第7話 “どうでもいい”
「これは酷い。せっかくの美人さんが台無しだ」
診察室にて、老人が大きなため息をつきながらラシェルの診察を始めていた。時計の針は既に九時を過ぎている。
『巻き戻し』の能力者であり、穂村の主治医でもある牧野大慈は、ラシェルの顔につけられた酷い火傷を見て大きなため息をつく。
「まったくあの阿呆め、定期的なカウンセリングを受けておかないといつかこうなると分かっておるじゃろうに」
愚痴を言いつつもラシェルのその悲惨となった頭部を包帯でぐるぐる巻きにして、しばらく安静にするように告げる。
「……ありがとうございます」
「いいんだ。アレの被害者となってしまっては、わしの責任でもあるからなぁ」
特に心配するようでもなく、顎に手を当てつつ牧野はしみじみと告げる。
「三時間ぐらい待合室で暇をつぶすといい。その後包帯をとってあげよう。そうすれば元の美人さんに戻れるよ」
「……ごめんなさい」
「おいおい、わしに謝る意味はなかろうに。それよりも、お前さんと面会したいと言っている奴がいるから、早く待合室に向かうといい」
ラシェルはその言葉を聞いて戦々恐々としていた。既に組織の者が任務に失敗したことを聞きつけて、始末しに来ているのではないのかと。足取り重く診察室を出て、そしてその足を待合室へと向かわせる。
しかしそこで待っていたのは、ラシェルが想像していたよりも恐ろしい存在だった。
日に三度会っても慣れる訳も無く、身体に心に刻みつけられた恐怖が舞い戻り始める。
それは待合室のソファの一つを陣取り、本来回収対象であるはずの少女と談笑している者。
「また負けたぞ!」
「お前ジョーカー引くとき顔に出るから――おう、やっぱりぐるぐる巻きにされたか」
「あ、あぁ……」
自分をここまで痛めつけ、嘲笑した者。
「あ、あぁぁあぁぁぁぁごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさ――」
「落ち着け! 俺はお前を痛めつける気はねぇ!」
穂村がなんとか落ち着かせようとするが、ラシェルその場に座り込みは混乱するばかりである。
「死にたくない死にたくない嫌だ嫌だ……」
「落ち着け!!」
穂村が強い言葉で喋れば、ラシェルは反射的に黙りこくる。が、その体は恐怖に震えたままである。
「あの時のオレと、今の俺は別だ!」
「……」
ラシェルは黙ったままだった。何よりその言葉が信用ならなかった。じゃあさっき見た悪魔は一体なんだったというのか。
「――『アイツ』と俺は違う」
後悔交じりに呟いた、穂村の口から言葉がでてくる。
「……アイツって……?」
ラシェルはやっとのことで、言葉を振り絞る。それは穂村に対する疑問であり、理不尽な暴力に対する回答を求める言葉であった。
ラシェルが穂村の方を向くと、そこにはあの時のような、暴力的な怪人の姿はどこにもなかった。
「……ちょっと話が長くなるかもしんねぇがいいか?」
どうせ三時間も時間を潰さねばならないのだ。今更長話の一つや二つくらいはラシェルにとってはどうとでもよかった。
穂村の隣に座ると、イノは包帯まみれのラシェルに気づいたのか警戒の表情を向ける。
穂村は警戒するイノを見て、大丈夫だとイノをいさめる。
そして穂村は自分の中の、『アイツ』についての話を始めた。
「――俺の中に、もう一人オレがいるんだ」
「え……?」
どういう事であろうか。
「二重人格っつぅもんかな……物心ついた時から『アイツ』は俺の中に住みついていて、隙があれば俺の体を支配して好き勝手しようとするんだ。時々頭ん中から話しかけてきたりするんだけどよ、『アイツ』はいつも暴力的で、目的のためなら人殺しすらいとわねぇヤツだ」
淡々と話してはいるものの、その内容はラシェルが抱いたイメージとまるっきり同じである。
「俺は『アイツ』に体を乗っ取られない様に定期的にここでカウンセリングを受けたりするけど、それでも時々表に出ちまうんだ」
つまり昨日はたまたま表に出て来てしまったアイツに、暇つぶし代わりにでも嬲られただけだというのか。
ラシェルが先ほどの事を思い出して再び体をビクつかせていると、穂村は自分の右手を見つめながら話を続ける。
「……俺自身も、怖ぇんだ。いつ『アイツ』が出てくるのか。いつ『アイツ』に呑みこまれるのか。もしかしたら、俺の一部は既に俺じゃないのかもしれねぇ。そんな意味のねぇことを考えて、一週間丸々潰しちまうこともある」
「……」
穂村は重くなったその場を仕切りなおすように腰を上げ、診察室の方へと歩き出す。
「…………俺は今からおっちゃんのとこにカウンセリングに行くんだけどよ、その間イノを見といてくれねぇか?」
「えぇー!? この女と一緒か!?」
イノはトランプを切りながら不満げな表情を浮かべる。確かに数時間前まで追い掛け回していた相手と二人っきりで、信頼も何もない。
「心配すんな、連れ戻したりとかはしねぇからよ。な? えーと……名前なんつったっけ?」
「……ラシェル」
「ラシェルか。いい名前じゃねぇか」
「なっ――」
突然名前を褒められたことに戸惑いつつも、ラシェルは穂村の背中を見送っていった。
「……じぃー」
「……な、何よ……」
「……やっぱり信用ならん!」
ラシェルは疑り深い少女と二人っきりで、穂村の帰りを待つことになった。
♦ ♦ ♦
穂村が診察室の扉を開けると、牧野は先ほどラシェルに向けていた表情とは違う、憤りと呆れが入り混じったような表情を浮かべていた。
「……お前さんも分かっただろう? 自分の中にいる『アレ』の恐ろしさが」
返す言葉もなく、穂村は黙ったままうなずいていた。牧野はあきれた様子で再び穂村に問いただす。
「……お前さん、まだ強くなりたいとか思っとりゃせんかね?」
穂村はしばらく黙りこくった後、ゆっくりと口を開く。
「……俺はこの力を、『アイツ』を知るためにこの都市に来たんだ。Sランクになれば、俺の中にいる『アイツ』の正体とかを知る力が、手に入ると思っていたんだよ……」
穂村の目的は最初からそうだった。この都市に、力に最も携わっているこの都市なら自分の中にいる『アイツ』の正体も分かるはずだと。
しかし牧野は変わらずそれを無駄だと言い張った。
「やめておけ。お前さんが戦えば戦うほどに、お前さんの中にいるその『力』が、表に這い出ようと暴れ出してしま――」
「んなこと分かってんだよぉ!!」
穂村は机を叩き、話をぶった切る様に大声を上げて自身の意思を牧野へと伝える。
「戦えば戦うほど、『アイツ』はより強くなってきやがるのは分かる……! だがそれでも俺は……戦わなきゃならねぇんだ……それが、『アイツ』を知る方法…………ただ怯えるだけで何もせずに、何もできずに呑まれるのが、俺は一番怖ぇんだ……!」
穂村はその場に崩れ、彼が普段人前では見せることのない泣き言を喚いた。
おおよそ今まで耐えてきたことに――『アイツ』の暴虐に穂村はもう耐えることなどできなかった。
牧野は大きくため息をついた後で、穂村のカルテを前にして頭を抱えて悩みに悩んだ。
――十年間黙ってきた、彼に真実を告げるべきかどうかを。
「――お前さんに、話すべきことがある」
それは牧野大慈にとっても苦渋の決断。それは今まで十年間自分を慕ってくれた少年を裏切る一言。
「その正体を、わしは知っている」
「……!」
穂村は顔を上げた。そしてその目を丸くして目の前の老人を見た。そして少しした後、彼の中に別の感情が渦巻いていた。
「……なぜ今まで黙っていた……?」
「その方がお前さんにとっても幸せでいられるからだ」
「……フザケんじゃねぇぞ……!」
穂村はその瞳を薄紅くして、牧野の襟元を掴み上げる。
「あんたはオレが苦しんでいたのをへらへらと笑って見過ごしてきたってのかよぉ!!」
牧野は言葉を返すことなく黙ったままである。穂村はその態度にさらに激昂し、襟をつまむ手により力を入れる。
「テメェ何シカトこいてやがる! オレの質問に――」
「ホレ言ったことか。既に『力』に取り込まれかけておる」
牧野はポケットから手鏡を取り出すと、穂村自身の姿を映す。そこには自らが最も忌避していた存在が、鮮明に映しだされている。
「ハッ!? がぁっ……!」
穂村は否定するかのように数歩後ずさり、頭を抱えて部屋の隅にうずくまる。
牧野はここまで予定調和と言わんばかりに話を始める。
「今までヴァルハラにて、その『衝動』とでもいうべきものは数件しか報告されていない。しかしその報告のいずれもが必ず最期には『力』に呑まれてその身を滅ぼしてしまう結果となっておった……お前さんがわしの所に来たのは正解だ。普通ならこの情報はお前さんの正に言うとおり、Sランク級だそうだからな」
穂村はいまさら嬉しくも無かった。自らのこの『力』を、知ることも治療することもできないと突きつけられたに等しいからだ。
「ちなみにその患者はより強い者との戦いを求め、その『力』を化け物とでもう言うべきにまで成長させていったそうだ……お前さんにも心当たりがあるだろう?」
穂村は黙ったままだった。身に覚えも何も、今現在の穂村がその状態だ。
「お前さんが強くなりたい理由は、その『力』について知ることだった。しかしそれは建前に過ぎない。自分の本音を問いただしてみろ」
穂村はそこで改めて、今まで戦ってきた理由を探しだす。
――『力』を知るため?
違う。
最強を目指すため?
違う。
イノを、あの不幸な少女を守るため?
違う。
――戦いたいから?
そうだ。
ただ戦いに身を委ねたいから。相手を叩き、敵を引き裂き、全てを焼きつくしたいから。
「――違う」
違う。違う。違う。違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う――
――“違う。テメェは最初から戦いを欲していたんだ”
「あぁ…………あぁああぁぁぁぁ…………!」
穂村は絶望に突き落とされた。真っ暗で、希望など無い。
いや、希望など最初からある訳が無かった。
戦う。そして勝利する。
これだけの目的のために穂村は今までのその全ての人生を過ごしてきた。
それは『アイツ』を立ち退かせるどころか、自ら進んで歩み寄っていることにしか過ぎなかったのだ。
救いなど最初からあるはずも無い。自分自身が望んだ破滅へと突き進んでいたに過ぎない。
「……俺はもう……」
「言ったはずだ……知らない方が幸せであったと」
牧野はカルテを手に取り、頭を抱えて座っていた。
言うべきではなかった。予想通り、絶望しかないのだと。彼は自らの運命を知らされただけで、あがくことすら許されないのだと。
すべては『力』に振り回されていただけ。最初から自分の手のひらで踊っていただけにすぎなかったのだ。
「……今日は病院に泊まれ。今のお前さんはとても不安定だ」
穂村は黙ったままうなずくと、診察室をふらふらと出て行った。
部屋から出て行った後、牧野は穂村のカルテを見つめては一人呟く。
「……すまない……」
♦ ♦ ♦
「あ! しょうたろーだ! ……どうしたのだ? 辛そうだぞ?」
うつむく穂村を迎えたのは屈託のない少女の笑みであった。
だが今の穂村にとって、それももはやどうでもいいことだった。いずれ自分からは消え去っていく運命だからだ。
ラシェルはその顔色をうかがいに、下からそっと顔を覗き込む。
「何か顔色悪いけど大丈夫なの? 私と戦った時以上に悪い――」
「うるせぇッ!!」
穂村は付き放つように言う。誰も関わって欲しくない。誰も関わってはいけないのだ。
穂村はその場が静まり返ったのを見てハッとすると、額に手を当て外の方へと歩き出す。
「……悪い……ちょっと夜風に当たってくる」
そう言って穂村はふらふらと歩きだし、病院を後にした。
♦ ♦ ♦
穂村は一人、夜の街をふらふらと歩いていた。右へふらついてはゴミ箱に足をとられ、左へふらついては人にぶつかったりと、まるで正面をうまくとらえられていないかのように。
――穂村正太郎は、その意味を失った。
『力』を知ることも、Sランクを目指す意味も、あの少女を救う意味も。全ては己が戦う理由づけにしかなってはいなかったのだ。己が満足するために、周りを巻き込んでいたにすぎないのだ。
でももう、戦う事は無い。どうせ『力』に呑みこまれるのだ。自分にできる事など無い。
イノの件についてはラシェルとかいう少女に任せよう。何と言っても彼女はAランク。Bランクの自分が敵う訳など、最初からなかったのだ。
時田マキナに突っかかるのももう止めよう。彼女だって迷惑なはずだ。最後の迷惑として、イノの事も任せてしまおう。
そう考えると、穂村の頭はすっきりとし始め、そして視界がゆっくりと遠のいてゆくのが分かる。
――“もうどうでもいい。この先呑みこまれるなら、もう自分の意思など無いにも等しいことだ”