第十四話 火に油を注ぐ
「穂村君!」
「心配するな。俺がこいつを今から潰すからよ」
「……ゴクリ」
力帝都市における日常、しかしそれは水河にとっては到底あり得ない非日常。彼女の地元である東京でも見受けられるようなレストラン前の大通りという光景で、地元では決して見受けられない、大剣を担いだ少女と身体に炎を纏った少年との敵対。
「さてさてー、今日の獅子河原さんの獲物はAランク関門の穂村正太郎! Bランク界隈では最強かもしれませんが、残念ながらこの獅子河原さんは既にAランクの域で戦い続けている凄い人なのです!」
「随分と古い情報じゃねぇか。こっちはとっくにBランクからまた査定がはいってんだよ」
その身に赤い炎を纏い始めた少年の背後に見えるは赤信号。そして周囲の一般人は二人の戦いを察してか、あるいは端末に表示された通知を見てか、その場から急いで離れ始める。
「大丈夫ですよ! そういって調子に乗ってきたBランクの賞金首を何人もとっ捕まえてきたのがこの獅子河原さんですから!」
しかし獅子河原の挑発と同時に青信号へと切り替われば、穂村自身の炎の色もまた――鮮やかな蒼へと切り替わっていく。
「俺の賞金首は外れたはずだが……まあいい。だったら本気でやらせてもらうぜ――」
――瞬間だった。突然の変色に驚いた獅子河原は目をパチリと、たった一度だけ瞬きしただけ。その一瞬のすきに穂村は獅子河原の眼前へと、炎のブーストでもって接近を仕掛けていた。
「大口叩いてんだから避けてみろよなァ!!」
炎は再び紅蓮へと再着火され、垂直な蹴り上げからの大鎌を振りおろすような踵落としが繰り出される。
「火々屠堕死!!」
ただ地面に叩きつけられるだけではなく、その場から周囲に高熱を纏った火の粉が宙を舞う。
「うわわっ!? 危ないですねぇ!」
しかし穂村の相手もまたやり手のようで、一歩後ろへと下がるだけでそれ以上の無駄な動きは一切無く、即座に切り返しとして背中に背負っていた大剣に手をかけて一歩前へと踏み込む。
「てやぁッ!!」
踏み込みと同時に今度は獅子河原による剣の振り下ろしが穂村に襲い掛かる。
「くっ!」
今度は穂村側が一歩二歩と下がり、それまで足を置いていた場所には剣が深く刺さっている。
「面白い! 面白いですよ貴方! 普通ならこの剣に怖じ気づく筈ですが!」
「女でもブンブン振り回せるような軽い剣ビビるかよ!」
「一応軽く二百キロはあるんですが、ねぇ!!」
地面ごと持ち上げかねないようなアスファルトの割れ方を携えながら、獅子河原は大剣を引き抜いて再び構えをとる。
「……ん? なんだそりゃ」
「見て分かりませんか? 居合ですよ」
本来ならば日本刀で行うはずの居合いの構えを、獅子河原は大剣を腰元に据えて行おうとしている。
「どこからでもどうぞ!」
背中に逆立つ巨大な刃の威圧感や計り知れず。しかし穂村は一切臆することなく同じように身に纏っていた炎を小さくして、右手の拳の中に握りしめる。
「どこからでもって、その居合はこけおどしじゃねぇだろ?」
「そういうことです。さあ! どこからでも一刀両断してあげますから!」
「……だったらお望み通り真っ正面から消し飛ばしてやるよォ!!」
そうして穂村が右手を振りかぶり、一歩前へと踏み込んだ瞬間――
「獲った!!」
下から上へ。縦真っ二つの両断を目的とした斬撃。扇状に大振りに振り抜かれる得物を前にして水河は思わず口元を手で押さえ、ショックで声を失うが――
「――んなもんが効くかよォ!!」
斜めに食い込む刃。しかし穂村がもつ能力の一つでもある、身体の頑強さがその刃を押さえつけている。
「なんですと!?」
「ヒャハハッ! 俺の頑強さを舐めんじゃねぇよ。それよりてめぇ、バックドラフトって知ってるかァ……?」
閉じ込められた空間に空気が入り込むことにより、一気に燃焼反応が進む現象。穂村の拳の中には、まさに空気を求める炎が握りしめられている。
「灼拳……爆砕ッ!!」
振り下ろされた拳が獅子河原の顔面を捉え、そのまま爆風とともに地面へと強く叩きつける。まるでスーパーボールのように高くバウンドする獅子河原を目の当たりにして、水河はやはりこの少年に近づいたのは間違いだったと改めて気づいた。
先程の「ブチのめす」発言も口だけの脅しではない。目の前の炎の少年がその気になればこちらの頬を本気で打ち抜くこともたやすいのだという実感と恐怖が、水河を自然と身震いさせる。
「バカが……調子に乗りやがって」
「穂村君! まさかとは思うけど……」
「いっつも言ってるだろうが。この程度でくたばるなら、俺がとどめを刺さなくてもどこかでくたばる」
二回目の地面との接触で大の字に手足を広げて倒れる獅子河原。ピクリとも動かない様子から子乃坂は穂村が殺してしまったのではないかと責め立てるが、当の本人はというと文字通り降りかかる火の粉を払っただけだ、と平然とした様子で首をゴキリと鳴らしている。
「……起きろよ。この程度でくたばらねぇのは分かってんだよ」
「……バレてましたか。いやいや、トドメを刺しに来たところでもう一発仕掛けようと思っていたのですが」
大技である灼拳爆砕を真っ向から受けているにもかかわらず、獅子河原は頬に青あざを残す程度のダメージで済んでいる様子。
「クソが。すんでのところで顔をそらしやがって」
「でも結局叩きつけられたんですから全身痛いんですよ……全く」
いまだに体中を走る激痛に耐えながらも、獅子河原は放り投げられた大剣を拾い上げて肩に担いで構えをとっている。
「さあ! 続きをやりましょうか!」
「ちょちょちょ、ちょっと待ってよ!」
ここにきて割り込むように声を挙げたのは子乃坂――ではなく、東京から来た普通の少女、水河七海だった。
「どうしてそんなに本気で戦ってるの!? 二人ってそんなに仲が悪いの!?」
「別に」
「ええ。むしろ初対面ですが」
この力帝都市において、バトルなど日常茶飯事。それがどうしたとキョトンとする獅子河原であったが、水河にとって、戦いとはかけ離れた世界に住む少女にとって、二人の争いは異常な光景でしかない。
「どうして理由もなく戦えるの!? お互いに一歩間違えたら――」
「ああ、死ぬな。だからどうした」
ここにきて今の穂村正太郎の悪い癖が出てしまった。戦って死ねるのならそれはそれでいい。
元々子乃坂さえ守れるのならばそれ以外は全てどうでもいい。それが今の穂村正太郎の基本スタンスである。
「えっ、だって死んだら――」
「だからどうしたって言ってんだよ。戦ってくたばったら、その時はその時だ」
穂村は既に、答えを持っている。緋山励二と戦った時から、この問いに対する答えを自ら導き出している。
「だが俺はくたばらねぇ。この程度で俺がくたばってたまるかよ」
もう負けなどない。諦めなどない。戦うが、負けない。それが穂村正太郎の今のスタンスであり、これからも変わらないであろう信念である。
「戦いがいくら続こうが、俺は勝ち続ける。くたばらず生き残り続ける。子乃坂を守る為の戦いだろうが、こいつらを守る戦いだろうが、この先どんな理由があっても俺は負けるつもりはねぇよ」
特に深く考えたわけではない。しかしたった今出せた答えが、今の穂村正太郎をよく表している。
「だからこそ俺は、市長だろうが何だろうが、ぶっ飛ばしてきてんだよ」
「えっ!? 市長に一発入れてるんですか!?」
「ああ。それがどうした」
穂村にとってはなんともない出来事であったが、この都市における市長の実力は広く知れ渡っているのは当然で、Sランクを超える存在であるということも獅子河原は理解している。
「ホラ吹いている訳じゃないですよね!?」
「だから言ってんだろうが。市長ぶっ飛ばしたせいで俺のランクが再査定されてんだよ」
「ちょっとそれは予想外! 流石の獅子河原さんもこのまま戦い続ける訳にはいきませんよ!」
嘘か誠か、少なくとも現時点で自分にとってBランク程度では到底すがりつけない戦いまで来ているところを見れば、このまま戦いを続行するのはあまりにも無謀。
「ではでは! またいつかお会いしましょう! こちらも丁度貴方と同じくらいの人と組むことになっているので、戦い次第では楽しみです!」
「アァ? もしかしてそいつの名前、騎西善人っていうんじゃねぇだろうな?」
「おっ! もしかしてお知り合いだったりしますか?」
「チッ……なるほどな」
少なくともこれであの包帯の男を追っている限りはいずれ騎西善人とかちあうことが確定した。ならばどうするか、答えは決まっている。
「てめぇ等も、包帯の男を追ってんだろ?」
「ありゃ、もしかしてその様子だと色々知ってる感じです? いやー、先に接触されたからこのまま潰す時に警告しようと思っていたんですけど」
「てめぇが他に組んでいるだろう奴と既に戦ったからな。そいつからも、騎西のことは聞いている」
これは完全にやぶ蛇だったと獅子河原は少し後悔した。公共に出ている賞金首狙いを潰すつもりであったが、逆に興味を引かせてしまっている。
「ありゃー、こりゃ貴方も参加しちゃう感じですかね?」
「知らねぇよ。なんだよ、あいつに何か賞金でもかかってんのか?」
「一応情報クリアランスとしてはSランクなので、そこら辺は秘密ってことで」
「チッ……」
おまけ程度に賞金が貰えるのであればと考えていたが流石にそうはいかない様子であると察すると、穂村はそれ以上戦る気とばかりに炎を消して獅子河原を見逃そうとしている。
「おっ? やる気がなくなった感じですか?」
「さぁな。だが俺も、包帯の男を追わせて貰うぜ」
賞金云々ではなく別の目的で、穂村もまた本格的に包帯の男を追うことになる。
――その先に更なる戦いが控えていることを、覚悟した上で。