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牛の首

作者: みちゆき

 青い空が、眼鏡の奥に広がっていた。

 空の下には、春の訪れを感じさせる緑の牧草地が広がり、何頭かの牛が放し飼いにされ、のそのそと草を食んでいる。辺りを見回すと、ひしゃげたような形の小屋がところどころに点在しているのが見えた。

 心地よい暖かさの風が頬を撫でる。

 仕事勤めなど放り投げて、ずっとここで微睡んでいたいような心持ちにさせられるのは、自分が如何に都会で辛酸を舐めながら生きているかを表しているのだろう。

 古びたバス停のベンチに腰を下ろし、ぼんやりとそんな事を考えていた。新幹線からローカル線に乗り継ぎ、怪談話に出てきそうな時代遅れのバスに揺られながら、この村までやってきたところだった。

 羽を伸ばしに里帰りをしているのならどれだけ気楽であったかと、心の中で呟いた。これから私は、今の和やかな心持ちが吹っ飛んでしまう仕事をしなければならない。

 遠くの牛が余所者に気づいたのか、こちらをじっと見つめていた。


 羽多野梨花、職業はオカルトライター。

 私がこの肩書きに誇りを持つようになるまで、全国津々浦々の取材場所で色々な体験をした。台湾の占い師に死を宣告され、密教僧に呪い殺されそうになったりもした。まあ今に至るまでピンピンしているわけだから、意図せず彼らの化けの皮を剥いでしまった事になるが。そのような出来事にビクついていては、オカルト業界を渡っていく事はできない。

 そんな油断できない業界に身を置きつつ、時々考えに耽ってしまう事がある。「人は何故誰かを呪うのか」という疑問だ。

 「呪い」と「憎しみ」を同一のように考える人間がいるが、それは「神」を「GOD」と訳した日本人の如き安易な考えだと思う。憎しみとは人の感情であり『てめぇー、ぶっ殺してやるっ』と心の中で思ったなら、憎しみは既に終わっている。

 一方で呪いはそう簡単な話ではない。呪いは誰かにかけねばならず、かけた側とかけられた側が必ず存在している。それには互いの縁が必要であり、かけられた者はその縁がある限り逃れる事はできない。民族用語では「呪詛」ともいう。

 だから私を呪い殺し損ねた霊能者などは、私との縁がまだまだ足りなかったという事であり、私は『ぶっ殺す』と言われたに過ぎないのだ。言葉で人は殺せない。

 ならば最も呪いをかけやすい人間というのは、家族か、それに近しい共同社会の人間という事に――。

「相変わらず君は怖いもの知らずのようだね」

 といったように、誰かに声を掛けられるまで私の考えは巡り続ける。傍から見れば編集部の来客用ソファーに腰掛け、珈琲を嗜みながら呆けているように見えるが、ロダンの「考える人」にも通ずる姿勢だと考えてほしいものだ。

「今日君には何の仕事も入っていない筈だ。だからこうしてネタをもってきてやったんだからね」

 私に声を掛けてきた編集長が、もったいぶった態度で話し始めた。その手には、何枚かのコピー用紙があった。

「まったく、こんな風に直々に君へ依頼をしていると、何だか殺し屋でも雇っているような気分にさせられるよ。今の時代はFAXや電話があるんだから、君もわざわざ編集部に来なくてもいいんだけどねえ」

「私の部屋にはソファーが無いのですよ」

「それだけのために毎回ここに座っているのかい?スリムな体型に似合わず力士のような肝の太さだ」

 何だか不名誉な言われぶりであるが、私は原稿執筆時にずっと小さな椅子に身体を収めているので、早い話尻が痛いのだ。それにこの編集部にいる仕事真面目な人間など片手に収まるほどで、落ち目のオカルト雑誌に見切りをつけて無断欠勤する者も珍しくない。

 もしオカルト雑誌マニアがこの世にいれば、昨今の「作画が」「脚本が」と酷評を浴びている深夜アニメのように袋叩きにされた挙句、創刊と同時に廃刊が決まるレベルの物をこの編集部は出版しているのだ。

「羽多野君、その目をやめなさい。何故仕事を持ってきた上司を睨むんだね。君の怖いもの知らずは現場で活かしてくれたまえ」

 そう言って編集長が渡してきたコピーには「最恐の怪談 牛の首」と題された記事が写っていた。

「ネットのオカルト板ですね。編集長はマンネリという言葉をご存知でしょうか」

「また嫌な言い方をするねえ。オカルト板から漁っているのは先々月号からだろう」

「ああ、その辺りにネット慣れしたのですか」

「やかましい。とにかく今回の取材はこれだ。まだ他誌では扱っていない怪談だぞう」

 扱うほどではない、の間違いだと思うが。

「牛の首」という怪談は、中学生の頃にいかがわしい実録漫画本で読んだ事がある。あまりにも恐ろしすぎて、内容が伝わっていない最恐の怪談――アオリで片付きそうな内容だ。流石にその本も馬鹿ではないので、色々な民間伝承からそれらしい話をピックアップしてページを稼いでいたのを覚えている。中学生の身では喉元が胃酸臭くなる話も含まれていた。

 思い出に浸りながらコピーを眺めていると、ある文章が目に留まった。

「怪談の地元を特定……って地元?これが語られ始めた土地って事ですか?」

「そうだ。今まで中身のないお菓子箱だった『牛の首』の謎がついに判明するかもしれんのだよ。これは特集しないわけにはいくまい」

 編集長がフンッと鼻を鳴らした。

「それでその土地というのが『将来村』ですか。ハローワークみたいな名前ですね。しかも東北地方にあるって、聞いた事のない村ですが」

「過疎りすぎてマイナーなんだろうさ。分かったらさっさと行ってきてくれ。そこにいられたら気が散るから」


 将来村村長の安元重行は、立派な口髭を蓄えた戦時中の鬼軍曹風の人物だ。目を合わせた瞬間に『いかがわしいカストリ雑誌の記者か―ッ!帰れぇーッ!』とでも怒鳴られる事を覚悟していたが、取材に来たと分かるや猫も逃げ出す猫撫で声で語りだした。

「怪談の取材?ははあ、それは何とも奇妙キテレツな依頼だ。差し詰めこの将来村が、一族の遺産相続とか呪いのわらべ歌による殺人事件でも起きるだろうと踏んでの御到着かな?」

 ……何だ、映画にでもしてほしいのかこの村を。村長自身が旧日本兵の亡霊にでも扮した方が、雰囲気が出ると思うが。

「私が調べている怪談は、もっと不明確なものです。正直この村にあるかどうかも怪しいのですよ。それに今時、殺人事件を題材におどろおどろしく書き上げた記事なんて売れません。何でしょうね、最近になって怪物だのデスゲームだので大量殺人を売り物にする創作物が増えていますが、死んでは何の面白味も生まれないでしょう。そこに至るドラマが大事だというのに」

「まあまあ、心配せずともこの将来村は平和なものです。事件でも起これば村おこしになりますわな、うわっははは」

 村長では話にならない気がしてきた。すると、その背後から痩せた初老の男性が顔を覗かせた。

「すいませんこの人最近就任したばかりで、役場のブラウン管で角川映画ばかり見ているのです。あ、私は役場に勤めている蘇我という者です」

 成程、応接室の奥にはプラスチックのケースに置かれたブラウン管テレビがあった。ケースの中には時代を感じさせるVHSがきっちり並べられている。この村の先行きが不安になってきた。

「その怪談とはどういう話ですかね」

「それがその、冗談と思われても仕方ないのですが、恐ろしすぎて内容が伝えられていない『牛の首』という話で」

「牛の首」と口走った瞬間、蘇我さんの目が少し泳いだ。かなり表情に乏しい人だが、その一瞬の変化を見逃さなかった。この人に訊いた方が何か分かるかもしれない。

「はあ、牛の首ですか。この村には牛が多いですけど、それに関与しているのですかね」

「確かに、バス停からでも牧草地が見えました。この村は畜産が盛んなのですか?」

「山奥ですから。建物も少ないし、広い土地の方が牛も喜ぶでしょう?まるで自分達の村のように悠々と暮らしていますよ。あ、今日は泊まっていかれますか?」

「宿はありますでしょうか」

「残念ながら人が来ないもので、観光用の店は殆ど潰れてしまいました。代わりと言っては何ですが、家に招待させてください。都会の人は珍しいから、家族も喜ぶと思います」

 蘇我さんが申し訳なさそうに頭を掻いた。いくら小さな村といえ過分な申し出だと思う。私のような何を書くか分からないライターを家に上げるというのも、田舎ならではの人との繋がり方なのだろう。

 日も暮れ始めてから招待された蘇我さんの家は、村の外れにぽつんと佇んでいた。この家でも牛を飼っているようで、土地は割と広い。ほぼ牧草地となっており、牛に特化した動物園のようだった。

「じいちゃんお帰んなさい!今日は鍋だよってうわあ誰この人!地上げ屋?ついにこの村ダムに沈むの?」

 やたら物騒な台詞を吐く男の子が出迎えてくれた。

 居間にはジャージ姿の中学生くらいの女の子に、両親と思われる二人の中年夫婦がいた。隣の部屋には仏壇があり、蘇我さんの妻と思われる人の遺影が立てかけられていた。改めて故郷を思い出してしまう。

 家族の一人くらいは私の存在に眉を顰めると思っていたが、不思議と皆温かく迎えてくれ、夕食の鍋を囲んだ。

「いや、都会からのお客が来た日に牛鍋とは丁度いい。この村の肉牛は旨いですよ。村の知名度が知名度だけに、なかなか全国には知られていませんがね、なはは」

 蘇我さんの息子が顔を赤くしながら言った。彼が牛の世話を担っているようで、自慢げに牛の話をしている。私は別にグルメでもないし、毎月の食費はたかが知れているので、牛肉はいつ何を食べても美味しい事に変わりはない。

「私の故郷もかなり小さな村ですから、何だか懐かしい気もしますね」

「ほう、記者さんの村もこんなところですか」

「最近は開発されて建物が増えたらしいですがね。月並みな言い方ですが、自然が多いのは良い事です。放牧されている牛も久しぶりに見ました」

「それで何です、牛の首というのを調べているのですか?」

 いつ聞いたのか、息子さんから話を切り出してきた。家族団欒の場では切り出しづらい案件ではあるが、彼は話も深まり気分が乗ってきたようだ。

「まあ何だね、この村はあちらこちらに牛が放れているから、首なんてどこにもありますよ、ほらここにも」

 そう言って彼は、居間の左上を指差した。そこには神棚と思われるものが掛けられていた。思われるもの、というのはそこに置いてあるのが神社の札のようなご神体ではなく、リアルな見た目の牛の首だったからだ。

 黒々とした毛並みから、二本の角が雄々しく突き出ている。

 その下の眼は黒い皮膚に同化し、虚ろな様子をしている。

 神棚の下から見上げているので、切断面がどうなっているのか見る事はできない。

「これが怖いというのは、村の人間にはよく分かりませんわ。屠殺も庭先でやるもんでして、首とか角とか、好き者が飾っておくんです。家の守り神みたいなもんですかね」

 にやにやと赤ら顔に笑みを浮かべてこちらを見た息子さんは、私の顔を見て表情が変わった。他の取材記者ならここらで悲鳴だの失神だのリアクションをするのだろうが、エログロどんと来いのオカルトライターな私としては素敵なオブジェに出会ったようで、ご飯時にも関わらずしばし見とれていたのだった。

「記者さん、驚かないのですか?」

「え?あ、はい。珍しいなあと思って見ていました。村の慣習か何かですかね?怪談と関係があるかは分かりませんが、少し聞かせてもらって宜しいでしょうか」

 そう言って身を乗り出すと、息子さんは一転して言葉を濁らせた。先ほどまでの強気な語りが嘘のように意気消沈している。

「馬鹿っ!あまりお客さんに喋るものではないっ!お前は酒が進むとある事無い事喋り出すのだから……」

 横から蘇我さんが口を挟み、息子さんを諫めた。何だか家族団欒の場が静まり返ってしまい、少し責任を感じる。


 私の故郷ではこのような慣習は無かったが、何より子供達が牛の首に表情一つ変えないのは、この村ではいかに牛が身近な存在であるかを表しているのだろう。タイの人間は仏教観念から死者は身近な存在であり、子供であっても死体を前に驚きはしないという話を思い出した。

 夕食も済ませ、夜も更けてきた。子供達は寝静まり、居間には蘇我さんと息子夫婦の三人だけが残った。

「こんなところしか泊まっていただく事ができず……」

 蘇我さんが申し訳なさそうに声を掛けてきた。

「いえ、お世話をかけます。ところで、この神棚ですが」

 思い出したように切り出すと、蘇我さんは急に笑い出した。

「ははは、先ほどは急にお見せして申し訳ない。お客が来るっていうのに片付けなかったのは失礼だったかもしれませんが、歴とした神様なんです」

 堰を切ったように蘇我さんは話し始めた。やはり夕食の場では話しづらい事柄だったようだ。息子さんも蘇我さんの様子を窺っていたが、安心したのかほうと息を吐いた。

「この村はちょっとした『いわくつき』ってやつでして。別に殺人事件とか凄惨な話ではありません。他愛のない昔話です」

 蘇我さんが語ってくれた話を、自分なりにまとめてみた。

〈北海に牛頭天王という疫病神がいた。姿についての伝承は無いらしいが、牛の頭をした神とでも考えておこう。

 彼はその立場に似合わず、南海の龍宮にいる娘に求婚するため――八上姫を嫁に貰おうと因幡へ旅に出た大国主命の如く――旅をしていた。

 途中、夜になったので「将来」という一族の村で宿を請う事にした。

 初めに裕福な巨旦将来という男の家を訪ねると、あっけなく門前払いされてしまった。金を持つと人間ろくな性格にならないという典型である。「お前のような汚い旅人なんて家に入れられるかい!どうせ物乞いでもしに来たのだろう。とっとと出ていけ!」と冷たく言い放ったのが想像に難くない。

 次に巨旦の兄であり、貧乏な蘇民将来の家を訪ねると、弟とは違って快く迎え入れ、栗飯を与えてくれたという。冷たくあしらわれてからの好待遇に、牛頭天王も大層感じ入った事だろう。

 やはりその通りで、龍宮から娘を娶った帰り道、牛頭天王は蘇民将来の家に赴いた。そして自らの正体を明かすと、

「お前の一族に茅の輪を作って腰に着けさせるのだ。勿論お前もだ。よいか、これからこの村には疫病に襲われる事となろう。しかし茅の輪を着けている者は助かる。忘れるでないぞ」

 そのように忠告して、去っていった。巨旦の家には行っていない。

 その夜、茅の輪を着けていなかった巨旦の一族は全滅した。疫病神である牛頭天王による仕返しという事だ。この辺が神の残酷さというか、まだ巨旦の色に染まりきっていなかった子供や赤子もいただろうにと考えてしまう。これは余計な茶々ではあろうが、とにかく傲慢な弟は病死して、正直兄さんが助かりましためでたしめでたしと、そんな話だった〉

「要は、この牛の首は牛頭天王を祀っているものなのですか?」

「まあ、そんなところです。うちの『将来村』という名もそれが由来でしてね。この村の人間は将来一族の生まれ変わりだと信じられているんです。この首は牛頭天王様を快く迎え入れた、蘇民将来の心意気を示していましてね。心優しい者は救われる、他人を慈しむ者は救われると、そういう気持ちを大事にして、家の幸福を願っているのです」

 蘇我さんはさらりと全て語ってくれたが、疑う余地のない言い伝えだと思う。村の名前にも秘められ、牛の首、そして余所者の私を快く迎えてくれた蘇我さんの家族にも表れているのだろう。

 私はひとしきり話を聞くと、もう一度神棚を見つめた。牛の首は雄々しく角を掲げていたが、その顔は何だか貧相に見えた。

 翌日、村を回って他の住人に話を聞いた。どうやら牛頭天王の言い伝えは本当にあるらしく、訪ねた家の戸口には「蘇民将来之転生也」と書かれた札が貼られ、茅の輪が一様に下げてあった。牛頭天王の忠告を守り疫病から逃れた蘇民一族を模した、厄除けのお守りらしい。

 午後には蘇我さんの家で、特集記事の構成について推敲した。この村に伝わる信仰は、なかなか興味深い。ネットから拾った都市伝説だけに、初めは胡散臭い結果しか見つからないだろうと高を括っていた。しかし他誌が取り上げていないというのは、案外ラッキーだったかもしれない。

 途中で睡魔に襲われ、居間のちゃぶ台に眼鏡を置いて微睡んでいると、いつの間にか蘇我さんのお孫さんである女の子が来ていた。私の前に来ると、手に持った茅の輪をそっと渡してきた。

た。私の前に来ると、手に持った茅の輪をそっと渡してきた。

 村の一員としてでも認めてくれたのだろうか。ありがたく受け取り、ふと気づくと日も大分傾いてきていた。座りっぱなしでガタついた節々を伸ばしながら、ふと神棚を見た。

 牛の首は、消えていた。


 私は蘇我さんの家を出て、役場のある村落に向かう細い道に出た。辺りは薄暗く、牧草地の牛も動くのをやめていた。

 今思えば、牛の首が無くなったからといって探しに出る必要は無かった。蘇我さん一家の誰かが片付けたのかもしれなかった。そのような推測もできる筈なのに、私は一目散に外へ出ていた。

 他の村人の家が見えてきた。その家に続く道に、何やら草のような物が均等に並べられている。

 私は服のポケットに入れていた茅の輪を取り出した。並べられた草の一つを摘まんで比べると、同じ物である事が分かった。

「ん……?」

 どこからか見つめられている気配を感じる。いや見つめられているというより、睨まれているようだ。ストーカーのねちっこい視線を受けるような感覚ではなく、例えるならば、図書館で大きなくしゃみをしてしまい周囲に睨まれるような、あの集団による強烈な視線だ。

 周囲に人の気配はない。

 辺りを見回していると、ようやく視線の主に気付いた。

 牛だ。

 いつもまばらに佇んでいる牛達が、一様にこちらを凝視している。あの時と同じ――この村に到着したばかりの、あの古びたバス停で感じたのと同じ、余所者に向けた視線だ。

 今感じている視線は、牛達が送る警告の視線だ。彼らは私を監視しているかのようだった。

 周囲の樹木が身体を揺らし、風を作り始めた。ざわざわと、意思を持って話をしているような音が聞こえる。

 その風に乗って、生臭い空気が鼻腔をくすぐる。牧草地で嗅いだ優しい自然の香りではない。近くで生きた家畜を解体したならば、このような血と肉の臭いがするかもしれない。

 何かが喉の奥から込み上げてきた。

 無意識のうちに、昨晩喉に通した牛肉が寄せ集まり、鼻息荒く食道まで這い上ってくるビジョンが浮かんだ。

 精霊風――。

 田舎の山奥では、時折病をもたらす悪しき風が吹くという。多くの場合、死者の出た地に漂う穢れが原因で、つまり土地自体が呪われているのだ。しかしこの村には、精霊風を吹かすような因縁など無かった筈だ。

 因縁?災厄をもたらす、因縁だって……?

 その時、向こうから人影が歩いてくるのが見えた。

 それは牛の頭をした人間だった。橙色の夕空を背に、ミノタウロスに似た異形が歩いてくる。幻想的な絵画のようだ。

「牛の首……」

 考えるより先にそう呟いていた。言葉にした途端、頭が朦朧としてきた。

 眼球の無い牛の首が、無言で近づいてくる。

 目の前が霞みだした。

 これでは……これではまるで「牛頭天王の疫病に倒れた巨旦将来」のようではないか!

 私はとっさに、摘まんでいた茅の一つを道に並べ直した。そして茅の輪をポケットにしまい直し、強く握りしめた。

 その瞬間、こちらを見つめる牛はいなくなり、各々座り込んだり尻尾を振ったりしているだけに戻った。風もやみ、身体から力が抜けていくのが分かった。


 どうやら私は眼鏡を掛け忘れてきたようだ。でなければ、牛の首がカタカタと左右に揺れているのに気付いただろう。

 目の前まで来た牛頭の人間は、華奢な身体にジャージを身に着けていた。背は私よりも低く、どう見ても大人には見えない。窪んだ眼窩から、つぶらな瞳が覗いている。手には茅の輪の束が握られていた。

 黙って道の端に避けると、牛頭の人間は茅の道を進み、村人の家の戸口に近づいて茅の輪をぶら下げた。そのまま別の道から村落に向かっていった。

 異様な光景を目にし、しばらく私は金縛りにかかった。

 災厄をもたらす風、牛の首、茅の輪――。あの牛頭天王の言い伝えを模したような出来事だ。そして、あの牛頭の人間はおそらく――どうやら私は、この村について勘違いをしていたようだ。

 牛頭の人間が見えなくなると、私は同じ道を辿らないようにして、村役場に赴いた。村長に、何本か角川映画を見せてもらおうと思い至ったのだ。エンターテイメントはどんなにリアルな悪夢も忘れさせてくれる。

 その後蘇我さんの家に戻ると、家族全員が居間に揃っていた。奥ではお孫さんの一人である女の子が、おずおずと顔を上げた。私はあえて目を合わさず、神棚を見上げた。

 そこには少しひしゃげたように、牛の首が飾ってあった。


 その翌日、また気持ちのいい青空が広がっていた。

 蘇我さんにお礼を言うと、村役場からVHSを一本貰い(村長が仕事をするようになる、と役場の職員が喜んで渡してくれた)村を後にした。

 バスを待つ間スマートフォンで検索してみたが、牛頭天王は京都の八坂神社にも祀られており、祇園祭などは牛頭天王の災厄を鎮めるための儀式が起源だったようだ。東北の山奥にまで言い伝えが広まるのだろうかと疑ってみたが、青森県弘前市に金剛山最勝院という牛頭天王を祀る寺院もあるらしい。

 牛頭天王は、牛の首はありがたがって祀るものではなかった。それは災厄の象徴として、免れる事で幸福を手にするための、謂わば節分の鬼だ。

 その鬼となり、村の災厄を一手に引き受けていたのが蘇我さんの家だったのだ。将来村の人間が等しく将来一族の生まれ変わりならば、彼らは巨旦将来の転生だったのだろうか。もしかしたらその役割は村内での月番交代とも考えられる。

 成程、「牛の首」とは確かに恐ろしい話だ。村の縛りからは、子供といえど逃れる事はできない。村社会が互いにかけた呪い――いや、絆と言ってもいいかもしれない。

 この村の慣習を怪談話に仕立て上げるとは、オカルトというのも業が深い。結局今回の原稿は、昔読んだ漫画本の焼き直しになりそうだ。ただ牛頭天王の言い伝えは興味深いので、後日京都にも取材へ行こうと思う。

 バス停から見える牧草地では、相変わらず牛達がゆったりと草を食んでいた。

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