第十話 判断
「それで? アンタ結局契約しなかったの?」
「ああ。胡散臭かったからな。後は緋山が何とかするだろ」
「ふーん……」
ひなた荘での一件を終えて、穂村は時田と子乃坂、そしてふたりの幼い少女を連れて帰路を歩いていた。守矢和美はというと、ひなた荘を出てすぐに夕飯の支度をすると言って分かれては元の第十四区画へと戻っているところである。
蝉が鳴く中各々が帰る家へと向かっているという、そんな夕暮れ時だった。
「えぇー、もったいないなぁ」
「うるせぇ。只でさえ現状の整理に追われてんだから余計なもん背負うかっての」
「……やっぱアンタ、変わったわね」
「そりゃそうだろ。中身が違うんだからよ」
以前の穂村であればあまりしなかったであろう、両手をポケットに突っ込んだままの不良スタイルの歩き方に時田は未だ慣れず、ほんの少しの戸惑いを残していた。対する子乃坂はというと、なんともないといった様子で横を付き添っている。
そして時田とは違う意味でほんの少しだけ距離を置いているのは、双子の少女のイノとオウギだった。二人にとって有耶無耶なままに聞けなかった問題が、答えて貰っていない大きな疑問がまだ残ったままというのもあるからだ。
「……それでおねえちゃん、しょうたろーにはいつ聞くのだ?」
「…………」
――今はまだその時ではない、とオウギは静かに首を横に振る。確かに説明の限りでは、彼こそが本物の穂村正太郎であり、そして今までは彼自身が求めていた理想の姿――決してなり得ることのできない筈の、彼自身が産んだ『高慢』さという虚栄の姿だったのだという。
――しかしその虚栄に救われた少女が、確かにここにいる。
イノは我慢ができなかったのか、今までと変わらない態度で穂村のすぐ側に寄り、そしてポケットに突っ込んでいる手を握ろうと穂村の腕を揺さぶる。
「しょうたろー」
「ん?」
「手、握ろ?」
「あぁん? めんどくせぇどうでもいいだろ」
以前の穂村であれば疑問を持ちながらも仕方なく手を差し出していた。しかし今の穂村は手を差し出すどころか、“どうでもいい”と一蹴して足を止める雰囲気もなく歩き続けている。
「しょうたろー……」
――やはり、とでもいうべきであろうか。以前の自分たちが知っている穂村正太郎と、今の穂村正太郎は全く違う。自分たちを救う為に身体を張ったあの少年と、背を向けたまま歩き続ける少年とでは、あまりにも違いが過ぎてしまっている。
「……おねえちゃん……」
イノの呟きに、姉のオウギは変わらず首を振っていた。しかしその意味はそれまでとは違う、諦めの動作。少女達が知る少年の面影などもうそこには無くなってしまっている、あの時助けに来てくれた少年とは違うのだという確かな結果だけが目の前に突きつけられている。
「…………」
「……おねえちゃ――」
「――ッ! 下がれッ!!」
イノの行く先にある、小さな蓋。穂村はそれを一瞬睨みつけると、近くにいたイノを咄嗟に抱きかかえて足の裏の小さな炎でバックステップをした。
それとほぼ同時に、間欠泉でも打ち上がったかのようにへし曲がったマンホールが宙を舞い、それと同時に水柱と――黒い包帯の男が姿を現す。
「おいおい! 会場での恨みを晴らしに来たってかァ!?」
抱きかかえていたイノを子乃坂へと押しつけると、穂村は自身の戦いの為に即座に赤い炎を纏い始める。
「この前はとっさだったから蒼い炎で終わらせちまったが、今度は実力見る為に手加減してやっからかかってこいよォ!!」
全身から漲る焔を纏った少年を見て、黒包帯の男は飛び出した場所を間違ったとでもいわんばかりの動揺を見せている。
そして動揺しているのは、包帯の男一人だけでは無かった。
「なっ!? 貴方はまさか!?」
打ち上げられた水はそのまま巨大な水玉となり、水玉は人の形となり、そして一人のゴスロリ姿の少女へと姿を変えていく。
「アァ!? ……てめぇ、あの時の腰抜け女!」
「腰抜けじゃないわ! 戦略的撤退と言って貰えるかしら!」
その少女には、以前にも戦ったことがあった。前回は穂村がまだ『高慢』として、もう一人の『大罪』として成り代わっていた時に凍結能力持ちの青年とタッグを組んで襲ってきた少女。今回は一人で目の前に姿を現し、その様子からして標的が穂村では無いことは理解できる。
「全く、下水道を追っていけばまさか第九区画まで来る羽目になるなんて、しかもよりによってこんな人と会うなんてサイテーの気分!」
「ハッ! 俺はむしろハッピーな気分だぜ!? 二人纏めて決着つけられんだからよォ!!」
二人を相手に、手加減は無用。鮮やかに赤から蒼へと焔の色が変わっていく最中、穂村は邪魔をするなといわんばかりに時田達に背を向けたまま手を後ろへと差し出す。
「えっ!? ちょっとアンタ一人じゃ流石に無理でしょ! 黒包帯の方は知らないけど、あの水を使うヤツ、確か――」
「どうでもいいんだよ相手が誰だろうと! 時田も子乃坂も、イノ達引き連れてさっさと失せろ! 戦いの邪魔だ!!」
「っ! ……分かったわよ! でも無理しないでよね!」
建前としては戦いの邪魔、しかし子乃坂は即座に理解した。
この場にいれば、確実に巻き込まれる。だからこそぶっきらぼうな彼なりの言葉で、突き放すようにこの場から追いやってくれていた。
しかしそれを素直に受け取れたのは、子乃坂一人だけ。
「ハァ……全く、心配して損しちゃった」
「なんだ? 俺が負けるとでも思ってんのか?」
「違うわよ」
やれやれといった様子で首を振りながら、時田マキナは穂村と同じ戦いの前線へと足を。
「アンタ少しは変わったかと思ったけど、口調が変わっただけで中身なーんも変わってないってコト」
背負い込むのは面倒だと言いながらも、勝手に背負い込もうとするその性格には変わりない。そんな穂村の姿を再確認できた時田は、景気よく拳を組んで意気揚々とそろい踏みする。
「アァ? どういう意味だそりゃ」
「何でも無いわ。コッチの話だから」
「さて、これで二対二にはなるんじゃない?」
「バッ、邪魔するんじゃ――」
「うっさい。そもそもアンタはランク未決定とはいえ元Bランク、Aランクのアタシがいた方が良いに決まってんでしょ」
舐めているのか――と口から出かかったものの、既にやる気満々の少女を止める理由も特にない。それこそ穂村自身の掲げる面倒事に引っかかってくる行動だ。
「……チッ、精々足引っ張って面倒にするんじゃねぇぞ」
「アンタこそ、それだけでかい口叩けるようになった割に以前と変わらなかったら戦いの最中でもブッ飛ばすからね」
――そんな時田の姿を見て、自分もああまで素直になれたならと想う少女が二人。
「……おねえちゃん」
「…………」
「二人とも気をつけて! オウギちゃんもイノちゃんも、急ごう!」
幼い少女二人を連れて、子乃坂はその場を離れる。それは穂村正太郎という人物を信頼しての行動であり、この場における最善の手立てでもある。
「……しょうたろー!」
「なんだよ……」
唐突に背後から声をかけられた穂村は、やる気を削がれたと言わんばかりに気怠そうに後ろを振り返る。
「ぜったいに帰ってくるのだぞー!!」
「……何を言うかと思えば」
ハァ、と拍子抜けしたかのように穂村は肩を落とすと、イノの約束に対してたった一言で言葉を返す。
「……当たり前だろ」
「……!」
覇気が無いというべきか、あるいは――
――安心させる為の、柔らかい口調だったか。
いずれにしても、この一言でイノの心に残っていた猜疑心は晴れていった。しかし姉の方は、オウギだけはまだ信頼がとれないままに引っかかりを覚えたままその場を去って行くこととなった。
「……さぁて、ご丁寧に待ってくれてんじゃねぇか」
「それともアタシ達相手なら余裕って感じなの?」
「そこの虫男は知らないけど、少なくとも私は余裕と断言して貰っても良いわよ」
そうしてゴスロリの少女は改めて散らばっていた水滴を集めて、水飴のように手元で水を捏ねて戦いの準備に取りかかる。
「私の名前はアクア=ローゼズ。検体名は『液』、ランクは――」
――Sランクだから、精々楽しませて頂戴な、SランクとAランクの関門さん。