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間違いだらけの作品論  作者: ミン
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仮面ライダーを返せ

 映画「マスク・オブ・ゾロ」、有名だから知っている方も多いだろう。

 ゾロ――黒いハットに黒いマスク、剣の達人で、弱い物いじめをしている権力者を見れば馬に乗って駆け付け、たちどころに問題を解決してしまうヒーローだ。


 主人公アレハンドロ(ゾロ)は、あるパーティーで、自分の弟を殺した敵と顔を合わせる必要があった。アレハンドロは、自分の師匠に、「あいつの顔を見たら、その憎しみが顔に出てしまう。どうしたら良い」というようなことを打ち明ける。その時、先代ゾロで、アレハンドロの師匠であるディエゴは、ゾロのマスクを持って彼に言う。


「隠すんだ、これでな」


 なぜ仮面をかぶるのか――仮面ライダーの話だ。

 別に、仮面をつける必要はないはずなのだ。

 しかしそう、彼らは、「隠す」ために仮面をつけているのだ。


 一体何を隠しているのか?


 自分の素性を隠す、という意味もあるだろう。しかしそれだけではない。彼らは隠しているのだ。改造され、人間を襲う化け物と同じような力を手に入れてしまった悲しさ、同じような境遇の化け物を殺すことへの罪の意識、そして、力を持って制する「正義」への疑問……。


 かつての仮面ライダーは、多くのものを孤独に背負っていた。

 それが、現代の仮面ライダーはどうだ。


 力を手に入れたチャラついたにーちゃんが、自分の力を誇示するように戦い、自分の薄っぺらい正義を疑いもせず、中身のないセリフだけを口走る。彼らは、仮面をつける必要はあるのだろうか。隠すほどの悲しみや憎しみや不安というものが、あるのだろうか。


 売り上げは大事だ。グッズは多い方が売れる。作品のことを考えれば、本当は売り上げを度外視してでもやりたいことがあっただろう。しかし、放送するにあたって、それでは資金が集まらない。放送局の条件もある。


 その中で、かつての仮面ライダーは戦っていた。

 商業主義と上手く折り合いをつけながら、自分たちの伝えたいことを伝えられるように、戦っていたのだ。


 それが今はどうだ。


 消費者に媚び、視聴者に媚び、完全に商業化されたエンターテイメント。彼らは、何とも戦っていないじゃないか。商業主義に屈服し、テーマを捨て、表面のカッコよさだけを追い求める。


 こんなんじゃ、なにが正義かなんて、子供に伝えられるわけがないよ。思いやりなんて、わかるわけがない。私の中の仮面ライダーは、アギトで終わった。以降のライダーは、「仮面ライダー」という看板を取るべきだった。



 仮面ライダーブラックRXとかシャドームーンを作品の中に引っ張り出してきて、それを主役のライダーが倒すという、あの演出、何なんでしょうかね。ああいうのを見るたびに、この人たちにはプライドがないんだなと感じます。仮面ライダーのことを、何にもわかっていない。そんな人たちが、「仮面ライダー」という看板を使って金儲けしているということが、本当に不愉快でたまらないのです。

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