新しい場所
「プライスー!? どこにいるの?」
クロアは荘厳な廊下を進んでいた。歩いていく度に、朝の冷気が身に染みる。
ここは都市の中心であり、それを束ねる魔館のうちのひとつであった。悪魔にも仕事はある。ここはその仕事を引き受ける場所であり、報告する場所であった。クロアはプライスとともにここにきたものの、彼は今日も隠れたようだ。
「いつもいつも仕事を丸投げして……」
文句を言いながらも、クロアは大きな黒い扉の前に立つと、6度ノックをしてから扉を開けた。
「失礼します」
「あら、クロアさん」
部屋の主であるイラーシャは、部屋の中央にある執務机から応じてくれた。不機嫌な顔は、机には資料が山積みになっていることから、仕事のせいだと思いたいなとクロアは思った。
そんな思いを打ち消して、クロアはさっさと帰るべく報告書を机へ追加する。
「相変わらず早いわね」
すぐにそれをパラパラとイラーシャは確認し始めた。それを横目で見て、クロアはドアへ向かって、歩き始めた。
「待ちなさい」
けれど、入った時より不機嫌な顔のイラーシャにクロアは呼び止められて、仕方なく足を止めて振り返る。
「何でしょうか」
「今日はあなたに話があるのよ」
「おめでとう、あなたの階級が一つ上がったわ」
「階級……?」
「まさかプライスから何も聞いていないの?」
少し驚いた顔をしてから、イラーシャはクロアにソファをすすめた。話が長くなることを察して、クロアは心の中でため息をつきながらソファへ腰かける。
「仕方ないわね。教えるからよく聞きなさい」
向かいに座ったイラーシャが偉そうにいう。相変わらずプライドが高いなと思いつつ、クロアは仕方なく耳を傾けた。
「魔界は階級社会であることは知っているかしら」
「血統ですか?」
「半分は正解よ。優先順位としては血統になるのだけれど、実力でもそれは変わることがあるの。そもそも、ここは実力を査定するという意味合いもあるのよ」
聞きながら、クロアは改めて部屋を見る。この場所は、面倒なことを押し付ける場所でしかないとクロアは感じていたが、実力主義であることに少しの納得を得る。
……どうりでイラーシャのような性格になるわけだ。
半目になりながら、クロアは問いかけた。
「蜘蛛の餌やりがですか?」
「それはあなたに雑よ……。とにかくいままであなたがしてきた仕事が評価されて、あなたのランクが上がったということよ。おめでとう」
「ありがとうございます」
クロアは突っ込みたいのを堪えて礼だけを告げた。
悔しそうに告げる彼女の表情で、悪い気分の代償は払われた気がしたからだ。
クロアは退出の挨拶をすると、満面の笑みで魔館を後にした。
「プライスって、実は凄い人だったのね……」
仕事も終わり、いつもとは違い、街の店でのんびりと過ごす。
階級が上がると、このような特典があることをクロアは今日初めて知った。
今までは制限が掛かっていたらしいが、必要最低限でしか活動することのないクロアは気に留めることすらなかったのである。そもそも、説明された覚えもない。
「実はってなんだよ……。失礼なこと言うな」
「普段はさぼっているし、人のことをからかってくるし、わりと色々な人に怒られている姿しか見ないけれど……、実は凄かったのね」
「ぐっ……。少しは手加減してくれよな……」
眉根を寄せて睨みつけられるが、クロアは思わず笑ってしまった。
少しいたずらに反省しつつ、訂正をいれる。
「冗談よ。今日、やっとわかったわ。仕事をさぼっていたの
は私のためでしょう? 元人間である私には、純粋な悪魔が上に立つ魔界において、駒としての利用道しか存在しない。けれど、優秀な者なら話は違う」
「……」
沈黙は肯定だろう。クロアは話を続ける。
「私に仕事をさせることで、この世界に慣れさせると同時に、あなたは私に対する周りの評価をあげたのね」
「……結果的にそうなっただけだ。俺はただ仕事を押し付けただけだからな」
「否定するのなら、もう少し早いほうがよかったわよ」
「……うるせえ」
今までクロアに認められていたのは、「プライス同伴時のみ外出可能」というものであったらしい。まあ、特に欲しいものがあるわけではなかったし、食事も屋敷でとっていたことも理由ではあるが。
珍しく照れたようなプライスを追求したくなるが、思い直す。クロアは代わりにぐるりと店内を見回した。石造りではあるが、明かりが多めで、明るめの店内は酒場のイメージそのものだ。多くの者が食事をしていることも理由の一つだろう。
次いで、赤色をしたシャルの実のドリンクを一口飲む。口の中に広がる甘さを楽しんでから、クロアは尋ねる。
「それにしても、階級で入れる場所も増えるのね」
「ああ、ここもまだまだ入り口みたいなものだけどな」
「あなたの階級ってどれくらいなの?」
「俺には階級はない。位置的には個人種に定められているからな」
「なによそれ」
「まあ……。面倒で仕方がない立場のようなものだ。どこでも顔パスだから、行き来するには困らないけどな」
「その代わり、面倒なことを押し付けられるってわけね」
「察しが良いようで」
プライスは、肩をすくめて目の前のつまみを口に入れた。クロアも一口つまむ。見た目は赤一色で辛そうだが、この料理は甘い。魔界では黒や赤の作物が多く、自然とこの二色の料理が多くあるのだ。今ではクロアも慣れたが、最初に赤と黒が混ざったスープを見たときは数秒固まった。
……今では普通に飲んでしまうが。
「甘いのもいいけれど、辛いものはないの?」
「あるぞ、頼んでみるか?」
「ええ」
見た目はともかく、味は確かな夕食を食べながら、クロアはふと思い出したことを尋ねる。
「そういえば、プライスの屋敷には人の世の食べ物もあるわよね?」
「そちらのほうが作りやすいだろう?」
「ええ、ただどうやって用意しているのかなと気になったのよ」
「魔界の気候は寒いだろう?」
クロアが初めて魔界に来たときは、確かに寒かった。もう人ではなかったから動けたが、屋敷周辺はともかく、門の傍はそれでも辛いほどには。
「そうね、初めて来たときには驚いたわ」
「ここで作物を手に入れることは困難だが、種は種の保存の都合上、簡単に手に入るからな。育てたんだ」
「えっ! 今までのってすべてプライスが育てたものだったの?」
「そうだな。売っているものなら買ってきたが……、ないものは仕方ない、栽培した」
クロアは農作業をするプライスを想像して、思わず口元を緩める。
「……似合わないわ」
「煩い。種を植えて作物の時間を操作しただけだ。育てたとも言えない」
「うん、凄い納得したわ。ということは……庭の花もそうなの?」
「あれは別だ。花の中でも……特に薔薇だが、咲かせることが難しいものは、時間操作で栽培しようとすると、失敗することが多いんだ」
「どうして? 時間の進みは変わらないじゃない」
「時間を進めるっていうのは望むままに早送りするわけじゃないからな。例えば、目の前にカレーの材料を置くだろ? それを早送りしたらどうなる?」
「……食材はそのまま置かれた状態で、変化は新鮮さが失われることくらいかしら?」
「その通りだ。術者が対象へ時間の進みを定義しないと、対象が定義した状態で時間は進むことになる。だから薔薇を綺麗に咲かせるためには、術者の経験が必要となってくる」
「プライス、それって今のあなたなら……」
「裏技を使えるな」
「……やっぱりあなたの技ってずるいわ。私には使えないものばかり」
「いや、資格はあるから呪文さえ覚えれば使えるぞ?」
「そうなの?」
正直魔法が好きなクロアとしては、高度な魔法を取得できることは嬉しかった。
「ああ、ただ術に慣れないと時間の調整をミスしたり、消費が激しかったりするからな。もう少し、慣れたら教えてやるよ」
「どれくらい?」
「後半年くらい……か?」
「頑張るわね」
半年くらい、なんてことはない。クロアはもうここに3年もいるのだ。
「おう、頑張れよ」
プライスはそんなクロアを愉快そうに見て笑った。
それにクロアは少しドキッとしたが、それは飲み物が美味しかったからだろう。
クロアは紛らわすように、残りを一気に飲み干した。
久しぶりの、更新。
今回はクロアの近況がメインで。
楽しんでいただけたら幸いです。