若返りたい
その男は、いつも「生命の樹」という名前の喫茶店にいた。
朝、喫茶店が開くと同時に一番隅の席を陣取った。
街の人々は、男のことを
「約束を守る男」
と呼んでいた。
この国一番の企業の創業者社長である彼は、
社長室で自分の一生をぼんやりと振り返っていた。
若い頃から働き詰めに働き、遊びも一切せず、
会社を大きくするために必死に過ごしてきた。
気がつくと、彼は年老い、妻にも先立たれ、残されたものは、
彼以外住むもののいない大邸宅と、会社だけだった。
もう一度やり直したい。
会社を大きくするだけの人生は、失敗だった。
しかしもう過去は取り戻せない。彼は大きな溜息をついて仕事に戻った。
ある日、彼は「約束を守る男」の噂を耳にした。
「約束を守る男」はどんな依頼も受けるという。
彼は男に、自分の若さを取り戻してもらうように依頼しようと決心した。
翌朝、彼は社長室長に車いすを押させて、「生命の樹」に入った。
「約束を守る男」と思われる男は、喫茶店の隅の席で本を読んでいた。
他に客はいなかった。
彼は車いすから降り、社長室長へ外に止めた車に戻るよう指示した後、
覚束ない足取りで、男の席に近づいて、言葉を掛けた。
「あなたに相談があるのだが」
男は読んでいた本を閉じ、顔を上げて、彼へ向かいの席に座るよう促した。
彼は、若さを取り戻したいと、男に言った。
仕事ばかりして、妻にも先立たれ、なんの楽しみも無い。
若い頃に戻って、仕事はそこそこで、つつましく暮らしたいと言った。
男はしばらく考えた後、彼の目をじっと見てから、
依頼を受ける、1年間待て、と言った。
「依頼料は?」
彼は男に尋ねた。
男はコーヒー代を一杯分、机の上に置いていくように言った。
彼は男に言った。
「金はいくらでも出します、確実に願いを叶えて欲しい」
男は彼の顔を、もう一度じっくり眺めてから、
ではコーヒー代をもう一杯分、と言った。
彼は礼を言ってから、コーヒー代を2杯分、机の上に置き、
外から社長室長を呼んで、店を後にした。
半年後、この国一番の企業の創業者社長が亡くなったというニュースが流れた。
大がかりな社葬とお別れの会が執り行われた。
しかし、葬儀から一ヶ月も経つと、人々は彼のことを忘れてしまった。
ある朝、男は、新聞を購入するために喫茶店の向かいの店に行こうとした。
横断歩道を渡ろうとすると、若い女性が連れた子犬に吠え掛かられた。
「ボス ちゃん、だめじゃないの」
その女性は、リードを引っ張り、子犬を制した。
子犬は男に飛びついて噛まんとするような勢いだった。
「すみません、うちの子がご迷惑をお掛けして」
その女性が、男に謝った。
男は、気にしなくて良いと言って横断歩道を渡ろうとした。
「ボスが、他人に吠え掛かるなんて。この子が生まれてから初めてのことです」
子犬の内にちゃんとしつけをした方が良いですよ、と男はその女性に言った。
若返る秘訣は、楽しく読書をすることです!
ということで、今回もショートショートなので、
物足りない方は、そうですねえ、今日は完結している短編
「死神見習いと過ごす最後の一年」をお勧めします。
https://ncode.syosetu.com/n9791fd/
もちろん私の書いた傑作ですw
ではまた、御機嫌よう。