第十章 第十七話 Amy
――遠くでビルがまた一棟、焔に蝕まれては崩れ落ちていく。自らが足をつけているこの建物も、何時壊れるか分からない。そんな中で二人の男が、決着をつけようとしている。
片やこの二年前に味わわされた屈辱を晴らすべく、片や二年間内に秘めてきた憤怒を晴らすべく――互いの感情の高ぶりがそのままあらわになっているかのごとく、周囲に広がる火の海が更に荒々しく燃え広がっていく。
「決着……願ってもねぇ展開だ。テメェを半殺しになるまで嬲って、くたばりかけのテメェの情けねぇ面の前であの娘を犯してやるよぉ!」
「テメェを殺す、必ず殺す……そうしねぇと俺も、子乃坂も……前に進めねぇんだよッ!」
蒼き火の海に沈もうとしている第三区画を背景に、全ての決着をつける為の戦いが始まろうとしていた――
「俺の平穏の為にも、どんな手を使ってでもテメェを潰す……」
「てめぇなんざ、焔が使えなくても殺してやるよ……!」
「穂村君……」
瓦解する大きな音が鳴り響き、近くの建物の内の一つがまたしても焔に沈んだその瞬間――最初に仕掛けたのは穂村の方だった。
「うぉおおお!!」
まっすぐ駆け出し、右腕を大きく振りかぶる。しかし蛇塚はそれを軽く躱し、お返しにと長い腕を使ったリーチのある一撃を逆に穂村へと叩きつける。
「ごはぁっ!!」
「このオレ様が! ただ能力にかまけただけの雑魚とでも思ってんのか!? むしろテメェ等みたいな奴らの方が過信している分弱ぇんだよ!!」
とはいえ元々穂村の能力も単純なものであり、殴り合いなどむしろ得意な部類の人間である。蛇塚の能力である『AAA』によって『焔』特有の頑強さが打ち消されたとしても、中学時代からの筋金入りの不良にとってパンチの一発や二発などものの数に入らない。
「っ、ヒョロガリのパンチなんざ効くかよぉ!!」
一発殴ったことで満足していた蛇塚の油断はこの場においては失態でしかなく、起き上がりのカウンターパンチを顎に受けるには十分な理由でしかない。
「ぐごっ!?」
打ち抜かれた顎を押さえながら蛇塚は数歩後ろへと下がるが、今の一撃により完全に蛇塚のスイッチが入ってしまう。
「……嬲るのはやめだ。ぶっ殺すわ、テメェ」
鋭い瞳に宿す殺意はより一層剥き出しの闘志を見せつけ、先ほどまで一切構えらしい構えをしていなかった蛇塚が、ここで初めてだらりと両腕を下げて低い姿勢をとる。
「チッ……」
力帝都市に来る前も、そして後にも見たことがない構え。ジリジリと様子をうかがうヘビのように首をもたげては、右へ右へと穂村を軸にして死角を探すかのように動き始める蛇塚を前にして、穂村もまた常に敵を真っ正面に捕らえるように身体を動かしてじっと見定める。
「…………」
互いの間の距離に生まれる緊張感。単なる喧嘩ではない、互いに格闘を囓っている者同士だからこそむやみな接近をせずに様子をうかがっている。
「……クヒヒッ、それにしても穂村ァ、テメェ随分と女はべらせてるみてぇじゃねぇか。今更子乃坂に執着するテメェの心が知れねぇなぁ」
「てめぇには関係ねぇだろ」
「クヒャハハッ! そうかそうか、関係ねぇか……だが子乃坂はどう思ってんだろうなぁ」
ここで唐突な揺さぶりをかけてくる蛇塚であったが、穂村はそれに一切動揺することなく真っ直ぐに蛇塚だけに焦点を合わせている。恐らくは子乃坂の方に少しでも意識を向けさせることで攻撃の隙を伺ったのであろう、蛇塚の作戦は不発に終わってしまう。
しかしここで穂村の視界に子乃坂が映り込み、そして蛇塚の背後に子乃坂が重なったところで蛇塚がニヤリと笑ったその瞬間――穂村は全てを理解して大声を挙げて子乃坂の名を叫ぶ。
「ッ! 下がれ子乃坂ッ!! そいつは最初から――」
「もう遅ぇよバーカ!! 誰がこんな適当な構えで戦うかアホが!!」
蛇塚は最初から自分だけに意識を向けさせるつもりしかなかった。その為にもあえて逆の言動を吐くことで穂村に深読みをさせておいて、実際はその更に奥に蛇塚の狙いがあったのである。
振り返ると同時に蛇塚の長い右腕が子乃坂の首に巻き付けられ、そして空いた左手を懐に伸ばし、拳銃を子乃坂のこめかみへと擦りつけて脅迫する。
「おぉっと動くんじゃねぇぞ!! 動いたらコイツの頭の中身が丸見えになっちまうぜぇ!?」
「卑怯なマネしてんじゃねぇぞゴミ野郎がァ!!」
それまでにないドスの利いた声で吠える穂村だったが、蛇塚はわざとらしくキョトンとした顔つきで何を言っているんだととぼける。
「卑怯も何もねぇだろ? そっちが勝手に能力を使わねぇって言い出しただけでこっちは拳銃も人質も使わねぇとは一言も言ってねぇからな」
「穂村君!!」
腐っても大の大人の腕力を持つ蛇塚、子乃坂の抵抗など軽く腕で絞めることで抑えつけては再び子乃坂に銃口を突きつけ、穂村に向けて更に挑発を重ねる。
「さーて、どうする穂村ァ!? ここでオレ様のご機嫌取りをしねぇとコイツの頭が即刻吹き飛ぶぜぇ!?」
「くっ……」
下手に抗えば、子乃坂の頭は確実に打ち抜かれる。そうなってしまえば、それこそ穂村にとっては全てがどうでもよくなってしまう。捕らわれた子乃坂を守る為に穂村がとるべき行動――それは戦いの意思を放棄し、その場に跪くことだけ。
「そうだ……情けねぇ面晒して膝から崩れ落ちとけ!!」
こうして完全に場を掌握することができた蛇塚はのぼせ上がるとともに勝利を確信した。今や憎きクソガキたる穂村はしおらしくその場に跪き、後はこちらの思うがままの状況に持ち込むことが出来ている。
「悪いな穂村。世の中ってよぉ、大人が勝つようにできてんだわ」
念には念を。予想外の行動に出ることができないように、蛇塚は二発の銃声をならして穂村の両脚を完全に潰しにかかる。
「ぐあぁっ!!」
「っ! やめて!」
「やめる訳ねぇだろアホ!! 穂村の言うとおり、テメェは甘ちゃん過ぎるんだよぉ……ここでコイツを完全に潰しきる……徹底的にやってこその、蛇塚恒雄様ってことを覚えておけ!!」
両脚を潰し終えた後には両腕を、更には力が入らないようにと腹部に一発、計五発の弾丸が穂村に容赦なく撃ち込まれる。子乃坂が惨すぎる光景に目を背けようにも、蛇塚の手が顎を掴み、無理矢理にでもその光景を見せつけている。
「ぐ、ぐぐ……」
「さーて、そろそろ宣言通りに嬲ってやるとするか……」
感情が突き動かそうにも、全身に力が入らない。弾丸によって撃ち抜かれた四肢はもう、殴る力も残されていない。
そう、蛇塚の元に近づいて殴る力“は”残されていなかった。
「……頼む……最後に、灯せ……!」
穂村の手のひらに、最後の灯火がともされる。それは蒼く頼りないか細い僅かな暁光。しかしそれだけでも、この半壊したビルを傾けさせるには十分な火力を秘めている。
「う、ぉ、おおおおおッ!!」
「なっ、テメ――」
手のひらを叩きつければ小規模な爆炎が立ち上る。しかしそれで十分だった。このビルに亀裂を入れ、蛇塚を足下からバランスを狂わせるには十分だった。
「うわっととぉっ!?」
予想外にバランスを崩してしまった蛇塚は両手よりも両脚に意識をとられてしまい、その間に子乃坂には逃げられ、拳銃を手から離してしまう。
「なっ、銃が!?」
「ハッ……ザマァねぇぜ、畜生が……逃げろ子乃坂ぁ!! 俺に構わず逃げろぉ!!」
「違う……私は逃げない!!」
崩れゆく不安定な足場の上を、子乃坂は意を決して駆け抜ける。そして滑り落ちようとする拳銃を拾い上げると、そのまま穂村のそばへと寄って肩を担ごうとしている。
「バッ、何やってんだ――」
「私はもう、迷わない……穂村君と同じ、私も戦う!」
「ふ、ふざけてんのかぁ!!」
完璧な勝利の確信から一転、今や武器らしい武器を握ったことすらない少女から、蛇塚恒雄は拳銃の銃口を向けられている。
「ガキが、銃を扱える訳ねぇだろ!」
怒りに駆られた蛇塚はそのまま足場の心配もせずに子乃坂に向かって駆け寄ろうとした。
――しかしそれもすぐに足を止める羽目となる。
「そんな構え方だと肩外れるぞ、子乃坂。両手でしっかりと、握りしめろ……」
本来ならば満身創痍、立つのもままならない筈の穂村が、最後の力を振り絞って立ち上がり、そして子乃坂の持つ拳銃に重ねるように手を添える。
「両手でしっかりと握りしめろ……最後の一発で、頭を確実に撃ち抜く……!」
「……うん……!」
「て、テメェ等! 外の人間を殺しておいて、力帝都市で過ごせるとでも思ってんのか!?」
常識的に考えれば言わずもがな――力帝都市の外においては人殺しなど犯罪以外の何ものでもない。そして無論力帝都市の中においても、殺しは御法度でしかない。
それでも覚悟はできていた。穂村正太郎は二年前から、覚悟ができていた。蛇塚恒雄を、この世から消し去る覚悟ができていた――
「――犯罪だからどうした。テメェを殺すと決めた時から、全部……全部俺が背負うって決めてんだよッ!!」
「っ……!」
子乃坂は唇を強くかみしめた。それは穂村と同じ罪を、“大きな罪”を背負う覚悟ができたということであろうか。
対する蛇塚は恐怖した。このままでは殺される、本気で命を落とすという危機感から逃れるかのように、一歩、一歩と後ずさりをしていく。
「や、やめろ、やめろ……!」
「……くたばれ、ゴミ野郎」
「っ!」
一発の弾丸が放たれたその瞬間――一人の男の身体が、屋上から落ちていく。
そして穂村達の握りしめていた拳銃は――遙か空へと向けられていた。
「ハァ……ハァ……」
「ッ、子乃坂!! お前――」
――何で直前になって空を撃ちやがった!?
「……これで、よかったの……」
結果として、蛇塚は己の恐怖に支配されて自ら足を滑らせて火の海へと落ちていった。対する穂村と子乃坂は、自ら手を汚すことなどなく蛇塚恒雄を葬り去った。
「子乃坂、お前……」
「これで、これで……!」
それまでの緊張から糸が切れるかのように、子乃坂は力なくその場に膝を折り、穂村荷もたれかかるようにしてその場にうなだれた。
「……私は、結果的に人を殺しちゃったんだ」
「……何を言ってんだ。子乃坂が撃ったのは空だ。あいつは勝手に……落ちていった、だけなんだ……」
互いの傷をなめ合うかのように、穂村と子乃坂は崩れゆくビルの屋上で静かに時を過ごしていった――