マクロスデルタ
作品とは魂と魂の共鳴だ、というような作品論をどこかで見た。
これを伝えたいというこだわり、強い思いは、同じ思いを持った読者や視聴者の琴線に触れる。
先日、偶然にマクロスデルタに出てくる曲「いけないボーダーライン」を聴いた。パンチのある曲だなと思い調べていくと、私はいつの間にか、マクロスデルタなるアニメの存在を知り、気づいた時には、ぶっ通しで全話視聴していた。
マクロスデルタの良さを知っている方は、何だよ今更と思われるかもしれないが、そこは、同志が一人増えたと思って喜んでもらいたい。マクロスデルタ、マジで「ごりごり」でした。
マクロスデルタの良さは何か?
一番良いと思ったのは、「歌」に対する製作陣たちの執念だ。偽物の薄っぺらい浅はかなゴミクズみたいな歌が流行っている現代。「歌の力」「言葉の力」なんていう空々しい言葉が紅白でも飛び交うこの現代。そんな風潮に殴り込みをかけるという制作陣のロック魂を感じさせられる。
良いシーンはたくさんあった。どこか一つを選べということはできない。
しかし、この作品の象徴的なシーン・台詞は以下に集約されている。
――命がけで、歌を届けに――
そう、彼女たちは、ただ歌を歌っているのではない。
命がけで、歌を届けているのだ。
その「覚悟」そのものが、「歌」になるのだ。
熱い作品だ。
確かに、出てくる女の子たちは可愛い。流行りの可愛らしい絵柄は、確かに良い。
しかし、この作品のそれは、作品を見てもらうための工夫でしかない。テーマ・メッセージ性が、他の大量生産大量消費型のアニメ群とは全く違う。これを、同じ次元で語るべきではない。
一瞬の輝き、灰になる、命がけで歌う、というキーワード。
そして、フレイアの存在。彼女は、30年しか生きられないのだ。
なぜ、なぜ30年なんだ、寿命を延ばす方法はないのかと、最終回を見た方なら、この魂の叫びを分かってくれるだろう。
しかし、それが、この作品の良さなのだ。
「覚悟するんよ」に込められたモノの大きさと重さ。それは、彼女の人生と命の重みだ。だから、ラストシーンでフレイアは、そう言ったのだ。作品を締めくくる言葉に何と相応しいことか。フレイアが特別な力を持っていたのを、我々視聴者はここでしっかり納得しなければならない。なぜなら彼女は、他とは違う、特別な「覚悟」を持っていたのだ。だから彼女の歌は、特別な力を持つわけである。
実を言えば、もともと「スカイガールズ」だとか「ウミショー」だとか、あとは「蒼の彼方のフォーリズム」や「咲 Saki」なんかが好きだ。どれも、天才でちょっとすっとぼけた女の子が活躍するお話。爽快感があって面白い。この中にあっては、「スカイガールズ」の完成度が一番高いと思う。「咲 Saki」なんかは麻雀の作品と銘打っているが、別に題材をトランプにしても、将棋にしても、何にしても良かっただろう。麻雀なら「麻雀放浪記」が至高だ。
――それはともかくとして、マクロスデルタもそういう作品の括りに、最初は入るのかと思った。しかし違った。二度目になるが、この作品は、テーマ性とメッセージ性が、他の作品とは比べ物にならない。本当に、今日ほどユーチューブの、ランダム表示に感謝した日はない。ここに「いけないボーダーライン」が表示されなければ、私は、こんなに素晴らしい作品を、知らずに人生を終えるところだった。
マクロスデルタについては、またどこかで語りたい、語り足りない、そう思えるほどの作品だった。