第十三話 過去、そして現在
その後も結局どうでもいいと思っていた買い物に付き合わされることになった穂村は、嫌々ながらも水河を利用して『皆が臨む穂村正太郎』への練習を続けることにした。
「ねぇこれ似合うかな?」
「お、おう。いいんじゃねぇか?」
「どうしたの急に? なんか変な感じ」
「そんなことねぇだろ」
手のひらを返したかのように態度を変える穂村を怪しげに見る水河だったが、穂村はあくまで以前の穂村を演じ続けている。
昼食時になり、当然ながら飲食店へと脚を運ぶ二人であったが――
「――ねぇ、どうして私の方がレストランとかその辺を知ってるのかしら」
「知らねぇよ。飯さえ食えれば後はどうでもいい」
対面して座る二人の食事光景は、それこそ対照的なものだった。食事時となってつい気を抜いてしまったのか、同年代の女子の前であろうとお構いなしに好物であるジャンクフードを喰らう穂村に対し、おしゃれな服装でパスタ料理を嗜む水河。その表情は幻滅したと形容したほうが、正しく彼女の感情を言い表せているだろう。
――“ったく、オレ様ですらもう少し気の利いたことが言えるぞ”
「知るかよ」
「……ねぇ、さっきから貴方独り言多いけど、一体誰と喋ってるの?」
唐突に投げつけられる質問に、穂村はそれまで囓っていたハンバーガーを喉につまらせ、咳き込んでしまう。
「ゴホッ! ゴハッ!」
「ちょっと、大丈夫? はい、オレンジジュース」
「悪ぃな、ゲホッ! ズズズ……」
水河から差し出された飲み物で無理矢理流し込んで一息つくと、穂村はそんなに独り言が多かったかとしらを切る。
「気のせいだろ」
「そんなことないわよ。さっきからまるで壁に向かって喋ってるみたいで……そこに誰かいるの?」
「いねぇよ」
「ふーん……」
半信半疑のまま水河はパスタをくるくるとフォークで巻き取っていくが、穂村としては今までの対応全てに違和感を覚えられていたことに対して内心焦燥していた。
「俺が何かおかしいってのか?」
「うん、おかしい」
あっさりと断言されたあげく、ダメ出しまでされてしまう始末。
「何というか、芝居が下手な人の芝居を見せられてる感じ」
「俺のどこが芝居がかってるってんだよ! 俺は正真正銘穂村正太郎だ!」
――“オイオイ! そいつはオレ達のこと知らねぇだろ! 下手なこと口走ってんじゃねぇ!!”
逆上する穂村を内側からたしなめるが、激情に火がついた者を一体誰が止められるだろうか。
「ねえ、貴方は一体何者?」
「うるせぇ……俺が穂村正太郎なんだよ! 誰がなんと言おうと、俺が正真正銘の――」
「はーいちょっとストーップ!」
それまで傍観――否、監視していた少女一人と幼女二人が、割り込みでテーブルへと身体を乗り出してきた。
「黙って後をついて来てたら、穂村君!」
「えっ? はっ? お前家にいるって――」
「そこは突っ込まない!」
「はぁ……?」
突然として割り込んできた闖入者に開いた口がふさがらない穂村と、てっきり二人きりだと思っていた筈が突然のパパラッチ的な乱入者に驚きを隠せない水河。そんなことなどお構いなしに穂村に席を詰めさせてイノとオウギを隣に座らせ、自身は水河と同じ席に腰を下ろして、まるで保護者のように穂村の態度を咎め始める。
「全くもう! キミって人は女の子とデートするにしても――っていうか、水河さんみたいな人が好きなの!?」
「いや、違っ、色々勘違いしてねぇか!?」
「全く事態が読めないんだけど……」
完全に空気を変えられてしまい戸惑う水河をよそにして、お昼ご飯だとわくわくしながらメニューを開くイノとオウギ。当然奢るのは穂村である。
「おねぇちゃん! このごうか? お子様ランチというのを頼もう! えっ? おねぇちゃんはこっちのい、た、り、あん? セットがいいのか?」
「オイちょっと待て! ここ普段と違って高ぇんだからバカみたいに頼んでんじゃ――」
「その前に、穂村君はこの状況の説明が必要なんじゃない? 私はてっきり一人で考え事をする為に出て行ったんだって思ってたんだけど、マンションから見送っていたら水河さんが出てきて、ねぇ?」
どうやらこちらにも飛び火しそうだと、水河は考えた。ならばどうするか。
「――だって、今日は一緒にデートしようって約束してたのに!」
「……ハァアアア!?」
――“チッ、このアマ逃げやがった……”
これには流石のアッシュも同じ考えを浮かべたのか、穂村と同様に苛立つあまり舌打ちをしてしまう。
「フザケんじゃねぇぞてテメェゴラァ!! テメェが買い物に付き合って欲しいなんていうから――」
「穂村君!!」
「アァッ!? ……チッ!!」
周囲の視線を集めてしまっていることを知った穂村は、燃えさかる炎を鎮圧させるかのように静かに座るが、それでもまだ水河という突拍子も無いことをした女を許すことなどできなかった。
「チッ! 何嘘ついてんだよクソアマが、ブチのめすぞ……!」
「っ……!」
小さな、しかしドスのきいたそれは穂村正太郎の本性とでもいうべきであろうか。それまで調子に乗っていた水河ですら恐怖で一瞬にして閉口し、隣でキャッキャッとメニュー評を見て騒いでいたイノを一瞬にして凍り付かせた。
「……チッ!」
ふと横目に見れば、やはりといった様子で諦めの表情を浮かべるオウギと目が合う。そして正面を向けば怒った表情を浮かべる子乃坂とも目が合ってしまう。
「クソが……」
「キミだけが悪態をつきたい訳じゃないわよ。全く……」
静まりかえった店内で、子乃坂は頬杖をついたまま呼び鈴を鳴らし、ビビり上がったウェイターの前でイノとオウギ、そして自分の分の注文を済ませてこう言った。
「――さて、第二回会議を始めましょ?」
――穂村正太郎という少年にとって、十五年の内の二年という歳月はあまりにも長いものだった。
彼の人格形成――中学二年までの全てを捨て、新たに構築された人格。それでも二年間で多くの人間に、特に力帝都市の人間にとってはそのに年間の穂村正太郎こそが『穂村正太郎』の姿としか思うことができない。
だからこそ、穂村正太郎という存在は悩んでいた。目の前の少女――子乃坂ちとせを守ることが、穂村正太郎としてあるべき姿だった。
しかし今はどうであろうか。子乃坂だけではない。隣に座る双子の少女も、時田マキナも、守矢四姉妹も、皆が穂村正太郎という存在に密接に関連してしまっている。これまでどうでもいいと突っぱねてきた関係が、全て穂村正太郎に絡みついてしまっている。
そうした苦悩が、想いが――初めて穂村正太郎の口から吐露される。
「――俺は、本当に表に出てくるべきだったのかって……思ってんだよ」
「…………」
子乃坂は黙ったままだった。穂村正太郎が過ごしてきた二年間を、彼女は知らない。しかし彼女の知らない穂村正太郎が、二年間もこの力帝都市で生きている。それは何も変わらない、何物にも代えられない事実。
「……分かるだろ? 『二年間の俺』と『二年前、そして今の俺』とでは見た目は同じ、だが別の『穂村正太郎』。この『俺』には、子乃坂っつう守らなくちゃいけねぇ人がいる」
「……!」
思わぬ告白に子乃坂は顔を真っ赤にしているが、穂村は続けてイノとオウギの方を見つめて、こうも呟いた。
「そしてこの『力帝都市の穂村正太郎』には、イノとオウギ、守るべき二人もいる。時田も、守矢四姉妹も、多くの人間がこの『穂村正太郎』に関わりすぎた。だから――」
「だからどうすれば良いか考えた末に、演じることを決めた、と……」
そこから先を全て見透かしたかのように、それまで大人しく話を聞いていた水河は、自分とのデートを通してこれまでの穂村正太郎を演じようとしているのだと、名推理を述べてみせた。
「だからあんな、下手っぴな芝居をうって、少しでも理想の穂村正太郎を演じようと私で練習していた、と」
「……そうだよ。それでどこから気づいていた?」
「最初から。っていうか、芸能界の人間を騙せるとでも思ったの?」
ふふん、とそこだけは得意げにしてパスタを頬張る水河。それを見ていたイノは思わずよだれ垂らしたが、空気を読んですぐに口元を拭い、周りに合わせた真剣な表情というものを作り出そうとしている。
「ハッ、結局俺が一人でピエロ演じてたってだけか」
レストランの椅子に再び深く腰をかけなおすと、穂村はまるで空気が抜けたかのようにハハッと笑った。
「……結局のところ、『俺』が表に出てきたのは間違いだったってことかよ」
「そ、そんなことないよ! 私が知ってる穂村君は――」
「お前が知ってる穂村正太郎は二年前、そして今の俺だ。だがこいつらが知っているのは、二年間の穂村正太郎……俺じゃなくて俺の方なんだよ!」
テーブルの上で握りこぶしを握りしめ、そしてかすかに震わせる。反対側の手は彼の脳内の苦悩を、かき消そうと髪を握りしめている。
「俺は……一体どうすれば……!」
「そんなの簡単な話じゃない」
「っ!」
部外者であるからこそ、答えを出せたのであろうか。それとも彼女が芸能界出身だからであろうか。水河は穂村の悩みを一蹴し、そして簡潔に答えを提示した。
「貴方が演じたって、その人にはなれない。でも誰かを想うってこと、それだけで十分――って、私は思うけどなぁ」
「ケッ、事実としてこいつみたいに俺に疑いの視線を向け続ける奴もいるがな」
そうして顎をクイッと向けてオウギの方を示せば、オウギもまた明らかな猜疑の心を向け続けている。
「……つまり、こういうこった」
「そりゃ、短時間で信頼を得られるんだったら苦労しないわよ」
目の前の結果だけを求めようとする穂村にため息をついて、水河はランチについて来ていたアイスコーヒーをストローで飲み始める。コーヒーの量が減ることに反比例して穂村の焦燥が内側で膨らんでいくなかで――唐突としてこの平穏が打ち破られることになる。
「あのー、穂村正太郎さんですか!?」
「アァ? ……そうだが」
「そうですか!」
その問いに深い意味は無いであろう。いわゆるただの本人確認。
しかしながら次の瞬間――穂村の目の前には真っ二つに割れたテーブルに、振り下ろされた大剣が。
「きゃあぁ!」
「……ッ!!」
とっさのことであるにもかかわらず、穂村はここでも偶然にも隣にいたイノとオウギを抱き寄せることしかできなかったことに歯軋りをしている。
そしてそんなことなどつゆ知らずと、剣を握りしめるショートポニーの少女が笑顔でこう予告した。
「それでは今から、ぶっ飛ばさせていただきますね!」
――『首取屋』、獅子河原神流による襲撃。名目としてはオズワルド=ツィートリヒから手を引かせるため、とでも銘打っているのであろうか。
「……上等だ、表に出ろ」
丁度良いタイミングだ。憂さ晴らしをするにしては。