。

そもそも旅行ばかりしていた俺は、宮星の付き添いをしても別にやっている事は同じなのである。


様々なものを見て経験してきた。

轟轟と音を立てて落ちる大瀑布を見たり、希少な動物と出会ったり、この国では滅多に見られないオーロラを鑑賞したりした。


良いことばかりでもない。

紛争に巻き込まれたり、懇意にしてくれた人が目の前で死んた事もある。


だがそのどれもが、生きることの本質のような気がする。

人として生きる。

苦しいことがあった次に、幸福なことがやってくる。

たぶん人生はその繰り返しで。何て悟ったようなことを考える。


宮星とは不思議な関係だった。

友人でもないし、ましてや恋人でもない。

欠けたところを補完しあうような関係。

一人旅をして人と関わってこなかったこれまでの人生で久々に心を開いた気がする。


4年と半年。

穏やかで暖かい日々が続いた。

幸せは長くは続かない。

その考えはまさしく的中したわけだ。


宮星がガンになった。

おそらく放射線を浴びたせい。


喀血し苦しそうにしながら宮星は語ってくれた。

自分がスラムにいた時一度黒い雨を浴びたことを。


何で話してくれなかったんだと言ったら、「だってハルマさん、心配するじゃん」

と笑って言われた。


逝かないでくれ。

初めてそんなことを言った。


宮星は力なく微笑むと、ぐったりと目を閉じる。

何度呼びかけても目を覚まさない。


年甲斐もなく泣いた。

動かなくなった顔は、骸と思えないほどに満ち足りた表情をしていた。





俺は家族を恨んでいたのだろうか。


今になって思う。

俺はただ、暖かい家族というものが欲しかっただけだったのだろうと。


研究に没頭しほとんど家に帰ってこない父。

成果が出ない父を支えるため母や姉は毎日仕事へ出ていた。

兄は良い大学を出て家族を賄えるくらいの職に就こうと受験勉強に明け暮れていた。


誰もいない食卓。

陰鬱と漂う空気に、俺は孤独を感じていた。


戦争が始まり、姉が死んだ。

父はだんだん狂っていった。

そして数年後に父は自殺した。


IDMを完成させた直ぐ後だったと思う。

たぶん自分がしてしまったことへのただならぬ後悔と自己嫌悪に押しつぶされて耐えきれなかったんだろう。


そう、俺は生まれて幸福な家族というのを体験していない。

その代わりとなる人もいなかった。

だからこそ、家族のような存在を、家族から与えられる愛を、心の底から欲していた。





夢を見ている。

とても幸福な夢だ。


澄んだ空気が美味しくて、自然は青々と茂る。

そこには、みんながいる。

俺の父親も母親も兄も姉も、宮星も、宮星の母も、みんながいて、幸福な表情を浮かべている。


遠くで少女が手を振っている。

俺は少女と手を取り合う。


ルンタッタ〜ルンタッタ〜


どこからともなく軽快な音楽が流れてくる


その音楽に合わせて、ステップを踏む。


俺たちは笑い合い、いつまでも踊っていた。


ルンタッタ〜ルンタッタ〜


いつまでも。誰にも邪魔されない。


ルンタッタ〜ルンタッタ〜


誰もいなくならない。

石上ハルマという人間が望んだ理想。


あぁ、幸せだ。

この幸せが永遠と続けばいいのに。

そう思った。

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