あまちゃんは駄作だ
『あまちゃん』はどう考えても駄作だ。
未だに、どうしてあれが人気なのか理解ができない。原作が工藤官九郎だからか? あんな中途半端な作品が、脚本段階でゴミ箱行きにならなかったのは、悪い意味で奇跡だ。メディアの人間はいろいろなしがらみがあるから言えないのかもしれないが、あれは、どう考えても駄作だった。
駄作とそうでない作品の違いは何だろうか?
駄作という意味では、例えばスピルバーグの『宇宙戦争』も駄作だったと思う。誰でも思いつくようなストーリーに平凡な人物。予算をつぎ込んだだけあって映像には迫力があったが、その映像の迫力も、平凡に見えた。そう言う意味では、あれも駄作だった。突き刺さるものがなかった。しかし、駄作ではあるにしろ、ストーリーラインはしっかりしていた。登場人物たちの行動動機やセリフや態度にも、説得力があった。しかしそれは、作品の最低基準だと思う。
とすると、前言を撤回するようで申し訳ないが、『あまちゃん』は、駄作以下の作品ということになる。というのも、出てくる人物の言葉や言動に、全く説得力がなかった。そしてまた、ストーリーなんて、なかったのと等しい。アイドルとか、震災とか、80年代とか、なんかそういうものを無造作に放り込んで並べただけの作品だった。「甘ちゃんだった主人公の成長を描く」ということだったらしいが、実際は主人公が甘いのではなく、作品の作りこみがとことん「甘ちゃん」だ。
もっとも、ストーリーラインが無い朝ドラは過去にも多かった。最近では例えば、『ごちそうさん』、『純と愛』等がそうだろう。一体この作品は何が言いたいのだろうかと思ってしまう。頭を空っぽにして眺める分にはいいかもしれないが、『カーネーション』や『ゲゲゲの女房』という素晴らしい出来の作品もあるわけだし、脚本選びの手抜きを感じてしまう。
私は別に、クドカンが嫌いなわけではない。『ぼくの魔法使い』は欠かさず見ていたし、『タイガー&ドラゴン』も面白かった。そりゃあ誰でも、駄作くらいはあるものだ。三谷幸喜だって、あんなつまらない『のぼうの城』なんて作品出しちゃうくらいだし、仕方がない。作り手というのは、そういう経験から成長していくものだ。
しかし問題は、駄作を駄作と言えない、思わない受け手の側だ。誰の作った作品だろうと、つまらないものははっきりつまらないと言うべきだし、そういう正しい批評が、作者にとっての糧になる。なんだよ「じぇじぇ」って。視聴者舐めるなと、それくらい言えないものか。
あまちゃんの批評をすると怒る人たちがいるからか、あまりネットで批評の記事を見ない。しかし、私と同じように考えている人たちも、多くいるのではないだろうか。「前前前世」を名曲と言っている人たちにはわからないかもしれないが、どうだろうか。