第十二話 その花の名は・前編
新登場人物
屋城一穂
旧図書館の司書で理事長の姪。
美しい女性だが、少々変わっている。
好きな動物は鶏。
「水無月君、昨日はどうしたの?起きたら急にいなくなってびっくりしたよ……有瀬が何ともないっていうから、特に電話もしなかったけどさ」
朝一番に顔を見つけるなり、クリスは本を読んでいる水無月に駆け寄って尋ねた。特に責める調子も見られない。その言葉は、ただ、純粋な心配と疑問とで成り立っていたが、水無月は微笑しながら、唇の下に密かな皮肉の影を落とさずにはいられなかった。果たしてかけられなかった電話が、この胸に宿した傷を一つでも減らしただろうか。その影をふとひそめて水無月。
「心配かけてごめんね。やっぱり、弟のことが心配だったから。何も言わずに出てきてしまったし」
「えっ?でも……」
水無月は腕時計をちらりと見遣って立ち上がり、机の上で読みかけの本を静かに閉じた。
「ほら、クリス、一時間目は英語だよ。クリスはジャクソン先生のクラスでしょ?移動しなくていいの?」
渋々ではあったが、時計を見れば確かに動かなければいけない時間であったので、クリスは来夏の肩を叩いて教室を出た。水無月は重々しい溜息と共にそれを見送った。そのまま眺め続けた教室の出入り口に、息を切らして駆け込んできたのは落合だった。落合は扉と膝の上にそれぞれ手をかけ、椅子に座ってぼんやりしている菜月に怒鳴った。
「酒本、てめぇ、俺の目覚まし一時間遅らせただろ?!」
「だって、まるで起きないんだもん。それに鳥居先生の授業が最初だからいいかな、って」
「ふざけるな、俺があと一回遅刻したら欠席扱いになること知ってんだろうが?!」
「あれ、そうだったの?知らないよ。いちいち落合の遅刻の回数なんて数えてられないし」
「てめぇ……!」
その時、落合はこちらに向けられた視線に気付き、その光源を悟ってふいに口をつぐんだ。水無月はすべきことが分からなかった。黙礼することで、何とか旧友を無視したという状況を作らずに済ませた。顔を俯けたまま、半開きの唇が空気を紡ぐ。胸の内でさえ言葉になっていないその声。謝罪であり、弁解であり、そして非難でもあった。それが通じたかと目を上げて確かめようとした時、落合の関心は後ろからせっつく鳥居先生へと移行していた。
「あんたね、この間のことあたしが忘れたと思ったら大間違いなんだからね。ついでに夏休みのレポート出してないことも忘れてないんだからね」
「執念深い女は嫌われるぞ。だから、男が近づか……」
「言うな!」
今日は雲が速いな――出来上がったばかりのファイルを慎の机の上に置き、視界の端でちらりと捕らえた空の騒がしさに、颯は密かに呟いた。雲にぶつかった日の光が白く砕け散っていく様子や、今朝の天気予報を思い出し、慌てて駆けていく生徒たちの背や肩に、その破片が斑模様を作っている様などを、とてものんびり眺めている時間はなかったが。そちらの方面は全て陽の専門だ。
「ちくしょう、傘を忘れた時に限って天気が悪くなりやがる」
陽が頬杖をつきながら忌々しげに悪態をついた。
「ずいぶんお天気に嫌われてるんですね、先輩」
「予算書さえ出せば少しは好きになってくれるかもよ」
芳乃の言葉を受け、颯は思いつくままに言ってみる。二人揃っての見事な攻撃に、陽は舌を打ち、くるりと椅子を回転させると、クラシックを聞きながら黙々と仕事をこなしている茘枝にもたれかかった。
「茘枝、傘は?」
「生憎持ってきていない。二人で濡れて帰るしかなさそうだな」
「お前、天気予報見てたよな?」
「見ていても忘れることはある」
「嘘つけ。これで何回目だと思ってんだ?バイオリンと傘持つのが面倒だっただけだろうが」
「そうかもしれない」
「……シャワーはオレが先だからな」
「どうぞ」
肩を掴んで凄む陽に、茘枝はくすりと笑いを含んで紅茶をすすった。雨に濡れるのが好きだという自分の妙な性格に、恋人はまだ気付いていないようだ。もちろん、二人で一緒に帰る時のみに限る。だってそんな時でもなければ、昔のように二人で駆けるチャンスなどないのだから。そんな思惑も知らず、陽は呆れたように息をつくと、また首を所定の位置、すなわち茘枝の肩の上に戻してぼやいた。
「そういや、生徒会長様はどうしたんだ?最近生徒会に来ねぇけど。バカのくせに風邪でも引いたのか?」
「もうすぐフェンシングの大会なんだよ。昨日から授業全部休んで練習に明け暮れてるんだ。まあ、最近神経質だったのもそのせいみたいだね。もちろん、それが全部って訳じゃないけど……」
一瞬の沈黙。回想はフェンシング場へ落ちる。フルーレの風切る音と、それを白亜の扉越しに聞く明音のやるせなさ。
「大丈夫ですよ、生徒会長のことですから。大会で優勝でもしたら、また威張って帰ってきますって」
皆を元気付けるように、というよりかは、湧き出る明るい考えを抑えきれないという感じで芳乃。一同はふと口元を緩める。
「果たして……そうだといいが」
茘枝が本気で言ったかどうかを確かめるのは、颯には立派すぎる時間の浪費のように思えた。もうすぐ雨も降りそうだったし。
旧図書館を見渡して、クリスはため息を一つ。
「今日は来てないかぁ」
「誰の話?」
「水無月君だよ。ほら、篠木水無月君。同じクラスの」
「……あぁ」
しばし考え込んでから、菜月はようやく合点がいったというように手を打った。クリスは呆れた目を向けようとして、そういえば自分も顔を見合すまで、いや、見合してもしばらく水無月に気付かなかったことを思い出し、自重した。ノアは何となくそれを察しているのか、くすくすと手をあてて笑う。クリスは横目で勘弁してくれと訴えた。
「ふーん。なーんだ、中はちゃんと綺麗になってるんだ」
菜月が旧図書館に行きたいと言い出したのは、昼休みのことだった。「懐かしい」ので「見にいきたくなった」そうだ。クリスは同様の懐古を抱いているはずの落合も誘ったが、落合は首を振った。未提出の世界史のレポートに触れても、今回ばかりは渋々ついてこようともしなかった。もしかしたら、高等部図書館の司書がトラウマになっているのかもしれないな、とクリスは思った。ついこの間の勉強会中にとうとう放り出されたので。全く、多忙ゆえに来られなかった来夏と立場を交換してあげるべきだ。
「司書さんはいないのかな?」
「司書さん?……あぁ、そういえばいないよね。昔はいたの?」
菜月は近くの本棚から古い童話の本を手にとり、ぱらぱらとめくりながら頷いた。
「うん、いたよ。なんか理事長の姪だかなんだっていって、美人で有名だった人。落合がべた惚れしてたもん。変な人だったけど。司書室で鶏飼ってたし」
「鶏?」
クリスは聞き返した。理事長と近しい者はなぜ皆どこかおかしいのだろうと訝しみながら。もちろん、理事長がその変人の最前線を歩んでいるのであるが。理事長を始めとする不思議な人々の群れに漏れないノアは、鶏という単語を聞いてうれしそうに声を弾ませた。
「あぁ、それ、お養父さんが一穂さんにプレゼントしたものなんです。一穂さんなら昨日帰ってきてますよ、学園に。ほら」
クリスと菜月はノアの指す方を顧みた。先日は気付かなかったカウンターの奥に、確かに女性が一人立っている。一穂さんと呼ばれた彼女は、ふとこちらを見遣り、寄ってくるノアに向かって小さく手を振った。クリスと菜月も顔を見合わせ、その後ろにならった。二人の会話が早くも耳に入ってくる。
「こんにちは、一穂さん」
「えぇ、こんにちは。ノア君。今日はお友達と来たのね?」
「えっ、あの……はい……!」
女性は微笑んだ。なるほど。理事長は決して醜男ではなかったし、若い頃は美男子の部類にも入っただろうが、美人と噂になるだけあって、やはり顔の造りは趣が異なって見える。例えば、垂れ目気味の二重の目は大きくて睫毛が長く、何となく眠たげな印象を与えている。理事長の細く鋭く油断のならない双眸とは正反対だ。輪郭の美しい頬には微かな膨らみがあり、女性らしいふっくらした唇に薄く口紅を引いている。ノアと同じワインレッドの髪を短く切っており、その髪型が一層顔の小ささを目立たせた。肌が浅黒くて女性にしては背が高く、髪と似た色の、なで肩のラインがよく出るスーツを纏っている。胸元の名札には「屋城一穂」との文字が見えた。
「老けないなぁ」
菜月の呟きに、クリスは慌てて肘で小突こうとしたが、一穂は笑いながらクリスの行為を留めた。
「構わなくってよ。歳の話は嫌だけど、変わらないとだけだったら光栄なの。伯父さんなんて、褒め言葉のつもりかしょっちゅう『ずいぶん成長したもんだね』なんておっしゃるけど、子供じゃあるまいし、ねぇ?」
「今までどこに勤めてたの?」
調子も狂わせずに菜月が尋ねた。
「アメリカに少し語学留学に。えっと、あなたは確か酒本君だったかしら?」
「はい」
「落合君ってお友達にいたわよね?あら、記憶違い?」
「友達かどうかは別にしてとりあえずいる」
記憶が正しかったことが証明されて、一穂は喜びを口元に咲かせた。盛りの牡丹のような重たげな優雅さが、朝露によっていかにも清く軽やかにきらめくその一刹那にクリスは思わず顔を背けた。落合が惚れるのも無理はない。この寂しい職場にはもったいないほどの美しさだ。
「よかった。この歳でぼけてたら洒落にならないものね、もう。落合君に今度来るように伝えてね。あの子のことはとても印象に残っているの。懐かしいわ。本当に面白い子よね……あら、お天気の悪いこと」
一穂につられ、三人も一斉に窓の外を見た。ひとつだけカーテンの開いたそこからは、長方形の灰色の空が見える。間もなく降り出すのだろう。日の光が欠片ほどにも見当たらない。それにも関わらず、この図書館の中には相変わらず乳白色の光が満ちている。まるで、天女の息のような曇り空を流し込んだように――ふと、クリスが気付くと、ノアと自分の間から、菜月の姿が消えていた。彼の居場所を示したのは、扉の閉まる音と遠のいていく足音だけだ。ノアと一穂は一向に気にする素振りもなく、古く楽しい話を親しげに語らっていた。クリスは再び窓の外を見遣った。木々は廃村の老人たちのように身を縮め、怖いほどひっそりと沈黙している。
「一穂さん、オーガスタは元気ですか?」
「えぇ。今は司書室で鳴いてるわ。さっき餌をやったばかりなの」
アメリカの知人の話と思い込んでいたクリスは度肝を抜かれて一穂の顔を見遣った。
「あら、嫌だ。鶏の話よ」
颯が昇降口へと降り立った時、ガラス戸の向こうには、冷たく細い糸のような雨が天の手をこぼれてぽつりぽつりと落ちてきていた。颯は肩をすくめた。予想通り、否、予報通りだ。仕方ない。とはいえ、やはり灰色の外界に踏み出すのは何となくためらわれて。戸を開けたままその場で踏む数歩の前に突如差し出されたのは、懐かしい千鳥模様の傘だった。
「遅かったね、颯」
「ナツ、どうして……」
嬉しい驚きを隠せない颯の問いに、菜月はまず取り合おうとはしなかった。ただ、傘を右肩の上で傾け、空いた方の手を颯に向けて差し伸べながら、戸惑う彼を傘のある戸外へと誘い出した。
他愛もない会話を繰り広げながら歩む帰路を、雨は絶えず濡らし続けた。その勢いはますます強まるばかりで、ついには二人に一つの傘を脇から潜り抜け、二人の制服の袖やら裾やらをびっしょりと重くした。しかし、二人はそれらを厭う素振りもまるで見せない。二人で並んで歩く小道に、これ以上どんな注文があるだろう。だが、それは愛への熱中やそれ故の無頓着というよりは、一種の譲歩、諦めに近いものがあった。
分かれ道に差し掛かった時、二人は無言で顔を見合わせた。西の一般寮へと続く道と、北の特別寮へ続く道、二人はそれぞれ別の道を行かなければならない。菜月はほてらせた唇にのぼらせた言葉を途端にしまい、つないだ手を一層きつく結んで別離を拒んだ。無言の訴えに共鳴して颯の胸は痛いほどだった。二人の目に映ったのはその一粒一粒に光を移ろわせていく雨の色。颯は眼鏡の奥で瞳を揺らし、この雨に甘んじて口を開いた。
「ナツ、僕の寮へ来る?」
菜月は顔中に笑顔を響かせ、大きく一回頷いた。ねだっていた菓子をようやく与えられた幼子のように。
颯の寮は、慎や茘枝と陽の寮とも佇まいが大分異なっていた。慎の寮は二階建てで、豪奢で趣味の良いワインレッドの洋館であり、花と訪れる小鳥でにぎやかな庭を持っている。茘枝と陽の寮は、海辺に面したバルコニーがついた、窓の広い開放感のある白い建物だ。変わって颯は、住まいの周りを果実のなる木々やで覆い、滑らかな苔に結ばれた石や流れる水を配置して厳かで神聖な空間を作り上げていた。金木犀の生垣を過ぎ、雨につやつやと光る小石の上を進んだ先に、菜月の目には懐かしい、黒い屋根瓦の家が姿を現した。菜月の胸は知らぬところで小さく弾んだ。
「どうしたの?」
掴まれた袖越しにか、微かにそれを感じて颯。
「ううん、何でもない」
首を振る菜月はひたすらにいじらしかった。
「制服はそこに干しとけばすぐ乾くと思うから。タオルは自由に使って。風邪でも引いたら大変だよ」
「分かってるよ。子供じゃないんだから」
「はは、そうか」
暖められた畳の部屋の隅であぐらをかき、淹れ立ての濃い煎茶を少しすすって、菜月は苦そうに眉をひそめてみせた。颯は、それを見て声を上げて笑った。彼は既にワイシャツとパーカーを脱ぎ、濃紺に白く模様の入った部屋着の着物に着替えている。
「ナツは相変わらず苦いのが駄目だね。お菓子と一緒じゃないと飲めないんだから」
「別に、飲めないってことはないもん」
菜月は膨れ面をしてみせる。それでも颯が運んできた甘い茶菓子には、憚ることもなく目を輝かせた。
「ほら、やっぱり……」
しかし、呆れながら颯が腰を下ろすと、菜月は菓子を見捨ててそっとその傍らに寄り添った。再び心通わせたあの日から既に二月近く、その間交わした言葉は多けれども、身を寄せ合い、腕を絡ませあうのは何月ぶりか。菜月は颯の正面に移ると、彼の背中に手を回し、彼の肩にくちづけるよう閉ざした口元を押し当てた。触れ合う体の面積で共有する熱は、互いの心臓の動作により、更に温度を上げていく。
「颯……」
「何?」
猫のように屈みこんだ菜月の髪からは微かにシャンプーの匂いがした。黒炭の色の、さらさらとした髪を撫であげれば、ますます香りは強く立った。
「好き」
「うん」
「大好き」
「……知ってるよ」
「颯がそうやってはぐらかしてもね、もう離してあげられないくらい好きなんだよ。だから、ちゃんと……ちゃんと応えてくれないと……嫌」
「うん……」
菜月はゆっくりと顔を上げ、一瞬ためらった後、存在を確かめるよう怖々と額を重ね合わせた。何も見なくても済むように目は既につぶっていた。それから音もなく、触れ合うだけのキスをする。一度して悔やむように離れ、しかし堪えきれずにもう一度。幾度も繰り返される単調で深い行為。次第に胸の中にこみ上げてくる感情に、二人は気が付いた。あえてあの言葉に目を背けるのであれば、昂ぶりとでも言うべきか。愛の経過に組み込まれた花の実りを、二人も無視し続ける訳にはいかない。
雫滴る薄紅色の花弁。その花の名は、デルフィニウム――
「菜の花がさっ……!」
堰きこむように颯の口をほとばしりでた言葉に、菜月ははっとして身を強張らせた。
「菜の花がさ、またきれいに咲いたって……春の話だけど……言ったっけ?」
「ううん、聞いてない」
菜月は素直に打ち明けた。何だろう。急速にしぼんでいく何かとやけに強すぎるこの心の安堵は。
「写真があるけど、見たい?」
「うん!」
前者についてはまだ知らない。後者についてはもう息苦しいほど馴染んできた。そう、息苦しいほど。それでも、その中で窒息する方が箱の外に出るよりは楽なのか。
微笑みながら、懐かしみながら、結論なんて出るはずなかった。
花瓶の中には老いたる花、うら若き花が混在し、茎を掻き分けるごとにその美醜を順に曝していく。どれも夢の始まりにより行き場をなくした花たち。甘くぬるい惰眠さえなければ、あの丘の墓前に高く積まれていたものを。朽ちる前に風にさらわれて。
凍りついた窓越しに雨音を聞きながら、白蘭はベッドの上に横たわっていた。肌蹴たシャツが本来隠す部分に今更シーツを纏おうともせず、膝まで捲り上げたズボンのウエストはゆるい。ネクタイは花瓶の花を束ね、打ち捨てられたベルトと揃って、持ち主の罪を声高く糾弾している。しかし、どうして彼がその声を聞こうか。どうして彼が羞恥に顔を赤らめようか。芳乃が柄にもなくぞんざいに着た制服姿を見せても、白蘭はいっこうに無頓着という様子だった。薄く開いた唇からは、真珠のような歯が覗き、時折血ののぼった舌先を優しく噛んでいる。芳乃は白蘭の隣にそっと滑り込むと、後ろから彼の肩を包み込み、唇の中に指を押し入れて甘く溶け合う歯と舌をまさぐった。手を置いた白蘭の背は汗に湿っていた。
「どうしたの?白蘭様?」
白蘭はふと笑った。
「別に。枯れそびれた花が惨めだと思っただけだ」
「だったら捨ててしまえばいいのに。目障りだよね。こういうの」
芳乃は花瓶のしおれた白いランに手を伸ばすと、萼ごと花弁をかどわかした。花は勢いで宙に舞う。しかし、二人はその着地点さえ見極めようとせず、花に目を背けて寝台の上で向き直り、愛の言葉一つなく、唐突に唇を重ねあった。雨音だけが絡まりあう熱のささやきを掻き消していく。二人の堕落を覆い隠すように。
「これはサービスなの?」
高揚する胸に手をあてながら、芳乃は尋ねずにはいられなかった。
「まさか。その手のものは好まない。花を駆除してもらった礼だ」
「ふふ、貴方らしいや。でもさ、本当に邪魔な花はまだ消えてないんだよ。もう冬だっていうのに、いつまで咲いてるつもりだか。目障りだよね……叩き潰さないといけないよね」
「俺のために?」
「もちろん」
白蘭は満足げに微笑んだ。芳乃は彼の傍らを名残惜しげに抜け出すと、花のない茎を退けて新たなランを挿し、先ほど放り捨てた花の顔を踏みつけて部屋を出て行った。踏まれた花の花弁の白が、春の日の色に変わる今、その花の名は――
(2013.2.8 改訂)