序章 知らせは誰が元へ
生徒会長、千住慎は生徒会室にいた。
奥行きのあるその広い部屋に入ればすぐに、彼が肘を押し当て深い思索に耽る樫の大机は見える。通常、彼は眉間に皺を寄せ、我儘ないらつきを以って書類に接する。だが、この時ばかりは違った。彼は、たった今手にした紙に興味を抱いていた。それは、転出入の著しく低いこの学園では滅多にお目にかかれない代物で、所謂「転入届」というやつだった。9月12日火曜日転入予定。名前は石崎・エーリアル・クリス――慎はようやく眉をひそめたが、そうさせたのも、いつも通りの傲慢ではなく、思い出したいことが思い出せない不快感に因るものであった。刻々と眉間の皺が鮮明になりゆくうちに、彼の頭にぱっと一つの言葉が思い浮かんだ。天才少年画家、それこそ此の少年を形容する全てであった。少なくとも、現段階の千住慎の頭の中では。
一羽の白鳩が、生徒会室の窓を過ぎった。
生徒会書記、榊原颯は廊下にいた。
その歩みの速度は見る間に速くなり、弾んだ息と肺の躍動に焦燥が滲にじみ出ていた。抱える大量のファイルは、彼の胸ばかりか、彼の享楽にさえ暗い陰を落としていたのだ。早く仕事を終わらせなければ。昨日は丸一日様子を見に行けなかった。今日こそ行かなければ。部長としての自分の地位も危ういし、それに何より――颯はごくりと唾を飲み、乾いた喉を湿らせた――彼のダンスへの情熱と愛が、単なる歩行運動に不服を唱えていた。
一羽の白鳩が、廊下の窓を過ぎった。
生徒会議長、小杉茘枝は音楽室にいた。
顎の下の痣を宛がわれ、彼の指で優しく愛撫されれば、琥珀色の楽器は澄んだ氷のような音で部屋の空気を切り裂いていく。彼のバイオリンは、持ち主の意向に従順だった。いつでも彼の思惑通りに啼き、歌った。茘枝とバイオリンとの間にある糸は最早、所有者と所有物のそれではなく、自身とその分身のそれであった。結びつく快楽の中、彼は恍惚として目を閉じた。
一羽の白鳩が、音楽室の窓を過ぎった。
生徒会会計、川崎陽は楽器庫にいた。
彼が所属する軽音楽部は、既に他の場所で活動を始めているのだが、どうせ個人で練習するのならば一緒にいなくてもよかろう、一人で好きな曲でも演奏してみたい気分だし、とも思って、結局倉庫に篭こもったままでいたのだ。こんなことがほぼ毎日だから、部活の出席率は練習時間とは反比例して恐ろしく低い。部活だけならば良いが、生徒会でも同様だった。それでも彼が憎まれることはなかった。彼はただ、目の前のことにひたすら夢中なだけだ。
一羽の白鳩が、楽器庫の窓を過ぎった。
天井一面から滴り落ちる水晶のシャンデリア、円形に縫われた冷たい石灰岩の床、二つを接合する水晶の円柱、そしてアーチ型の窓から望む青いばかりの空―― 一体誰がここを教育施設の一つだと考えようか。誰も考えまい。事実、ここは教育になど使用された試しがないのだから。
そこは、学園の敷地の中央にそびえる白い塔の最上階だった。四人の生徒会役員は、風に頬を擦られるのもそのままに、無言のうちに柱を見つめていた。否、彼らが真に見ているのは柱ではない。柱に括られた一人の少年だ。少年は項垂れ、吹き付ける風にさえ髪の毛一本そよがせず、片方の膝を立てて床に座り込み、彫刻のように動かないでいた。もしその肌に煌きがなければ、もしその爪が不自然なほど深く切り込まれていなければ、もしその灰色の瞳が光を取り戻さなければ、彼は死者と間違われたかもしれない。絶対的な静謐の中で眠っていた彼は、夢の浅瀬での戯れにも何ら未練を残すことなく、静かに目を覚ました。少年は周りを見回しもしなかった。鎖が潰え、そして、ふと彼がアーチ型の窓に手を伸ばせば、四人をいざなった白い鳩が、深淵なる空色の中からひらりと現れて、その手に珊瑚色の足を落とした。薄い唇が呟く。
「光が満ちれば鳩が知らせてくれるのか。僕の名前をとった洒落なのかもね」
生徒会役員たちは、言葉に含まれた皮肉の意を酌んでそれぞれ口元を緩ませた。少年もふわりと笑った。まるで、白鳩の羽のように。