言の葉人情劇
それは帰宅途中の出来事だった。いつも僕はなにかしらを考えつつ歩いているが、今日は違った。夕日の寂しげな斜光が目に写ることもなく首をもたげ、ただひたすらに帰路へと足を進めていた。多少早歩きになっていたのかもしれない。だから、唐突に現れた黒い人影に僕は全く気付けず、そのままぶつかってしまった。
ちゃんと前を見て歩いていたら、気付けただろうか。
ぶつからずに済んだだろうか。
いや。恐らく結果は変わらず、僕は彼女と出会う運命だったのだ。運命などとは信じたくない。僕と彼女の関係においては、いろいろな要素がかみ合って諸々の条件が合致した結果、それがあたかも運命かのように彼女との出会いが演出されたのだ。
「ご、ごめんなさい。ぶつかってしまって」
僕はぶつかった相手が怒るんじゃないかと焦ってすぐに謝った。それがこの場でもっとも適した言葉だ。大体の人はこうしてトラブルを避けようとするだろう。だが、
「すぐに謝るのは良い事だけれど・・・」
言葉を途中で止めて少し考えているらしい。僕は不思議になり、声の主の顔を確かめるために頭を上げた。
黒のハイヒールに、レースで縁取られた黒のワンピース、首には繊細な装飾が施された金色のネックレスを身にまとっている。そして視線を上げて、顔までたどり着くと、ナイフのように鋭い目の輝きに僕の目は釘付けにされた。全体的に化粧は薄いようだが、その引き締まった輪郭と豊かな唇、まっすぐ縦に通った鼻と、静かに佇んだ黒い瞳が、彼女をとびっきりの美女だと認識させた。そんな妙に存在感のある彼女が悠然と僕の目の前に立っていた。
「あなたの謝罪の言葉には、重みがないわ」
少し驚く。同時に疑問がふつふつと頭に浮かんでくる。ちょっとぶつかったくらいでなぜこうも言われるのか、言葉の重みとは一体なんなんだ。何よりもまず、この女はどこの誰なんだ。
「えっと・・・それはどういう意味なんですか?」
「言葉通りの意味よ。あなたが謝る際に使った言葉、とても軽く聞こえたわ」
「軽くって・・・というか、そこまで気にすることですか?」
そう聞くと彼女は少し黙り、話は中断されたように見えた。次の台詞を考えているのだろうか、とも思ったがどうも違う。思考しているというよりは、あえて話を区切って相手に考える時間を与えているかのようだ。お互い黙っている間ずっと彼女は僕の顔を、というより目を見つめ、僕の内部を見透かそうとしているかのようだった。
見つめているのが美人なこともあり、段々恥ずかしくなって、僕は視線をずらす。彼女の表情は見えないが、なんだか笑われたような気がした。僕が羞恥で頰を赤らめると、やっと彼女は再び口を開いた。
「そうね、今さっきあなたが私にぶつかってきたことは特に重要ではないかもしれない」
そこで彼女はまたも言葉をやめた。僕はそんな彼女の話し方が少し鬱陶しくなり、こちらから口を開こうとしたが、彼女が再び話しだすのが早かった。
「だけど、私とあなたが出会うためには必要な事だった。」
「これはある意味儀式よ。あなたの意識に、私の言葉が残るためのね」
そう言って彼女は僕の手を引き、その懐へ僕を引き寄せる。なんだかフィルムのコマに分かれたように、その一瞬だけ時が遅くなったような気がした。彼女が手を伸ばして僕の指先を優しく握る。そして僕は彼女の元へ、その身を引き込まれる。その間なぜか僕は何も抵抗できず、縄を手繰り寄せるかのように、いとも簡単に彼女の眼前へと引き出された。そして彼女は僕の耳元へ口を寄せ、薄く囁いた。
「私の名前は黒日陰ミコ。ようやく見つけた、私の共犯者を」




