「友達」なんて言うな!
よく「俺たち友達だろ」とか、そういった類のセリフが出てきたりする。
「友達じゃないか!」と友情を確認するシーンを挙げたら、枚挙に暇がない。マンガの影響が強いのかもしれないが、それが売れているからと、皆がそれに引きずられるのは良いことではない。もっとも問題なのは、読者・視聴者の感性が、そのような表現が蔓延することによって、「味音痴」の状態になることだ。
タイトルは思い出せないが、彼氏のオタク趣味をやめさせたい女の子が出てくる作品があった。女の子が、オタクを辞めてほしいという類のことを言った時、その彼氏さんが「オタクは、なろうと思ってなったのではない、いつの間にかなっていたんだ。だから辞められない」というようなセリフを返したシーンがあった。「オタク」という単語については別の機会に万言をもって論じていきたいと思うが、それはさておき、この返しのセリフは、万事において通用するのではないかと思う。
友達って、「友達になろう」と言ったからなれるものなのだろうか。あるいはまた、「もう友達じゃない」と言葉で言えば、友達を辞めたことになるのだろうか。この頃の、特にアニメやマンガだと、そういうことになっているが、これはかなり、人間の観察が足りない。
オタクのことと一緒で、友達というのは「気づいたらなっていた」というものだ。書類にサインすれば適応されるような諸々の契約とはわけが違う。だから、友情というのは尊いのだ。「友情・努力・勝利」というのがジャンプの三大原則らしいが、どうも今のジャンプは、「勝利」しか描けていない。「友達だ」と言えば友達になって、血を流せば「努力」したことになる。そんな小手先だけの「友情」と「努力」だから、「勝利」も力のことだけしか表現できない。
もっと本質的な「友情」を描いてほしい。今のままだと、三角関係に陥った時、友達の事を思って身を引くという心情が理解できない人間ばかりになってしまう。それでは困るのだ。心の機微をとらえ、それを表現する力を表現者は磨かなければいけない。このまま「味音痴」ばかりになっていったら、日本の芸術の世界は、ファーストフードしか食べるものが無いような有様になってしまう。(マックを貶める意図はありません)




