第四章 第十二話 隠し事
「これなんてどうかな?」
「俺みてぇな野郎が芸能人の感覚を理解できると思うか?」
「普通に十代の男の子としての意見が欲しいだけなんだけどなぁー……」
第八区画。第七区画とは正反対の女性向けの店が建ち並ぶこの区画で、大きめのマスクで口元を隠し、だて眼鏡をかけて変装を嗜む少女と、ファッションなど一切興味が無くただ動きやすい服装でいるだけのAランクの関門とが道を共に歩んでいる。
「大体、契約も何もしてねぇってのにてめぇ個人でどうやって押しかけて来たんだよ」
「うーん、それはちょっと言えない約束かなー」
「チッ――」
――アクアとの戦いから一日がたった明朝のことだった。イノとオウギを子乃坂に押しつけては家で大人しくしておくように伝える。この日穂村は一人で考える時間を欲していた。
今の状況で自分を受け入れている人間がそう多くないことなど百も承知。特にあの双子の姉妹、更に言うと姉のオウギの方がいまだに疑いと諦めが混じったかのような複雑な視線を自分自身に送り続けている。
「ケッ……『アイツ』がどれだけ、理想の穂村正太郎を演じていたんだっての」
借りていたマンションの五階から外に出て飛び降り、逆噴射で地上にスタッと降り立つ。
「今更アイツみたいな身の振り方が、そう簡単にできるかっての……俺は穂村正太郎としてのやり方で、やるしかねぇってか?」
――“そりゃそうだろうよ。テメェじゃいくらマネをしたところでオレ様の二番煎じにすりゃなりゃしねぇんだからな”
「うるせぇぞクソが……」
そんな穂村の奥底には、今でももう一人の『穂村正太郎』が住み着いている。表に立つ自分とは違って積極的に乗っ取りに来るようなことはないが、こうして今の穂村の情けない姿を見て、高みの見物を楽しんでいる様子。
――“まっ、精々頑張りな。どうやらあの騎西善人との再戦もできそうだしよ”
「分かってるって、ったく……アァン?」
「あ、あのー……独り言は終わった感じですか?」
まるで待ち伏せでもしていたかのように唐突に姿を現す少女。その風貌たるや明らかに不審者としか思えず、しかしかといって穂村に危害を加える雰囲気など微塵も感じられない。
「……ん? もしかしてあのアイドルの――」
「そ、そうです! 改めまして、水河七海といいます!」
目の前でマスクとだて眼鏡を外せば、そこには十人が十人振り返るであろう美少女アイドルグループの片割れがそこに立っている。
「そうかよ……どうでもいいが、あんまし一人で出歩かない方が良いぞ。特にお前みたいな力帝都市のルールも分かってなさそうな奴は」
普通の人間であれば握手程度は求めておかしくはないだろう。力帝都市で危険な事業に手を染めている輩であれば、この場で即刻拉致を試みるだろう。しかしながら今現在水河の前に立っているのは、自分が興味の持つ出来事以外には「どうでもいい」のひと言でつっぱねる十五の少年。無論アイドルなどに興味が無い今回も、忠告程度で後は勝手にしろといわんばかりにその場を立ち去ろうとした。
「ちょ、ちょっと待ってよ!」
「なんだよめんどくせぇ」
今日は一人で考える日。そう決めていた穂村にとって、後ろから袖を握られ、足を止められるなどという状況は好ましいものでは無かった。
「お願いがあってここまで来たのに無視されたら困るんですけど!」
「知ったことか。そんなもん願い下げだ」
さてどこを歩こうか。物静かな第五区画か、唯一外界とつながっている第十五区画か。いずれにしてもこの先ずっと喚きながらついてくる少女と付き合うつもりは毛頭無い。穂村はひたすらに無視を重ねては少女を突き放そうとしていた。
しかし水河も諦めてはいなかった。無視をされるのなら無視できない状況にすればいいと、無理矢理に穂村の右腕に両腕を絡め、芸能界で培った演技力を存分に発揮しカップルのように振る舞ってみせる。
「もう! そういってすぐ怒るんだから!」
「なッ、ハァ!? 何腕組んでんだようっとうしい!」
「ひっどーい! もしかして浮気でもしたの?」
「いっ!? 浮気ってなんだよ意味が分かんねぇだろうが!!」
水河としては恋人というシチュエーションにおいての適当なことを言ったつもりだったが、ところどころが穂村本人にヒットする部分があったようで、動揺を誘うという点において予想以上の成果を上げている。
「……もしかして、何個か当たってる感じ?」
「分かったもう黙れ。話を聞いてやる……」
一人にして欲しいどころか無駄な周囲の視線を集めてしまっているこの状況、穂村は大きなため息をついて折れるほか無かった。
「――それでなんで俺が買い物なんかに付き合わなくちゃならねぇんだ」
「だって折角力帝都市っていう珍しいところに来たんだもん。……ファッションとか気になったりしないの?」
「んなどうでもいいもん気にしねぇよ、ふぁあ……」
そうして場所は再び第八区画へと戻り、周囲に女性あるいは同じようなカップルが多くいる店内で堂々と欠伸をする穂村に水河が呆れるところから再び話は進み始める。
「全く……自分で言うのもあれだけど、アイドルと付き添って買い物ができるって普通なら大喜びで付き合うところなんだけど」
「悪いが俺は普通じゃねぇからな。それこそ――おっと、お前に言っても何も分かる訳ねぇか」
「何よ、一人で勝手に話を完結させて」
この日水河七海にはほんの少しばかりの野望があった。ライブがあったあの日――水河は偶然にも目にしてしまっていた。他の誰しもがライブに熱狂する中、只一人観客席でふんぞり返って座る穂村正太郎の姿を。そしてライブでのトラブルを解決したのもまた、彼だということを。
その後同じメンバーの千宝院暁とマネージャーである千宝院司に連れられて行った時、水河は確信を持った。
――この男を堕とせるようになれば、アイドルとして魅力が上がったという証明にもなる、と。
「ねぇ、どっちが似合うと思う?」
そう言って水河が穂村に見せたのは、淡い色の薄手のドレスと、濃いめの色でデザインされたカジュアルなシャツ。
「こっちの可愛い感じがいいか、それとも普段着としてこっちのちょっと大きめのサイズのシャツ、どっちがいい?」
どちらとも胸にあてがって似合うかどうかを聞く水河だが、穂村は頭の後ろをぶっきらぼうに掻いては全くもって興味が無いといった態度を示すばかり。
「知るかよそんなもん。どっちも買えば良いだろ」
「……あなたって女心分からない感じ?」
「知ってて何か得することあんのかよ」
「はぁ、あなたの周りの女の子って結構苦労するんじゃない?」
「俺の勝手で苦労しようが、俺の知ったことじゃねぇよ」
「全く……」
結局自分で試着した方が手っ取り早いと思ったのであろう、一人で試着室へと歩き出した水河の背中を見て、好都合とみた穂村はその場を抜け出そうと踵を返す。
――“おいおい、女一人置いて逃げるのかよ”
「知るかよ。元々今日は俺と『テメェ』で話してぇことがあったから抜け出したってのによ」
――“話すって何をだ? ……まさかとはおもうが――”
「……そのまさかだ」
――“だったら「女の子を置いてこの場から尻尾巻いて立ち去る」のは、『穂村正太郎』らしくねぇなぁ”
「チッ、だろうな……」
元いた場所を振り返り、面倒だと分かっていながらも一人の少女が姿を現すのを待つ。そう、今の穂村が考えているのは、不器用なりにもこの都市で過ごしてきた人との認識のズレを少なくしようという擦り合わせだった。少しでも今より他人のことを考えることができれば、それまでの穂村正太郎という理想像に近づけると、穂村は考えていた。
――“ハッ、事の発端としてはテメェの理想像をオレ様はそれなりに演じてきたが……やめておいた方が良いと思うぜぇ?”
「俺に指図してんじゃねぇよ。黙ってアドバイスだけくれてれば良いんだ」
――“テメェ、本当にオレ様以上に『高慢』だな”
「うっせぇ。……チッ、なんか手招きしてやがったから行くしかねぇか」
視線の先には更衣室のカーテンから顔を覗かせて手招きをする水河の姿が。穂村が面倒という感情を拭いきれないままに近づくと、突如として水河はカーテンを全開にして試着してみせた衣服をサプライズとして見せつけてくる。
「ねぇ! こういう感じとかどうかな?」
「いいんじゃねぇの?」
頭にどうでもという言葉がつきそうな程に無感情で棒読みな褒め言葉を発する穂村に対し、水河は思ったとおりの反応を貰えなかったことに頬を膨らませてカーテンを勢いよく閉じる。
「もう! もう少しくらい興味を持ってもいいんじゃないの?」
「知るかよ、そんなの……いや、なんでもねぇ」
まずは口癖でもある「どうでもいい」という言葉使いをなおさなければと閉口するが、事情を知らない水河にとって、穂村の焦って口をつぐむという行為が照れ隠しに見えていたようで、ニヤニヤとした表情で穂村を見つめている。
「おやおや~? ようやく私の可愛さに気がついた感じかな?」
「違ぇってのに……ダルい女だぜ」
ゴキリと首の骨を鳴らしながら辟易とした表情を浮かべる穂村に対し、まずは少し見返してやったと微笑む水河。そんな一見すればごく普通のカップルに見えなくもない二人の様子を、影から観察する者が三人。
「怪しいと思って後を追ったら、まさか水河さんの買い物に付き合っていたなんて……!」
「ちとせおねぇちゃん、こわい顔してるぞ……」
「…………」
「いいから静かについて来て、イノちゃん。オウギちゃんは……なんとなく分かってるみたいだね」
影からこそこそとストーキングしている人影の正体は、この日家で留守番を頼まれているはずの子乃坂達だった。理由も分からないままについていくイノと、これを機に穂村の本当の姿を見定めようとするオウギとが、子乃坂と一緒に穂村の背中を見つめている。
「ちょっとでも変なこと考えていたら、すぐに割り込んでやるんだから」
こうして子乃坂達の密かな追跡劇が、穂村達の知らないところで始まろうとしていた。