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間違いだらけの作品論  作者: ミン
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ファッキン! トトロの都市伝説

「トトロって死神らしいよ」


 友人と話していた時、ふとジブリの話題になって、友人がそんなことを言った。それはそれでまぁ、解釈か、と思っていたが、同じようなことを、ゴールデンタイムのくだらないバラエティー番組でも、話のネタに取り上げられていた。


 スタジオジブリの『となりのトトロ』には、いつのまにか都市伝説ができていた。

 都市伝説の概要は以下のようになる。


 物語の後半になると、サツキとメイの影がだんだん薄くなってゆく。実はトトロは死神で、死期が近い人間しか見ることができない。猫バスは、あの世へと連れてゆく乗り物で、その証拠に、「墓道」という行き先がある。地蔵のメイの名前がある。病院のシーンで母親は「今あの木のところで、サツキとメイが笑ったような気がした」と言ったが、生きている人間に発する言葉としては不自然。


 と、まぁ、上のような都市伝説が流行っている。


 こういうことを、怪談話で売っているような芸人が、したり顔で話しているから腹が立つし、また、こういう誰かの作品観を、自分の頭で考えず、鵜呑みにしてしまうところがもっと腹立たしい。


 まず、トトロ都市伝説を信仰している人たちに聞きたいのは、「となりのトトロ」のテーマは何だ、ということ。サツキやメイが死に、猫バスやトトロが死の使いだったとしたら、この作品は一体、何のための作品だったというのか? カンタがサツキに傘を渡すシーン、お婆ちゃんとサツキ、メイの畑でのシーン、美味しそうなトマトやキュウリ、そして、トトロとの芽吹きの踊り――このようなシーンは、一体何だったのだろうか? そういう一番大事な部分の掘り下げをしなければ本来、あの場面のあのシーンはこうだ、なんて言い方はできないはずなのだ。


 浅はかで右倣えの、国語は点数だけ取れるけどその心を学んでいない人たちのために正解を記しておく。


 トトロは、太古の森の神である。古くから日本では、大きな木、古い木には魂が宿る、という信仰がある。あの楠、トトロはあの根の下にいる。トトロは、森の守り神であり大楠の神である。その名は「トトロ」とされているが、作中で、学者の父がそう名付けた名であり、本来には、別の名があった。時が経つにつれて、名前は忘れられてしまったが、かつては名があり、信仰があった。その信仰の名残として、あの大楠の脇には祠があり、幹には注連縄が巻かれている。


 ネットを見ると「もののけ姫」のコダマとトトロは同じ生き物だ、という記事があったりするが、言葉の意味をもう少し考えたほうがいい。コダマの語源が「木の魂」で「コダマ」だ。人には人の魂があり、草木にも魂がある。草木のそれを「コダマ」という。だから、木に宿る精霊や神は皆、「コダマ」ということになる。じゃあやっぱりコダマとトトロは同じ生き物なんじゃないかって? いや、「生き物」じゃないんだ。魂と言うのは、生物的な機能を持たない。「死」と「生」と、二つの概念を同時に内包している、そういう存在である。だから、言うなら「トトロも木の精(神や妖怪)だ」くらいなものだろう。


 妖怪とは何か、という議論の中で、「妖怪とは、信仰を失った神である」という考え方がある。そういう視点から見れば、トトロは、妖怪かもしれない。しかし、妖怪と神は、同種のものととらえて良い。座敷童は幸福を与える妖怪として知られるが、あれは、周りの幸福を吸い取り、そのとり憑いた家に、吸い取った幸福を与える妖怪で、厄神とも言える。古事記に見るヤマタノオロチは山の神であるし、ダイダラボッチも、本来は神である。


 さて、次に、なぜ皆にはトトロやネコバスが見えず、メイには見えたのか、という点。これも民俗学の話になるが、かつてより日本では、七歳頃までの子供は、「神の子」と言って、人と神の中間点に存在する、特異な性質を持っていた、と信仰されていた。その年までの子供には、神や妖怪が見えるのだ。だから、メイには最初からトトロが見えたのだ。


 じゃあサツキはという疑問が出てくる。彼女は七歳を超えている。さて、なぜなのだろうか? ここの解釈は面白い部分で、ここからが本当の作品論になってくる。「やっぱりサツキは死んだんじゃ」と、死神信仰者は思うのだろうが、それは違う。信仰者の悪いクセは、すぐに物事を「死んだ」とか、そういうことで片付けようとするが、それは全く馬鹿げた意見だ。もう100回くらい作品を見たほうがいい。


 なお、ネコバスの行き先に「墓道」があるのは、単なるそういう地名があった、というだけの話で、「だからネコバスは死者を運ぶ――」というのは、こじつけでしかない。加えて言うなら、地蔵にメイの名前が「ある」とされているが、実際には「ない」。あったとしても、「だから何?」という程度の問題だ。


 病院のシーンで母親は「今あの木のところで、サツキとメイが笑ったような気がした」と言ったが、生きている人間に発する言葉としては不自然ーーこの感想、誰が言ったのか知らないけれども、全く物語というものをわかっていない。というより、わかろうとしていない態度が気に入らない。結論から言えば、全く不自然じゃない。というよりもむしろ、あの場面にピッタリの良いセリフだと思う。


 言いたいことは山ほどあるが、とりあえず以上である。


 とにかく皆、作品は誰かの解釈に乗っかるんじゃなくて、まず自分の頭で考えたほうがいい。じゃないと、愚にもつかないおバカな意見に振り回されて、自分の本来を持っている感性を食い物にされてしまうぞ!

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