2018年のプロローグ
2018年4月
**公園の遊歩道は市民には人気のランニングコースであった。
1周約3.5km、道幅は平均約20mあるコースの周辺は人口の森林に覆われている。
その森林には多くの種類の野鳥が生息していることでも有名で、あちこちからそれらの鳥たちが発する鳴き声が聞こえた。
このように自然を満喫しながら走ることができるため、ランナーたちは自分が喧騒の都会の中に居ることをしばし忘れることができるのだ。
牧野聡はこのコースを軽く1周走ると、彼がスタートとゴールに決めている大きな円形の花壇のあるロータリー状の地点で小休止を取った。
ここで深呼吸をすると、この季節は花々の香りを含む空気がとても心地よいのだ。
40歳を少し越えた年齢になってもランニングを欠かさず日課にしていたため、スタミナはいささかも衰えていない。
走っている間は日常の煩わしい出来事をしばし忘れることが出来た。しかしこうして休憩を取るうちに頭の隅から様々な問題が蘇ってくる。
昨年は散々であった。
・・・俺が詐欺師だと?ふざけるな。いままで儲けさせてやっていたのに。
牧野は自らが経営する投資ファンド会社の顧客たちに大きな損失を与えてしまったため、詐欺の疑いで逮捕されていたのだ。
・・・奴らは投資というものがわかっていない。リスクは当然覚悟の上のはずだ。リスクヘッジもせずに欲を掻いて金を失ったのは自分たちの責任じゃないか。
牧野自身は上手く売り抜けて損失を被ることがなかったのだが、それが詐欺であると見られたのである。
幸いにも容疑は証拠不十分のため不起訴となったのだが、マスコミには犯罪者のごとく叩かれた。
損失を被った顧客のうち数名が自殺するに及んでは、世間の風当たりはさらに厳しくなっていたのだ。
・・・それにあの怪しげな宗教団体。俺を脅すような真似をしやがって。俺に健康上の危機が迫っているだと?
インターネットで幹部社員のひとりが発見し牧野に報告された「コスモエナジー救世会」という宗教団体のウェブサイトのトップページ。
そこにはあたかも今回の一件が因縁となって牧野の健康に問題が起きるかのような予言が書かれていたのだ。
・・・あの予言者、東心悟とか言ったな。東心悟・・・どこかで聞き覚えがある。誰だっけ?
わずか1~2分の休憩で呼吸が楽になった牧野は再び走り出した。
ロータリー地点から1kg弱ほど走ったあたりだった。
『止まれ・・』
突如何者かの声が頭の中に響いてきたのだ。
『止まれ牧野聡。お前は過去の因縁を断ち切ることが出来なかった』
驚いた牧野は立ち止まって辺りを見回した。
周りにはやはりコースを走っている男女複数のランナーたちや、ウォーキングしている子供連れの女性や老夫婦などが数名居たが、いずれも牧野には近づいておらず声を掛けられるとは思えない。
それにその声は耳で聞いたという感覚ではない。
・・・幻聴か?
しかし再び声が牧野の頭の中に響いた。
『お前は過去の因縁の報いを今受けるのだ』
突然、牧野の胸を締め付けるような痛みが襲った。
その痛みはすぐに喉元までせり上がり、目の前が暗くなってきた。
薄れゆく意識の中で、牧野は思い出していた。
・・・そうか東心悟・・奴か・・ははは・・なんだ俺と同じ穴の狢の投資屋じゃないか・・糞、ふざけやがって。。
牧野は路上に膝を落とした。
━━…━━…━━…━━…━━…━━━━…━━…━━…━━…━━…━━
「山科さん、科捜研の方がお見えになりましたよ」
2018年5月、**署。
捜査一課の中年警部補・山科一郎は苦虫を噛み潰したような顔で来客を出迎えた。
「山科警部補ですね。私は科学捜査研究所所長の田村貴仁です、こちらは所員の宮下です」
田村と名乗る50代半ばと見える男は、自己紹介とともに若い女性部下を紹介した。
「はじめまして、宮下真奈美です」
宮下真奈美は地味なスーツをきて、化粧気のない顔には大きな黒縁のメガネをかけている。
もともとはショートボブにカットされていたと思われる黒髪は、しばらく手入れされていないらしく、少し伸び過ぎているようだ。
若いのにあまり身なりに気を使わない性格らしい。
「田村さん、あんたの噂は聞いているよ。しかしまさか俺の刑事人生で超科学捜査研究所(S.S.R.I)に捜査協力を依頼する日が来るとは思わなかったぜ」
その言葉を聞いた田代はニヤリと笑みを浮かべた。
「S.S.R.Iは存在しませんよ。都市伝説です」
「表立ってはな。しかしあんたは存在するし、あんたらの仕事は公然の秘密だ。本当に噂通りの力があるのかね?」
「お見せしましょう。宮下君、山科警部補を読ませてもらいなさい」
田代がそう言うと、真奈美が山科の前に進み出た。
「では失礼させていただきます。まず奥様とのことは残念でしたね。お子様とはもう長らくお会いになっていないのですか?」
真奈美の言葉を聞いて山科は少し顔を引きつらせたが、できるだけ表情を変えないようにして言った。
「俺の離婚の事はあらかじめ調べれば分かることだ。その程度か?」
「スーツの内ポケットに、警察手帳とは別の手帳がありますね。お子様の写真が入っています」
山科はこめかみから脂汗を流した。
「・・・あんたらが超能力者だという噂は本当の事なのか?」
真奈美は少し微笑んで答えた。
「いいえ、超能力者など存在しません。これはコールドリーディングという技術です。観察して分析しただけです」
「今の読心術がコールドリーディングだというのか?」
「はい、離婚してお子様と会えなくなった子煩悩な男性は、たいてい子供の写真を身に着けているものです」
山科は逆に真奈美の表情を読もうとした。しかし真奈美は長年の刑事経験をもってしても掴みどころのない表情だ。
「では、どうして俺の内ポケットに警察手帳とは別の手帳があることがわかった?」
真奈美はもう一度微笑んだがそれには答えなかった。
「山科さん、そろそろ本題に入りましょうか?」
田代が山科に話を促した。
山科は大きなため息をひとつつくと、事件のあらましを話しはじめた。
「お前さん方もすでに報道で知っているだろうが、コスモエナジー救世会事件な。ほんとうにお手上げなんだよ」




