第十六話 一切合切
「――ウ、グッ!? テメェが、どうして……ッ!?」
「しっかりしてよ穂村君! 私なら大丈夫だから! もう、そんな姿にならなくてもいいから!」
「誰が、こんな、姿に……バケモノに……ッ!? ――邪魔するんじゃねぇぞゴラァ!!」
この瞬間にも『憤怒』の奥に潜んでいる『穂村正太郎』という存在がかき分けて外に出ようとしているのか、動揺の中に抗うような声と、それをかき消すような怒声が入り混じっている。
「黒が……闇が……ッ、俺は……俺はァッ!!」
そうした一瞬の動揺が引き金となって、それまで空に留めて制御されていた黒球が崩れて地面へと落ちていく――
「驚天動地!? 空が、崩れ落ちてくる!?」
「くっ……ここで、終わりなのか……!」
あり得ないが、あり得ている。眼前に起こる全てが、『全知』『全能』の想定を大きく超えて突き放していく。
「こんな、こんな結末が……『世界』は、ここまでして我等を否定するのか!?」
絶対に抗うことのできない末路――それが、力帝都市へと降りかかってくる。
誰も止めることができない。誰にも止められない。『全知』であろうと『全能』であろうと、この結末を変えられる者はこの場にはいない。
そう、この場において一人を除いては――
「――散々力貸してやってんだ、一度くらい貸しやがれェッ!!」
――“主導権握って早々指図ブッこいてんじゃねぇぞ穂村ァ! 減らず口叩かずに「お貸しください」って遜ってみろよゴミ野郎!!”
「“ウォオオオオオオオオオオオオオォアアッッッ!!”」
全身の黒を浄化するかのように、穂村の身体は一瞬にして蒼炎と灰燼に包まれる。そして三対の蒼い焔の翼が背中に生やすとともに、その場に衝撃波を残して超高速で黒い太陽の下へと飛び立っていく。
「――“閃烈の、蒼炎拍動ッ!!”」
眼前に迫る黒球。それは比べるならばかの蒼い焔を纏う少年がちっぽけな存在へと成り代わる程に巨大であり、そして強大である。しかし穂村も『高慢』も、その存在を許すことができない。穂村正太郎として、自身を差し置いて勝手気まま破壊をする存在を認めることはできない。
「“俺を差し置いて、勝手に全部ぶっ壊そうとしてんじゃねぇえッ!!”」
左手に灰を、右手に蒼を。全てを解き放つ時が来た。
「うぜぇ……うぜぇんだよ!!」
未だ頭の中で、何かがざらついている。それが一瞬にして主導権を握られた『憤怒』の最後のあがきであろうか。しかしそれすらも握りつぶすように、両の手を組み合わせて極限の熱を伴った蒼炎を生み出すと、灰を導線として一直線に黒球へと向けて連鎖爆発させていく。そして――
「消し飛んじまいなァッ!!」
焔は黒球を突き破って内部へと、そして炸裂と同時に蒼色の亀裂が黒球の表面を走っていく。そして追撃の拳が黒球を捉えたそのとき、辺り一面を晴らすかのような光が、空と地平線の両方から全てを照らしていく。
「……馬鹿な。全てが、奴に味方しているとでも言うのか……!?」
「へ、へへっ……ザマァみやがれってんだ……ッ!」
撃墜された飛行機のように崩れかかったビルの屋上に不時着する黒髪の少年。そしてそれを追って『全知』の元を離れ、一人の少女が少年の元へと駆け寄る。
「穂村君!」
「ハァ、ハァ……子乃坂……お前……」
目の前に立つ一人の少女を前にして、穂村は残滓として残る頭痛をかき消すように右手で髪の毛をくしゃくしゃに握りしめる。穂村はそこでようやく真っ正面から子乃坂がそばに居るという現実を把握し、そして突然と思い出したように子乃坂を抱きしめて離さない。
「お前、蛇塚のクソ野郎に……!」
「ううん、大丈夫だよ。あそこにいる人が助けてくれたから」
そうして穂村が見やった先には、未だ不満を拭えぬ『全能』と相対する『全知』の姿がそこにあった。
「あいつが……」
何も言わずに静かに佇むだけの『市長』の片割れが、穂村の視線の先に映る。
「……一体何のつもりだ」
「全豹一斑。ほんの少しの間違えで、この世界が消し飛ぶところを、元に戻した。それだけ」
特に恩を売るつもりというわけではなく、現状としての穂村の暴走を止めることを最優先したのだという。しかし穂村は未だに納得がいっていないようであり、そして表立って戦ってきたのが『憤怒』といえども、まだこれだけで矛を収めるつもりなど毛頭ない。
そして納得がいっていないのは、何も穂村だけではなかった。
「何をするつもりだ『全知』! これは我と彼奴との戦いだ!!」
「撥雲見天。僅かな可能性が、この結末を回避する可能性がここにある」
最強としてのプライドか、敗北を喫することが濃厚であろうとも、戦いの邪魔をされるのを『全能』は嫌った。しかし『全知』もまた目的の為に、この場を退くわけにはいかなかった。
「冷静沈着。この物語が終わりになれば、それこそ私達の悲願は泡と消える」
混乱渦巻く第三区画において、最も冷静にその場の判断を下せたのは『全知』ただ一人。そして『憤怒』に駆られた少年を元に戻す事ができたのもまた、この場において『全知』ただ一人。
「呉越同舟。ここは穂村正太郎が指し示すであろう条件を呑むことにする」
「…………ふっ、いいだろう」
ここまでの功績で無理矢理押し切るつもり『全知』であった。しかし先ほどの口ぶりからして何かしらのケチをつけてくるかと思いきや、『全能』は何を思ったのか意外にも素直に応じる。
――そして『全能』が望む展開が、そこに待っていた。
「熟思黙想。穂村正太郎、貴方の望む条件をこちらは差し出す。なのでここでこれ以上――」
「うるせぇ」
淀んだ闇を照らす日差しが、迷いを消し去り全てを照らしていく――それ以上は、何も望まない。穂村正太郎としての新たな一歩を踏み出すそのとき、子乃坂が帰ってきていたのならば、それ以外は全て“どうでもいい”――
――そう、どうでもいいはずだった。
「『憤怒』がどれだけテメェをブチのめしたかは知らねぇが……俺がいまからやることはたった一つだけだ」
――とりあえず、一発全力でぶん殴らせろ。
「……フフッ、フハハハハッ! いいだろう!! だが我も最大限の抵抗を――ッ!?」
『憤怒』という最強の攻撃力と本能的な暴力性を持つ『衝動』を退けることは出来た。しかしそれを削ぎ落として更に鋭く研ぎ澄まされた蒼い焔を持つ少年が一瞬で放った左のフックは、思わず『全能』に防御態勢をとらせるには十分な程の威力を持っていた。
「ぐっ……チィッ!」
「穂村君!?」
「いいから子乃坂! そこのもう一人の市長と一緒に下がってろ!!」
闘争のエンジンが再びかけられる。一瞬にして両足そして右腕に蒼い焔を纏い、穂村はその場から空を飛んで離脱する『全能』の後を追う。
「『アイツ』が何やったか知らねぇが、テメェを一発ぶん殴れば終わりなんだよッ!!」
「ふ、ざ、けるなァあああああああああッ!!」
一瞬でも動きを止めさえ出来れば、穂村はそれまで溜め続けている右手の一撃をたたき込むことができる。そのためにも空中を飛ぶ『全能』の動きを牽制、あるいは一撃でも当てて負傷に追い込むために、穂村は左手の指先に蒼い灯火を点火させる。
「F・F・F――蒼弾乱舞!!」
緋弾乱舞の比にならない程の超大量の火の粉が振るう左手の指から降り注がれ、一発一発がナパーム弾の爆撃のように激烈な爆風を巻き上げていく。
「まるで別人のような力の成長、あり得ない……!」
まるで別人――それもそのはずだった。何故ならばこれまでの穂村正太郎はあくまで『高慢』が成り代わっていた姿であり、不完全な赤い焔しか出せずにいた。
そして今、本来の『焔』としての力を発揮している穂村こそが、本当の穂村正太郎だということを、『全能』は知らない。
「唯我独尊……あれが、本来の『焔』の力」
瞬間移動に近い『全能』の高速移動に対応するかのように、穂村自身もまた身体を灰へと変え、区画一体で舞う灰燼を介して次々と『全能』の前へと姿を現し、攻撃を重ねていく――
「くっ!! おのれおのれおのれぇッ!!」
「随分と余裕がなくなってんじゃねぇか!! アァ!?」
自分と対等かそれ以上に動くことが出来ているBランクに対して、『全能』の中に焦りが募り、苛立ちが脳を支配する。そうして普段の余裕が消えれば、普段であれば思いつくような打開策も見えなくなっていく――
「はぁあああああああああああああああッ!!」
「ウオオオァアアアアアアアアアアアアアアアアアッッッ!!」
真っ向からの肉弾戦。互いに一撃一撃が常人にとって即死級たり得る破壊力を伴う打撃の応酬。交わる拳が生み出す暴風は辺り一面に火の粉と灰燼を舞わせ、壮絶な衝撃の余波は崩れかけの建物をビリビリと震わせている。
手数では圧倒的に『全能』が上であり、少しずつではあるものの穂村の身体に打撃を加えることが出来ている。しかし穂村の元来の能力である『焔』の頑強さの前には、この程度の打撃では損傷にまで至ってはいない。
――そんな中突然として、拮抗状態は破られる。
「オォラァアッッッ!!」
「がッ――ハァッ!!」
蒼炎を纏った渾身の回し蹴りが、『全能』の腹部に突き刺さる。しかし穂村は攻撃をやめない。何故なら彼は、一発“殴る”ことだけを条件としているからだ。
そしてこの一瞬ののけぞりが、穂村の一発を加え入れるだけに十分な時間となる。
「言ったよなァ!? 一発は、一発だぜぇええええええッ!!」
それまで一度も使ってこなかった右の拳。それは今まで溜めに溜めていた蒼天の一撃。
振り抜いたその瞬間――
「がはッ――」
蒼い衝撃波が一つ、二つ、三つ――その真ん中を突き抜ける一つの影。まっすぐに、地面とは水平に。行く手を阻むビル群を薙ぎ倒してもなお落ちぬ破壊力。
そうして心の臓の位置にたたき込まれた蒼い火球とともに吹き飛んでいく『全能』の肉体は、区画を阻んでいた絶対防御の壁に叩きつけられるとともに、壁を易々と破壊し尽くす程の壮絶な爆発に巻き込まれる。
「……毛骨、悚然……」
爆風は崩れ落ちた壁を突き抜けて近隣区画にまで及び、衝撃の波は力帝都市上空をひた走っては隔離された第三区画での戦闘の壮絶ぶりを知らしめている。
「ザマーみろってんだよこの野郎がァッ!!」
その火力、その凶暴性、まさに蒼き怪人。いつの間にか穂村の瞳は鮮やかな青色に染まっており、完全に肉体の主導権を得たということを表現している。
「ふぅっ……」
そうして一通り満足したのか、穂村は身に纏っていた焔を消し去って再び子乃坂達の前へと降り立つ。
「…………」
降り立つも何も喋らない穂村を前にして、相方を完膚なきまでに叩き潰された『全知』は一歩前に出ることは出来なかった。むしろ恐怖を前にして、一歩後ろへと退いている自覚を持っていた。
そしてその予測の通り、満足しているように見えた穂村の口から次の敵対者の名が吐き出される。
「……蛇塚を出せ」
「心慌意乱。復讐は、今ので終わったはず――」
「逆だ。今のは単に憂さ晴らしに過ぎねぇ。俺は最初っから…………蛇塚をブチ殺すつもりでこの場にいる」
それは明らかな殺害宣言でしかなかった。それは図らずして誰かが望む展開となり、誰かが望まない展開となってしまっている。
「いいから蛇塚をここに連れてこい」
「ち、ちょっと穂村君!? それは、それだけは――」
「何を言ってんだ子乃坂! そもそもお前も、俺も! コイツのせいで狂っちまったんだぞ!?」
それは戦いに身を置いてこなかった人間の、至極まっとうな思いだった。
闘争にその身を焦がし尽くした少年の答えと、戦火にまみれた少年が守り切れなかった少女の答えが、まっすぐに相対する。
「それでも……人を殺すなんて……」
「……お前は、優しすぎるんだよ……!」
ほんのついさっきにも、蛇塚という男は子乃坂を狙っていた。しかしそれでも子乃坂は、蛇塚を殺してはならないと言う。
穂村にとってそれは、矛盾した答えでしかない。襲ってきた相手を返り討ちにせずに許す――戦いに身を置いてきた少年にとっては、最も理解から遠い考えだった。
「任務遂行……連れてきた」
「……穂村、テメェ……!」
「蛇塚ァ……!!」
異空間から連れてこられた一人の刑事の姿を見るなり、穂村の身体に再び怒りの焔が燃えさかり始める――
「……ここから先は、責任を持たない」
そう言って『全知』は姿を消すと、その場に残ったのは因縁深き三人のみ。
「……俺には能力が効かねぇぞ」
「……能力抜きでも、テメェをぶちのめすくらいできるぜ……!!」
一切合切、全てご破算。この場で、この瞬間をもって、全ての因果にケリをつける――
「……かかってこい、クソガキ風情がッ!!」
「ブチ殺す!!」
――この戦いが終わる時、この二年間の全てに決着がつけられるであろう。