「泣き」にはうんざり
ワンピースでよく見るあの、胃もたれするような「泣き」の表現。
あれが、とことん嫌いだ。
ワンピースという作品をとやかく言うつもりはないが、あの表現だけは、全く受け入れられない。顔をぐしゃぐしゃにして、じゃーじゃー涙を流しながら叫ぶという、あの儀式。あれで一体誰が、その人物の悲しみや悔しさを理解できるというのだろうか。
ワンピースの「泣き」に限った話ではないが、例えば歌でもそういうのがある。「悲しい」とか「恋しい」とか「元気出して」とか、挙げればきりがないが、そういう直接的な言葉を使っていることが多い。でもそれで、本当に皆、気持ちが動いているの? 「愛」について、ドリカムの「やさしいキスをして」とか、加藤登紀子の「百万本のバラ」とか、ああいう表現ができないものだろうか。
進撃の巨人でもそういうシーンがあった。なんか、人が死んで発狂している場面がやたら多い。あれも、本質を言えば、ワンピースの「泣き」と同じだと思う。売れ筋の傾向がそうだから仕方が無いのかもしれないが、ああいうのは、表現とは言わない。
悲しいことがあって、それでも前を向かなければいけない時、その役割を背負った人間というのは、涙なんか流さない。辛い時に見せるのは「涙」ではない。歯の浮くようなセリフを喚き散らす描写には、リアリティーも感動もない。平安時代源義経が、家来の死に涙を流し、それで他の家来が義経を信頼したとい記述をどこかで見たが、それと、今流行りの「泣き」とは同じ泣くのでも全然違う。
同じ意味で言えば、ソードアート・オンラインのアニメのやつで、キリトがヒースクリフに「殺す!」と心の中で語気を強めた場面があったが、あれは非常に不満だった。あの場面の殺意は、あんな力んで言うものではない。(とはいえSAOは、あの場面でフラッシュバックのような回想を入れたり、キリトの背後に無数のプレイヤーの死体(?)を入れたりしていて、そういう表現は良かったと思う)
泣いたからと言って悲しいわけじゃない。叫んだからと言って苦しいわけじゃない。
そういう貧弱な描写に終始するのではなく、表現者は、もっと心を描写するような表現を探求していかなければならない。




